【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
いきなり言われたものの、薫はどうしたものかわからず、匡近を見た。
匡近は相変わらずニコニコ笑って、
「いいじゃないか。やってみたら?」
と、気軽な調子で言う。
「では…よろしくお願いします」
すぐさま道場で試合が始まった。
剣道とは違い、鬼殺隊において防具などはない。竹刀でもなく、白木の木刀である。
向き合って構える。
開始と同時に佐奈恵の素早い突き。しかし薫は横に飛んで躱す、と同時に佐奈恵の腹に一撃が入った。
瞬殺だった。
薫が躱したのは誰の目にも明らかであったが、佐奈恵に木刀が振るわれたその瞬間は、ほとんどの者が視覚できなかった。
のほほんと見守っていた匡近ですら、息を呑むほど、鮮やかな一本であった。
ダン、と派手な音がして佐奈恵が道場の壁に叩きつけられる。
「佐奈恵!」
男の隊士があわてて駆け寄った。心配そうに何度も名前を呼んでいる。
薫もまた心配になって近寄ろうとすると、前にズイと別の男の隊士が立った。
「次は俺だ!」
顔の中心を貫く傷痕が生々しい。鬼にやられたのであろうか。身長はおそらく六尺は越えていて、体重も二十貫以上はあるだろう。見るからに大男である。
「おーい、
後ろから匡近がのんびりと呼びかけたが、「知るか!」と男は吐き捨てた。
「女であろうが、男であろうが、鬼は手加減しねぇよ」
そこはまったく同意する。
構えをとる間もなく、升田が攻撃してきた。
大柄な割に俊敏な動きだ。ブンと振るう木刀の音がその速さを伝えてくる。まともにくらえば、気を失うだろう。
その後もすさまじい勢いで攻め立てられるが、薫はすべて躱す。後ろに、横に、あるいは前方に升田を振るう木刀の上をヒラリと宙返りをして。
「てめぇ、ヒラヒラ逃げんな!」
苛々と升田が怒鳴った。
薫の顔色は変わらない。
あまりに攻撃をしない薫に、見ていて面白くないのか、何人かが「そうだ、そうだ」「ちゃんとやれ!」と野次を飛ばした。
しかし、何人かの隊士達はわかっていた。
升田の剣戟が、鈍重そうな見てくれよりも早いということは、誰もが知るところである。それを薫はすべて躱している。
升田の攻撃を防ぐのに必死かというと、そうではない。それは、もう息を切らし始めた升田に比べ、薫の呼吸が少しも乱れていないのを見れば明らかである。
升田の攻撃が緩慢になり、疲れが隙を見せるのを薫は見逃さなかった。
升田の突きを躱すと同時に、低く沈む。升田は一瞬、視界から薫を見失う。
すぐさま、胸に衝撃。
女と甘く見ていた分、思ったよりも重い。
ダァンッ!!!!
壁にぶち当たって、目を回し、升田は意識を失った。
道場はシンとなった。
中央で薫は息も乱さず、静かに立っている。無表情な面は、端正な美貌と相まって冷たさすら孕んでいた。
「ずっ、ずるいぞっ!」
静けさを破って、ダミ声が響く。「逃げ回りやがって、ちゃんと勝負しろっ!」
周囲がザワつくが、
「やめなさい!」
と、鋭い声が再び沈黙させた。佐奈恵が気を取り戻したらしい。
「逃げ回っていたんじゃないわ。すべて、躱していたのよ。それぐらいわかるでしょ」
「そ、そんなもん、同じことだろうが…」
「まったく違うわ」
佐奈恵は言い切ると、薫に近寄ってきた。
「さすがに一年で庚に上がる人は違うということね。鬼の攻撃をそれだけすべて躱しているなら、あなたは怪我をすることもないのだから、必然、任務も増えるでしょうしね」
「………?」
それまで他の隊士達と関わることのなかった薫には、佐奈恵の言う意味がわからなかった。
通常、隊士達もまた任務に赴くのだが、多くは鬼によって手負いとなる。中には数ヶ月、あるいは一年以上療養しなければならないほどの傷を負う者いる。そうなると必然、任務に行ける機会も減る。
鬼の首級をあげてこそ、実力も認められるのだから、怪我が少ない、あるいは回復力の早い、数多く任務をこなす隊士ほど階級は上がることになるのだ。
相手の攻撃を見切り、躱し、必殺の一撃によって刺す。簡単なようでいて、それを平常心でこなすまでになるには、相当の修練が必要であろう。
佐奈恵は薫と握手した時に、既にそのことをわかっていた。
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匡近は背後にふと不穏な気配を感じて振り返った。気配を感じたと同時に予想していた顔が、予想していた通りの仏頂面で立っている。
「帰ってたのか……」
声をかけると、ただいまと言う訳もなく、実弥が唸るような声でつぶやいた。
「なんで、あいつがいる……?」
「薫のことか? さっきたまたま会ったんだ。で、道場に来たことないってんで、連れてきてみた」
「……余計なことを」
「そう言うなよ。あの子、あんまり友達とかいなさそうじゃないか」
「いるかよ。鬼殺隊は学校じゃねぇんだぞ」
