【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
「……まさか、
その声音はあきれているようにも、感心しているようにもとれた。
「とうとう、行くしかなくなったなぁ。お前さんを、行かせたくはなかったんだが……」
「なにを
「まぁ、そうなんだが。いよいよもって、確定したな、と」
東洋一は少し残念そうに言って、酒を
「今回はたまたま鬼を殺すことはできましたが、藤襲山でも同じように行くとは限りません。一度くらいの成功でほだされることのないよう、気を引き締めて参ります」
「やれやれ。そういうことは普通、師匠が弟子に言うんだぞ。お前さんに言われたら、
薫は微笑んで、東洋一の
「これで最終選別を突破して、鬼殺隊の一員になれたら、
相変わらず、実弥から薫の破門要求の手紙は続いていた。
「私に……会いたくないのでしょうね」
薫はがポツリとつぶやくと、東洋一はポリポリと頭を掻いた。
「会いたくないというのとは、ちと違う気もするが……まぁ、要するにあやつの覚悟が定まっておらんだけのことだろう」
「覚悟? って……なんですか?」
「なんですか………か」
東洋一は独りごちて、酒を一舐めすると、まじまじと薫を見つめた。
匡近の言葉が正しいのだとして、薫にその気があった場合、考えねばならないのだろうか。……あまり考えたくないが。
「ありていに聞くが……薫、お前さん、実弥の事はどう思っとるんだ?」
「はい?」
「男として見とるんか?」
「え? なんですか、それ」
東洋一は「なるほど」とつぶやいて、またグビリと酒を呷る。
この一年で随分と大人びた ―― とはいえ、まだまだ十五の子供。
実弥に対し好意は持っているだろうが、それがどういう種類のものなのかは、おそらく本人すらもわかってはいないのだろう。
まして唐変木の東洋一に女心などわかろうはずもない。
実弥の方の気持ちは同じ男として、ある程度推量できるとしても、それすらも決めつけることはできない。あるいは以前に薫の言っていたように、妹の友達というなんとも中途半端な存在の範疇でしかないのかもしれない。
長い吐息をつくと、東洋一は銚子に残った最後の一滴を仰いだ。
「頂戴しますね」
薫は空になった銚子を引き取って、台所へと持って行く。これで本日の酒は終わりということだ。
「あーあーあー」
大声で不満を吐き出すと、天井を仰ぐ。
「まー、とにかくお前らのことはお前らでやってくれ。儂ゃ、そういう事は苦手なんだ」
薫はきょとんとしながら、「はぁ」と一応、返事だけした。
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その夜。東洋一は初めて、実弥に対して手紙を書いた。
それは、薫に最終選別へ向かうことを許可したこと、破門はしないことを再度告げたものだった。
その上で、以前に言ったことを繰り返す。
『どうしても薫が鬼殺隊に入ることを許さないというのであれば、
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仏頂面で実弥が訪れたのは、薫が最終選別に向かおうという前日のことだった。
挨拶もなく家に上がりこんで、東洋一を見つけると、睨みつけてくる。
「なんじゃ、その目」
東洋一は梅昆布茶を飲みながら、肩をすくめ、薫の不在を告げた。
「薫なら、今は出掛けとるぞ。藤森の家に、
「……最終選別に行かせる気かァ?」
「そりゃ、そうだろう。あの修羅場を潜り抜けねば、鬼殺隊に入れん」
ワナワナと実弥の唇が震え、殴りかからんばかりの勢いで怒鳴った。
「止めろよ!」
「阿呆。儂は育手ぞ。手塩にかけて育てた弟子を鬼殺隊士にするのが仕事だ」
「ジジィ」
