【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第九章 出発(一)

 前を狐が歩いていた。

 

 いや、より正確に言うならば、狐の面を後頭部につけて、歩いている女の子がいる。

 汽車を降りてから、辻ごとに待ち構える鴉の案内で、藤襲山(ふじかさねやま)に向かっている途中、自分の前をずっとその女の子が歩いていることに気付いた。

 

 この子もまた、最終選別へと向かっているのだろうか?

 後ろを歩きながら、ずっと狐の面と目が合っていて、なんだか気まずいような、端から見れば、面白いような。

 

 薫の視線に気がついたのか、不意に女の子が振り返った。

 自分よりも年下だろうか?

 まだあどけなさの残る顔つきをしていたが、思慮深そうな瞳は落ち着いた印象を与える。

 薫と目が合うと、にっこりと笑った。

 

「あなたも、藤襲山に向かっているの?」

 

 問いかけられ、薫はホッとなって彼女の近くに走り寄った。

 

「えぇ。あなたも?」

「そう。ようやく、行っていいってお許しが出たから」

「私も」

 

 二人で笑みを重ねたのは、双方ともにそれまでの修行を思い起こしたからだろう。

 ………ここにたどり着くまで、長かった。

 

「私は、森野辺薫(もりのべかおる)っていいます。あなたは?」

「私は真菰(まこも)。水の呼吸を使ってるの。あなたは?」

「私は……一応、育手は風の呼吸なんだけど、風の呼吸じゃないのを使ってる」

 

 真菰は目を丸くした。

 

「風の呼吸じゃないのって?」

「えぇと……その、鳥の呼吸っていうんだけど」

 

 言いながら、薫は少しばかり恥ずかしかった。

 東洋一(とよいち)に名付けられたとはいえ、勝手にそう呼称しているだけで、人に教えるほどのものでもない。

 しかし真菰は「すごーい」と素直に感嘆した。

 

「自分で呼吸を作るなんて、すごいじゃない」

「いや……ただ、風の呼吸がちゃんと使えなかっただけで」

「自分で自分の欠点を理解するのは大事よ。呼吸にこだわって、強くなれなければ意味がないんだもの」

 

 真菰は穏やかに言いながら、伸ばした指を口に当てた。

 

「私はそんなの考えたことなかったなぁ」

「それは、真菰さんに水の呼吸が合っているからよ。私は風の呼吸を習得はできても、使いこなすまでには至らなかった。先生に無理言って入門させてもらったのに、申し訳ないくらいで……」

 

 薫は東洋一の顔を思い出す。

 最初に断られ続け、それでも門前に居続けて、どうにか弟子にさせてもらった。きっと東洋一には不本意だったろう。薫を見て、既に風の呼吸の素養がないことはわかっていたのだろうから。それでも、最終選別まで自分を見捨てることなく育ててくれた。

 養父母が亡くなって、生きる希望を失っていた薫がここまで来れたのは、東洋一のお陰だ。

 厳しさと、途方もない優しさで見守ってくれた恩人。

 だからこそ、必ず生きて戻る。東洋一があの墓の前で薫の姿を思い浮かべて、手を合わすことのないように。

 真菰は言葉が途切れた薫を見て、ふっと笑った。

 

「いいお師匠様なのね」

「ええ、とても」

 

 薫が満面の笑みを浮かべると、真菰も笑った。

 

「わたしも、一緒。孤児だった私を引き取ってくれて、育ててくれた。私、鱗滝(うろこだき)さんが大好き。だから、きっとお師匠様のところに帰るの。 ―― たとえ、命を失っても」

「それは駄目」

 

 薫は即座に否定した。

 

「生きて帰るの。必ず、生きて帰らなくてはいけないわ」

 

 そうだ。

 自分にどれほどの強さがあるのかはわからない。

 だからせめてその執念だけは、誰よりも強く持っておかなければ……と思う。

 

 真菰は目を丸くして、じっと薫を見た。

 

「……なに?」

 

 薫は戸惑ったが、真菰は一拍おいて、ニコリと笑った。

 

「うん。やっぱり、あなた強そう」

「……ありがとう」

 

 謙遜したかったが、真菰が言うのを否定するのも違う気がしたので、とりあえず礼を言うと、再び歩き出した。

 

「あの、一つ聞いてもいい?」

 

 薫が言うと、真菰はにこっと笑って、

 

「このお面のこと?」

 

と、頭に乗せていたお面を取った。

 左の頬から口の辺りに、花が二つ彫り込まれている。

 

「これは、厄除の面。お師匠様が彫ってくれたの」

 

 真菰は言いながら、うれしそうにそのお面を撫でた。

 

「かわいいお面ね」

 

