【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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▼今回、若干性的な描写がありますので、苦手な方はご遠慮願います。



第八章 前夜(二)

 帰ってくるなり、薫は東洋一(とよいち)に願い出た。

 

「先生、すいませんが、里乃さんのところに行ってもらえませんか?」

「あぁ? なんだ急に」

「今日、ちょっと具合が悪いみたいなんです。いつもより」

「…………」

 

 東洋一は考え込む。「医者を呼んだ方がいいか?」

 薫は頭を振った。

 

「いえ。それはしなくていいです」

 

 少し強い口調で言われ、東洋一はきょとんとなる。

 

「どうした?」

 

 薫は顔を俯けた。しばらく黙り込んでいたが、

 

「………病気になると、不安になるから。誰かに側にいてもらうだけでいいんです」

 

 小さな声だったが、響きは切実だった。

 里乃の身に何かが起きたのかと、一瞬身構えた東洋一だったが、そういう訳でもないらしい。

 

「しかし、明日にはお前さん出立だし……。隠された酒の場所も教えておいてもらわんと」

 

 冗談めいたことを言ったのは、その場の重い空気が東洋一には苦手だったからだ。

 しかし、薫はぴしゃりと遮る。

 

「そういうことは、もう既に書いて置いてあります。それに、どうせ藤襲山(ふじがさねやま)に行くためには汽車に乗らなければいけませんから、町に行きますし……その時に顔を見せに寄りますよ。ちゃんとご挨拶してから行きますから。里乃さんにも、切火を打ってもらいたいし」

「ム。そうか」

 

 東洋一は立ち上がると、着替えをしてから一服だけ煙草を吸った。

 薫はその間に手早く握り飯を作り、昨夜の晩ごはんの残りのきんぴらと煮豆などを詰め、東洋一に持たせた。

 

「向こうで食べてください。里乃さんが具合がよろしいようでしたら、分けてあげて下さいね」

「へぃへぃ。お前さんも、はよ寝ろよ。向こうじゃしばらくは、夜は寝れんぞ」

「わかりました」

 

 薫は東洋一を見送ると、家に戻り、台所に置いた小豆の麻袋の前で思案した。

 明日にゆっくり作っている暇はない。

 結局、実弥が来るのかどうかはわからなかったが、作っておいてもおそらく無駄にはならないだろう。

 襷掛けして、薫は小豆を洗い始めた。

 ジャッジャッと小気味いい音をたてて洗いつつ、薫の顔は暗かった。

 脳裏には、病を患い弱っていく母の姿があった。気を失ったかのような眠りから目覚めた時、いつも縋るように薫の手を握ってきた……。

 

 

  ―――― ごめんねぇ。ごめんねぇ……薫……

 

 

 病に罹ると、たとえ風邪程度であっても人間はどこか気弱になるものである。

 しかも里乃の病状は明らかに死を予感させるものだった。

 今までは一人で気丈に過ごしていたが、もう薫も選抜に向かうのだから、東洋一にはたとえわずかの間でも、そばについていてもらいたかった。

 考えていると涙が出そうになる。

 薫は無心になった。

 小豆を湯がき、お湯を捨て、差し水をしながら煮て、アクをとり、炊き上げて、砂糖を加え、柔らかくなった小豆を木べらで練って、練り上げて………。

 

----------

 

 ようやくおはぎが出来上がった頃には、日が山の端に沈みかけていた。

 実弥は来そうにない。

 薫は縁側に座り、茜色の夕景の中、飛んでいく雁の群れをぼんやりと見ながら、おはぎを食べた。

 一口食べると、甘い小豆の匂いが、昔を思い起こさせる。

 

 

  ―――― 薫子さんのおはぎは、とってもおいしいわね……

 

 

 母の顔が浮かんだ。

 おはぎが大好きで、彼岸になると、父が「見ていて胸焼けがするよ」と、閉口するくらい食べていた。

 普段はそんなに大食漢でもないのに、おはぎだけ、しかも彼岸の時のおはぎだけは、なぜかものすごく食べてしまうのだと笑っていた。

 

 

 ―――― きっと、ご先祖様の誰か、おはぎ好きの人が私に降りてくるのですよ……

 