実弥はとうとう東洋一の襟首に掴みかかった。
「わかってんのかァ? あそこには鬼がうじゃうじゃいやがるんだ。俺の時は二十人近くが入って、残ったのは俺を含めて三人だけだ! どんな強いヤツでも、七日間生き残れる保証はねぇんだぞ」
「ンなことは、とうの昔に何度も言うとるわ」
「死んでもいいのか!?」
その叫びは、悲鳴のようにも聞こえた。
東洋一は自分の襟首をつかむ傷だらけの腕に手をかけ、なだめるように言う。
「それは、お前が自分自身の胸に手を当てて、聞け」
実弥は虚を衝かれたように固まった。
「……お前が、あの子にちゃんと伝えにゃならんだろう。どうしてそこまで反対するのか。 ――― お前自身は、わかっとるのか? 実弥」
いつになく真面目くさった表情で問いかける東洋一に、実弥は視線を逸らせた。
東洋一の眉間に皺が寄る。
「お前の覚悟がないくせに、やめろやめろとだけ言って、言うことを聞くと思うのか? 今のお前に薫を止める資格なぞないぞ。儂を利用するな。お前自身の言葉で説得できる自信がないのなら、とっとと立ち去れ。薫の邪魔をするな」
「…………」
実弥は静かに立ち上がると、無言のままに去っていく。
程なくして戻ってきた薫が東洋一に尋ねた。
「あの、もしかして実弥さんが来てました?」
「んん? 会ったか?」
「いえ。後ろ姿だけ見えて、似てるなぁと思って声をかけたんですけど、そのまま行ってしまわれて」
「……そうか」
―――― 逃げよって…。
東洋一は心の中で舌打ちしたが、薫にはいつもの飄々とした態度で、加寿江のことや藤森家の様子などを尋ねた。
「それはもうすごい食べっぷりで。二人分食べなきゃいけないって言ってましたけど、あれじゃあ三人分は食べてるんじゃないかと思うくらい。でも、元気そうでよかったです。加寿江さんは恥ずかしがりだから、悪態ついてましたけど、話を聞く限りはとてもやさしい旦那様みたいで」
「そうかそうか。あのじゃじゃ馬がなぁ……」
東洋一は煙草に火を点けながら、幼い頃の加寿江の姿を思い起こし、クックッと笑った。
そんな東洋一に、薫は異議を唱える。
「先生はいつもそうおっしゃいますけど、元から加寿江さんは女の子らしい人ですよ、とっても」
「女の子が太腿さらして相撲はせんじゃろ」
「それはまぁ……。でも、そういうところじゃなくて。かわいい人なんです、本当は。かわいい、っていうところを他人に見られるのが恥ずかしいって思うくらい、恥ずかしがり屋の可愛い人なんですよ」
「ほぅん……」
東洋一にはよくわからない。軽く首を振って、冷めた梅昆布茶をすすった。
それにしても、人というのは他人の事はよく見えるものらしい。
加寿江のその
それとも ――― 知りたくないのか?
自分を振り返れば、思い当たる節がなくもない。
東洋一は口の端を歪めた。
実弥にああは言ったものの、己も大して違いはないのだ。
「先生?」
「いや。さっき実弥がそれこそ来てたんだがな。怒らせてもうたわ」
「まぁ……また、破門しろーですか?」
もう、慣れっこになってしまって、薫はクスクス笑った。「本当に、懲りないですねぇ」
「また、帰ってくるかもしれんから、部屋の用意だけしとってくれ」
「わかりました」
薫は頷くと、押入れの布団を干し、昼食を作り始めた。
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実弥が来ているとなれば、おはぎを作らねばならない。ということで、薫は食料庫に小豆を取りに行ったのだが、もう底が見えるほどしかない。
「先生、すいません。ちょっと里乃さんのお店に行って来ます」
東洋一に声をかけて出掛けた薫は、里乃の店に出向いたが、店は閉まっていた。
ここ数ヶ月の間に、里乃はちょくちょく体調を崩すようになった。
