【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
最初の任務でとんだヘマをしたものだと思う。鬼にやられたのではなく、人間にやられたのだから。
あの後、栃野は誰もいなくなった建物の中で、息子を探し回って徘徊していたところを警察官によって保護され、今は精神病院へと送られた。
子供達は分散して各所の保護施設に引き取られ、
任務の後、銃創による出血が止まらず、隠の手によって応急手当を施された後、藤家紋の家に収容された。
かつて鬼狩りに命を救われ、以来、鬼殺隊の隊士であれば無条件に受け入れてくれる家。それは各地にある。
信州の加寿江の家もまた、その係累なのだと以前に聞いた。
薫を受け入れてくれたのは、四十歳ぐらいの主人とその妻、子供が四人いる一家であった。
長男と次男はすでに高等学校、中学校に行っていて落ち着いた様子であったが、長女と次女はまだ尋常小学校の四年と三年ということで、いかにも子供らしく騒がしく、楽しそうで、あふれる好奇心を隠そうともしない。
「隊士さんのお名前は?」
鬼殺隊は、ほぼ男ばかりなので、よっぽど女の鬼殺隊士が珍しいらしい。
「森野辺薫といいます」
薫が微笑んで答えると、二人もニコッと笑う。
「私はみやこ」
「私はかえで」
それからは互いに名前で呼び合うようになったから、自然と気安い仲となった。
傷が治るまで、薫は少女達の勉強を見てやったり、かるたやすごろくで遊んだり、近くの山に山菜を取りに行ったり……と、およそ鬼殺隊士らしからぬ穏やかな日常を過ごした。
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「薫はん、ピヤノ、弾いてェな」
みやこは自分の稽古のお浚いが終わると、後ろを振り返り、演奏を聞いていた薫にねだった。
「わたしも聞きたい!」
隣に座っているかえでも歓声を上げる。
「そんなに弾けないんですよ……」
薫は困ったように言うが、二人は「それでもいいから!」と声を揃えて懇願する。
この家は数寄屋造りの立派な和風建築の屋敷であったが、みやこがピアノを習っているので、その部屋だけ畳を剥いで、黒いグランドピアノを置いていた。
たまたま二人に案内されてそのピアノを見つけた時に、思わず懐かしくなって少しだけ弾いて見せて以来、毎日、みやこの稽古が終わると薫が弾くことになってしまっている。
半分は仕方なく、半分は自分でも楽しみで、薫は鍵盤の上に指を乗せると、ゆるやかな旋律を奏で始めた。
もうピアノを触らなくなって数年が経つ。だんだんと弾ける曲は少なくなってきていた。
頻繁に練習をしていないと、指がなめらかに動かなくなっていくからだ。今の薫の状態を見たら、千佳子は頭を抱えるだろう。
それでもこの家で毎日弾きこなしている内に、少しだけ勘が戻ってきたようにも思う。楽譜を借りて懐かしい曲を復習するのは、初任務での憂鬱を少しは晴らしてくれた。
本当に救い難い、後味の悪い任務だった……。
久しぶりにシューマンの子供の情景からいくつかの曲を選んで弾いていると、ヒョッコリと奇妙な風体の男が顔を出す。
入れ墨か何かだろうか?
赤い木の実のような模様が左目の周囲に施されている。頭にはガラスなのか、宝石なのか、透明な石を埋め込んだ
「なんだ、俺以外に隊士がいるって聞いて来てみりゃ、女が洋琴なんぞ弾いてやがる」
縁側で腕を組んだ姿は、仁王像を思わせた。羨ましいほどに筋骨隆々とした逞しい姿だった。
みやこはムゥと不機嫌な顔になって、男に冷たく言った。
「なぁに、宇髄さん。何か御用?」
「私達、今、ピヤノの稽古中よ」
かえでも棘のある声で、早々に立ち去ることを言外に要求していた。
しかし、当の『宇髄さん』は意にも介さず、ズカズカと部屋の中に入ってくると、さっきまで薫の座っていた大きな椅子に腰掛けた。
「もぉー、なんでいるんよ?」
「えらく嫌われたモンだな。俺だってたまにゃあ、ゆっくり音楽でも聴きながら寝たいんだ」
「寝るんやったら、自分の部屋に行ったらえぇやんか」
「うるせぇなァ。おい、お前、早く弾けよ」
いきなり命令される。
薫はなんとなくこの男が自分と同じ鬼殺隊の隊士で、しかも上の階級なのだろうということはわかった。わかった以上、とても拙い自分の演奏など聴かせられたものはない。
「……すいませんが、とても聴かせられるようなものでないので」
「ハァ? なんだ、ソレ。このチビ共の前では弾いてたろうが」
「みやこさんとかえでさんは、私が間違っても許してくれますから」
「わかった。許す。間違えてもいいから、弾け」
それ以上、言い訳を聞く気はないとばかりに、ふんぞり返った姿勢で目を瞑ってしまった。