 薫は真菰の師匠がどんな思いで、この狐の面を彫ったかを考えた。

 きっと、帰ってくることを願っているのだろう。

 彼女もまた、それはわかっているはずだ。さっきのはただの言葉のアヤだろう。本気になって否定した自分が少し恥ずかしくなった。

 

 その後も互いの育手のことや、呼吸の話などをしながら、最終選別という、いわば戦場を前に、意外に楽しく道中を進んでいく。

 薫には有難かった。

 一人きりで黙々と歩いていたら、昨日のことが否が応にも思い出されてくるから。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

 藤襲山にたどり着くと、既に三十人近くが藤の花の下でうろうろと待ち構えていた。

 ぽーん、と鼓の音が響く。

 つややかな白髪のおかっぱ頭に、牡丹柄の着物をきた可愛らしい童女が二人、鳥居の中から現れた。

 

「みなさま。今宵は最終選別にお集まりくださって、ありがとうございます。この藤襲山には鬼殺の剣士様方が生け捕りにした鬼が閉じ込めてあり、外に出ることはできません」

 

 童女の一人が鈴を鳴らすような声で話す。

 隣にいたもう一人が同じ声で続ける。

 

「山の麓から中腹にかけて、鬼共の嫌う藤の花が一年中狂い咲いているからでございます」

「しかしここから先には藤の花は咲いておりませんから、鬼共がおります。この中で七日間生き抜く……」

「それが最終選別の合格条件でございます。では、行ってらっしゃいませ」

 

 童女達は二つに分かれ、鳥居の先の道を空ける。

 藤の花を背にして、やってきた者達は前方に広がる闇を見据えた。

 物言わず、ダッと最初に一人が闇の中へと駆け入って行く。皆、続いていく。誰も口を聞かなかった。

 薫もまた真菰と一緒に駆け始めたが、途中の三叉路で二手に別れた。お互いに目配せし、「七日後に」と心の中で叫ぶ。

 

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 五町も走っただろうか、ふと気配を感じて薫は止まった。

 しばらく辺りの様子を探っていると、上から鬼の手が伸びてきた。ヒラリと後ろに宙返りして躱しながら、刀を振る。ギャッと鬼が喚いた。伸びた鬼の腕を切っていた。

 

「いてぇ……いてぇよぉ。いてぇじゃねぇかよぉ。ひどいやつだ。ひどいやつだぁ」

 

 痛い痛いと言う割には、のんびりとした口調だ。どうせ再生するだろうとわかっているからこそ、余裕なのだろう。

 身長は薫よりも少し大きいくらい。まだ人間であった頃の面影が残っているが、額から飛び出す一本の角と、腫れぼったい紅の瞳は、紛れもなく鬼だった。

 月明かりに照らされ、薫の顔を確認すると、鬼はニタアァと笑った。

 

「ケヒッ、ケヒッ! かーわいいーな。かーわいい女だ。女はウマい。女はウマいんだー」

下衆(ゲス)が……」

 

 薫は低い声で吐き出すと、鬼に向かって走り出す。

 鬼が斬られていない手を伸ばしてくる。それを一刀両断すると、グッと地面に足を踏みしめ、低い態勢になって構える。

 鬼が再生した手を伸ばそうとした時には、薫の姿はもうその眼前から消えていた。

 

 鳥の呼吸 壱ノ型 鷹隼空斬(ようしゅんくうざん)

 

 鬼が薫の姿を探す暇もなく、上空からの斬撃。

 深く踏み込む動作から、上へと舞い上がり、くるくると回転しながら落ちていくことで、重力による加速と、通常に刀を振るうよりも数倍の重さを加えることができる。

 

 ぱっくりと口を開けたまま、鬼の首が転がった。

 ふぅ、とため息をついたのもつかの間、再び別の鬼が前方から向かってくる。

 

 薫は刀を握りしめ直し、構えた。

 奥歯を噛み締め、呼吸を整える。

 

 不意に、口元に不敵なまでの微笑が浮かんだ。

 自分でもわかる。気分が昂揚している。

 

 あの時、父と母、それに使用人達をなすすべもなく殺された。

 あの鬼を倒すことはできない。今、向かってくる鬼を倒すことで復讐とはならない。

 こいつらを(ほふ)ることは、『あのとき、何も出来なかった自分』を励ますことだ。

 無力だった己に、生きていく意味を見せるためだ。

 

「ぎぇぇぇっ!!!!」

 

 トカゲのような舌を持った鬼の攻撃をすべて躱し、隙を見せた瞬間に斬撃を叩き込む。

 コロリと落ちては塵と消える首。

 確実に死んだことを見届けると、薫は闇へと分け入っていく。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

