【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第二章 変調(一)

 その日、志津は体調が悪いようだった。

 学校から帰ってきた薫は、顔色の悪い志津に休むように言ったのだが、大丈夫ですよ、と仕事を続けていると、急にばたりと倒れた。

 

「志津さん!」

 

 倒れるところに出くわした薫が駆け寄ると、志津の顔色は白く、冷や汗をかいている。

 

「辰造さんを呼んで! トヨさん、どこか寝かせられるところはない? なければ私の部屋でもいいけど」

「何言ってんですか、お嬢様! とんでもないですよ」

 

 トヨはあわてて女中部屋へと、志津を抱えた辰造を案内した。

 住み込みの女中達の部屋は、昼日中でも薄暗く、湿気がちで空気が籠もっていた。

 トヨが布団をひいて、辰造が志津を寝かせると、いつのまにか入り込んでいた薫が心配そうに志津を覗き込んでいる。

 

「大丈夫かしら…志津さん」

「コイツもなかなか休まねえですからねぇ」

 

 辰造は訳知った顔で、嘆息する。

 

「まぁ、子供を七人も抱えていたら、どうしたって無理をしないとやってけないんでしょうが。昼ウチで働いた後に、夜からも居酒屋だかそば屋だかで働いているようだし」

「辰さん、アンタ飲みに行って迷惑かけてんじゃないだろうね」

 

 トヨがジロリと睨む。

 辰造は肩を竦めると、立ち上がった。

 

「やれやれ、こんなトコにいたら、他の女連中にドヤされらぁ。あっしは失礼しますよ。お嬢様。まだ、旦那さまに言いつけられた仕事が溜まってるんでね」

 

 辰造が女中部屋を出ていくと、トヨが閉まった扉に悪態をついた。

 

「なに言ってんだか。さっきだって、蔵の中で船こいでたくせに」

 

 薫はクスクス笑った。

 

「まぁ、辰造さんもお父様から色々と頼まれておいでだから、少しくらいは休憩しないとね」

「甘いですよ、お嬢様は。旦那様も奥様も」

 

「それよりトヨさんもお仕事あるのでしょう? いいわよ、私がみているから」

「そんな、お嬢様にそんなことさせたら、ヒサさんになんて言われるか。それに今日はピアノのお稽古がおありでしょう?」

「ばぁやは今日は風邪をひいて寝てるから大丈夫よ。それとピアノは今日はなしよ。先生の体調がよろしくないんですって。だから今、この家で一番暇なのは私なのよ」

「でもぉ…」

「ホラ。愚図々々してたら、また遅くなっちゃう。今日は、トヨさんも忙しいのでしょ?」

 

 含み笑いで言う薫に、トヨは真っ赤になった。

 実のところ、仕事が終わったら会う約束をしている男がいるのだ。

 

「ま、お嬢様。どこでそんなこと」

「スヱちゃんとヨネちゃんが話してたのよ。二人ともニヤニヤしていたわ」

「あの子達はもおぉ………」

「だから、志津さんのことは私に任せて。お仕事、お願いします」

 

 薫はニコニコ笑いながら、トヨの肩に手を置くと、扉の方へと押していく。

 

「すいません。それじゃあ…用事を済ませたらすぐに参りますので」

 

 トヨはペコペコと頭を下げながら、暗い廊下を戻っていった。

 

 薫は志津のもとに戻ると、青白い顔をまじまじと眺めた。

 ちょっと痩せたように思う。

 

 最近の志津は、どうしてだか神経質になっている気がした。

 薫には理由はわからない。

 昼も夜も働かなければならないほど、生活が逼迫しているのなら一度父に相談してみればいいのに…。

 いっそ自分から直接父に言ってみようか。

 

「……う」

 

 志津が呻いて、ゆっくりと目が開いた。

 

「志津さん、大丈夫?」

 

 薫が尋ねると、志津はまだ朦朧としているのか、ぼんやりと天井を見つめていた。

 やがて視線が動き、薫を見た。

 

「あ、お嬢様。……私、私、倒れたんでしょうか?」

 

 そう言って無理に身体を起こそうとするのを、薫は止めた。

 

「まだ、起きてはだめ。……そうよ、無理しすぎ」

「すいません、お嬢様。私、こんな……介抱させたりして」

「具合の悪い人が気を遣うものじゃないわ。顔色も悪いし…ちゃんと食べてる? スヱちゃんが言ってたの。最近、志津さんがあんまり食べないって。ね…ちょっと待っててね」

 

 言いながら、薫はドアの方へと歩いていく。

 扉を閉める前に、再び志津に念を押す。

 

「ぜーったい、いてね。勝手に歩き回ったりしたら駄目よ。お嬢様が言ってるんだから、言うことをきいてて」

 

 いつもよりもちょっと横柄に言ったのは、そうでもないと志津が遠慮して、また仕事を始めてしまうだろうと思ったからだった。

 扉を閉めると、パタパタと走って厨房に向かう。

 

 今日はばぁやのヒサが熱を出して寝込んだので、既に粥を作ってあった。

 薫は粥を一膳分、小さな土鍋にいれて温めはじめると、戸棚から卵を取り出して、茶碗に入れてかき混ぜ、その鍋の粥の上に注いだ。

 

