【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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遠き日のこと、おもひでばなし。 <肆.ピアノ>

 そろそろ残暑も落ち着こうかという頃合いの九月某日 ―――

 

 

「いいから売れってんだァ!」

「だから売り物じゃねぇってんだろうがッ!」

「売り物じゃねぇモンを店先に飾ってんじゃねェ!」

「そんなのは、ワシの勝手じゃぁッ」

 

 様々な舶来の物品を売っている雑貨商『仏蘭西(ふらんす)屋』の店先で、店主と怒鳴り合っている男を見遣って、律歌(りつか)は『はて?』と首をひねった。

 

 不死川(しなずがわ)実弥(さねみ)。あの無惨との壮絶な最終決戦の後、生き残った柱の一人。

 長年のすったもんだの末にめでたく幼馴染みであった薫と結婚し、父親となって、ようやく落ち着いたと思っていたが……

 

「ちょっと不死川! 店先で何揉めてんのよ?!」

 

 律歌が声をかけると、実弥はハッとしたように振り返った。そこに律歌の姿を認めた途端に、気まずそうに目を逸らす。

 律歌はピーンと面白そうな気配を感じ取った。

 

「なによ? なになになに」

 

 ズズズズズイッ、と一気に距離を詰めると、実弥とやり合っていた店主の男がジロリと律歌を見た。

 

「なんだい? 姐さん、この男の知り合いかい?」

「えぇ、まぁ。妹みたいに可愛がってる友人の旦那みたいな奴です」

「なんだい、そりゃあ?」

 

 店主は首をひねったが、隣にいた実弥はムッとしたように抗議する。

 

「旦那みたい、とは何だ! 俺ァ、れっきとした……」

 

 いきりたって言いかけたものの、自分が何を言おうとしているのかに気付いたのか、ハッとしたように口を噤む。

 

「なーに恥ずかしがってんのよ、アンタは。まったく、妙なとこでウブいんだから。 ―― で、なにかありました?」

 

 激しく言い返そうとする実弥をあっさり蚊帳の外に置いて、律歌は店主に向き直った。

 

「いやさ、この旦那がさっきからウチで展示しているピアノを売れ! ってきかなくってさぁ~」

 

 弱り切ったように言う店主の言葉に、律歌は驚いた。

 

「へぇっ? ピアノ? え? なに? アンタ弾くの?」

「ンな訳あるか!」

「じゃあ、なんで売れなんて。……あ! もしかして……薫?」

 

 律歌がすぐに察すると、実弥の顔が一気に真っ赤になる。

 

「ちょっと、いつまでウブい反応してんのよ。アンタら夫婦は。何よ、奥さんへの貢ぎ物? あ、いや、贈り物?」

「…………もういいっ!」

 

 そのまま逃げ去ろうとする実弥を、律歌はハッシと掴んだ。そうそうこの面白そうな状況を手放してなるものか。

 

「そー言わず。ちゃんと説明してご覧よ。あ、ここじゃ往来の皆様のご迷惑だから、中に入りましょ。ご店主さんも。ちょっと話きいてあげて」

 

 律歌に促されるまま店主も仕方なく頷き、実弥も不承不承に店内に入ったところで、律歌はすぐに尋問を始めた。

 

「で? どうしてピアノが欲しいのでしょうか? 不死川くん」

「…………」

「薫に聞いたほうが早いかしら?」

 

 てっとり早く切り札を出すと、案の定、実弥の羞恥に堅く閉ざした口も開く。

 

「その……前に薩見さんに言われたんだよ。誕生日に、なんか祝ったりしないのか、って」

「誕生日? 薫の?」

外国(むこう)じゃ、生まれた日を祝って、なんか、その……ぷ、ぷれ、ぜ……なんか物をやるんだってよ。昔、森野辺の家でもやってたみたいだし」

「あぁ……」

 

 九月の半ばに薫は誕生日を迎える。律歌などはいまだに数え年が身についているので、自分の誕生日など大して思い入れもないが、薫は洋行帰りの父の影響もあって、自らの誕生日を祝ってもらうことがあったらしい。

 そのときにそういえば、誕生日のお祝いとして、毎年何か贈り物をもらっていて、とても恐縮したと語っていた……

 

「それで薫の誕生日祝いに、ピアノをあげようと?」

「…………もういい」

 

 そのまま店を出ようとする実弥の袖を引っ掴んで、律歌は店の亭主にニコリと笑った。

 

「こんな理由なんですけどー?」

 

 ようやく事情を察した店主は、実弥への警戒を解くと、やや驚いたようにまじまじと見つめた。

 

「なんだい。奥さんの為にピアノを買ってやりたいってか? 兄ちゃん、怖いツラしてるが、優しい旦那じゃねぇか。最初からそう言えよ」

「……うっせえ。別に優しくなんか……」

「そういう理由(ワケ)なら譲ってやれんこともないが……高いぞ。言っておくが」

 

 値段交渉が始まると、途端に商売人の顔になる店主に、律歌がすぐさま答えた。

 

「大丈夫! こんな顔してるけど、この人、ものすごく金持ってるから!!」

「オイ! どんな顔だ!」

「へぇ……人は見かけによらないって言うが。しかし、このピアノは輸入物だ。二千円はくだらねぇぜ? わかってるのかい?」

 

 艶やかな飴色をしたアップライトのピアノは、マホガニーという日本では珍しい材木が使われているとかで、ただでさえも高価な輸入品であるのが、また一つ付加価値がついているのだという。

 しかし、産屋敷(うぶやしき)家から相当額の慰労金が支払われていることを知っていた律歌は、ドンと胸を張って明言する。

 

「だいじょうーぶ、大丈夫」

「なんでアンタが請け負うんだよ!」

 

