【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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最終章 (二)深い眠りの理由

「どないしたんや?」

 

 そぼ降る雨の中、電柱の影に隠れていた八重(やえ)に声をかけてきたのは伴屋(ばんや)宝耳(ほうじ)だった。

 慌ただしく人が出入りする蝶屋敷を見ていた八重は、ヒッと後退(あとじさ)ってから、宝耳を(いぶか)しげに見つめた。

 

「あなた……伴屋、さん?」

「おぉ。覚えとったか。逃げた弟子っ子。なんや今頃? 律歌(りつか)姐さんからの(カネ)(もろ)て、そのままトンズラしよるかと思っとったのに、まーた性懲りもなく来て、まーた引っかき回す気か?」

「わ、私は本当のこと言ってるだけよ。あの人は……」

 

 八重が言い返そうとすると、宝耳はヒラヒラと手を振った。

 

「あぁもう、そないなことどうでもえぇんや。なにせ、無惨は殺されたんやからな」

「え……?」

 

 八重は驚きのあまり、固まった。

 その様子を見て、宝耳はフンと鼻を鳴らす。

 

「知らんかったか? ま、当然か。あれきり逐電しとったお前に(しら)せてくれるような知り合いが、今の鬼殺隊にいるはずもなし」

「ほ……本当、なの?」

 

 信じられないように、小さく問いかける八重に、宝耳は頷いた。

 

「昨晩、無惨との決戦があってな。柱も隊士も……ついでにお館様も、色々と死によったけど、ともかくも無惨は死んだ。それは間違いない」

「そ……んな……」

 

 八重はガクリと膝をついた。

 ハラハラと涙をこぼす。

 

「私、私、何も出来なかった……」

「お前がいたところで、無惨の食料(エサ)になるくらいやろ」

 

 宝耳は耳をほじって言い、ふっと耳くそを飛ばした。

 八重はムッとしたように立ち上がると、泣きながら顔を真っ赤にして怒鳴った。

 

「何よ! あんただって、怪我もないし……どうせ無惨と戦ってないんでしょ!」

「そりゃ、おじさん一人が入ったところでタカが知れてますよってな。それよりは戦後処理を手伝ったほうがよろしいかと思ぅて、こうしてノコノコやって来たわけで」

 

 いけしゃあしゃあと言う宝耳に、八重は文句を言いたかったが、もごもごとつぶやいた言葉は口の中で消えていく。

 何も言えなかった。言えるはずがない。

 結局のところは、八重も宝耳と同じ。

 何かしら騒動が起こっているらしいことは感じつつも、何もできなかった。

 鬼殺隊士になれなかったばかりか、弟子としても中途半端なまま、お館様から蝶屋敷で手伝うように言われても、周囲に溶け込むこともできなかった。

 なにもできず、何にもなれなかった……どこまでも中途半端な自分。

 無惨が死んだということが、母が死んでから八重に始終つきまとっていた恐怖を失わせた。

 八重は初めて自分の無力さを知り、()じた。 

 

「……わたしも、行っていい?」

 

 蝶屋敷へと向かおうとする宝耳に声をかける。

 宝耳は振り返って胡散臭そうに八重を見た。

 

「わたしじゃ大して役に立てないかもしれないけど……怪我人がいっぱいいるんなら、きっと洗濯物とか大変なはずだから。洗濯とか、掃除とか、包帯の準備とか……そういうことくらいなら、わたしにもやれるはずだから」

「……門前払いされるかもしれへんで?」

「今度は、絶対に文句言ったりしない! 絶対に……誰のことも、悪く言ったりしないから」

 

 宝耳はじろじろと八重を見てから、うすら笑いを浮かべて言った。

 

「ま、覚悟決めたんなら、せいぜい頭下げて詫びてでもお願いするこっちゃな」

 

 そのままスタスタ歩いていく。

 八重が立ち止まったままでいると、振り返って呼びかけた。

 

「おぉい。どないするんや? ()えへんのか?」

「あっ……行く! 行きます!」

 

 八重はぴしゃんと水たまりの水を撥ねて走り、宝耳の後について行った。

 

 

◆◆◆

 

 

 それから二ヶ月も過ぎると、重傷だった隊士も概ね体を動かせるようになっていた。

 唯一、寝たきりの薫を除いて。

 