 

 そんな冗談を言っていたのを思い出す。

 懐かしい思い出。

 温かく、柔らかな、穏やかな日差しの中にいる頃の記憶。

 もう一口食べると、今度は実弥の姿が浮かぶ。 

 

 

 ―――― 薫……

 

 

 あの日。

 雪が舞う中で、実弥が初めて名前を呼んでくれた。

 驚いて振り返ると、

 

 

 ―――― おはぎ、うまかった。ありがとな……

 

 

 満面の笑みで手を振ってくれていた。

 あんなにやさしい笑顔を浮かべていた人が、どうしてああまで人相が変わってしまったのだろうか……。

 それを考えた時、実弥の途方もない苦しさと哀しみを感じて、しつこく薫の破門を要求していることを知っても、どうしても憎む気になれなかった。

 今はとにかく、最終選別を通って、鬼殺の剣士になるしかない。

 そうして強くなれば、きっと実弥もいつかは認めてくれるだろう。一緒に任務にあたることもあるかもしれない。そうすれば、自分にでも実弥を守る……のは、無理だとしても、補助できることはあるだろう。

 そう考えると、楽しみだった。

 最後の一口を放り込むと、薫は立ち上がった。

 明日の用意をしなければならない。

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 色々な準備 ―― それは主に自分のためというより、当分この家を留守にすることで、東洋一に言伝(ことづて)しておく必要のある事を書き留めたり、片付けたりしていたのだが ―― を終えて一段落ついた頃には、すっかり夜も更けていた。

 父の形見の懐中時計を見る。夜の十一時を過ぎていた。

 随分と手間取ってしまったようだ。

 最後に自分の持ち物の確認をしようかと、鞄を開けて見ていると、ギシギシと廊下を歩く音が近付いてくる。

 一瞬身構えたが、現れた人影を見て、薫はホッとしたように笑った。

 

「帰ってらしたんですか。さね……不死川(しなずがわ)さん」

 

 実弥はどこかぼんやりとしていたが、薫に気付くと、途端に視線を逸らせた。

 

「……ジジィは寝たのか?」

 

 視線をあらぬ方へと向けたまま、不機嫌そうに問うてくる。

 

「あ。先生なら、今日は里乃さんのところに行きました」

「……あぁ?」

「里乃さん、具合が悪いんです。心細そうなので、先生についててもらった方がいいと思って」

「…………」

 

 実弥は返事せず、ムッとした表情のままこちらへと向き直った。薫が手にしていた鞄を見て、ますます眉間を険しくする。

 

「それ、なんだ?」

「明日には最終選別に向かうので、用意していたところです。あ、おはぎ作ってますよ。食べられますか?」

 

 立ち上がって台所へ向かおうとすると、背後に気配が迫った。

 反射的に向き直って構えをとろうした薫に、実弥は即座に呼応して動きを封じてくる。左腕は背中へと曲げた状態で抑え込まれ、右腕も掴まれた。

 

「なに……を」

 

 問いかける声が上ずった。そのまま壁に押し付けられる。

 

「行くな」

 

 低い声で実弥が言った。息にかすかに酒の匂いが混じっている。

 

「……実弥さん、酔っているんですか?」

 

 薫は驚いて尋ねた。

 匡近(まさちか)からは実弥は酒が苦手だと聞いていたからだ。へべれけという訳ではなさそうだが、多少は酔っているのだろう。

 

「……ぅるせぇ。行くなっつってんだ」

「行きます」

「いい加減にしろ。これ以上フザけたこと抜かすなら、腕を折るぞ」

 

 はったりではない。ドスのきいた声で言いながら、ギリギリと左腕を()じ上げてくる。

 薫は実弥を睨みつけた。

 

「……どうぞ」

 

 冷たく言い放つ。「腕を折られようが、目を潰されようが、行きますから」

 

 求めた答えを得られず、実弥がギリ、と歯軋りする。

 薫はゴクリと唾を飲み下すと、あえて呆れ混じりに、少しばかりなだめるように言った。

 

「酔ってらっしゃるなら、あちらの部屋に寝床はご用意していますから、おやすみになって下さい。それとも水が必要ですか?」

 

