【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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それからのこと
風薫る日に


 花菱(はなびし)亀甲(きっこう)青海波(せいがいは)、金糸の松竹に梅の花、二つの袖には鶴が舞う黒引き振袖は、かつて史上最強の花柱と謳われた那霧(なぎり)勝母(かつも)が着たものであったという。

 当時の鬼殺隊のお館様から結婚の祝いにと贈られた、金襴(きんらん)緞子(どんす)の絢爛豪華な花嫁衣装。

 これを元々、勝母から受け継いだのは、長年にわたり彼女の補佐役を務めていた房前(ふささき)律歌(りつか)だった。

 

「私が持ってても仕方ないしね」

 

 サバサバと言う律歌に、(かおる)はそれでも受け取っていいものか、ためらった。

 

「でも、こんな立派なもの……」

「立派なものだからこそ、箪笥(たんす)の肥やしにしてちゃあ勿体ないじゃないの。それに薫には()のりもいるんだから、いずれは娘が着ることだってできるでしょ? お母っつぁんの花嫁衣装で娘も……なんて素敵じゃな~い」

 

 律歌の言葉にいち早く反応したのは薫ではなく、縁側で娘をあやしていた実弥(さねみ)だった。

 

「そんなのァ、もっとずっと先の話だァ。フザけたこと言ってんじゃねェ」

「まぁま! 相手もいないうちからヤキモチ焼いちゃってるよ。実のりちゃん。お父っつぁんってば、気が早いねぇ?」

「誰がヤキモチなんぞ焼くかァ!」

「いーや。アンタ、もう今のうちから、未来の実のりちゃんの旦那さんに睨みきかせちゃってるわよ。おー、怖い怖い。怖いねー、実のりちゃん」

 

 当の本人であるところの実のりはキョトンと律歌を見つめるばかり。

 実弥は腕の中の娘を律歌から隠すように体をひねった。

 

「妙なことを言ってんじゃねェ! 実のりが困ってんだろうがァ」

「困ってるのはアンタでしょ。この前だって、音柱……宇髄(うずい)くんの子と遊んでる間も、ちょっとでも実のりちゃんを泣かそうものなら……! って威嚇しまくってたくせに」

「威嚇なんぞしてねェ。余計なことしねぇように見てただけだ」

「見てただけのわりに、目に殺気が含まれてた気がするんだけど」

「…………知らん!!」

 

 二人のやり取りを微笑みつつ見ていた薫は、ふと視線を落とす。

 実のりの未来を……いずれ有り得るかもしれぬ娘の嫁入り姿を、実弥が見ることはない。おそらく。 ――――

 

 

◇◇◇

 

 

 再会した日の夜、実のりを寝かしつけた薫に実弥は頭を下げた。

 

「すまねぇ」

「……どうして謝るんですか? 申し訳ないことをしたのは私なのに」

 

 自分の身勝手な勘違いで、実弥に探し回させることになってしまった。まだ無惨との戦の傷も完全に癒えてはいないであろうに。焦らずに、八重(やえ)にも、律歌(りつか)にもきちんと話を聞くなりすれば、実弥が生存していることはすぐ知れたであろう。

 

「私の早合点で、実弥さんにご足労をかけることになってしまって……」

 

 薫が謝ろうとするのを実弥は遮った。

 

「違う! あ、いや……」

 

 思わず大声を出してから、口を噤む。

 少し離れた場所に眠る実のりをそっと見て、起こしてはいないかと息までもひそめて窺っていた。

 薫はクスリと笑った。

 

「大丈夫ですよ。さっきおっぱいも飲んだし、実弥さんにあやしてもらって、とても興奮していたから、しばらくはぐっすり寝ると思います」

「……そうか」

 

 実弥はホッとしたように実のりを見て微笑む。

 愛しげに実のりを見つめる実弥の姿に、薫もまた目を細めた。

 今日初めて会ったばかりなのに、実のりをあやす実弥の姿は、不思議と違和感がなかった。まるで生まれたその日から、家族として暮らしてきたかのように錯覚するほど。

 だが、実のりから薫へと視線を戻した実弥の顔は暗かった。

 

「……どうしたんですか?」

 