「どうして目覚めないんだ? 例の、なんかの薬のせいかァ?」

 

 はっきりと苛立ったように言う実弥に、律歌は首を振った。

 

「それについては愈史郎くんに確かめてもらってるわ。薫の中にあった鬼の(たね)はすっかり綺麗になくなってるそうよ。おかしなことに、(たね)が作用したとき……要は薫が鬼化したときに、それを阻害するために服用していた薬の痕跡もきれいさっぱり消えてるんだってさ」

「じゃあ、なんでこいつはいつまでも寝てるんだよ!」

「……わからないわよ」

 

 律歌は困ったようにつぶやいて、眠る薫を布団の上からポンと叩く。

 

 理由など、律歌のほうが知りたいくらいだった。

 以前、勝母が黒死牟によって殺されたときも、薫の意識は戻らなかった。様々な要因はあったが、最終的には心因的なものが占めていた。今回もそうなのかと思ったりもするが、そうであるならば尚のこと、薫本人にしかわからないことだろう。

 薫を救護所にまで運んできた翔太郎が言うには、薫は巨大な肉塊となった紅儡(こうらい)の中に、入り込んでいったのだという。そのお陰なのかはわからないが、紅儡は鬼を生み出すのを止めた。

 その後、紆余曲折して最終的には薫の采配によって、紅儡の弱点を総掛かりで攻め、倒すことができたのだが……。

 ようやく終わり、これから無惨を倒しに行こうというところで、瀕死の紅儡が管を伸ばしてきて薫の首を刺したのだ。

 血を吸い取られた薫は、そのまま意識を失って……今に至る。

 

「血が足りないなら、俺から取れ!」

「もう十分足りてます!」

 

 一日に一回はこのやり取りを続けるのも、いい加減うんざりしてきた。

 ハァァとため息をついた律歌の肩をポンと叩いて、陽気に声をかけてきたのは、音柱の宇髄天元だった。

 

「よぉ、先生。また風柱が困らしてるのかい?」

「あれ? 宇髄くんじゃない? あら、奥方三人衆引き連れて、お見舞い?」

 

 律歌が尋ねるのを遮って、実弥がむっすりとつぶやく。

 

「誰も困らせてねぇ……」

「困ってますー。ものすごくー」

「ハハッ! おいおい、風柱。律歌先生にあんまり無体を言うもんじゃねぇぞ。あの世から悲鳴嶼さんが鉄球振り落としてきやがるぜ」

「悲鳴嶼くんだったら、まずは泣きながらお説教よ」

「違いねぇ」

 

 ハッハッハッと、その場にいた実弥以外(むろん寝ている薫も除いて)は大笑いした。

 その笑い声を聞きつけてか、怪訝な顔をして翔太郎が入ってくる。

 

「なんですか、大声で笑って。うるさいですよ。薫さんが寝てるってのに」

「やかましくて起きるんだったら、ちょうどいいだろう。なぁ、風柱?」

 

 天元がニヤニヤ笑って言うと、実弥はフンとそっぽを向いた。

 柱たちの小さなケンカに、翔太郎はあきれたように嘆息した。

 

「まったく……どうせなら穏やかに目覚めさせてあげてくださいよ。最近、夜中に唸ってるらしいんですから」

「なに?」

 

 実弥はすぐさま目を剥いて、翔太郎の前に立つと、素早く襟首を掴む。

 

「お前ェ……夜中になんでここに来てんだアァ?」

 

 ちなみに病室は一応、男女で分かれている。

 昼間は看護や掃除などの用事のために、男であっても男女の区別なく病室に入ることはできるが、夜中は女子の病室に入ることができるのは、原則女だけとされていた。

 

 ギリギリと二本の指をなくした手で締め上げられ、翔太郎はあわてて弁解した。

 

「やっ、八重がっ! 八重がいつも夜中に見回ってるんです! 痛みで眠れない人もいるからっ」

「あぁ……そうなのよね。あの子。いつも遅くまで見回ってくれてるのよ。なんだかすっかり人が変わって……ま、元々、気遣いできる子だから」

 

 律歌が言い添えると、ようやく実弥は手を離す。

 翔太郎はゴホゴホと()せてから、大きく深呼吸を繰り返した。

 

「……っとに、どういう握力だよ。指二本ないってのに」

「ったく……森野辺のこととなると、どうにも余裕がぶっ壊れ気味だな。この男は」

 

