【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
うどん屋を出た後、近所の風呂屋で垢を落とし、道場の離れに戻った。もう一人いた女隊士は任務で昼から出たらしい。
部屋へと向かう途中で、
「先行っておいて」
言いおいて、佐奈恵はその隊士と二人でどこかに行ってしまった。
薫が何気なく佐奈恵の後ろ姿を追って見ていると、秋子がボソリと言った。
「逢引やで。邪魔したあかん」
「はっ? あ、あいびき?」
「そ。佐奈恵さんなぁ、弟子時代―――いや、入る前からか。幼馴染で一緒に鬼殺隊に入った男がおんねん。育手のとこにも二人で入って、二人で最終選別通って、隊士になったっていう……もー、そら熱い熱い仲なんよ~。あ、本人に茶化したら怒られるけどな」
「………いいんですか?」
「なにが?」
「いえ……」
鬼殺隊は毎日、命を懸けられる現場。そんな男女のことはそぐわない。
正直、薫には理解できかねたが、文句言うことでもないのだろう。
他人は、他人だ。
秋子は出会った時から、あまり表情を動かさない子だった。しかし他人の心の機微には敏感なようだ。押し黙った薫に説明するかのように話した。
「まぁ…他人が絡んで、三角関係になって刃傷沙汰なんかになったら、それこそ本部から処分されることもあるかもしれへんけど、佐奈恵さんと笠沼さんに関してはそういう心配もないわ。もう、わかりやす過ぎるくらい皆が知っとることやから」
「笠沼さん?」
「さっき、森野辺さんが道場で佐奈恵さんとやりあった時、気ぃ失った佐奈恵さんを介抱してた人。みーんな、その後に
話していると、ガラリと障子を開けた佐奈恵が、興味津々といった表情で入ってくる。
「だーれが相思相愛ぃって~?」
「佐奈恵さんと笠沼さん」
秋子がしれっとして言うと、佐奈恵は真っ赤になった。
「な、何言うのよ、アコちゃんっ! 違うわよっ」
「なにが違うんやら。みーんな知ってますやん」
「うるさいなぁ。隆はただの幼馴染だって! もー」
「幼馴染?」
薫が尋ねると、佐奈恵は簡単に身の上話をしてくれた。
「そう。同じ長屋の生まれ。私達、それぞれ片親でね。母親同士が仲良くて…でも、鬼に襲われて、私達はすんでのところで鬼殺隊の人に助けられたけど、庇った親は助からなかったの。で、二人で孤児院っていうの? そういうところに入れられるところだったんだけど、逃げ出して、助けてくれた人に無理やりに鬼殺隊のこと聞いて、二人で師匠のところに入門して………ってだけだから! だから、同志ね! そーいうの」
佐奈恵は途中から言い訳が言い訳でなくなったことを感じたのだろう。あわてて付け足したが、あまり意味はなかった。
薫と秋子は目を見合わせ、あえて何も言わないことにした。
「それにしても不死川が兄弟子って、なんか、大変そうねぇ」
佐奈恵はもう自分のことを話題にされたくなかったのか、いきなり実弥のことを持ち出した。
「でも、隊士になって一年ってことは、えーと、一緒に修行してた…ってことはないか」
「えぇ……後で兄弟子だと知りました」
「あ、そりゃよかったね。あいつとじゃ、気が休まりそうにないもんね」
「………」
「マッさんがいてくれたらどうにかなるけどさぁ……不死川一人の時なんてとっつきにくいし、怖いから、みーんな遠巻きにしてるし。実力があるのは認めるけどね。そりゃ間違いないよね。鬼狩りになる前から鬼を殺して回ってたぐらいだから」
「え……?」
初耳である。
てっきり家族を惨殺された後、すぐ鬼殺隊に入隊していたのだと思っていた。
「知らないの? 一時、有名だったのよ。鬼狩りでもないのが、鬼を誘っては朝日で炙り殺しにしてるらしいって…。マッさんが偶然、鬼に襲われかけてる不死川を助けて、それで鬼殺隊の存在を知ったらしくて、で、育手を紹介してもらって……って話。まぁ、隊士でもないのが日輪刀もなしでよくやるな、とは思うけど、正直、不気味だわ」
薫は慄然とした。
一体、不死川一家に何があったのだろうか。
薫は自分の境遇になぞらえ、家族を惨殺された後、実弥がすぐ
だがもちろん実弥にも、匡近にも、東洋一からすらそんな話は聞いてなかったのだ。
匡近に会うまでの間、鬼を殺していた? 日輪刀もなしに? そんなことが可能なのだろうか。
ザワザワと記憶が揺すぶられ、嫌な想像が喉元を逆流してくる。
実弥と再会し、薫が昔のことを話した後、東洋一はどう言っていた?
