【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
呼吸法―――息の吸い方と吐き方。そこから肺へと空気をとりこみ、全身へと行き渡らせる―――自体は、難しいものではない。いわゆる深呼吸と呼ばれるものと大差はない。
だが、そこから全集中という意識を持って行う時、よりその精度を研ぎ澄ますほどに、身体への負担が生じる。
つまり、息が続かなくなり、切れる。あるいは息をすることを忘れる。他には突発的な頭痛であったり、丹田に力を集中させることで、腸捻転になる者もいるらしい。
「毎日、毎日走らされて、なんだと思うだろうが、ここで肺を鍛えとらん奴は、全集中の呼吸はできん」
東洋一に言われて、薫は朝と夕方に行っていた走り込みを、夜にも行うようになった。
この頃になると、東洋一は風の呼吸の型を薫に教えることはなくなっていた。むしろ、風から派生させて独自に開発することを勧めた。
「そういえば、お前さん、実弥とやりあった時に、妙な技を出していたろう? あれは、なんだ?」
一旦、上に高く跳躍した後に、回転しながら急降下での斬撃。風の呼吸の型ではない。
「あれは……その、前に先生に自分なりの型を見つけるように、課題を言われた時に考えたものです。たまたま、
「ほう、隼か。他にはあるのか?」
「いえ。今のところ、まともに型らしき形になっているのはそれぐらいなんです。すいません、なかなか難しくて」
「かまわん。風の呼吸よりも合うものでやっていった方がお前さんのためだ。腰を据えて、考え出せ。そうか…隼……うん、鳥の呼吸とでもすればええ」
「鳥の呼吸、ですか?」
「いやか?」
「いえ、いいです。いろんな鳥を参考にしてみます」
東洋一の思いつきは薫には一つの指針になった。とりあえず、鳥の生態や、動作から受ける発想などを勘案して、型を作り出してみよう。
なかなか取っ掛かりがなくて迷っていたのが、一つ、土台となるものを見つけた気がする。
薫は高揚していた。本当に自分で呼吸を作り出す、そんなことができるなんて思ってもみなかった。
東洋一は呼吸を教えた後は、ほとんど薫の自学に任せた。
薫が編み出した型を見て、隙があった場合に指摘する程度で、あとは本人のやるままにさせた。
東洋一が言わずとも、薫は勉強熱心で、東洋一が持っていた風の呼吸についての代々の柱の残した資料を読みこみ、そこから派生した霞の呼吸や、他にも一代限りで消えてしまった派生呼吸についても調査して、自分の型に応用できないかと試行錯誤しているようだった。
全集中の呼吸は教えてその通りにやればできるというものではない。
できる者は一日でできてしまうが、できない者は日々、繰り返すしか修得する術はなかった。先天的な才能の差が如実に出てしまうのだ。
実弥などは前者の典型であったが、そういう者は稀だ。
その上で後者となってしまった者達に今度やってくる壁は、それを持続できるか、ということだった。
ほとんど目に見えない成長を信じて、ある意味、単調な呼吸法を続けることは、別の意味での才能が必要だった。
つまり、忍耐力、別の言い方をすれば、しつこさ、だ。
こちらについてはすでに薫は折り紙付きだった。
著しい成長速度ではなないにしても、薫は着実に進歩していった。
しかし、東洋一はその姿を少々複雑な思いで見守ることになった。
理由は―――――。
「手紙ィ。手紙ィィダゾィ……」
バタバタと鴉が室内に作ってある止り木にとまった。
鴉経由で送られてくる、手紙。送り主はもう確認するまでもない。
「………あの阿呆めが」
薫と再会した後から、それまでは一度たりとしてなかった実弥からの手紙が届いた時、東洋一は驚いたものの、開封する前から内容についてはおよそ予想できた。
読んでみれば、思った通り、薫の破門を要求するものだった。
それからは、任務の間の暇な時間があれば書いて寄越すようになった。そのほとんどに東洋一は返事をしなかったのだが、とうとう堪忍袋の緒が切れて、再び実弥が訪れた時にはさすがに驚いた。
しかも、薫に会うのを避けて、里乃の店で待ち構えていたのだ。
「なんじゃ、お前。こんなところで何しとるんだ?」
「あいつ、まだ、いるらしいじゃねぇかァ。いつになったら追い出す気だ?」
「入門を許した以上、本人が望むか、それ相応の不行状を起こさん限り、そうそう破門なんぞできるか」
「うっせぇ! 適当に理由作って、辞めさせろ!」
「阿呆か、お前は。だいたい暇なんか、わざわざそんなことのために来おって!」
「暇な訳あるか! どれだけあっちこっち走り回らされてると思ってる? 今からまた行くんだよ。いいか、この任務が終わるまでに破門させとけェ!」
とんでもない捨て台詞を残して、去って行く馬鹿弟子を、東洋一は口を開けて見送った。
「随分と、気にかけてるようですねぇ……」
里乃は銚子をつけながら、クスリと笑った。「お嬢さんも、ちょいとばかり面倒なのに行き当たったわねぇ」
東洋一は猪口を呷って酒を飲み下すと、ふぅぅと溜息をついた。
「そんなに心配なんだったら、本人に直接言えばいいと言ってるのに、それは逃げよるんだ、あの阿呆は。フン! 男のクセして不甲斐ない」
「まぁ…先生のお弟子さんですから。そういったことには苦手でいらっしゃるんじゃないかしらねェ」
チラリと見つめる目が言外の非難を含んでいる気がして、東洋一はすぐさま銚子から酒を注いでまたすぐに呷った。
「お嬢さんも憎からずは思っているようですけど………まぁ、まだ近所のお兄ちゃん、の域だわねぇ、アレは。なにせ自覚がないから」
「自覚?」
「自分が男に惚れられるくらい可愛い女だっていう、自覚。ああいうのが一番厄介。誰にでもやさしくするから、勘違いするのがいっぱい出てきちゃうでしょ?」
「…………」
そう言われて思い返すと、実弥だけでなく、匡近からの手紙も増えた気がする。
しかも、匡近の方は直接、薫宛に送ってくることもある。
もっとも内容の方は、普段の任務のことだったり、洋食屋でオムライスを食べたとかいう、とりとめのないものばかりだ。
いつだったか、その匡近からの手紙を読みながら、薫がクスクスといつまでも笑っていることがあった。
「なんじゃ、楽しそうだの」
「あ、先生。いえ……粂野さんからの手紙で、実弥さんがおはぎを買いに行ったら、直前で売り切れちゃって、それはもう、ものすごく落胆していたっていう話が面白くて……」
と、これまた実弥の話題で盛り上がるのだから、もう東洋一には訳がわからない。
「いいじゃないですか。それが『青春』ってやつでしょう?」
「セイシュ~ン?」
「青い、春ですよ、先生。夏目漱石くらい読んで下さいな」
「年寄りに最近の流行なんぞわからんわい」
「最近でもないですけど……」
里乃は言いながら、空になった銚子を取り上げると、有無を言う暇すら与えずに台所へと持ち去っていった。
「…………」
これでも、一応、鬼殺隊で俊敏を誇ったのだが、時間というもの、老いというものは、全てに等しく流れているのだと、つくづく思う。
しょぼくれる東洋一に、里乃は笑った。
「お茶漬け、食べるでしょ? 先生」
<つづく>