【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第六章 邂逅(四)

 朝の食事を終えると、匡近と実弥は道場へと向かった。

 

 二人の隊服を洗濯していると、鋭い気合が聞こえてくる。気もそぞろに、今日ばかりは朝の家事も早々に終えて、薫は道場へと走った。

 

 戸を開けると、すさまじい気迫が重い空気となって押し寄せた。

 隅で東洋一(とよいち)が薫に気付いて、手を挙げる。

 薫は摺足で素早く東洋一の横へと走ってゆき、着座した。目の前では実弥と匡近が地稽古の真っ最中だったが、二人共、薫が入ってきたことを気付いた様子はない。

 

 呼吸を使っていないのに、二人の立合を見ているだけで力を感じる。

 木刀を打ち合うその早さ、足捌きの器用さ、一瞬の隙をついて繰り出す技、それを切り返して反撃する機敏な身体能力……さすがというほかなかった。

 あまりに遠い隔たりを感じる。

 確かに今の自分では実弥に「とっととやめろ」と言われても仕方ない。

 

 東洋一は隣で固唾を呑んで見守る薫を見やった。

 茶褐色の瞳をこれでもかというほどに見開き、目の前で繰り広げられている兄弟子達の剣撃を凝視している。まるですべてを吸い込もうとするかのように、貪欲な向上心が瞳の中で閃いている。

 

 一瞬の空隙を見計らい、東洋一は匡近に声をかけた。

「匡近、お前、元立ちせい」

 激しい運動の後で匡近が返事できないうちに、東洋一は薫に掛かり稽古をするように指示した。

「おい…ジジィ」

 実弥が言いかけると、東洋一は「お前は退がっとれ」と襟首を引っ掴んで、道場の隅へと連れて行く。

 

 匡近は目の前に木刀を持って立つ薫を見た。

 女の割には背が高い。痩身だが、構えた姿は揺らぐことなく、非常に均整がとれている。

 髪を後ろで一つに束ねているが、相当引っ張っているのか、切れ長の目が吊り上がっているように見えた。もしくは稽古とはいえ、初めての相手と対峙する緊張感によるものかもしれない。

 

 匡近はふぅ、と息を整えると、「じゃあ、やるか」と木刀を持ち直した。

 

 掛かり稽古は、掛かり手――薫――が、自分で相手の隙を見つけて打ち込んでいくのだが、この時、元立ち――匡近――は、その攻撃をいなしたり避けたりしつつも、薫の打撃に空隙があれば反対に打ち込むこともある。

 打突の正確性、間合い、時機の見極め。これらのことをほとんど絶え間なく、考える暇もない速度で行う。掛かり手側の精神的な集中力がどれだけ持続できるのかが鍵だ。

 

 見合ってから、すぐさま薫が上段から振りかぶってくる。中々の早さだと言っていい。いなして躱すと、木刀に伝わる重さが実弥とは比べ物にならぬくらい軽い。

「打ち込みが弱い!」

 匡近が声をかけると、薫はグッと奥歯を軋ませ、より気合を込めて打ち込んでくる。

 

 やはり、女の膂力ではある程度の限界があるのだろう。これでは呼吸を使えたとしても、技に煽られてしまいかねない。

 しかし力が不足する分、早さは確かにある。突きの繰り出す回数と速度は相当だ。なんとかいなして避けるが、結構際どいところを突いてくる。

 

 だが長くは続かない。匡近は薫の集中力が途切れた瞬間を冷静に見極め、攻撃を受け流すと、反対に腹を突いた。

 反撃を受け、足がもつれて、薫は後ろへとよろめいた。

「後ろに退がるな!」

 東洋一の厳しい叱責が飛ぶ。

 薫はハアッと一息吐いて、再び匡近へと向かっていく。

 その後も匡近は薫の集中が切れるのを正確に読み切って、容赦なく―――むろん、力の加減はしつつも―――防御の甘い箇所に打ち込んでいく。

 

「いつまでやる気だ……」

 隣で見ていた実弥が不機嫌そうにつぶやいた。「いくらやったって、あんなヤツが風の呼吸を使えるとは思えねェ」

 東洋一は匡近と薫の立合から目を逸らすことなく、「そうだな」と同意する。

 

「わかってんなら、辞めさせろよ」

「………呼吸は、風である必要はないからな」

「なに?」

「………風からは霞の呼吸も派生しとる。風にこだわる必要はない」

「ジジィ……テメェ、本気であいつを鬼狩りにする気か?」

 実弥はその大きな目でギロリと東洋一を睨みつけた。

 

 東洋一はチラ、と実弥を一瞥した。

 昨夜の薫の話では昔の知り合いだったということだが、知り合いだというだけの関係性には思えぬ入れ込みようだ。

 

「あの子の長所が何か、わかるか?」

 東洋一が不意に尋ねた。

「知るか」

 実弥は眉をひそめ、吐き捨てるように言う。

 