医者に行っても原因はわからず、
最近ではとうとう惣菜を売ることもなくなり、
薫はすぐに脇道の勝手口から入り、濡れ縁から声をかけた。
「里乃さん、大丈夫ですか?」
中で衣擦れの音がして、しばらくすると、
「あら、お嬢さん。いらっしゃい。ごめんなさいね、何かご入用だった?」
「ごめんなさい。寝ていたのに」
「いいのよ。寝るのに飽きたところで……久しぶりに森鴎外なんて読んでいたわ。それで? 何か御用?」
「あ、あの…小豆をもらえないかと思って」
「小豆は、あったと思うわ。悪いけど、お店の方にあるから、好きなだけ持ってって」
「すいません。じゃあ、失礼します」
薫は縁側から入って、店の土間へと降りると、勝手知ったる様子で小豆の置いてある棚から、小さな麻袋に入った小豆を一袋貰っていった。
「今日は、何かお祝い?」
里乃が少し枯れた声で尋ねてくる。
「いえ、その……実弥さんが来ているみたいなので、一応、おはぎを作っておこうかと思って」
「なぁに、その『来てるみたい』とか、『一応』とか」
「先生が言うには、さっき、来てはいたらしいんです。ただ、私が帰ってくるのとすれ違いに出て行かれてしまって……。荷物とかもないし、もしかするとそのまま任務に向かわれたかもしれないんですけど」
「ふぅん。なにかしらね? まぁ、お嬢さんがおはぎを作ったら、匂いにつられて帰ってくるんじゃない?」
「里乃さんってば。犬か何かみたいに……」
薫はクスクス笑いつつ、さりげなく少し雑然となった部屋の中を片付けた。
店もそうだが、いつも整理整頓して小綺麗にしている人がここまで部屋を散らかすのは、よほどに体調が良くないのだろうと思う。
「さっき、帰ってくるのとすれ違って、とか言ってたけど……どこかに行っていたの?」
「あ。藤森家に。加寿江さんが、お産で里帰りしていて」
「えぇ!?」
里乃は思わず大声を上げ、ゴホゴホと
「大丈夫ですか?」
背中をさすりながら、薫はハッとなった。
以前は見るからにふっくらとしていた背中の肉が、ほとんどない。
「まぁ、あのカズちゃんがねぇ……お母さんになるなんて」
「そうなんです。二人前どころか三人前くらい食べてて、前も大きかったけど、今はまたもう一回り大きくなっちゃってて」
「アハハハハ。面白いわねぇ。そっかぁ……カズちゃんが母親かぁ……」
里乃はしみじみと言い、ふぅ、と吐息をついた。
「私はとうとう産まずじまいだったわ。独り身でも、それなりに楽しかったけど……」
寂しげな顔が逆光を受けて、暗く翳った。
薫はそれまで里乃と東洋一の関係についてあまり深く考えたことはない。
二人の馴れ初めも、どうして結婚しないのかも知らなかった。
面白半分に聞くようなことでもないと思ったし、里乃はともかく、東洋一がその手の話を語ってくれるとも思えなかった。
「先生には置屋からも揚げてもらって、料理の勉強もさせてもらって……。お世話になってばかりだったから、我儘なんて言っちゃあ贅沢だと思っていたんだけど…………」
「里乃さん?」
「……ちょっとくらいは、望みを言ってもよかったのかもね」
言いながら、里乃は薫の乱れた前髪を撫でて、直した。
「お嬢さん、あなた、もし好きな人ができたら、ちゃんと伝えなさいよ」
「え?」
「いない? そろそろ、そんな年頃でしょう?」
薫は軽く首を振った。
「そんなの、考えていられないですから。今は」
「そっか」
「………じゃあ、私、これで失礼します。ちゃんとお
「はぁい」
里乃のおどけた返事を聞いて、薫は頭を下げると、出て行った。
きれいに手入れしていた紅葉の前栽が、枯れてしまっていた。もう、水を遣ることも億劫なのだろうか。
薫はキュッと唇を引き結ぶと、小走りに東洋一の待つ家へと帰って行った。
<つづく>