 天元があきれたように言ってから、布団から出ていた薫の腕をとった。

 脈でもとっているのか、神妙な顔をして首をひねる。

 

「うーん? ちょいと、失礼」

 

 言うやいなや、布団越しではあったが、寝ている薫の腹あたりに耳をあてた。

 

「おいっ!」

 

 実弥が怒鳴りつけると、シッと口元に指をあてる。

 静かにするように目配せされて、実弥も律歌も、全員がキョトンとしつつ黙りこんだ。

 天元は布団に耳を押しつけて、何かを聴いているようだった。

 首を傾げつつ頭を上げると、渋い顔で薫を見つめる。

 

「どうかした?」

 

 律歌が尋ねると、いや…とつぶやいてから、

 

「おい。悪いが我妻の野郎を呼んできてくれ」

 

と、誰にともなく言う。

 すぐに須磨が走って出て行った。

 数分後、禰豆子との会話を邪魔された我妻善逸が仏頂面で現れると、天元が薫を指さして言った。

 

「すまんが、お前。こいつの腹のあたりの音、聴いてみてくれ」

「はぁ? なんですか、いきなり」

「いいから、いいから。あ、あんまりベタベタすんなよ。風柱がやきもきしてやがるからな」

 

 善逸はチラと見て、そこに自分よりも凶悪な仏頂面の風柱を見つけると、ヒィツ! と声を上げてから、嫌々ながらそっと天元の指さすあたりに耳をあてた。

 

「あれ? これ……別の音がする」

 

 善逸の反応に、天元は得心したように頷いた。

 

「やっぱりか。そうだよな」

「はい」

 

 善逸は上体を持ち上げると、はっきりと言った。

 

「赤ちゃん、いますね」

 

 一瞬、その場は静まり返った。

 

「はああぁぁぁ??!!」

 

 怒鳴る勢いで声を上げたのは、翔太郎だった。

 

「おいっ! どういうことだ!? 赤ちゃんって、何だよ? 赤ん坊ってことか? 薫さんのお腹に赤ん坊がいるってことかッ!?」

 

 襟首をつかまれ、矢継ぎ早に問われて、善逸は目を白黒させながら頷く。

 

「そ、そ、そうですケドぉ……なんなの、これ?!」

「まぁ、落ち着け、風見。我妻に詰め寄ったって、どうしようもねぇだろう」

 

 天元がなだめるように言ったが、翔太郎は普段であれば口答えなど決してしない音柱にも、このときばかりは黙っていられなかった。

 

「落ち着いていられますか、これが! いい加減なこと言うんじゃないぞ、お前!」

「いい加減って……俺はこのオッサ……音柱様に言われて聴いただけで……」

 

 ブツブツ言っている善逸の肩を叩き、天元は「すまんかった。もういいぜ」と出て行くよう促した。これ以上、訳のわからない問答につき合わされるのは御免とばかりに、善逸は逃げるように去っていく。

 

「さて」

 

 見送った天元が振り返ると、一気に一人の男に視線が集中した。

 当人は呆然と立ち尽くしている。

 

「何も言わねぇところをみると、腹の子の父親に心当たりがありそうだよなぁ……風柱」

 

 どこかひんやりとした怒りをにじませながら、天元が言った。

 顔はにこやかだが、なぜか腕の筋肉がビキビキとうごめく。

 例のピアノを弾く鬼の任務で便宜上の兄となって以来、嫁達も同じように薫を妹扱いするものだから、すっかり肉親のような気分であったのは否めない。薫と実弥についての事情はある程度理解してはいたものの、こうして如実に形となって表れると、ともかくは目の前の男に拳の一発でもお見舞いしてやりたくなる……。

 

 だが実際に拳を振るったのは、やはり翔太郎だった。

 顔を狙った翔太郎の拳は、こういうときですらも反射的に動いてしまう実弥の手によって阻まれたが、それでもグイグイと翔太郎はにじり寄った。

 

「いったい……どういうことなんですかねぇぇ? 風柱様」

「…………」

「覚えがないなら、覚えがないと言ってもらえませんかぁ? ものすごく消化不良なんですけど、その煮え切らない態度ぉぉ」

 