 東洋一は、目の前で激しく肩を上下させながら、必死に匡近へと打ち込んでいく薫を見つめていた。

「粘り強さと、己への洞察。お前さんが無意識に出来てしまっていることを、あの子は自らに問いかけながら、何度も何度も自分を打ち直すんじゃ。お前さんみたいに、息するように技を習得することはできんが、自分を鍛えていくことには長けとる」

 実弥は初めて東洋一の育手らしい一面を見て、目を丸くした。

 自分が弟子でいた間は、そんな言葉を聞いたことなどなかった。教えるにしても、随分といい加減で適当な感じだった気がする。

 だからといって手を抜いたらすぐさま見抜かれて、破れたボロ雑巾のようにしこたましごかれたが。

 

 再び薫が匡近に打たれ、尻もちをついたところで東洋一は止めた。

「ヨシ。匡近、実弥と代われ」

「えっ?」

 匡近は驚いたが、実弥もまた目をむいた。

 薫の体力は既に限界だ。少し休めばまだしも、続けざまに立合などできるはずもない。

 

「冗談じゃねえ。こんなん、稽古にならねぇだろうが」

「お前さん、薫を辞めさせたいんだろ? だったらコテンパンにやっつけてやったらいい」

 平然として東洋一は言いきる。

 

 薫は肩で息をして座り込んでいたが、唇を噛みしめると、立ち上がった。

「………お願いします」

 辛うじて言ったものの、実弥の方はまだやる気はない。訝しげに東洋一を見つめ、提案を持ちかけた。

「おい、ジジィ。これで俺が勝ったら、こいつを破門しろ」

「ん~ん? そうだなぁ……」

 言いかける東洋一を遮って、薫が叫んだ。

「辞めません!」

 叫ぶと同時に強く踏み込んで、実弥の胴へと素早く木刀を振るう。

 だが、実弥はすぐさま避け、くるりと回った遠心力を利用して、すさまじい早さで薫に一撃を加えた。まさに電光石火の技である。

 

 ぐぅっ、と身体を曲げた薫に、東洋一がのんびりとした口調で呼びかけた。

「薫、鍛錬の成果見せてみぃ。お前なりのものが、少しは仕上がってきたか?」

 言われるなり、薫は口の端にほのかな笑みを浮かべた。

「やってみます」

 深呼吸をして、再び対峙する。

 

 実弥の構えは隙があるのに、そこに打ち込もうとすれば、必ず避けられた。避けた反動で攻撃してくるので、反応できず、したたかにくらうことになる。

 あの隙は、虚だ。

「ハアアッッ!!」

 気合とともに、跳躍し、真上から狙う。

 

 実弥は一瞬、戸惑ったようだったが、すぐさま態勢を整え、薫が振り下ろした木刀を受ける。

 ビリリ、と実弥の手に細かな振動が伝わった。

 今まで、匡近が最初に言ったように薫の打ち込みは軽く、簡単にいなすことが出来てしまう。だが、今のこれは明らかに重さがある。跳躍と、その後の降下によって膂力のなさを補っている。

 

 実弥はチラと東洋一を見た。

 

 ―――――呼吸は風である必要はない。

 

 相変わらず人を食った爺だ、と実弥は歯噛みした。

 なんだかんだ言いつつ、しっかり隊士として育成していっている。育手なのだから当たり前のことだが、実弥には東洋一の視点を持つことはできない。

 

「っ…せえっ!」

 実弥は苛立ちとともに、技を繰り出した。

 薫はかろうじて半身避けたが、威力が半端ではない。

 振り切った木刀を腹に受けて、うぅと呻くと胃の中のものが逆流しそうになる。

 

「師匠…」

 匡近は焦った口調で東洋一に呼びかけた。

「止めてくださいよ。実弥は加減とかできない性質(タチ)なんですから」

「ほう?」

「ほう、じゃなくて! あれ、絶対吐くから!」

「まぁ…儂相手にあそこまでくたびれることもないだろうからなぁ……何事も経験経験。あれぐらい凌げんと、鬼相手では小半時も持たんだろうて。いやぁ、お前さん達、ちょうどいい所に来てくれたもんだ。おかげで儂は楽できる」

 匡近は呆れ返り、深い溜息をついた。

 この師匠はこういう時でも本気なのか冗談なのかわからぬことを言う。

 

 目の前では薫が実弥からの攻撃を必死で躱していた。

 上背がある割には案外と身体が柔らかい。

 実弥がまったく手加減をしない早さで木刀を横に払うと、ギリギリで背を仰向けに反らせて避け、自分も木刀を振る。

 しかし、いなされると同時に打ち込まれ、横へと吹っ飛ばされる。

 すぐに立ち上がって向かっていくが、汗で床が滑るのだろう。踏み込みが甘いまま、実弥に打ち込もうとしてあっさりと躱され、背後を打たれた。

 