 藤襲山での最初の夜が明けると、薫は影ができない平坦な場所を見つけて、そこで一時の休息をとった。

 日のある間は鬼達も動きようもなく、ただ影にじっと身を潜めているだろう。

 

 昨晩は結局、三体の鬼と対峙したが、どれもさほどに手こずるものはなかった。

 だからといって油断すれば、すぐこちらが殺られるだろう。東洋一にも言ったように、決して油断せず気を許さず、七日間を乗り切らねばならない。

 

 さすがに疲れた。小さな岩に頭をのせて、目をつむる。

 二日連続でほとんど寝ておらず、すぐに眠気が襲ってきた。

 

 鴉のけたたましい鳴き声で目を覚ますと、岩の上に握り飯が二つ入った包みが置いてあった。

 寝ている間に、誰かが置いていってくれたようだ。

 東洋一の話では『隠』の人達が、昼の間に配っていってくれるらしい。

 起こさずにいてくれたのか、起こされたが起きなかったのかわからないが、ずいぶんと眠り込んでしまったものだ。

 だが、お陰で頭がスッキリした。

 

 七日間というのは、過ぎればそうたいした期間でもないのだろうが、ここで生き残りをかけた(ふるい)にかけられているとなると、随分と長い。

 何の方策もなしに動き回って生き残れるほどに、甘くはないだろう。

 

 握り飯を食べ終えると、薫は辺りを見て回った。

 山といっても、大小様々あるが、ここは東洋一の元で修行していた時に、頻繁に出入りしていた山よりは格段に広い。

 生け捕りされた鬼の総数はわからないが、点在している鬼を探し回って、無駄に体力を減らしても仕方ない。それよりもおびき寄せて殺した方が効率はいいだろう。

 

 薫は木の枝を集めていき、食べられそうな木の実を見つけてはもいで食べた。

 満腹にする必要はないが、腹が減っては戦はできぬ、という古来からの(ことわざ)の通り、食べなければ力は出ない。

 

 陰に注意しながら歩き回って、岩の間から水が溢れでる水場も見つけ、飲料水も確保する。

 周到に準備しながら、日が沈むのを待った。

 辺りに闇が満ちてくると、薫は焚き火をして鬼の襲来に備えた。

 

 近付いてくる鬼は焚き火をして待ち構えている薫を、まるで飛んで火に入る夏の虫のごとく、と嘲笑ったが、たいがい次の瞬間には首を落とされていた。

 

 鬼を屠る度に薫は昂揚し、自信をつけていく己を叱咤した。

 ここで気を緩めれば、すぐにでも鬼の爪先でこの首を掻っ切られるだろう。

 最終日の朝を迎えるまで、決して安心してはいけない。

 

 日毎に焚き火の場所を変えながら、襲ってきた鬼を返り討ちにすること六体。

 初日の三体と併せて九体の鬼を屠った後、七日目の朝を迎えた。

 

 

 

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 鳥居をくぐり、藤の花の下に集まった生き残りの中に、真菰の姿はなかった。

 ギリと奥歯を噛み締め、拳を握りしめる。

 

 剣技を見たわけではないが、真菰は弱いようには見えなかった。

 話をしただけだが、薫と同じく、女であることでの不利な部分を有利へと変えて戦っていける人間だったと思う。

 

 その真菰が殺られたという……。

 そんな強い鬼がいたのだろうか?

 自分が出会った鬼はほぼすべて、最初に薫が殺した、山のお堂にいた鬼とそう変わりないほどのものだった。

 いわゆる浅い鬼 ―― 鬼になってからの期間が短い鬼ばかりで、東洋一から訊いた異能・異形の鬼などは一匹もいなかった。

 

 初日にいたおかっぱの童女たちから、日輪刀を作るための玉鋼を選ぶことを告げられ、(かすがい)(がらす)を送られる。

 薫の鴉は見事な射干玉(ぬばたま)色をした無口な雄であった。祐喜之介(ゆきのすけ)というらしい。

 

 その後、三日ほど藤襲山近くの藤家紋の家で養生するように言われ、その間に隊服の採寸が行われた。

 薫の同期は他に二名いたのだが、二人共七日間の極限状態で、疲労困憊していた為に、ほとんど寝たきりになってしまっていた。

 

 薫は隊服を支給されると、すぐにその家を辞した。

 門を出て、後ろを振り返ると、藤襲山が紫の霧のような藤の群生の中で、(けぶ)るように見える。

 

 あの中に、まだ鬼はいるのだろうか……?

 

 喪った友の命に瞑目し、薫は藤襲山を後にした。

 

 

 

<つづく>

 

 

 

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