【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
「あのとき、いきなり薫に断られてどうなるかと思ったけど、なんか結局、目の前で
「……だって、まさか実弥さんがピアノを聴くと思わなかったんですもの」
「まぁね。でも、方便じゃなかったね。薫が弾いてるのを聴いてるとき、とっても穏やかな顔してたし」
「そうですね……」
返事しながら、思い出す。ピアノが来た日、一番自分の気に入っている曲 ―― ベートーヴェンのピアノソナタ『悲愴』第二楽章 ―― を弾いていると、実弥が言った。
「その曲……いいな」
薫は自分と同じ曲を気に入ってくれたことが嬉しくて、思わず饒舌になって語り出した。
「実弥さんも? 私もお気に入りなんです。少し物哀しいけど、でもそっと寄り添ってくれるみたいな感じがして ―― 」
「難しいことはよくわかんねぇけど……なんか、懐かしい気持ちになるんだ。それ」
それ以来、毎日一度はこの曲を弾くようになった。
たいがいは夕食後の寝る前、子供達が眠りについた後の、わずかに訪れた夫婦二人の時間。実弥はそれこそ懐かしい人達を瞼の裏に思い浮かべているかのように、目を閉じて聴き入っていた。
だからだろうか。
いまだに、その曲を弾くたび、つい斜め後ろに気配を探してしまう。振り返ると、穏やかな笑顔を浮かべた実弥の姿が幻となって現れ、あっという間に消える…………
泣きそうになって、薫はあわてて指で涙を拭った。
「まさか、誕生日プレゼントだったなんて……どうして言ってくれなかったのかしら?」
「そりゃ、恥ずかしかったんでしょうよ。妻に贈り物なんて。らしくない、って思ってたんじゃない?」
「フフ……そうですね。でも、嬉しい……とても」
薫は目を細めて、飴色のそのピアノを見つめた。毎日磨いているせいか、今もピアノは艶やかな美しさを保っている。
「このピアノのお陰で、いろいろ思い出もできましたしね」
「そうそう! クリスマスには皆で集まって子供達が歌ったりしてさ。あとは、ホラ! 『マドレーヌの会』! 男共に子供任せて、その日だけはのんびりしようってことで、女子で集まって茶話会して……あれも面白かったわねぇ」
マドレーヌの会は元々、薫が甘露寺蜜璃とした約束を思い出して始めたものだった。
生前、彼女と一緒に柱稽古の合間にパンケーキを食べてお茶を楽しんでいた時、言われていたのだ。
―――― 薫さんって、ピアノ弾けるんだって聞いたけど。
―――― じゃあ、落ち着いたら聞かせてね。私、ちょっと憧れてるの。ピアノを聴きながら、美味しいマドレーヌ食べて紅茶飲むの~……
後に無惨との戦いを控えて、絶対の約束などできなかった。
それでも蜜璃はいつか訪れる平和な日々に、マドレーヌを食べながらお茶を飲み、ピアノの演奏を楽しむ穏やかな日常を願っていたのだろう。
彼女と一緒に……は、叶わなかったが、約束を忘れられなかった薫は、せめてもの感謝を込めて、彼女のためにお茶の用意を整えてピアノを弾いた。蜜璃のイメージに合う、軽やかで華やかな曲を。
彼女と生前に交流のあったカナヲや禰豆子らも、そのことを知ると、一緒に
最近は薫も忙しかったり、遠方へと引っ越す人もあり、皆で集まるのも少なくなってしまったが……
「あの会のいつだったかなぁ? 一度、宇髄くんのとこの須磨ちゃんだっけ? 彼女の発案で洋装でおめかしして集まろうってこと、あったじゃない?」
「……そういえば、そんなこともありましたね」
「あれもさぁ、実のところ不死川に薫のドレス姿を見せてやろう、ってことでね」
「はい?」
「宇髄くんが任務で薫と一緒になったときに、ドレス姿の薫を見知っていたでしょう? そんなもんだから、まぁ、なんかの話の拍子に出たらしくてさ……」
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引き続き更新します。