【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
次の任務は京都の北、日本海に面したうらぶれた寒村だった。
ちょうど着いた頃には、とっぷりと日は暮れていた。空には一番星が光っている。
元からそうなのか、不穏な噂があるせいなのか、村の中でも店が集まっている目抜き通りを歩いているのだが、人っ子一人いない。
ここには街灯がない。日が落ちると漆黒の闇に包まれる。こんな闇の中を歩くのは、鬼か、それを狩る者だけだろう。
南の方では桜の花もチラホラ咲き始めた頃合いだったが、ここはまだ肌を刺すような潮風が吹きすさぶ。
二時間ほど歩き回り、さすがに強い海風に体が冷えてきた頃、キャインと犬が鳴いた。
すぐに声のした方へと走り出す。
ちょうど、鬼らしい影が
薫は二本とも抜刀して、中に飛び込む。
老爺と子供が抱きしめ合って、掠れた声で助けを求めていた。
「やめろ!」
薫は叫ぶと、息を深く吸った。全集中の呼吸―――――
鳥の呼吸 弐の型
鋭い突きが連続する。
狭い屋内では刀を振り回すとどこかに引っ掛かり、相手への反撃の契機とされてしまう。とりあえずこれで気を逸らして、老爺と子供を助けねばならなかった。
ギャアア、と鬼が悲鳴を上げて、ゆっくりと振り返る。
背中から胸へと貫かれた穴が徐々に塞がっていく。
薫は刀を交錯させた。素早く部屋の中を見渡して、狭い中で有効な攻撃をはじき出す。
息を深く吸い上げて、神経を研ぎ澄ます。全集中―――――
呼吸の技を放とうとしたその時、妙に間延びした声が間を割って、不意に腕を掴まれる。
「すーんまへ~ん。いったん止まってや~」
殺気が満ちていた薫は、考えるよりも早く、反射的にクルリと回転しながらその男の拘束から逃れて、首元に刀を突きつけた。
「……お~、コワ」
「――――何の真似です?」
サッと男を一瞥する。すこし着崩してはいるが、鬼殺隊の隊服を着ている。
「おっと」
そう言って男が薫から離れたのは、鬼が襲ってきたからだった。
二手に分かれて、薫は改めて鬼へと向かおうとしたが、また男はのんきな口調でとんでもないことをほざいてくる。
「あぁ~、あかんでぇ。殺さんといてな~」
薫はギリと歯噛みした。
「
言いながらも、襲ってくる鬼の腕を切り落とす。
「おぅ、ありがとさん」
言うやいなや、男は両手に数十本の針を持ち、鬼に向かって放つ。
額、首、目、胸、腹、太腿。いくつもの針が鬼の肌に突き刺さる。
鬼は咆哮を上げて、数本の針を引き抜こうとしたが、いきなりビクビクと痙攣した。しばし呆然と立ち尽くし、次の瞬間には泡を噴いて倒れた。
「ヨシヨシ」
男はニヤニヤ笑いながら、懐から手の平にすっぽりおさまるくらいの瓶を取り出すと、その蓋を開ける。中には剣山のようなものがあった。
判子を押すかのように、その無数の針が鬼の首に押し当てられる。
鬼が一瞬、ビクっと跳ね、薫は刀を構えたが、すぐにまた寝入ったかのように静かになった。瓶の中の薄紫の液体が見る間になくなった。
「はい、どうも。協力ありがとさん」
男が立ち上がると、外から隠がわらわらと現れた。慣れた様子で鬼に縄を打ち、燻されたような黒い木の箱へと押し籠めていく。
薫は内心では訳が分からず呆然としていたが、目は油断なく男を見ていた。
年の頃は三十後半ぐらいだろうか。背が高く、エラの張った四角い、浅黒い顔に、大きな鉤鼻。離れた小さな目は、笑っているのかどうかわからないが、口は最初から今に至るまで、ずうっとニヤニヤと笑みを含んでいた。
「そろそろ、刀を収めぇな」
いつまでも緊張を解かない薫に、男は落ち着いた声で言う。「仲間なんやし」
薫はギロリと睨んだ。
「あなたのような人は知らない」
「そら、そやろな。初対面やし。しかし、いつまでもそんな大刀両手に睨まれてたら、そこのジィちゃんも坊ンも怖がりよるで」
後ろを振り返ると、二人は薫以上に訳が分からないのだろう。まだ抱きしめ合って、震えていた。
薫は刀を鞘に収めると、二人の前に膝をついた。
「ごめんなさい。怖がらせるつもりはなかったんです」
「……な、な、なんやぁ…アンタら」
子供が震える声で言う。「いきなり入ってきて……ボロ家でも、わしらの家なんやで」
「すいません。鬼があなた達を襲おうとしていたから……」
怪我をしているらしい子供の頬を触ろうとして、パンと手を払われた。
「出てってぇや! はよ、出てけ!」
子供が立ち上がって怒鳴りつける。
後ろの老爺はおろおろしていたが、よく見れば、目が白濁していた。おそらく見えてないのだ。
薫が困っていると、後ろから肩を叩かれた。
「こういう事は、隠に任せときや。隊士さんの仕事は鬼殺し、なんやからな」
男の云うことは一理あったが、どうにも信用できかねた。
薫が不信感も露わに男を見ていると、男の後ろから女の隠が呼びかけた。
「こちらにて引き取りますので」
その理性的な目に、薫は一応の安心を感じ、後を任せることにして外に出た。
海風が強い。春だというのに、雪が舞っていた。
「ここいらは、まだ冬やなぁ」
のんびりと話しかけてこられ、薫は眉間に皺を寄せた。
「あなたは…何者です?」