「うっ…!」

 呻いて、四つん這いになった薫が、口を押さえた。

「待てっ! 待て待て待て、実弥! 休止! 一旦、休止!」

 匡近はあわてて間に入ると、後ろでおそらく嘔吐している薫に「行け」と声をかけた。

 口を押さえたまま、薫は走って出て行った。

 

 実弥は木刀を肩に担ぎながら、「ふん、ザマァねぇ」と、身も蓋もないことを言う。

「やり過ぎだろ! ちょっとは加減しろ」

「鬼は手加減なんぞしねぇよ」

「お前は鬼か! 師匠の言うことを真に受けるなよ」

「はあァ? ンなもん、関係ねぇよ。こんな程度でくたばるようじゃァ、まるで役に立たねぇな。―――――わかったか? ジジィ」

 実弥に呼びかけられ、東洋一はとぼけた表情で小首をかしげる。

 

「俺が勝ったら、あいつを破門にしろって言ったろ?」

「あ~、言うとったな~。まぁ、でも儂、約束はしとらんから」

 のんきな様子で嘯く東洋一に、実弥は苛々をぶつけた。

「見たらわかるだろうが! なんだって、あんな役立たずを弟子なんぞにしやがった!? いいから、とっとと……」

 家に返せ、と言おうとして、既に森野辺子爵夫妻が鬼に殺されてしまい、鬼籍の人であることを思い出す。

 唇をきつく噛み締めて、実弥は俯いた。

 

「お前さんの言うように、本当に役立たずであれば簡単だったんだがなぁ」

 肩を前後にまわしてほぐしながら、東洋一は残念そうにつぶやく。

「まったくモノにならん、という訳でもなさそうだから、厄介なんだな。これが」

「そうですね」

 匡近が同意すると、実弥がキッと睨んでくる。

 

「なにが、そうですね、だァ?」

「そうは言うけど、実弥。冷静に考えろよ。七ヶ月そこらで、お前相手に吐くまで打ち合い続けるって、中々いないぞ」

 現役の鬼殺隊士ですら、実弥との地稽古は身が持たないと閉口し、今では一部の人間しか相手にしない。

 

 まして薫は隊士ですらない、ただの弟子。

 代々、鬼殺隊に属していた家系という訳でもなく、いわば素人だった状態で、ここまで修得するには相当努力したに違いない。しかも、毎日の家事をしながら、だ。

 

 むろん匡近も弟子時代には家事全般はやらされた。

 鬼殺隊士になった時、自ら炊事する必要も出てくるし、破れた服を縫わねばならないこともある。

 だが、所詮は男のやることなので、大雑把なものでしかない。基本的には家事労働の時間は、なるべくサボることばかりを考えていた気がする。

 

 だが薫は家事も手を抜いてはいない。今日だって、匡近達の隊服を洗ってくれたり、朝食の用意をしたり、きっといつもよりも大忙しだったろう。それでも文句も言わず、手際よく片付けていく。

 

 剣戟も決して弱いとは言えない。

 さっき手合わせしてわかったが、確かに打撃の力は弱い。だが身のこなしの早さと、柔軟性はやはり女ならではというべきなのか、相当に鍛錬を重ねたものだということが見て取れる。

 それにあそこまでやられていても、風の呼吸の型が崩れることもなく、基本に沿った美しい動作になっている。

 

 しかも、匡近の後にすぐに実弥の相手をしていて、ここまで()ったのだ。

 かなりしぶとい。

 東洋一が昨日言っていたように、かなり「しつこい」性質(たち)のようだ。これは、なかなかどうして『役立たず』なんぞとはとても言えない。

 

 だが実弥は頑として認めなかった。

「お前の目は節穴か、匡近。あんなもんでやってけると思うのか?」

「………足らない点があれば、仰言(おっしゃ)ってください」

 冷たく言い放った言葉に反応したのは、戻ってきた薫だった。口を(すす)ぐついでに顔も洗ってきたのか、髪の毛が濡れている。

 

「自分がまだ剣士として不十分だとはわかっています。どこが、悪いのでしょうか?」

 実弥は眉間に皺を寄せて、()めつけた。

「そんなモン、他人に教えてもらうことかァ?」

「…………」

 薫は瞳を逸らすことなく、じいっと実弥を見つめる。答えを求めて、その端緒を探るかのように。

 

 実弥は視線を逸らすと、チッと小さく舌打ちした。

「剣技としてよく出来てても、そんなもん実戦じゃ役に立たねぇ。お前のは、そこいらにある剣術道場の護身術程度のもんだ」

 酷評され、薫は拳を硬く握りしめた。それでも実弥から目を逸らすことなく、ほとんど睨みつけるように見つめている。

 その視線を十分に感じながら、実弥は昨夜から言い続けた言葉を再び繰り返した。

 

「お前が鬼狩りの剣士になるなんぞ、無理だ。さっさと辞めて、親戚なりを頼って、普通の生活に戻れェ」

 

 

 

<つづく>

 

 

 

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