【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第九章 出発(二)

 十日ほどだったというのに、その姿を目にした時、東洋一(とよいち)は数年の時が過ぎたような気がした。長い長い吐息をついた後、薫を抱きしめ、肩をポンポンと叩いて弟子の奮闘を労った。

 にっこり微笑んだ薫の目の下には鬼にやられたのであろう、傷がうっすらとミミズ腫れになっていた。それでもその程度の怪我で済んでいたのだから、薫が鬼殺隊隊士として十分にやっていけることの証左でもある。

 薫は特に最終選別での詳しい戦果について話すことはなかった。

 ただ、藤襲山へと向かう途中で水の呼吸の遣い手である少女と仲良くなり、共に選別を受けたが、彼女は七日目の朝に会うことはなかった、とだけ言った。

 それは珍しいことではない。慰めるようなこともでもない。「そうか」とだけ答えた東洋一に、薫は少しだけ寂しそうに微笑(わら)った。

 既に鬼殺隊士としての顔になっている。

 東洋一は気になっていたが、あえて実弥(さねみ)の話題を持ち出すことはなかった。

 とりあえず、匡近(まさちか)には薫が最終選別から無事に帰ってきたことを伝えることにしよう。匡近に言っておけば、実弥の耳にも入るだろう。

 

「里乃さんのお加減はどうですか?」

 

 薫は自分のことよりも、あの日からすっかり体調が悪くなってしまった里乃のことを気にかけた。

 

「……ん」

 

 東洋一は言葉に詰まり「食べんようになってしまってなぁ……」と、つぶやくように言った。

 

 薫は帰ったばかりだったが、お米を研ぎ、近所の農家から野菜や卵などを貰ってくると、料理を作り始めた。

 二時間ほどでご飯とおかずを作って、里乃の家へと向かう。

 帰ってきた薫の姿を見ると、里乃は涙を流して喜んだ。

 

「よかった……帰ってきたんだね。よかったよかった……よかったよぉ」

 

 抱きついてきた里乃は、十日の間にもますます顔色も悪く、体も細くなっていた。

 

「あんまり食欲がないと聞いたんですけど……よかったら、食べてみて下さい」

「あぁら、まぁまぁ……このふろふき大根の美味しそうなこと」

 

 里乃が出汁の染みた大根を箸にとると、東洋一が驚いた。

 

「なんだ。めずらしい。食べる気になったか?」

「そりゃ、こんなおいしそうだったら食べる気にもなりますよ」

 

 里乃は以前の威勢のいい調子に戻っていた。

 

「良かった。食べることができれば、きっと体調も戻るだろうから。私、任務が決まるまでは毎日、作りに来ますね」

「申し訳ないねぇ、お嬢さん。せっかく立派な剣士になられたって方に、飯炊きなんかさせてしまって」

 

 だが、里乃がまともに食事したのはその日だけだった。

 次の日になると、湯豆腐を一匙食べただけで、「もういっぱい」と寝てしまった。

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 最終選別から二週間ほどして、ひょっとこの面を被った刀鍛冶がやってきた。

 宮古鐵(みやこがね)と名乗った。

 薫は家の中に案内し、正座して、その風呂敷包みが開かれるのを見ていた。

 

「こちらになります」

 

 桐箱の蓋を明けると、中には刀が二振り。

 一つは通常の打刀と変わらぬ長さのもの、もう一つは少しだけ刀身の短いもの。

 

「玉鋼と一緒にあったお手紙の通りにやってみましたが、どうですかな?」

 

 玉鋼を刀鍛冶に渡す前に、もし要望があれば書き置くように言われた。薫は色々と考えた末、自分の型には二刀流の方がより合っているのではないかと思い、そのように頼んだのだった。

 

 長い方の刀を手に取り、鞘から抜く。

 思っていたよりも軽い。

 これまで東洋一から借りていた刀だと重さで手首に余計な力が入っていたが、この刀は動かしやすい。

 片手でも肩から腕、手首にかけての稼働が格段に滑らかだ。

 薫の気持ちがわかったのか、宮古鐵が「軽いでしょう?」と言った。

 

「なるべく軽いものを。ただし、斬撃に耐えうる強度のものを……という注文でしたので、途中まで()を入れてあります」

 

 宮古鐵の説明を聞いているうちに、刀身の色がゆっくりと変わっていった。

 それはくすんだ黄緑、灰味がかった薄緑といったような淡い色であった。

 

「これは青白橡(あおしろつるばみ)ですね。別名、山鳩色ともいうかな」

 

 薫はまじまじとその刀を見つめた。

 なんと美しいのだろう……!