「話して聞かせてやってもえぇけど、ここでは寒いな。場所、移そ」
早口で言うと、男は先に立って歩き出した。
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男に連れられ来たのは、先程の家よりかは少しばかりマシという程度のあばら家だった。
行灯のぼんやりした火に照らされ、よくよく目を凝らせば、壁や床に血の跡がある。
「ここは、あの鬼が生まれた場所や」
男は火鉢を持ってきて、薫との間にどんと置く。
「鬼が生まれた?」
「ここで生まれた男が、鬼にされ、自分の家族全員喰い殺したんやな。その後、鬼殺隊に連絡が来て、
「ワイら?」
ワイ…というのが関西地方での「私」「俺」という意味であるのは、最近になって覚えてきたことだ。
つまり、複数人ということだろうか? だが、目の前の男以外には鬼殺隊士はいないように見える。
男はタバコを取り出すと、火箸で炭をとって、器用に火をつけた。
フゥーと、うまそうに吸いこんでいる。
「ワイらは生け捕り専門でな。さほどに強そうにない鬼。人間をそんなに喰ってない鬼を捕まえるのが仕事やねん」
薫は意味がわからず、ぽかんとなった。
男はハハハと面白そうに笑う。
「わからんか? あンさんも、藤襲山で最終選別は受けたやろ?」
薫はコクリと頷く。
「それ。そこで鬼がおりよったやろ。異能を持つほどでもない、しかし身体能力は人間を遥かに超えた鬼や。あンさん、何人斬った?」
「え?」
「鬼や。受けたやろ? 最終選別。何人の鬼を斬った?」
「…………九…」
「ほぅ。そりゃ、また、なかなかのなかなかやな。ワイは、ああいう鬼を生け捕りするのが仕事や。生け捕り師て呼ばれとるわ。正直、鬼殺隊の中でも最下層の、馬鹿にされる仕事やな」
いきなり卑下するようなことを言うので、薫は言葉に詰まった。
正直、胡散臭いと思っていたし、鬼を生け捕りする仕事だと聞いて、軽蔑まではいかずともあまり、いい印象を持てなかった。
「まぁ、ワイらだけが生け捕りするわけでもないんやで。たまに隊士でも生け捕りしてきよるんもおるけど、ゆうても皆、鬼には恨みが積もりに積もっとるからなぁ。大概、殺してまうねん」
「それは……そうでしょう」
「そやねんなぁ……。あんたも、そうか? そやろなぁ……鬼に恨みがたんまりあります、ゆう顔してもぅとるもんなぁ」
だんだんふざけられているように感じて、薫は思わず強い口調で尋ねた。
「あなたには鬼に恨みがないとでも?」
「ワイか? ワイはないよ。だって、金が欲しいからやってんねんから」
「金?」
「そやで。まぁまぁ稼げるからな、ここ。鬼にちょーっと眠ってもらって藤襲山まで連れて行くだけで、大学出たての先生よりもえぇ給料稼げるんや。ありがたいこっちゃで、ホンマ」
金目当て……で、鬼殺隊に入る人間がいることを、薫とても知らない訳ではなかったが、正直、ここまで仕事における考え方の違いがあると、もはや怒る気も失せてくる。
男は薫があきれているのを感じたのか、ハハハとまた笑った。
「まぁ、蔑まれてもしゃあないけどな。それでもアンタらが最終選別を受けられるんは、ワイらのお陰でもある、言うことや」
それは確かにそうだった。自分がこの男のようになりたいとは思えないが、藤襲山での考査を受けた以上、彼らの仕事を嗤うことはできないだろう。
「………すいません」
薫は頭を下げた。「鬼殺隊に尽くして下さっているのに、失礼な態度をとりました」
男は少し驚いた顔をすると、「そんなんやめぇな」とヒラヒラ手を振った。
「ワイらはアホやて思われてるくらいでえぇんやて」
「いえ。最終選別は鬼殺隊に入るための重要な試験です。それに尽力いただいているのに、馬鹿にはできません」
「…………あんた、石頭やな」
男は面白そうに薫を見て、煙を吐いた。
「名前は? ワイはホウジや。
なんだか芝居に出てくる人物ような名前だ。本名かどうか疑わしいが、それは今、気にすることでもない。
「………森野辺薫と申します」
薫が名乗ると、宝耳はうん、と頷いて、立ち上がった。
「ほうか。ま、頑張りや。ここで朝まで寝たらえぇわ。さすがにこの時間でこんなショボくれた村に宿もないやろからな」
「宝耳さんは
「ワイは寝ずの番や。鬼は薬で眠らせとるけど、いつ起きるかわからんよってな。なんかあった場合、薬が効かんかった場合は、ワイが殺さなあかん」
「それだったら、私も」
「えーねんって。それもワイの仕事。給料分やからな」
話していると、ガタガタと戸が開いて、隠が鬼の籠めた箱を、四人がかりで担いで入ってきた。
宝耳は何かしら指示を出している。
どうやら隠達と宝耳とで、鬼の生け捕りを行っているらしい。『ワイら』、というのは隊士ではなく隠のことだったのか。
先程の女の隠が薫の元にやってきた。
「さっきの少年がごめんなさい、と言ってました」
「え?」
「鬼のことを話したら、助けてもらったんだと、わかったようです。あなたに失礼なことをしたと、謝っていました」
薫が返事できないでいると、「では」と、その隠は別の用事があるのか足早に去って行く。
「な? 隠ってのは、ああいう対応に慣れとるんや」
宝耳がニヤリと笑い、少し誇らしげに言った。
<つづく>