 薫は不安になった。さっき突然謝られたことも気になる。

 実弥は軽く息をついてから、静かに言った。

 

「俺は……長く生きられない」

「…………え?」

「無惨と戦ったときに、力を出し切れる極限までいった。全集中の呼吸を極めるとそういうことが出来るようになるんだ。体温や心拍数を高めて、身体能力を桁違いに上げる。(しるし)として体のどこかに、鬼みてェな(あざ)が出る。元々は『痣者(あざもの)』だとか言っていたらしい。『痣者』は……二十五を待たずに死ぬ」

 

 薫は呆然となった。

 言われたことがすぐに頭に入ってこない。

 

 実弥の真摯な瞳に嘘はない。

 理解し、受け入れなければと思うのに、考えることを拒否していた。

 

「あ……の……」

 

 とりあえず何か言わねばと口を開きかけたものの、言葉は出てこなかった。

 

 いったい、何を訊く?

 何を訊けば、今聞いた言葉が覆るのか?

 

 目の前には神妙な顔の実弥がいる。

 どう見ても嘘を言ってなどいない。

 こんな冗談を言う人でもない。

 だとすれば ―――

 

「……本当、ですか?」

 

 問いかけながら、薫は祈った。

 このときばかりは実弥がとてつもなく意地の悪い人間であって欲しかった。

 嘘だと、冗談だと、笑い飛ばして欲しかった。

 けれどそんな人でないことは、誰よりわかっている。

 実弥は唇を噛みしめながら、苦く、言った。

 

「……すまねェ」

「………………」

 

 薫は何かを言いかけたが、言葉が見つからぬまま沈黙する。

 

 静かな時が過ぎた。

 海から吹いてくる風が、庭の松の木々を揺らし、波音に聞こえる。

 

 いつの間にか薫の頬を涙が伝う。

 実弥は二本の指が欠けた右手で薫の頬を包み、親指で不器用に涙を拭った。

 

「本当なら……お前を迎えに来る資格なんざねぇんだ。俺は。でも……」

 

 実弥はぐっと喉を詰まらせ、うつむくとボソリとつぶやいた。「……一緒にいたかった」

 

 薫はこぼれ落ちる涙もそのままに、実弥を見つめる。

 ずっと欲しかった、待ち望んでいた言葉。嬉しくてたまらないのに、同時に訪れる死の影を見つめなくてはならない苦しさに、胸がしめつけられる。

 無言の薫を見ることもできず、実弥はうつむいたまま不器用に言葉を連ねた。

 

「今更、何を勝手なこと抜かしてやがるんだと……怒られても仕方ねェ。俺は何も文句なんざ言えねェんだ。本当はこんなこと、言うことなんか ――― 」

 

 薫は実弥の頬を包んだ。

 無理やり顔を上げられて困惑する実弥に、精一杯微笑みかける。

 

「実弥さん。私……今、ようやく願いが叶ったんです」

「…………え?」

「ずっと、実弥さんに言ってもらいたかった。『一緒にいてくれ』って。ずっと一緒に、いても……いいんですね?」

「…………いいのか?」

 

 うめくように問いかける実弥に、薫はコクリと頷いた。

 静かな眼差しで見つめたあとに、ゆっくりとその胸に顔を(うず)める。

 実弥はそっと薫を抱きしめながら、ためらいがちに尋ねてきた。

 

「俺は……長く生きられねぇ。それでも、いいのか?」

 

 薫は実弥の中で響く鼓動を聞きながら、フゥと息をついた。

 

「私もわがままを言っていいですか?」

「…………なんだ?」

「実弥さんと一緒にいたいんです。……ずっと」

 

  ―――― いつかあなたが先に逝くとしても……

 

 その言葉が薫の口から出ることはなかった。

 いずれその日が訪れることを恐れながらも、それでも日常を送る。

 なんてことのない平凡な、どこにでもある日々。

 それでも得難く、特別な毎日。

 絶え間なく流れる時の中に消えていく儚いものであればこそ、一つ一つに思いを込めて、重ねていきたい ――――

 

 

◇◇◇

 

 

「本日はお日柄もよく……」

弥栄(いやさか)、弥栄……」

 