 一直線に伸びた樋。陽光を反射して光る刀身、波がうねっているような刃文。

 もう一つの短い方の刀は、より(きっさき)が尖って、その細い刀身は少しばかりしなった。

 東洋一はふっと笑って言った。

 

「いいじゃないか。お前にぴったりだ」

「そうですね」

 

 薫は頷くと、刀を鞘にしまい、宮古鐵に深々と頭を下げた。

 

「難しい注文を受けていただき、ありがとうございました。大事に使います」

 

 宮古鐵は「いやいやいや」と手を振った。

 

「もっと面倒くさい注文をしてくる人なんてゴマンといますよ。これくらいは対応できなくては、鬼殺隊の刀鍛冶などやっていけません」

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 宮古鐵を見送った後、夕食を持って里乃のところへと向かったものの、やはり食べられなくなっていた。

 お粥の上澄みを一匙すすって、里乃は横になった。

 

「お嬢さん……」

 

 食器を洗って拭いている薫に、里乃は呼びかけた。

 

「前に……私、もっと我儘をいえばよかったと言ったでしょう?」

 

 薫は最終選別の前日に、里乃に会った時のことを思い出す。あの日、里乃は『もっと自分から望むことを言えばよかった』と、諦観した様子で言っていた。その風情があまりにも頼りなくて、消え入りそうで、自分は東洋一を呼びに行き、里乃についててもらうように頼み込んだ。

 あの日、もし里乃が昔のように元気で、東洋一が家にいれば……?

 ふと、その夜のことを思い出しそうになる。

 薫はあわてて頭を振った。

 里乃が不思議そうに薫を見遣る。

 

「どうかした?」

「いえ……。それで、少しは我儘を言えましたか?」

 

 問いかけると、里乃はふ、と力ない笑みを浮かべた。

 

「我儘だったのよ、私。だって、先生は一度は一緒になろうかと言ってくれてたの」

「そうなんですか?」

 

 それは意外だった。

 東洋一がああ見えて、ものすごい照れ屋であることはわかっていたので、そういうことを口にすると思わなかった。

 里乃はフフフと、その時のことを思い出したかのように笑う。

 

「そうよ。言ってくれたわ。でも……私が怖くて、逃げたの」

「怖い?」

「あの時はまだ先生、現役だったから……いつ死んでもおかしくなかった。実際、死にかけたこともあったし。あの足も……その時の」

 

 里乃は仰向きになって、暗い天井を見つめながら話した。

 

「いつ死ぬかもしれない人を待つのは……怖かった。毎日胸が潰れる思いをして待ち続けるのは、つらくてたまらなくて……だから私、逃げてしまった」

「…………」

「それでも育手になって、ここに来てくれて、いつもそばにいてくれてたんですもの。考えてみれば、望みどおりだったのよ。どういう形であれ、一緒にいれたのだから」

 

 里乃の声は震えていた。両手で目を押さえていて見えなかったが、泣いているのだろう。

 それは悲しいからではなかった。先に自分が逝ってしまうことを、憐れんでいるわけでもない。十分に幸せだったことを、最後の最後で気付くことができたからだった。

 

「お嬢さん……薫ちゃん」

 

 里乃ははかない笑顔を浮かべて呼びかける。

 

「どうか、先生よりは長生きしてね。先生がこれ以上、悲しまないように」

 

 里乃はずっとそばにいて、見てきたのだろう。弟子を送り出し、その弟子が無言で戻ってくるのを、受け入れてきた東洋一の姿を。静かな怒りと後悔を、震える拳の中に感じていたのだろう。

 

「お願いね……」

 

 ほとんど力の入らなくなった手で、里乃は薫の手を握った。

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 里乃が気を失うように眠った後、薫は隣の部屋に控えていた東洋一に暗い顔で対面した。

 

「……お前が帰ってきてくれてよかった」

 

 東洋一は穏やかに言った。「ありがとう」

 薫は嗚咽がこみあげそうになって、グッと喉に力をこめた。

 

「さっき、祐喜之介(ゆきのすけ)が知らせてきました。京都で任務です」

「そうか…早速来たか。京都とはな……お前の担当地域は関西地方になるのか」

「わかりませんが、そうかもしれません。いずれにしろ、全国を飛び回るのが鬼狩りの務めですし……」

 

 薫は一度、東洋一の家に戻り旅装を整えた。

 隊服の上から、父の形見の灰色のインバネスコートを羽織り、受け取ったばかりの刀を二本、腰に差す。髪を一つに纏め、元結の上から母の形見の藤色の組紐をしっかりと結んだ。

 再び里乃の家を訪ね、眠っている里乃に無言で頭を下げると、外で待っていた東洋一は物珍しそうに薫の姿を眺めた。

 

「隊服の上に羽織はよく見るが、こうしてみれば外套の方がしっくりくるもんだな」

「すみません。ずっと形見として持っていたんですが、持ち歩くよりも着た方がいいと思って」

「いや、いいんじゃないのか。しかしパッと見、女というより、前髪立ちの若衆のようだな。妙に……」

 

 色気があるな、と言いかけて東洋一は口を噤んだ。

 

「なにか?」

 

 薫が聞き返すのを、軽く首を振って「いやいや」と濁す。

 

「行ってこい、元気でな」

 

 こうして今までに何人もの弟子を見送ってきたのだろう。

 短い挨拶の中に、東洋一の願いは込められている。

 

「……はい」

 

 薫もまた、この一年半の間、自分を叩き上げ、磨き上げてくれた師匠への感謝は、いくらしてもしきれないほどであったが、今はただ頭を下げるだけだった。

 

「行ってまいります」

 

 晴れやかな笑顔を浮かべて、任地へと向かう。

 里乃の願いを叶えることができるかどうかはわからない。ただ、もしこれが最後となるならば愁嘆場でなく、明るく別れたかった。

 

 

 日の差す道を歩きながら、名残の金木犀がかすかに匂った。

 

 

 

第一部 了

 

<第二部につづく>

 

 

 

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