【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
その日は、数ヶ月に一度行われるマドレーヌの会という細君連中の集まりがあり、夫らは丸一日育児を担うことになっていた。
元々が無惨との戦で亡くなった恋柱・甘露寺蜜璃への追悼の意味もあり、薫がピアノを演奏することになっていたために、場所は必然、ピアノのある不死川家となっている。そのため、子供らの遊び場所は宇髄家か冨岡家、あるいは近くの川べりや里山に出掛けることもあった。
午後から空模様があやしいこともあって、宇髄家で子供らを遊ばせていたのだが、午睡の時間になってすっかり寝入った子供らの横で、男連中もまたたわいない話を始めた。
その中で宇髄が昔、薫と行った任務の話になったのだ。
「舞踏会ってのに出なきゃなんねぇとかでな、ドレスってやつだよ。
と、いつもの調子で焚きつけた宇髄は、ムッと黙りこんだ実弥を見てニヤニヤ笑っていた。
「見たいかい?」
「うるせェ。そんなもん……いらねぇよ」
「おぅおぅ。嫁が美人なのは、自分が一番知ってるってか? でもま、ドレスの姿は見たことねぇだろ?」
「…………」
「俺は見たことあるけどな」
「……フン。いらねぇ」
内心の煩悶を抑えこむように、実弥はムンと口を引き結んで突っぱねたが、思わぬところから声が上がる。
「俺は見たい」
静かに爆弾発言をしたのは元水柱・冨岡義勇だった。
「なんで、テメェが見る必要があるんだよォ」
眠る子供らの手前、実弥の声はかなり低く押し殺したものになったが、額に浮き出た青筋には明らかな苛立ちがあった。
鬼殺隊にいた頃から無表情で、自らの感情を見せることのなかった水柱は、無惨との戦が終わって一年過ぎた頃に結婚し、子をもうけるようになると、わりと素直な感情表現をするようになってきていたが、それでも表情が大きく崩れることは少なかった。このときも静かな表情で理由を述べた。
「単純に興味があるだけだ。それに不死川の嫁がドレスを着るとなれば、皆も着る運びになるだろう。そう機会もないことだし、妻にドレスを贈るのもいいと思う」
「どういう話だ、それ」
「おぉ、いやいや。冨岡の酔狂というのも面白い。ウチの嫁どもも、ずっとあれ以来、あの洋装がしてみたいとか言ってたし、いい機会かもしれん。竈門、黄色いの、猪、お前らどう思う?」
「僕ですか? カナヲが着たいというなら、いいと思います」
「ねっ、ねっ、禰豆子ちゃんのドレス姿ぁ~?? そんなの見たらもぅ目が爆発しちゃいそう!!」
「俺はどうでもいい。マドレーヌとかいうの、腹いっぺぇ食べたい!」
通称かまぼこ隊の面々は三者三様の答えであったが、基本的には賛成であった。
「さて、どうするよ? 風柱?」
「俺はもう風柱じゃねぇ」
「おぅおぅ。それじゃ、不死川の旦那。どうするんだい? お前が
「…………」
それから数ヶ月後、薫の元に宇髄家の嫁達から知らせが来た。鴉が運んできた手紙を読んで、薫は困ったように溜息をついた。
「どうしましょう……」
次のマドレーヌの会では、ドレス着用でやろうと書いてあったのだ。
逡巡する薫に、手紙をチラと見た実弥は仏頂面ながらも、
「別に、皆で着るんなら、お前一人着物で悪目立ちする必要もねェだろう。そのドレスとかいうの、前に繕ったのがあるんだろォが?」
「え? ドレスなんて、もう森野辺の家に置いてきてありませんよ」
「違う! 宇髄との任務で使ったのだ」
「あぁ……そういえば。でも持ってませんよ。任務で使用したものですから、縫製部の皆さんに返却しましたし」
「…………置いてあるそうだ」
