【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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▼今回、残酷描写があります。



第七章 修練(五)

 匡近がまた薫の弁当片手に帰っていってから、一月(ひとつき)を過ぎた頃、薫は山の中にいた。

 

 わざわざ県境を越えてまで手入れの行き届かなくなった、鬱蒼とした山の中に入っていったのは、近所の山々では既に慣れてしまい、実戦的な修行ができなくなってきたからだった。

 いよいよ最終選別が来月に迫り、東洋一(とよいち)から行くことの許しをもらっているとはいえ、ここでより修練を重ねなければ、藤襲山で生き残れないだろう。

 

 東洋一が大事にしている、弟子の遺品である日輪刀を貸し与えたのも、そうした実戦的な修行を行うことを考えてのことだった。

 鬼殺隊士とならない限りは自分の刀は持てない。

 だが、藤襲山には鬼がおり、鬼は日輪刀でしか倒せない。

 そのため、最終選別に向かう弟子は皆、師匠のであったり、兄弟子達の日輪刀を借り受けて向かう。

 薫もまた持っていくにあたって、師匠の持っている中でも最も軽めの刀を借りたのだが、それでも実際に振り回すには重かった。今のうちに慣れておく必要がある。

 

 三日間、この森に籠り、ひたすら体力の向上を目指した。

 技の修練ももちろん大事だったが、薫に足りないのは体力だった。どうしても途中で疲弊する。

 実の父は幼い頃、病がちだったというから、あるいは自分もまた、その腺病質な体質を多少なりと引き継いでいるのかもしれない。

 

 三日目の夜。消えかけの焚き火の前でウトウトしていると、いきなりピリピリとひりつくような空気を感じてハッと目覚めると同時に、パンと乾いた音が響いた。

 銃声だ。

 音のした方を探っていると、またパンと鳴り響く。次いで、「キャーッ」という甲高い悲鳴。

 

 刀を持って、声が聞こえてきた方へと走る。

 クマザサの茂みを突っ切って走ると、いきなり開けた空間に出た。

 そこには既に誰も住む者のなくなった朽ちかけたお堂があった。

 

 破れた障子ごしに、一瞬、拳銃を構える男の影が映っていたが、すぐに闇に消えた。

 お堂へと一歩踏み出したその時に、破れた障子を倒して女が現れる。髪を乱し、腰砕けになって、這って階段を降りてくる。

 暗闇の中で、パン! と、また銃声がしたが、少しくぐもって聞こえた。銃口を何かが塞いだのだろうか。

「うああァァァ!!!!!」

 男の絶叫が聞こえた。

 

 薫が駆け寄ると、女は一瞬、ヒッと固まった。

「大丈夫ですか?」

 薫がなるべく落ち着かせるように、柔らかく声をかけると、

「あ、あ……助けて! 助けて下さい!」

と、女は必死の形相で叫んだ。「ばっ、化け物が! いきなりっ!」

「化け物……?」

 

 説明を聞く前に、『それ』は半分腐っている戸をギギギと開けて出てきた。

 ズルズルと足を持って男を引き摺り、もう片方の手にはおそらく男の腕だろう……モッシャモッシャと食べている。滴る血が足についても、まったく気にしていない。

 

「おぉ……増えてるじゃないか。食べ物が」

 ニイイィと笑むと、醜悪な臭いが辺りに満ちた。

 月が雲から出てきて、地上に光りを落とした。

 

『それ』の姿がくっきりと見える。

 

 紅の瞳、額から伸びた二本の角、涎をたらした口からは血塗られた牙が、唇を裂いて出ている。

 薫の脳裏に、父を貪り食う鬼の姿が浮かんだ。

「…………」

 カアッと、全身が熱で沸騰する。今こそ、自分は鬼を倒せる。倒さねばならない。

 

 柄を固く握りしめ、構える。

 その姿を見て、鬼の顔が引き攣った。

「きィさァまァ……鬼狩りかアァァ?」

「違う」

 鬼を見据えながら、低い声で告げる。「だが、お前は殺す」

 踏み込むと同時に抜刀し、右薙ぎに振るうと、足を持った鬼の腕がボトリと落ちた。

 

 キィィイィィイィィィ!

 

 悲鳴のような耳障りな音が鼓膜を痺れさせる。

 鬼の胸が一文字に切り裂かれてパックリ開いていた。だが、ゆっくりとその傷口は肉が盛り上がり、やがて何の痕も残さず再生された。

 

「ヘヘヘヘ、なんだァ。鬼狩りじゃァねェのかアァ。ハハハハ、だったら怖くねエェ」

 鬼はヘラヘラと笑うと、飛び上がり、薫に襲いかかった。

 さっき切断した腕がいつの間にか再生し、頭を掻き切ろうと爪が伸びる。

 

 薫は後ろへと二回転し、避けた。すぐにまた鬼は飛び上がり、今度は逃げようとしていた女を狙って、手を伸ばす。薫がその手を切り落とすと、またキィィイイと不快な音が鼓膜を引っ掻く。

 

 薫は女の前に立つと、鬼と睨み合いながら、小さな声で呼びかけた。

「後ろへ行って下さい。男の人が生きていたら手当を」

 女がガクガクと震えながらも、倒れた男の傍へと地面を這っていく。

 

 鬼は地面に落ちていた男の腕を掴みとると噛み千切った。

 肉を喰む音がいやらしく響く。

 

 薫はグッと柄を握りしめ、細く長く、息を吸い始めた。

 

 横隔膜を大きく膨らませ、酸素を肺の奥深く、無数の肺胞に取り込む。

 血を湧き立たせ、筋肉を増幅させる。

 周囲の全てを知覚しながら、五感を尖鋭化させる。

 

 鬼が腕を投げ棄てて、再び薫に向かってくると同時に、踏み込んで上段に振りかぶった。

 

 鳥の呼吸 参ノ型 飛燕之鋒(ひえんのほう)

 

 袈裟懸けに振り下ろしたその刀を途中で捻り、切り上げて、鬼の首を掬うように斬る。

 

 キィィヤアァァアァァ!

