【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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遠き日のこと、おもひでばなし。 <壱>

「まったくねぇ。まさか薫が本当に先生になるなんてさー」

 

 久々にやって来た房前(ふささき)律歌(りつか)は、邂逅(かいこう)の挨拶もそこそこに、感心しきりであった。

 薫は暑い中訪れた律歌に、冷やした麦茶を出しながら、軽く肩をすくめる。

 

「私もびっくりです。まさか本当に雇っていただけるとは思ってもみませんでした」

「いやいや。薫が秀才なのはわかってるよ。でも……頑張ったねぇ」

 

 しみじみと言う律歌に、薫は微笑んだ。

 

「そんな……皆さんに色々と協力していただいたお陰です」

 

 実弥の死後、子育てに忙しい毎日であったが、ある程度子供たちが手を離れるようになると、元々じっとしていられない性分もあってか、何か物足りない気持ちを抱くようになった。

(あるいは実弥がいなくなって、寂しさを紛らす何かを探していたというのもあるかもしれない……)

 

 財産は実弥が遺してくれたものも含め、鬼殺隊を辞めたときに産屋敷(うぶやしき)家から十分すぎるほどの俸給がもらえたので、特に困っているわけではない。正直、生活としては恵まれていると言っていいだろう。だが……

 

「こんなの贅沢だって言われるかもしれませんが、何だか張り合いがなくて……」

 

 そんな話を宇髄(うずい)家の嫁三人衆や、カナヲや禰豆子(ねずこ)ら、いつもの女同士の集まりで口にすると、アオイが「先生になったらいいんじゃないですか?」と、言ってきた。まさかそんなことができるわけもないと、薫は首を振ったのだが、アオイは真剣な表情で言ってくれた。

 

「薫さんは、とっても辛抱強いから、先生になる素質はあると思います。何せ、ウチのあの暴れん坊の癇癪もちを、きちんと読み書きそろばんができるまで教えてくださったんですから!」

 

 それは十年ほど前、自分の子や宇髄家、竈門(かまど)家の子供たちが小さい時分に、薫が簡単な文字を教えてやったりしていたのを、嘴平(はしびら)伊之助(いのすけ)が見ていて、自分も習うと言い出したことに始まる。

 自分から言い出したのだが、元々野育ちの伊之助である。じっと机の前に座って、手本を真似て書くなどという状態を我慢できるわけもなく、始めて二十分で「やめた!」と自ら匙を投げた。

 けれど薫はひとまずその日はそれで終えて、また次の日に伊之助に「一緒にやりませんか?」と誘った。一緒に特大おにぎり三つを添えて。

 当初はおにぎり欲しさもあったが、決して怒らず、あきらめず、いろいろと工夫をしながら一生懸命に教えてくれる薫に、伊之助も徐々に心を開いていったようだ。

 やがて自ら学ぶことを始めた。

 アオイはそうした夫(そのときはまだ結婚していなかったが)の姿を見ていて、薫に教師の才能があると思ったらしい。

 薫は自分にそんな才能があるとは思わなかったが、薩見(さつみ)邸を訪れたときに笑い話のついでに話すと、薫の親代わりを自認する薩見(さつみ)惟親(これちか)から思わぬことを勧められた。

 

「ふむ。ある程度、自分の自由にできる時間があるというなら、また学校に行ってはどうです?」

「学校? そんな……私みたいなおばさんが行けるはずありません」

「さすがに女学校というのは無理でも、大学であれば可能です。もちろん試験がありますから、勉強する必要はありますが……挑戦してはどうです?」

 

 挑戦、という言葉に、薫はにわかにビリビリとした闘志が芽生えた。そう。自分というものを形作っていくための修行。それはまだまだ終わっていない。

 銀二と実弥の声が重なって、懐かしい言葉を思い出した。

 

 

  ―――― 一所懸命に生きれば、きっとお前の居場所ができる……

 

 

 教師になる、というのはまだまだ自分の中では定まってはいなかったものの、ひとまずは大学に合格することを念頭に、受験勉強を始めた。

 子供たちと一緒に勉強するのも楽しく、毎日の家事を終えた後、一人夜中に心ゆくまで辞書を繰るのも新鮮だった。

 約一年後の春、大学に合格。就学中には宇髄家をはじめとする嫁連合の力を借りて、子供らの面倒を見てもらいながら、どうにか勉学と家事をこなした。

 そうして四年後 ―― 教員免許を取得、大学は首席で卒業。採用試験にも受かって、春から近くの小学校で教師として働いている。

 

「きっと不死川(しなずがわ)もびっくりだよ」

「そうですね。でも、きっと応援してくれてると思います」

「…………そうね」

 

 亡き人のことが胸中に思い出されて、二人は不意に無口になった。

 

 ザァァと新緑が風にうねり、初夏の木漏れ日が揺れる。

 甲高い鴉の声が青空に響き渡って、強い陽射しの中に小さな影を落としながら遠ざかっていく。

 

「あの鴉は、不死川の?」

「いいえ。爽籟(そうらい)は、もう見かけなくなりました。あの子は子供か孫か……。話すこともしなくなって、鴉もお役目を終えて、本来の姿に戻っていってるのでしょう」

「そっか。鴉も世代交代してるか」

 

 またしんみりした空気になって、薫は軽く息をつくと話題を変えた。

 

「それにしても暑いですね。そろそろ衣替えしないと」

「そうねぇ。衣替え……衣替えねぇ……」

 

 律歌はひとりごちるように言ってから、フッと笑みを浮かべる。

 薫は小首をかしげた。

 

「なんです?」

「いや……衣替えって聞くとさ、思い出しちゃうんだよね。玄一(げんいち)が生まれた日のこと」

「? 玄一が生まれたのは十月ですよ?」

「うん。今は冬から夏の衣替えだけど、玄一のときは反対に夏から冬の衣替えだったじゃない? 不死川が血相変えて来たかと思ったら、やれ衣替えで重い(ふすま)持ってたからだとかなんとか言って ―― 」

 

 

  ―――― とにかく衣替えが悪いんだよッ!

 

 

 最終的には衣替えそのものに八つ当たりする始末。

 

「ホント、もう訳がわからなくって大変」

「まぁまぁ。そんなことになっていたんですね」

 

 薫は思わず苦笑した。

 そう言えば……と、懐かしい思い出が去来する ―――

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




引き続き更新します。
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