【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
どうやら、薫への評定は最初のあれで終わったらしかった。
薫は手持ち無沙汰になって、桑島老人の了解を得た上で、道場へと足を運んだ。
さっき、薫の相手をしてくれた弟子が素振りをしている。
あの後、
薫が入ってくると、岳は眉間に皺を寄せた。
「何の用だ?」
「……桑島先生のご了解は得ました。稽古させていただこうと」
薫が壁にかかった木刀を取ろうとすると、岳はいきなり妙なことを聞いてきた。
「………お前の師匠は柱じゃないんだろ?」
その言い方に、どことなく侮蔑が含まれているのを感じて、薫は眉をひそめた。
「それがどうかしましたか?」
「可哀想にな」
「なにがです?」
「柱となった人間から教えを乞うことができなければ、己が柱になるなんぞ無理な話だ。まぁ、お前は風の呼吸すら極めることができずに、逃げたんだから今更だろうが」
完璧に嫌味を言われていることを理解して、薫はすぅと面に氷を張り付かせた。
「派生呼吸は己の
「どうとでも言うさ。基本の呼吸が修得できないヤツは」
呼吸には岩・風・水・炎・雷の五つの基本となる流派があり、そこからいくつもの派生呼吸が生まれている。
どうもこの弟子は基本の呼吸に囚われすぎて、まるでそれが至高のものであり、派生した呼吸などは格下のものと位置づけているらしい。
馬鹿馬鹿しい。
「そういう考えは、ご自分の首を締めるだけだと思いますよ。現に派生した呼吸から柱になられる方も珍しくないのに」
フン、と岳はせせら笑った。
「まぁ、風なんて、もはや滅びていくしかない呼吸だものな。派生させでもしなければ、柱も生まれないのだろうさ」
「…………風柱は復活します」
薫が言うと、岳はクックッと笑った。
「柱に育てられた継子もいないのにか? 知らんなら教えてやろう。今、基本の呼吸で柱として残ってるのは岩・水・炎だけだ。風柱は空位になって久しい。柱だった風の呼吸の育手もいない。柱になれるヤツなんぞいないだろうよ。このまま風の呼吸は滅びていくんだ」
「それで言うなら、鳴柱だって現状は空位ではないですか」
待っていましたとばかりに、岳は高慢な表情を浮かべた。
「俺の先生は鳴柱だったんだ。俺は継子も同然だ。お前のとこの、有象無象の鬼殺隊士だった育手とは違う」
薫は木刀を手に取った。
「あなたがご自分の師匠のことを、称賛するのを咎める気はありませんが」
言いながら、岳の前で構えの態勢をとる。
「私の先生を侮辱するのなら、ごちゃごちゃとつまらぬ御託を並べるよりも、こちらで決着をつけた方が早いと思いますよ」
「……フン。女ごときが」
岳が鼻で笑った時には、薫の切っ先が喉元を掠めていた。
あわてて飛び退り、木刀を構える岳に、薫は目を細めた。
「言っておきますが、今のはあえて、わざと、ギリギリを狙ったんですよ。次は確実に当てますから」
「
言うなり、岳は大きく踏み込んで上段から振り下ろしてくる。
薫は素早く横へといなすと、そのまま岳の右脇に打ち込みながら、背後へと回り込む。
岳が振り向きざま、木刀を振り回すのを躱し、ガラ空きになった胸へと突きを入れる。
「グッ……!!」
呻きながらも、岳は踏みとどまった。
ギリと歯噛みし、低く腰を落とし、木刀を脇に構えると、スゥゥと全集中の呼吸を始めた。
―――――来る!