 

 鬼の断末魔の悲鳴が夜の森に響き渡った。バサバサと鳥が木々の間を逃げ惑う。

 ゴロリ、と地面に転がった鬼の首を、薫は冷たく見据えた。

 紅い瞳は急速に色を失い、黄色く濁っていく。焦げた肉の臭いと共に、その身体は灰燼となって消えていった。

 

 薫は血を払うと刀を鞘に収め、すぐに女と男の方へと駆け寄った。

「コウジさん、コウジさんっ」

 女は男の一つだけになった手を頬に当てながら、何度も何度も呼びかけていた。

 男はもはや虫の息だった。目を開いてはいるが、女の姿が見えているのかはわからない。

 

「お……嬢……」

 掠れた声で呼びかけた。

 女が息をひそめて、じぃっと男を見つめた。

「すい……ま…せ………みせ……た……」

 すべての言葉を言い終える前に、男は事切れた。

 

 女はしばらく呆然として、死体となった男を見つめていた。やがてポロポロと涙がこぼれ、手の中に包んでいた男の冷たくなっていく手をギュッと握りしめた。

 

 薫は忸怩たる思いで黙祷した。

 このお堂の存在はすでに昨日の段階で知っていた。その時には人はおらず、特に気にもせず通り過ぎたのだ。

 もし、あの時にお堂の中をよく調べていたら? 

 

 この鬼はここを根城にして、時折訪れる旅人や、休憩に訪れた猟師などを食料としていたのかもしれない。確証はないが、外から扉を破って入ってきた形跡がない以上、鬼が中で人が来るのを待ち構えていたと考えた方がよさそうだ。

 

 目の前には片腕となった男の死体がある。

 自分が昨日の内に鬼を殺していれば、この人は死なずに済んだのに……。

 

 ピィと短く口笛を鳴らすと、鴉が舞い降りてくる。東洋一の鎹鴉。念の為に連れて行くように言われていた。

 懐から矢立と紙を取り出し、鬼に遭遇したこと、死傷者が出たことを記して、鴉に手紙を託した。

 

 これで東洋一の方で何かと手配してくれるだろう。薫が両親を失った時に、知らぬ間に処理してくれた『隠』と呼ばれる部隊が来るに違いない。

 それまでの間、できればお堂の中で寒さを凌いだ方が良いのだろうが、女が男の傍から離れるわけもない。

 

 薫は枝を拾い集めて、焚き火をした。パチパチと木の爆ぜる音が、シンとした森の夜に響く。

「……どうすればいいんでしょう?」

 不意に女はつぶやいた。

 薫に言っているのか、それとも自分自身に問うているのか。呆と見つめる視線の先は闇で、何も映っていない。

 

「どうして、ここに?」

 薫が問いかけると、女はポツリポツリと経緯を話し始めた。

 

 彼らは親に結婚を反対されて駆け落ちしたのだという。男の郷里で、慎ましやかな、幸せな生活を送ることを夢見ていた。

 夜半に疲れてあのお堂で一休みしたところを、鬼が現れ、男は隠し持っていたピストルで鬼を撃ったが、まったく歯が立たず、あっという間に腕をもぎ切られた。

 恐怖に固まる女を、男は蹴って外へと逃してくれたらしい。

 

 薫は黙って女の話すに任せながらも、駆け落ちしたという彼らに対して反射的に苦い思いが湧いた。

 自分の実の父母もまた、駆け落ちし、その間に自分は生まれた。だが、物心つく前に父は亡くなり、母は幼い記憶の中でいつも寂しそうで苦しそうで、幸せには見えなかった。

 

 自分達の熱情だけで将来(さき)を急ぎ、誰にも祝福されぬ結婚など、いつか潰えるものでなかろうか…?

 それでも二人でいたいと願う、その狂ったような互いへの信奉が薫には怖かった。

 まるで波濤に呑まれるかのような、あるいは底なし沼に沈みゆくような、覚束ない、得体の知れぬ心境だ。

 

 最後に彼女は抑揚のない声で言った。

「私には許婚者(いいなずけ)がいるんです。このまま帰れば、私はきっとあの男と結婚させられるのでしょう……」

 空虚な目で見つめる先には、絶望しかないようだった。

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

 夜が明けると隠の人々がやって来て、女を保護した。

 男の死体はその場に埋められ、女は近くに咲いていた野菊を供えて手を合わすと、隠と共に去って行った。

 

 このまま実家に帰るしか、彼女に選択肢はなかった。

 悄然と、何の希望も見いだせず歩く彼女の横顔を見て、薫はとても命を救ったのだと喜ぶ気にはなれなかった。

 

 家に帰り、意に染まぬ結婚を強いられて………。

 

 その気持ちはかつて自分も経験していたことだ。自分は嫌と言うこともできず、気を失うまで自らの気持ちに気付くこともできなかった。それでももし、養父母が生きていれば、おそらく望まれるままに結婚していただろう。

 

 ―――――母のようには……なりたくない。

 

 自分には関係のない他人の事なのに、ひどく重苦しい気分がいつまでも付き纏った。

 

 

 

<つづく>

 

 

 

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