【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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遠き日のこと、おもひでばなし。 <弐.産声>

「馬鹿がッ! 身重の女が、重いモン持つんじゃねぇ!!」

 

 いきなり轟いた怒号に、薫がビクッとして振り返ると、かつての凶相柱よろしくの迫力で、実弥が立っている。

 

「何考えてんだッ! 臨月だぞ、お前は!」

 

 ドタドタと廊下を歩いてきて、薫の持っていた網代(あじろ)の敷物を取り上げる。

 

「こんなモン持ちやがって……転んだりしたら危ねェだろうが!」

「転んだりなんかしませんよ。大して重くもないし」

 

 網代(あじろ)の敷物は、いつも抱っこをせがんでくる実のり(むすめ)に比べれば、全然軽い。

 

「大丈夫ですよ。これくらい」

「大丈夫じゃねぇ! お前は衣替えに手を出すな、っ()ってんだろうが!!」

 

 衣替え ―― は年に二度行われる恒例行事だが、この時代においては衣服だけのことではなく、建具などの部屋のしつらえもまた、夏から冬仕様のものに切り替えていく。涼しい夏に一役かってくれた簀戸(すど)(ふすま)や障子戸に替え、畳に敷いていた網代も蔵へとしまう。そうして次に出て来るのはまた、来年の夏の衣替えの頃。

 

 元風柱でもあった実弥の屋敷は広いため、元音柱の宇髄(うずい)家や、元水柱の冨岡(とみおか)家、竈門(かまど)家、我妻(あがつま)家、嘴平(はしびら)家などの家人らが合同で、それぞれの家を回って冬支度を手伝うことになっている。

 そうして今日が不死川(しなずがわ)家の冬の衣替え当日であったわけだが ――

 身重の薫は、一切の手伝いを禁じられていた。

 

「お前ェは、下手に手出ししたら、あれもこれもとやりたくなるから駄目だ」

 

 実弥は薫の性格を見越していたのだろう。衣替えの最中は、一室で絶対安静を命じられた。

 だが、普段からちょこまかと動き回る薫のこと、当然ながら忙しく働いている皆をのんびり眺めているわけもない。せめて今自分がいる部屋のことくらいはしようかと、こっそり実弥の目を盗んで網代を運んでいたのだが…………めざとい元風柱に見つかった。

 

「早く、部屋に帰って寝てろ! ホラ、早く!」

 

 網代を持ちながら、グイグイと薫を部屋へと押し戻していく。

 

「もう、大袈裟なんですから……」

 

 薫は溜息まじりに部屋へと向かっていったが、あと数歩といったところで、足が止まった。

 

「オイ! ちゃんと部屋に……」

 

 実弥は部屋に入るよう促そうとして、様子の変わった薫に顔を強張らせる。

 

「い、痛い……あれ? 何か急に……イタ、イタタタ」

 

 にわかに腹が痛くなって、薫はその場にへたりこんだ。

 さっきまでは全くそんな気配もなかったのに、いきなりやってきた痛みに、思わず息が乱れる。

 

「薫! 薫!!」

 

 いつになく動揺した実弥が、何度も自分の名前を呼ぶのを聞いて、薫はフッと笑みを浮かべた。

 

「実弥さんに薫って呼ばれるの、久しぶりな気がしますね」

「何言ってやがんだァ、お前は! 今はそれどこじゃねぇだろうがァ!」

「実のりがいるから、お母ちゃんになってたじゃないですか。……うっ」

「オイ! しっかりしろ!! 腹か? 腹が痛いのか?」

「はい……多分、陣痛です。律歌(りつか)さんとカナヲさんに……」

「すぐ連れてくるから待ってろ!!」

 

 薫が言い終わる前に実弥は走っていく。あっという間に廊下の向こうにいなくなって、薫はあきれたようにつぶやいた。

 

「呼吸の技でも使ってるのかしら? 床が抜けないといいけど」

 

