【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

237 / 247
鬼の涙

 鬼舞辻(きぶつじ)無惨(むざん)との戦いから十数年が過ぎた頃。

 

 

 鬼殺隊の総帥であった産屋敷(うぶやしき)輝利哉(きりや)は、母方の実家である神籬(ひもろぎ)氏を訪れ、蔵にある鬼殺隊関連の物品の整理をしていた。

 据え付けの格子棚を取り払うと、土間の壁の窪みに小さな箱がある。

 元は白木であったと思われる、砂と埃にまみれた細長い箱。

 幾重にも巻かれていた紐は、ところどころ虫に食われたのかちぎれかけている。

 

 輝利哉はしばしの逡巡の後、箱を開いた。

 ヒラリと中からひとひらの紙が落ちる。拾って見ると、達筆な文字で『無惨封滅せし時まで開け放つこと禁ず』 ―― とあった。字体や紙、箱の状態からして、そんなに古いものではない。おそらく四~五十年ほどといったところだろうか。

 その白木の箱の中には、また箱があった。同じように細長く、こちらは漆塗りの黒い箱だった。かなりの年代を経たものに思える。おそらく元はこの箱のみであったのだろう。開封を禁じる書付を残した者が、この箱を入れる箱を作らせ、紐を幾重にも巻いて封印したのだ。

 

 輝利哉は少し緊張してきて、ゴクリと唾を呑んだ。

 そっと漆の蓋を持ち上げる。

 そこには刀身が剥き出しになった小刀があった。

 一体、いつの時代のものなのだろうか? 長く箱に封印されていたであろうに、その刃は錆びることもなく、まるで今、作られたばかりのような鋭い光を帯びていた。

 また少し迷ってから、輝利哉はそっと小刀を手に取った。

 瞬間 ―――

 

 

「え?……」

 

 急に周囲の景色がぐにゃりと歪む。

 気持ち悪い浮遊感と一緒に、耳の奥でゴウゴウと風のうなる音がした。

 だがよく聞けば、それは人の声、人のざわめきであった。

 よくよく耳を澄ますほどに、明確な人の声が聞こえてくる。叫ぶ者、泣く者、狂っていく者……

 

 

  ―――― ……誰か……頼む……ひと、おもい……に……

 

 

 死にきれず、苦しみに喘ぐその声は、何となく父と似ていた。

 沈黙の中、荒い息遣いがしばし続いた後、ギシリと畳を踏む音。

 声の主はホゥと息をついた。安堵したかのように。

 

 

  ―――― ……すまない………………じ

 

 

 輝利哉はグッと目を閉じた。

 何者かの手によって、声の主が死んだということがわかった。

 冷えた死が心臓を直に舐めたかのような感覚に、ゾクリと震えた。

 

 おそるおそる目を開けると、そこは真っ暗闇だった。

 先程までいた蔵の中でないのは明らかで、どこからか吹く風の音はビョウビョウと聞こえるのに、まったく空気が動いていなかった。

 

 無明の闇。

 茫漠とした、けれど圧倒的な闇。

 

 しばらく呆然と佇んでいると、何も見えないはずなのに、はるか向こうに足をひきずって歩く男の姿が見える。

 それこそ地獄絵巻に出て来る餓鬼のような、痩せこけ、骨も浮き出た貧相な醜い姿。

 なぜだか輝利哉にはそれが無惨だとわかった。

 何百、何千……無数の亡霊に足首を掴まれて、重そうに歩いている。

 

「無惨……」

 

 輝利哉がつぶやくと、玲瓏と声が響いた。

 

  ―――― 無惨は今、地獄を彷徨(さまよ)っている……

 

「地獄……」

 

  ―――― 恨みと怨念の亡霊を引きずったまま、那由他(なゆた)の闇を抜け、業苦(ごうく)を味わい、心身をなくして、やがて浄化の赦しを得るまで、孤独を歩く……ひたすらに……

 

 無惨にその声は聞こえないようだ。

 遠くにいるが彼の表情までも輝利哉には見えた。

 力を失った目は何も見えない闇を映し、ただボンヤリと虚ろであった。

 複雑な表情になる輝利哉に、声は涼やかに告げる。

 

  ―――― 産屋敷の者、よくぞ苦難を乗り越えた。呪いは解けた。お前は長生きできよう……

 

「あなたは一体……?」

 