 こうしてあれよあれよという間に、ピアノは元風柱の住居に運ばれたのだが……またそこでひと悶着。

 

「な……これ、どうしたんです?」

 

 いきなり何の前触れもなくやってきたピアノに、薫は戸惑うばかりだった。

 

「いいから、ホラ、運べ」

 

 実弥はなぜか不機嫌そうに、ピアノを運ぶ人足たちを促す。

 

「運べたって、どこに運ぶのか教えてくんねぇとォ……旦那」

「仏蘭西屋のオヤジにも、くれぐれも傷一つつけねぇようにと、念押しされてんでさぁ」

「そうそう、なんせ二千円の代物(シロモロ)だァ。大事に大事に運ばねぇと」

 

 薫は人足の一人が不用意に言った言葉に愕然とした。

 

「二千円!? どういうことですか?!」

 

 公務員の初任給が七十円であるのに、二千円は破格の値段といってよい。薫が血相を変えるのも無理はなかった。

 蓄えは十二分にあるとはいえ、湯水のごとく使う気は毛頭ない。まして二千円のピアノ!

 

「そんな高価なもの、駄目です!」

 

 厳然と受け取りを拒む薫に、実弥はムゥと仏頂面になる。

 

「いいからもらとけってんだァ」

「もらって……って、これ、私にですか?」

「お前以外、誰が弾くんだよ」

「そんなの……」

 

 薫は唖然として実弥とピアノを交互に見てから、やはり断固として拒否した。

 

「実弥さんのお金は、実弥さんの為に使ってください! 輝利哉(きりや)様だって、柱としての重責を担ってきた褒賞だと仰ってくださったものなのに……こんな散財するなんて」

「…………」

 

 実弥は腕を組み、すっかり不機嫌そうに ―― というよりも自分の好意が形無しになったことへのきまり悪さであろうが ―― 黙りこんでいる。

 

「まぁまぁまぁ。そう言わずにさ。不死川の気持ちなんだし……」

 

 受け取りの見物(単純に薫の驚く顔見たさ)に来ていた律歌が、あわてて間に入ってなだめたが、こういうときの薫は強情であった。

 

「ピアノなら、たまに薩見(さつみ)伯爵のお屋敷でも弾かせていただけるのだから、問題ありません。贅沢です、私のためにわざわざこんな高価なもの」

「いやいや、それもさ。身重の薫が、えっちらおっちら薩見さんのお屋敷まで行くのも大変じゃない? 家にあったらいつでも弾けるでしょ?」

 

 そのときちょうど玄一を妊娠中であった薫の身を慮ってのことだと、律歌が再び助け船を出すが、薫は首を振った。

 

「薩見さんのお屋敷までなんて、大した距離じゃありませんし……どうしても大変なときには、人力車(くるま)を呼びますし、そんなことの為にピアノを買うなんて勿体ないです」

 

 本来、実弥が自分のお金をどう使おうが薫に文句を言う理由はない。

 それでも、それが(じぶん)のために費やされるものであると知れば、それは気安く受け取れるものではなかった。

 

 薫としてはお金は今後、実弥の体の具合が悪くなったときに、十分な治療を受けるためにとっておきたかったのだ。

 いつか……が避けられないとは聞いていても、まだ薫の中では、医療の進歩によってあるいは……と、望みを持たずにはいられなかった。たとえ、今の蓄えをすべて費やすものであったとしても、薫としては実弥に生きていて欲しかったから。

 

 だが反面、実弥がそうした医療行為を望まないのも、ある程度わかっていた。

 時折、薫がそうした話を向けても、実弥は興味なさげにいなして話を逸らした。

 ()()() ―― 痣者(あざもの)は二十五歳まで生きられないこと ―― については、迎えに来たときに聞いて以降、一度も二人の間で話し合われていない。

 そのことが実弥の諦観(ていかん)と覚悟を示していた。

 

 上弦の壱であった黒死牟(こくしぼう)、それに無惨。

 この人知の遠く及ばない鬼を相手にして、文字通り死力を尽くして戦った実弥であればこそ、自分の身体がもはや常人の想像からは計り知れないほどに痛めつけられ、傷ついていることはわかっているのだろう。

 

 今の実弥は、ただ穏やかに、家族と暮らす日々を愛しんで生きている。

 彼の覚悟を曲げてまで、(じぶん)の気持ちを押し通すこともできない。

 それはわかってはいたが…………。

 

「私は大丈夫ですから……実弥さんはもっと自分の為に使ってください」

 

 ひたすら強情な薫に律歌は呆れた。

 内心で『不死川の好きに、なんて言ってたら、毎日おはぎを百個買ってもおつりがくるよ』と、おはぎが大量に乗っている大八車を想像して、少し気分が悪くなる。

 

 ピアノを運んできた人足たちも困り顔であった。

 薫に手を引かれてきていた実のりは、キョトンと大人たちを見つめている。

 

 皆が沈黙した中で、口を開いたのは実弥だった。

 

「……お前のためじゃねぇ」

 

 ボソリ。

 それまでしかめ面であった実弥が小さな声で否定する。

 

「……俺が……聴きたいんだよ、この……家で」

 

 そのまま照れて真っ赤になっている顔を隠すように、実弥は実のりを抱き上げると、早々に縁側へと逃げてしまった。

 

 薫はしばしボーッと実弥の後ろ姿を見ていたが、ピアノを運んできた人足の「あの~、それでピアノは?」という声に我に返ると、部屋を見回してとりあえず応接間の一隅に運んでもらった。

 最終的には床の補強などをしてもらった後、実弥が過ごすことの多い居間の一つに据えられ、その後は毎日のように不死川家からピアノの軽やかな音色が流れるようになったのだった。…………

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




次週20250608更新予定です。
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