 陣痛が少し和らいだ間隔で、えっちらおっちらと部屋に戻ると、薫は長く息を吐いた。

 

「さぁ、いよいよね。がんばろう」

 

 ポンと軽く腹を叩いて、今しも生まれようとする子に呼びかける。また痛くなってきたのに合わせて、呼吸を整えていると、ドドドドと廊下を蹴破らんばかりに走る足音が近付いてきた。

 

「大丈夫かッ!!」

 

 それこそ呼吸の技でも使ったのかと思われる速度で実弥は戻ってきたが、一緒に連れてこられた律歌は、ものすごい勢いに目を回していた。

 

「オイ、早く診てやってくれ!!」

「ちょ、ちょっと待って……」

「待ってられるか! もう産まれるってのに!!」

 

 律歌をせきたてる実弥を見て、薫は思わず笑ってしまった。

 

「そんなにすぐには産まれないですよ。始まったばかりなんですから」

「わかんねぇだろうが! オフクロだって、こと(・・)のときにゃ、普通に飯炊きしてる途中でいきなり産気づいて、一時間もしないで産んだんだからな!!」

「まぁ、そうなんですか? 実のりのときには、朝方に陣痛が始まってから、夕方くらいまでかかったのに……」

 

 そんな会話をしている間にも、陣痛の間隔は短くなり、比例して痛みはどんどんひどくなっていく。

 痛みにこらえて唸り声を上げる薫の手を、実弥はしっかりと握っていた。

 薫もいきむのに合わせて実弥の腕を掴んでいたが、その手の(あと)はくっきりと赤く残り、二日ほど消えなかった。

 

 そこからは折良く衣替えの手伝いに来ていた女衆によって、お産の準備が整えられた。

 一方の男衆は、にわかに活気づいた雰囲気に興奮した子供らの相手を引き受けた。

(その中で水柱の冨岡義勇のみ、子供とどう接していいのかわからなかったらしく、ボンヤリしているのを宇髄天元によって叱り飛ばされ、竈門炭治郎に手ほどきを受けて、おっかなびっくり二ヶ月前に生まれたばかりの宇髄家の赤子の世話をしてたようだ)

 

 実弥の予想はほぼ当たっていた。

 産気づいて二時間ほどして、不死川家に元気な産声が響いた。

 

 男の子だった。

 

 薫の後産の処理をしている間、実弥はそれこそ昔取った杵柄とばかりに、用意されていた産湯で息子を洗ってやると、手早くおくるみにくるんで、薫の横に寝かせてくれた。

 

「ありがとうございます……実弥さん」

「あぁ……」

 

 そう言って実弥はニコリと笑うと、不意にそっぽを向く。

 薫は不思議に思ったが、すぐに気付いた。きっと、実弥は見せたくないのだ。泣いている顔を。

 気付かないフリをして、隣でフヤフヤとあどけない声でつぶやく子の小さな手に指を伸ばす。ギュッと指を握りしめてきた我が子に、薫も涙が浮かんだ。

 

「……名前、決めましたか?」

 

 何ヶ月も前から、実弥がずっと頭を悩ましていたのを知っている。実のりは薫が名付けてしまったので、この子は実弥に名付けてもらいたかったのだ。

 実弥は一度大きく啜り上げるように肩を上下させてから、振り返った。

 

「……ゲンイチ……にしようと思う」

「ゲンイチ? それって……玄弥くんの『玄』に、『一』ですか?」

「あぁ。『一』は……まぁ、あのジジィからってことにしとく」

「あのジジィって……また。先生のことをそんなふうに言っちゃ駄目ですよ」

「ジジィはジジィだ。お前はデキた弟子だったんだろうが、俺は不肖の弟子と言われてたからな。お互い様だ」

「まぁ、仲のよろしいこと。ね、玄一」

 

 フワァン、と玄一があくび混じりの返事をする。

 薫と実弥は目を見合わせ、笑った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





次週20250601に更新予定です。
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