  ―――― (われ)はそなたの先祖に、無惨を討ち果たす(すべ)を伝えたる者。神籬(ひもろぎ)覡人(きねびと)*1憑坐(よりまし)に、そなたらに生きる(すべ)を与えた……

 

 神籬氏は輝利哉の母であるあまね(・・・)の生家である。代々、神職を受け継いできた家系だ。

 産屋敷家が鬼殺隊を作った経緯は、産屋敷家に生まれる男児が短命であることから、先祖が神仏に伺いをたて、その返事として一族から無惨という鬼が生まれていること、無惨を討ち果たさねば呪いが解けないこと、男児を残し血を繋ぐために、神職の家から妻を娶ることを、神主から助言されたからだった。

 

「では、あの言葉は神主ではなく、あなたが神主を通じて我らの先祖に伝えてくれたのですか?」

 

  ―――― …………

 

 返事はなかったが、輝利哉はなぜかその声が頷いているような気がした。

 

  ―――― その小刀はかつて、最初に無惨の身に突き立てられた日輪刀の原型(もと)……

 

「これが?」

 

 輝利哉は手に持っていた小刀を見る。

 さっきはただの小刀であったのが、仄かに薄緑の光を帯びていた。

 不思議に思ってまじまじ見つめていると、声は驚くべき真実を語りだした。

 

  ―――― 吾が母に渡したモノ。父を滅殺するために……

 

「…………」

 

 輝利哉は混乱した。

 いったい、この声は何を言っているのだろうか?

 輝利哉の動揺を知らず、声は話を続ける。

 

  ―――― 目論見は失敗し、父は殺されず、吾は吾を孕みし母諸共、喰われた。そうして父は鬼舞辻無惨となった……

 

「…………なにを……言って」

 

 問いかけながら、輝利哉は息ができなくなってきた。

 

  ―――― 吾は鬼舞辻無惨を滅殺させる為にあらゆる手段を講じた。そなたらに一族の責を預けたことも、その一つ。無惨を産みだした元凶どもの血を受け継ぐ、醜き輩ども。自らの身内の恥を(すす)ぐは当然……

 

 輝利哉は声の言ったことをしばらく呆然と聞いた後に、じっくりと時間をかけて咀嚼し、飲み下す。

 

「それは……つまり、我らは……鬼殺隊は、あなたの思惑で作られたということですか?」

 

 声は明確に答えず、ただ無言で肯定を示す。

 輝利哉はブルブルと体が震えるのを抑えられなかった。

 

「無惨が、あなたの父親であったと? 彼に殺され、この世に出生できなかった己の恨みのために、我ら一族を……数多の隊士(こども)たちを犠牲にしたと?」

 

  ―――― あたら心弱き産屋敷の当主は、真実を知り、苦悩した。一族の責から逃れようとする者、真実をつまびらかにせんとする小賢(こざか)しき者は、宿命の反動(こだま)により誅された。近くはそなたの祖父が自ら死を選び、古くは戦国の世、裏切り者によって首を落とされた者もいた……

 

 輝利哉は震え、どんどん体が冷たくなっていくのを感じた。けれど同時に、頭は怒りで沸騰しそうなほどに熱い。ギリギリと歯噛みした奥歯が軋んで、血の匂いがした。

 

 産屋敷家には代々の当主について書かれた書物がある。

 輝利哉も後継として読んだが、その中に、時々、奇妙な死を遂げた者たちがいた。

 

 ある者は夜中にいきなり走り出したと思ったら、そのまま庭の大岩に体当たりして死亡。

 ある者は、まだ壮健であったのに、いきなり泥のような黒い血を吐いて絶命。

 ある者は庭の池に溺れ、数日後に半身を鯉に喰われた状態で見つかった。

 時々あるこの当主の異常は、長きに亘る鬼との戦いに疲弊したがゆえの狂疾が、何らかの寓意を含んで伝えられてきたものであろう、と考えられてきた。

 だが、この声の言う通りであるならば、彼らは皆『宿命の反動(こだま)』によって粛清された……ということなのか?

 祖父 ―― 産屋敷聡哉(さとや)もまた、この事実に(おのの)き、自ら死を選んだ……と?