薫が防御姿勢を取ると同時。
雷の呼吸 弐ノ型 稲魂
凄まじい早さで岳が迫り、
受け身をとって床に転がった薫に、トドメを刺そうと岳が木刀を振り下ろす。
薫は岳の足を思い切り蹴りつけて、すぐさま起き上がると、くるりと後方に二回転して間合いをとった。
タラリと血が側頭部から流れてきた。
さすがに雷の呼吸というだけあって、豪速の剣撃。
自分の作り上げた呼吸など、とても及ぶものでない。まだ、足りない。もっと強い、もっと効果的な戦果を上げられるような型にしなくては……。
この男の言うことを鵜呑みにするわけではないが、やはり基本の呼吸にはそうなるだけの技と知の蓄積がある。
再び岳が呼吸を整えていると、聞き覚えのある大音声が道場に鳴り響いた。
「そこまでじゃあっ!」
ハッと我に返ると、東洋一と桑島老人が入り口に立っていた。
おそらくは岳の呼吸による技の発動で、道場で不穏な立合稽古が行われていることを察したのだろう。
「ったく……道場の中で呼吸の技を使うヤツがおるか。壊れたらお前が直せよ、岳!」
師匠に怒られ、岳はバツが悪そうに黙り込む。
「すまんな、お嬢さん。こやつは頭に血が昇ると加減を知らんのだ」
「いえ……岳さんは悪くありません。私が、先に手を出しました」
桑島老人は目を丸くして薫を見つめた。
東洋一は眉根を寄せ、薫を叱責する。
「どういう訳かは知らんが、他人様の道場で私闘など、もってのほかだぞ」
「申し訳ありません」
「まぁ、いぃいぃ。とりあえず、二人共鉾をおさめて、今日の修練は終了じゃ」
桑島老人はそれ以上の経緯を尋ねることはせず、あえて有耶無耶に収めた。
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翌日に薫と東洋一は桑島老人に別れを告げて帰った。
「お嬢さん、雷のあの技はな、五つ連続で打ち込むヤツでな。一つ、躱せただけ大したモンじゃぞ。精進せえよ」
元鳴柱は昨夜の岳との立合を見て、冷静に薫の能力を分析していたらしい。
薫は気付いてなかったが、あの早さに多少なりと反応できていたのなら、自分のこれまでの修練も無駄でなかったということだ。
笑って桑島老人に礼を言い、その後ろに立っていた岳にも一応頭を下げると、薫は踵を返して東洋一の後を追っていった。
汽車の中で東洋一に昨夜の岳との喧嘩の事情を訊かれて話すと、東洋一は「そんな事か」と笑った。
「笑い事じゃありません。先生を侮辱するような事を」
「侮辱というか、実際その通りだしなぁ」
「柱に教えてもらわないと、柱になれないなんて、そんなの聞いたことありません」
「まぁ……絶対にそうだというのは極端だが、少なくとも柱を経験した人間の太刀筋なり、技なりを直接教えてもらうというのは、やはり幾分か得ではあるのだろうな」
「それにしたって……派生呼吸のことも馬鹿にしてましたし、あの人はどうも考え方が偏りすぎです。どうして鳴柱様があんな人を弟子にしているのか不思議です」
「………あの人も、なかなか人がいいのでな」
東洋一は何か昔のことでも思い出しているのか、そう言ってその話題を打ち切った。
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後日、思うところあって東洋一は、桑島老人にこの顛末を手紙で書き送り、僭越ながら……と書き添えて、
『私の見るところ、その少年は性
いずれ貴方に危害を及ぼす虞れがあるに思います。
才があるゆえに、より危惧します。
御大の思慮深さを信じておりますが、どうぞ心に留めおいていただけますよう、お願い致します』
と、記した。
何かの虫のしらせであろうか。
自分でもどうしてこんな出過ぎたことを書いてしまったのかと思ったが、なぜだか筆が止まらなかった。
受け取った桑島老人は、重ねて弟子の不調法を詫びてはきたが、それ以外には返事はなかった。
後年になって、その東洋一の不安が的中するだろうことは、誰知ることもない。
<つづく>
◆獪岳について
獪岳の『獪』は老獪、狡獪などあまりいい意味のものでないので、鬼になってからならわかるのですが、人間でいた間に名乗っていた名としてはどうしても「?」がつきます。
まぁ、そこの考え方は色々あっていいと思いますが。
この小説の中では「岳」という名前でやらせてもらいました。