 翔太郎はまるで怨霊のごとく間延びした調子で問いかける。

 だが実弥はまだ困惑しきりで、整理できないようだった。

 その場でもっとも早く理解したのは律歌だった。

 

「これでわかったわよ。薫の目が覚めないわけが」

「え? どういうこと?」

 

 まきを(・・・)が首をひねると、律歌はチラリと薫の顔を見てから言った。

 

「自分の体を治すことよりも、お腹の子の成長を優先しているのよ。母体って、そういうものなの。だから、いつまでも薫自身の体の修復ができてなくて、眠ったままなんだわ」

「そんな……」

 

 雛鶴がつぶやいて、心配そうに薫を見つめる。

 

「そんな体で戦うなんて……」

 

 ポロポロと泣きながら須磨が言うと、天元はぐっと眉を寄せて実弥を睨みつけた。

 

「お前……まさか知ってて行かせたんじゃなかろうな?」

「そんな訳あるか!」

 

 その時になってようやく実弥は反応した。信じられないように髪をクシャリと掴む。

 

「……知ってたら……絶対に……」

 

 つぶやく実弥の肩をポンと叩いたのは律歌だった。

 

「当たり前よ。私だって、絶対に行かせたりしない。絶対にね。薫だって、もし自分が妊娠しているとわかっていたら……相当迷ったろうけど、お腹の子をとるはずよ。それはこの子の性格を考えれば、わかるでしょう?」

 

 冷静に言われて、天元は己の早とちりを恥じた。

 

「そりゃそうだな……すまねぇ」

 

 律歌はため息をついて、薫の腕をとった。

 脈をとってから、そっと布団の中に入れる。

 

「おそらく薫本人もまったく気付いていなかったんでしょう。せいぜい月のモノが遅れてることぐらいは感じていたかもしれないけど、鬼殺隊にいたらそのくらいのこと、珍しくもないわ。だいたい今回だって、たまたま宇髄くんと我妻くんっていう、ちょっと異常に聴覚のいい人だからわかったのよ。私の診察では……まぁ、そこを考慮して診察していなかったのもあるけど、まったく気付かなかったくらいだもの」

「でも、もしかしたら、そろそろ悪阻(つわり)が始まっているのではないですか? さっきも、翔太郎くんが言ってましたでしょう。夜中にうなされていると。悪阻が始まったら寝るのも一苦労だと言いますし……」

 

 雛鶴の言葉に律歌は頷いた。

 随分と昔のことになるが、自分にもその経験はある。

 

「そうね。おそらくは……二、三ヶ月ってところかしらね。意識があれば当人もそろそろ気付く頃合いだし」

「無事なのか?」

 

 切羽詰まったように問うてきたのは実弥だった。

 

「このまま……二人とも……なくなったりしねぇだろうなァ……?」

 

 律歌に尋ねる声は震えていた。

 何人もの弟妹たちの面倒を見てきた実弥は、当然ながらその誕生も、なんであれば母の腹にいた頃のことすら覚えている。

 妊娠しているときの母が、ひどい悪阻のせいで何日も食べられずにいたことも、出産の壮絶さも。

 今、青い顔で眠っている薫に、あんな大変なことが待ち受けているかと思うだけで、血の気が引く。

 

「ずっとこのままということはないでしょう。ただ、もし薫の目がこのまま覚めなければ、母子ともに危険な状態になってくる。今はまだ妊娠初期だから負担も少ないけど、これからどんどん母親側の負担は大きくなるだろうしね」

 

 律歌は私情を交えず、淡々と話した。

 実弥はまた呆然となって、よろよろと薫のベッドの傍らに立ち尽くす。

 

「…………ひとまず、出ましょうか」

 

 律歌が声をかけると、天元は頷き、嫁達と一緒に出て行った。

 翔太郎もまだ納得できないながら、あまりにも悄然と肩を落とす風柱に、結局かける言葉が見つからない。律歌に促されるまま、部屋を出た。

 一人、その場に残された実弥は、ガクリと膝をついた。

 消え入りそうなつぶやきが漏れる。

 

「なんで……俺は……こう……馬鹿なんだ」

 

 項垂れて懺悔する実弥に気付くこともなく、まだ自分の身の内に起きている変化を知ることもなく、薫は昏々と眠っていた。

 

 

<つづく>

 




次回は2024.06.15.更新予定です。
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