 思わず早口になってしまったのは、実のところ動揺しているからだった。

 壁と実弥に挟まれて、上から実弥の息遣いを間近に感じると、勝手に顔が火照ってくる。じっと自分を見つめる瞳の熱まで伝わってくるかに思えて、妙に胸がドキドキしてくる。

 薫はじっとりとした沈黙に耐えられず、必死で実弥に訴えた。

 

「……実弥さんだって、同じでしょう? 例え自分の身が危険にさらされるとしても、どうしても許せないから、鬼殺隊に入ることを決めたのでしょう? あなたに理解できなくとも、私には私の理由があって選んだ道です。止める権利はありません」

 

 言いながら息が苦しくなってくる。

 実弥がより体を押し付けてきて、胸が圧迫される。

 右腕はきつく掴まれ、左腕は痺れて感覚がなくなってきている。

 

「…ぅるせぇ」

 

 低く唸るような声だった。

 一瞬、ヒヤリとした恐怖を感じたと同時に口を塞がれていた。

 なにが起こったのかわからず、頭が真っ白になる。

 実弥に接吻されているのだと理解した途端、体中に奇妙な痺れがはしった。

 頭を振り、強引なその口づけを逃れる。

 けれど薫の体を掴む実弥の腕はビクともしない。

 

「……離してください」

 

 薫はどうにか冷静さを保って言ったが、それでも声は震えていた。情けないほどに。

 その時、ふっと部屋の明かりが消えた。

 ぬりこめられた闇の中、実弥の表情は見えない。

 秋の夜風は冷たく、ただ金木犀の香りが、ひかりを纏うかのように漂う。

 

 薫はじっとりと汗をかき、恐怖に耐えていた。

 それは鬼へのものとも違い、兄弟子達に襲われたときに感じたものでもない。

 自らの(うち)からせり出してこようとする、本能的なものへの違和感。

 沈黙の中、自分の呼吸に混じって聞こえてくる実弥の息遣いに、妖しげな胸苦しさを覚える。

 

  ―――― ……怖い。

 

 自分の中で何かが叫びだしている気がする。

 今まで封印してきたもの。

 見たくない。気付きたくない。知りたくない……。

 

 薫の戸惑いを吸い取るように、再び実弥が口を重ねてくる。

 ドクドクと脈打つ鼓動が近くにも遠くも聞こえ、頭の奥がボウッと甘く痺れる。

 

「……う……う……」

 

 体から力が抜け、ズルズルと壁をつたってくずおれてゆく。

 目の前が歪み、ゾクゾクとする寒気と共に体に奇妙な陶酔が走る。

 抵抗しなければと、頭の奥でわかっているのに、手も足も動かせない。

 

「………」 

 

 やめて、と叫ぼうして、喉の奥が痙攣したかのように言葉が出なかった。

 目が闇になれてくると、今まで見たこともない実弥の熱い瞳が間近に迫る。

 荒い息遣いが、強く吹いてきた夜風に混じる。

 それが実弥のものなのか、自分のものなのかすら、だんだんとわからなくなってくる。

 長い接吻をしながら、胸を揉みしだかれ、うつろになっていく。

 耳朶を噛まれ、鈍い痛みにすら陶然とする。

 

  ―――― 怖い……。

 

 さめた意識は怯えている。

 実弥にではない。自分に、だ。

 怖さに震えながら、助けを乞うように、実弥の手に手をからませる。

 

  ―――― 怖い……。

 

 自分は、何をしている?

 涙で目を潤ませながら、実弥の頬に手を伸ばし、再び口づけを交わす。

 まるで自分が遠くにいる気がする。

 こんなことを望んではいけないのに。彼も、望んではいないだろうに。

 

  ―――― 怖い……。

 

 噎せ返るような金木犀の匂い。

 

 ……………この夜は、狂っている。自分も、彼も。

 

 

  ―――― お願い………。

 

 

 かすかに残る意識が叫ぶ。

 

 

  ―――― 私は私であると、信じさせて。これは、夢なのだと。朝になれば消える…………この痛みとともに。

 

 

 

<つづく>

 

 

 





※2025/04/23修正済。
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