薫はみやこ達と目を見合わせた。
「文句言うたら、ウチらが腹にド突きくらわせたる」
かえでが物騒なことを言うのに、薫は思わず笑ってしまった。
ふぅ、と息を整えて弾き始めた。ベートーヴェンの悲愴の第二楽章。眠るには、いい曲だろうと思う。
やはり指が以前のようには動かない。頭の中の理想通りにいかず、時々、音が引っかかったり、指がズレて違う音が鳴る。それは素人であっても、明らかに異質な音として聞き分けることができるだろう。
あぁ、やっぱり断ればよかった……。
弾き終わった時には、自信喪失してげんなりしていた。
しかし、案外と宇髄にはあまり関係なかったようだ。
みやこが口に人差し指を当てて、「よぉ、寝てはるわ」と囁いた。
宇髄の大きな身体をすっぽりと包む大きな西洋椅子のせいなのか、それとも薫の奏でた曲のせいなのか、軽い寝息をたててよく眠っているようだった。
薫は内心ホッとすると、着ていた羽織を宇髄にかけた。
三人でそぉっと縁側の廊下を歩いていく。
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台所の脇の縁側で、みやこが長男にねだって買ってきてもらったという長五郎餅を食べながら、薫はみやこ達にさっきの男のことを尋ねた。
「あの人は、宇髄さんて言う人」
みやこが餅をあむ、と食べながら答える。
「時たま来はるんよ。なんか、お兄ちゃんと気が合うんやて。よぉ、二人で遊びに行ってはるわ。こっちで仕事がある時だけやけど」
「じゃあ、普段は別の任地が多いのかしら?」
「昔はここら辺やったみたいやけど、最近は東京の方とかが多いみたい」
ここのところ、関東近辺での鬼の出現が続いており、隊士の多くは関東付近で任務に当たることが増えているようだ。
「今回はじゃあ、仕事でみえたの?」
「そうやない? よぉわからへん。ウチらあんまりそういう事は聞くな、言われてるん」
「あ、そっか。ごめんね」
みやことかえでは、二人で顔を見合わせ、薫をジッと見つめた。
「なぁ、薫はん。あの人はアカンで」
かえでが真面目な顔で言う。薫はきょとんとなった。
「アカン?」
「あの人なぁ、そら、確かにシュッとしてはってえぇ男ぶりやけど…」
みやこが言うのを聞きながら、宇髄の顔を思い出す。
えぇ男? いい男のことだろうか? ああいう人を、いい男というのか?
内心で首を捻っていたが、みやこは薫の疑問に気付かぬまま話を続ける。
「奥さん、三人もいはるらしいからね」
「三人?」
薫が思わず聞き返すと、みやこはゆっくりと頷いた。
「そ。妾とちゃうんよぉ。奥さんやで。えらいことやわ」
「そう…ねぇ」
確かに三人もいたら、大変だと思う。自分だったら、どっちの立場であっても、気が落ち着かない。
だが、他人の家庭について、どうこう批判できるものでもない。宇髄の家がそういう
みやこ達は今ひとつ反応が鈍い薫を心配そうに見やった。
「薫はん。……好きになったらアカンよ」
二人があまりにも真剣に言うので、薫は噴き出して、餅を喉に詰めそうになった。
あわててお茶を飲むと、大笑いする。
「どうしてそんな話になるのかしら?」
「えぇー? ちゃうのん?」
「あの人見たら、ウチのお母ちゃんもそやし、隣のお姉ちゃんも、みぃんなポッとなっとったんやけど」
薫は手を振った。
「ごめんなさい。よくわからないわ。私にはあんまり二枚目とは思えなかったんだけど……」
言いかけて、ハッと背後に気配を感じた。
バサリ、と頭の上に布が落ちてくる。と思ったら、それはさっき薫が宇髄にかけた羽織だった。
「ありがとよ、お嬢さん。しかし、こんなトコでチビ共相手に油売ってる暇があるんなら、とっとと復帰することだな。お前さんの穴を埋めるので、向こうから呼ばれたりしてる人間もいるんだからな」
羽織をとって、そろそろと振り返った時には、宇髄の姿はなかった。
薫は耳まで真っ赤になった。
よりによって、どうしてこんな事を聞かれてしまったのか。自分の迂闊さを呪いたくなった。
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傷が完治すると、薫は新たな任務を与えられた。
みやことかえでに別れを言って、藤家紋の家を去るのは少し寂しかったが、すぐさま脳裏に宇髄に言われたことが思い出される。
―――――お前さんの穴を埋めるので、向こうから呼ばれたりしてる人間もいるんだからな。
実際のところ、どういう方針で薫の行き先や担当部署が決まっているのかはよくわからない。
とにかく自分は与えられた任務をこなして、一匹でも鬼を殲滅しなければならない。そうして強くなって、いつかは………。
髪を結ぶ紐をキュッと引き絞り、薫は鴉の示す方角へと歩き出した。
<つづく>