 

 呆然とする輝利哉の脳裏に、先程この暗闇に来る前に行き交った言葉が思い出される。

 

『……誰か……頼む……ひと、おもい……に……』

『……すまない…………ぅじ』

 

 自死しようとして死にきれず、おそらく誰かが(・・・)聡哉(そふ)の命を絶ったのだろう……。

 怒りに呼吸を震わせる輝利哉に頓着することなく、声は淡々と語り続ける。

 

  ―――― 吾が宿望は叶えり。これであの男は未来永劫、救われることもない。たとえ地獄を巡り、神仏の赦しを得て、再び日の射す場所に戻れても、愛別(あいべつ)離苦(りく)は続く……

 

「…………違う」

 

 輝利哉はつぶやく。

 形なき何者かをその場に(とど)めるかのように、虚空の一点を睨みつけた。

 

「我らは……我が父も! 我が母も! 姉たちも……! 鬼殺隊が創られた時から今に至るまで、鬼との戦いの中に生きて、(たお)れていった者はすべて、(のこ)してゆく者の幸せのために戦ったんだ! 愛する人たちを理不尽に奪われる悲しみをなくすために、当たり前の……愛しい日常を守るために……悲しみを乗り越えて、力を尽くして戦ってきたんだ!! お前の独り善がりな憎しみのために戦ったんじゃない!! 馬鹿にするな! 僕たちは、お前の道具じゃない!」

 

 叫ぶなり、輝利哉は握りしめた小刀をブスリと、足元の闇へと突き刺した。

 (きっさき)に収束するように、闇が吸い込まれてゆく。

 カッとまばゆい光が輝利哉の目を射て、思わずよろけて尻もちをついた。

 

 そうっと目を開くと、そこは今度は真っ白な空間だった。

 足元に、干からびた胎児が落ちている。

 本当に小さい、(てのひら)に乗るほどの、ちっぽけな命の亡骸。

 

「あ……」

 

 輝利哉は直感的に、その胎児こそが先程までの声の主であるとわかった。

 おそるおそる手を伸ばし掴もうとした刹那に、何者かがそっと、その小さな亡骸をすくい上げる。

 

 無惨だった。

 

 あの日、柱らを始めとする数多の隊士(こども)たちを殺戮した史上最強の鬼の面影は消え失せ、痩せさらばえた病人の、みすぼらしい姿。

 父と似ていたという秀麗な面差しは皺に沈み、シミと(いぼ)だらけの醜怪な老人となっている。

 だが、彼が無惨であると輝利哉はわかった。

 先程まで闇の中、亡霊を引きずって地獄を歩いていた哀れな敗者。

 

 無惨はじっと胎児の遺骸を見つめていた。

 

 掌の中、既に亡くなってしまった命。

 軽くて、風が吹けば飛んでいくような、弱く、儚い、小さな身体(からだ)

 

 腐って、今しも崩れそうな足の先までも、落ちないようにと大事に両手の中に包む。

 

 震える手でそっと頬に寄せ、何か……囁いて ―――― …………

 

 

 また、光が押し寄せてきて輝利哉が目を閉じ、再び開くと、そこは先程までいた蔵の一隅であった。

 ふと見れば、手にしていた小刀は刀身が一気に錆びてボロボロと崩れ、輝利哉が掴んでいた持ち手の部分も、あっという間に腐り落ちた。

 

 沈黙が耳の奥を刺す。

 

 輝利哉はしばし無言であった。

 無表情に、今見た幻を思い返す。

 

 ふと、涙がこぼれた。

 

「う……く…………っ」

 

 輝利哉は涙が零れるのを、必死で止めたかった。

 泣きたくなかった。

 あの憎むべき親子のために、涙など流したくなかった。

 けれどこらえるほどに、喉から熱いものが込み上げてくる。

 

 

  ―――― あの男は未来永劫、救われることもない。たとえ地獄を巡り、神仏の赦しを得て、再び日の射す場所に戻れても、愛別離苦は続く……

 

 

 愛別離苦 ―― 愛しい者と離別する苦しみ……。

 

 いつか光射す場所に戻ってきても、無惨が赦される日は来ないのだろうか?

 生まれることができなかった魂に、癒やしが訪れることはないのだろうか?

 

 もはや知る術はない。

 今はもう…………鬼はいない。

 長く呪われた戦いは、終わった。

 

 幻の中に見た無惨の涙を、輝利哉は胸の奥底にしまいこみ、生涯、誰に語ることもなかった。

 

 

<鬼の涙 了>

 

*1
神に仕える人。神官や巫女






次回20250525更新予定です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。