「え? あの藍色のドレスですか? まぁ……そうですね。隠の皆さん、必死に夜っぴいて縫ってくださって、力作だったって言ってましたし。そう簡単に捨てられないですよね。あ、でも私は無理ですよ。実のりも、玄一も産んですっかり体が……」
「ちゃんとそこらへんは手直しする……と言ってる、らしい」
「?? どうして実弥さん、そんなに詳しいんですか?」
「たっ、たまたま、縫製部の前田の野郎に会ったからだ!」
「……どうしたんですか? なんだか顔が赤いですよ、実弥さん。もしかして熱でも……」
と、薫が実弥の額に手を伸ばそうとすると、素早く
「ともかく。お前は遠慮せずに、そのドレスとかいうの着ればいい!」
「はい?」
「宇髄の嫁も着たがってるとか言ってんだァ。合わせてやれ。いいな! 俺は、別に反対してないからな!!」
言い捨てると実弥は脱兎の如く、その場から去って行った。
薫はキョトンと見送ってから、手紙を読み返す。
おそらく須磨だろう。手紙の最後に小さく『薫のドレス姿、楽しみだよ~』とあった。
確か宇髄との任務でドレスを着たときに、須磨がひどく褒めてくれていたのを思い出す。その後にも何度か思い出しては「また見てみたい」と言われ、当人もいつかドレスを着たいと言っていた……。
その日の夜、寝る前のひとときに薫は思いきって尋ねた。
「実弥さん、私がドレス着ているの、見たいですか?」
「……はっ?」
既に話は終わったと思っていたのだろう。急に問われて、実弥はひどく狼狽したように、無言で口をパクパクさせたあと、一気に耳まで赤くなった。
普段、いつも軽口を叩いて、なんであれば薫をからかっているぐらいの実弥なので、たまに見られる照れた表情は、薫にとってはご褒美であった。いつもの仕返しとばかりに、悪戯っぽい笑みを浮かべて、実弥に迫った。
「見てみたいですか?」
「ちっ……違う! そういうんじゃねェ!」
「大声出さないでください。実のりと玄一が起きちゃいます」
「…………てめェ、からかってやがるな」
「だって、普段はやられっぱなしですもの」
「そんなのは、お前がトンチキなことやらかすからだろうが」
「まぁ。いつも私が失敗ばっかりしてるみたいに」
「別にそういうんじゃねぇよ。でも鶏を狙ってきた猫を追い払おうとして、鶏小屋の扉を開け放して、鶏どもが逃げていったときにゃ、何やってんだと思うだろうが」
「あれは……閉めたと思ってたから」
「ふん。おめェはお袋と同じで、ちょこまか動いては時々ドジしやがるんだ」
「あら。志津さんは働き者だったんだから、光栄なくらいです」
そんなことを言い合いながら、その夜は幸せな時を過ごし ――― 数ヶ月後のマドレーヌの会で、薫は縫製部によって調整されたあの藍色のドレスを久しぶりに着た。
薫の意向で、以前は胸を強調した仕立てであったのは、それとなく目立たぬものになっている。
その日ばかりは、子供や旦那連中も参加することになり、不死川家では手狭になってしまったので、
産屋敷家にあったグランドピアノを奏でる薫を、実弥がどう見ていたのかは知らない。
ピアノの演奏を終えた後、めいめいが食事を楽しむ中、隣に来た宇髄が言った。
「よかったじゃねぇか。不死川もあんな仏頂面してやがるが、お前さんの姿見ておったまげてやがったぜ。内心じゃニヤニヤしてんだろうが、締まりがつかねぇから、あんな顔してやがんのさ。ま、これで美人の嫁さん遺して、おちおち死んでるワケにもいかねぇと思ったろう。寿命も延びるってもんだ」
「そうですね。そうだと……いいんですけど」
薫は微笑んだが、その笑みはどうしても翳った。
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次週20250615更新予定です。