 朝からの雨が止み、澄み渡った五月晴れの空は、それだけでめでたいハレの日を祝福しているかのようだった。

 

 この祝言(しゅうげん)での差配を一手に引き受けた宇髄(うずい)天元(てんげん)は、金屏風を背に、神妙な顔で高砂席に座る新郎を肴に美酒を(あお)り、彼の三人の嫁たちは花嫁の着付けという大役を終え、笑顔で互いに酒を酌み交わしている。

 律歌は薫の美しい花嫁姿を見てホッとひと息つき、胸の(うち)で亡き人々と共に今日の慶事を語らう。

 媒酌(ばいしゃく)を引き受けた薩見(さつみ)惟親(これちか)は、旧友の娘の晴れ姿に、しみじみと深く安堵の息をもらす。

 久々にやって来た風見(かざみ)翔太郎(しょうたろう)は、花嫁姿の薫を見て感嘆しつつも、少しだけ苦みの混じった笑みを浮かべる。

 元森野辺家の女中頭であり、妊婦の薫を助けてくれた老女・ヒサは、既にぐっしょりと濡れた手拭いをまだ目にあてて、込み上げる気持ちを抑えきれずにいる。

 薫がこちらに帰ってきてから、何かと世話になるようになった栗花落(つゆり)カナヲと神崎(かんざき)アオイ、彼女らから紹介されて親しくなった竈門(かまど)禰豆子(ねずこ)は、それぞれに将来の自分たちのことを考えてか、頬を上気させてうっとりと花嫁を眺めては、楽しげに三人で話している。そうしてその横では、それぞれの連れ合いが、ある者は少し恥ずかしそうに、ある者は想像逞しくして目を見開き、ある者はそんなことはどうでもいいとばかりに、膳の料理を夢中で頬張っている。

 賑わしい彼らの横では、元水柱の冨岡(とみおか)義勇(ぎゆう)が、ひとり静かに、モソモソと特別に用意された鮭大根を食べている。 …………

 

「……薫」

 

 盛り上がる宴席を見ながら、そっと実弥が声をかけてきた。

 

「はい?」

「…………いや……大丈夫か?」

「え? はい、大丈夫ですよ。何か気になりますか?」

「いや……」

 

 何か言いたげなのに黙りこむ実弥に、薫は小首をかしげた。

 

「どうしたんですか? あ、お腹が減っちゃったとか? 実弥さんは食べてくださいね。私はちょっと、この格好では難しいので」

「違う。その……だから…………」

「??」

 

 見つめる薫の視線から逃れるように、実弥は庭へと目を向ける。

 夕暮れ近くの眩しい西日が、今日の祝言の為に整えられた庭の前栽(せんざい)を照らしていた。

 

「………………綺麗だ」

 

 実弥がボソリとつぶやく。

 薫はニコリと笑った。

 

「そうですね。今朝の雨でどうなるかと思ったけど、埃が洗い流されたみたいで、かえって良くなりましたね。桜の季節もいいけれど、葉桜も、新緑がとても綺麗で……」

「違う。そうじゃねェ」

「え?」

「…………」

 

 キョトンと聞き返す薫に、実弥は真っ赤になった顔をうつむけたまま、手を伸ばしてくると、そっと薫の手を掴んだ。

 薫は驚きながら、ようやく実弥の言葉の意味を悟って、途端に真っ赤になった。

 嬉しすぎて ―― 苦しくなるぐらい嬉しすぎて、胸が痛い。

 涙が勝手にこぼれてくる。

 

「あー……」

 

 母親の異変に気付いたのか、揺りかごで寝ていた実のりが声をあげる。

 実弥はあわてたように立ち上がると、実のりを抱っこして連れてきた。

 

「ホラ、見てみろ。母ちゃん、綺麗だろォがァ」

「フフ…………ありがとうね。お父ちゃん」

 

 仲睦まじい家族の姿に、その場にいた一同は顔をほころばせる……。

 

 

 風薫る日の午後の、穏やかな吉日。

 皆にとってその日は、美しく優しい思い出の一つとなった。

 

 

<風薫る日に 了>

 





しばらくエピローグを週に一度で投稿していきます。
おつきあいいただければ幸いです。
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