―――――あれもまた、
その時、薫は実弥もまた自分と同じく家族を喪い、復讐の道として鬼殺隊に入ることを選んだのだと思った。しかし、正直なところ鬼殺隊で、親しい者達を失って入隊する人間は珍しくない。
匡近も、佐奈恵もそうだ。
そんな子供達を幾人も育ててきた東洋一をして、果たして『
―――――野犬か何かに食い荒らされたのかっていう……
辰造が話していた情景が思い浮かぶ。その後に、自分は不死川家を訪れた。
無人となった家。
消えた笑い声。
踵を返して歩き出した先に、乞食がいたことを、唐突に思い出した。
―――――俺は見た。鬼だ。鬼が飛び跳ねて……あの家に……
チラホラと雪が舞う中、彼は自分の見た恐ろしい殺害の現場を虚空に投影して、話していた。
―――――ガキが…鉈を持って、鬼を殺した。
これは、実弥のことだろうか…? 実弥が、鬼を殺した?
―――――母ちゃん母ちゃん、母親の死体に取り縋って泣いていた。
そうだ。この時、志津さんは死んだと言っていたのだ。
死体が、あったのだ。この時は。でも、薫が後になって聞いたのは、志津の死体がなくて、行方不明になっていることだ。
埋葬されたという話も聞かない。
鬼はどこに行ったのだろう? そういえば、夜が明けたらもう一人子供が来たのだと彼は言っていた。玄弥のことだろうか。
夜が明けて、鬼は消えた……?
薫はあの時、あまりに悲しすぎて、まともに受け入れていなかった乞食の言葉を、丹念に記憶から拾い集めた。
―――――ボロボロ、ボロボロ……
乞食が最後まで言っていた。一体、何のことだった?
―――――鬼…ガキが殺した……母親は死んだ……ボロボロ散った
いくつもの事実の
一番思い出したくない言葉が、今、耳元で囁かれたかのように甦る。
―――――母親の死体は朝日の中でボロボロ崩れてった………
言われた時、薫にまともに考えられるだけの余裕はなかった。
不死川一家が皆いなくなってしまった…その事実だけでも、薫から笑顔を失くすには十分だったのだから。
辰造が気狂いの乞食の言うことだから取り合わないように、と言っていたから、本気にもせず封印したのだ。
けれど記憶の中で、確かに乞食は言っていた。
志津の死体がない理由。だが、確実に死んでしまったのだと………今は、わかる。
ぐらり、と視界が回る。
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「森野辺さん!」
佐奈恵に揺さぶられて、薫はハッと我に返った。
「どうしたの? 完璧に心ここにあらず状態だったけど」
「というか、顔色悪い」
秋子も怪訝そうに見ている。「もう、寝よ」
「あ、そうね。寝ましょうか。森野辺さんも、疲れたわよね。初めてだし」
「しゃべるの禁止」
秋子がピシャリと言って、佐奈恵の口を封じると、行灯の明かりを消した。
月明かりに照らされた障子を見ながら、薫は暗澹とした気持ちで、いつまでも寝付けなかった。
<つづく>