「共同で任務に当たることだってある。協力し合うことは大事だぞ」
「……ぅるせぇ」
実弥は吐き棄てるように言うと、その場から立ち去った。
視界の端から実弥が消えたことを確認しながら、薫は必死に微笑を浮かべて佐奈恵達と話していた。
途中から、実弥がいることには気付いていたが、あえて無視していた。今更会ったところで互いに話すこともない。
どこか上の空だったせいだろう。
佐奈恵が「じゃあ、今日はここに泊まりなさいよ」と言っていたのを聞き逃し、「はい」と返事してから、いつの間にか離れの女子隊士達の部屋に案内され、自分がうっかりしていたことに気付いた。
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「マッさんと同じ師匠ってことは、不死川とも同門ってことか」
佐奈恵はいなり寿司をパクリと一口で食べ、モゴモゴしながらも、しゃべるのをやめなかった。
マッさんというのは、匡近のことらしい。
道場には炊事場がないため、食事は各自で食べに行くことになっている。
薫は佐奈恵達と近所のうどん屋に食べに来ていた。
道中でも佐奈恵のおしゃべりは延々と続いた。口から生まれた人というのは、佐奈恵のような人のことを言うのだろう。
うどん屋に着くまでの間に、薫は道場での風呂は男共が覗きにくるので控えることと、近所のいい風呂屋についての情報、その他においしい団子屋と、給料が多めに入った時に行きたい洋食屋についても教えてもらった。
通りでいつも見かける野良猫のことまで佐奈恵は知っていた。
うどん屋に入ってからも、この近辺のお店の情報と男の隊士達への不満話が続いていたが、話が途切れたところで、ようやく薫について訊き始めた。
「マッさんも不死川も風の呼吸でしょ。あなたも?」
「いえ。私は、風の呼吸は一応習ったんですが、上手に扱えなくて、先生の指示で独自の呼吸を使うようになりました」
「へぇぇ、すごいじゃない。自分で呼吸を考えるなんて。私なんて、水の呼吸でしかやってない。自分で工夫するって言っても、どうやっていけばいいのかわからないし。まぁ、それでこんなとこに入り浸っては、他人のを盗み見て勉強してるんだけどね」
「……そういうことですか」
「で? なんていう呼吸?」
「え……と…………です」
薫は小さい声で呟いたが、当然、佐奈恵は聞こえず、「えぇ?」と聞き返してくる。
「森野辺さん、どないしたん? 顔、赤いけど」
秋子に指摘され、ますます穴に入りたい気分になる。
正直、薫は自分の呼吸を言うのが恥ずかしかった。
風の呼吸の派生といえば聞こえはいいが、要するに風の呼吸を修得できず、自分なりに作り変えただけだ。『呼吸』などと名乗るのもおこがましい気がする。
以前に元鳴柱の老人の所で、その弟子に嫌味を言われた時には大見得を切ったものの、正直なところ、自分の呼吸を同じ鬼殺隊の人に言うのは気が引けた。
「なーによぉ。勿体ぶらずに教えてくれてもいいじゃな~い」
佐奈恵が囃すので、薫は頭を振った。
「いえ、大したものでないので。本当に、風の呼吸からの派生した……ただの亜種ですから」
「あー、恥ずかしいのかぁ」
佐奈恵は薫の真意にようやく思い至った。しかし、
「そういうのは駄目!」
と、ピシリと言う。
「派生した呼吸なんて今までにだっていっぱいあるんだし、そういうのが残っていったお陰で鬼殺の剣士になれた人だっていっぱいいるんだから。例えば、花の呼吸。これがなかったら、女の隊士は今より確実に少なかったはずだよ。女であっても、十分に鬼と戦えるだけの技を編み出した先人の努力の賜物だよ。それをちゃんと伝えてきたからこそ、花柱のような人も出てくるようになったんだから。森野辺さんの呼吸だって、森野辺さん個人のものじゃない。いつか、私達の後に続く後輩達の誰かが、森野辺さんの作った呼吸によって、鬼殺隊に入ってくるかもしれないじゃない。ちゃんと伝承していかないと~」
言われながら、薫は自分もまた古い文献などから、過去の派生呼吸のいくつかを勉強していたことを思い出す。
そうか。
いつか、誰かが自分のように力が十分でなくとも、鬼殺隊に入りたいと願った時に、自分の呼吸が指針になる…こともあるかもしれないのだ。―――――
「あの…鳥の、呼吸……です」
おずおずと薫が告白すると、佐奈恵はニコーっと笑った。
「いいじゃない! 合ってるよ」
太鼓判を押してもらったような気分だった。これからは、誰に聞かれても堂々と答えられそうな気がする。
「結構、結構。女でも扱える呼吸って少ないんだし、出し惜しみしないこと!」
佐奈恵は大きな声で言うと、少し冷めた親子丼を勢いよく食べ始めた。
薫は少し圧倒されつつも、このおしゃべりだが自分にない視点をもった先輩に、素直な尊敬と親しみを感じた。
ただ、今度からはうどんを食べながら、佐奈恵のおしゃべりを聞くことにしようと思った。
目の前にある伸びてしまったきつねうどんを食べながら、それだけは心に留めた。
<つづく>