 ヒサは熱を出してあっさりしたものしか欲しがらなかったが、志津には滋養のある、力のつくものを食べさせたかった。

 細ねぎもあったので、これを細かく輪切りにして、粥の上に削ったかつお節と一緒にパラパラとふりかける。

 

 お盆に卵粥を載せて女中部屋に戻ると、志津はおとなしく待っていてくれた。

 

「あぁ、よかった。卵粥を作ってみたの。ちょっと食べてみて」

「まぁ、お嬢様。そんな、いけません。頂けません」

 

 志津は恐縮しきりだったが、薫はニコと笑いかける。

 

「わりと上手に出来たと思うの。それにさっき寝ながらお腹がぐぅぐぅ鳴っていたんだから。志津さんが食べたくなくても、お腹は食べたがってるのよ」

 

 嘘だったが、少しでも志津に食べさせるための方便だった。

 

 志津は遠慮しつつも、「では少しだけ」とれんげで粥をすくって食べた。

 温かい粥が喉を通っていくと、じんわりと身体が温まり、鰹節の旨味とごはんの甘さが口の中に広がる。

 

「おいしいです……とっても」

「よかった。でもやっぱり志津さんみたいに卵をふんわりできないのよ。どうしても火を入れ過ぎて、固くなっちゃって…」

 

 色々と失敗の多い志津ではあるが、卵料理だけは誰よりも上手なのだった。

 薫も以前に寝込んだ時に志津の作ってくれた卵粥を食べ、今日はそれを真似たのだが、出来上がりはまるで違っていた。

 

「でも、おいしいです。人に作ってもらうのなんて、久しぶり……」

「実弥さんは作らないの? 器用そうなのに」

「あの子は働いてくれてますから。せめてご飯くらいは私が作ってやりたいんです。苦労かけてしまって……」

「じゃあ今度、私、寿美ちゃんに教えてあげるわ。大丈夫。ごはん炊きぐらいはすぐに覚えるわよ。私も六歳の頃には出来てたんだから」

 

 志津はハッとした表情になり、れんげを持つ手が止まった。

 

「志津さん?」

 

 薫が問いかけると、志津はれんげを茶碗に置いて、うつむいた。

 

「すいません、お嬢様。あの……もう…もう、ウチには来てもらうことはできません」

「え?」

「すいません」

 

 志津は頭を下げた。

 いたたまれない様子だった。

 

「どうして……ばぁやが、何か言ったの?」

「いえ、そういう訳ではございません。ただ、私共のような住まいにお嬢様が度々いらしていることが知られて、それでお嬢様の評判を落とすようなことになってはいけませんから……」

 

 そこまで言われて、ようやく薫は思い当たった。

 

「縁談のことね」

 

 ふぅ、と溜息ともつかぬ吐息が漏れる。

 

「いったい、どこの奥方様が私なんて目をかけてくださったのか…」

 

 女学校にはしばしば、ご婦人や地方の名士などが授業参観にやって来た。

 その実は嫁探しで、たいがいの場合、目をかけられた生徒は卒業までに中退してそのまま結婚する。

 

「私なんて卒業面*だと、さんざ馬鹿にされて、むしろそうなればいいと思っていたのに…」

「そんな訳ございません。お嬢様を馬鹿になさる人は、皆様、目が曇っておいでなのです」

 

 怒ったように言う志津を見て、薫はクスリと笑った。

 

「志津さんったら。でも、結婚なんてもっと先よ。お父様はまだしっかり勉強して、十七くらいになってからだって仰言(おっしゃ)ってたわ。まだまだ先の話」

 

「でも、今度お見合いなさって、よろしければご婚約されるのでしょう?」

 

 薫は曖昧な微笑を浮かべた。

 

「わからない。会ってみたら、おむつの匂いのする子守あがりのご令嬢なんて、御免だと追い払われるかもしれないし」

「そんなこと!」

 

 志津は声を張り上げた。「お嬢様がどれだけ努力なさったか」

 

 それは志津が森野辺家に勤めはじめて間もない頃に、トヨから聞いたことだった。

 

 東北の田舎から引き取られた時にはどうしようもない訛りで、女中だった癖が抜けず、トヨにすらビクビクと気を遣っていたのだと。

 それを礼儀作法の先生から厳しく…それはもう時に鞭で打ち据えられることもあるほどに…厳しく矯正され、夜も眠い目をこすりながら必死に勉強に勤しんでいたという。

 

 志津は森野辺家に雇われて二年目の新入りで、その時にはもう薫は立派なお嬢様だった。

子守奉公をしていたところを、主の弟の忘れ形見として引き取られたのだと知った時には、驚きすぎて、大声を上げてしまい、ヒサにこっぴどく叱られたほどだ。

 

 薫は微笑を浮かべたまま、「そういうことか…」と独りごちた。

 志津が首をかしげると、寂しそうに話す。

 

「だって志津さん、最近、なんだか様子がおかしかったから。何かあったのかと思っていたけど……私が志津さんの心労の元だったのね」

「…………」

 

 志津はまたうつむいた。

 否定はできなかった。

 

 家に来ることも、実弥に会うことも、まして息子がどうやら薫に好意を寄せているらしいことも、志津には不安でしかなかった。

 もし、まかり間違って、実弥と薫にあらぬ噂でも立ってしまったら、志津はもうお屋敷にはいられないと思った。

 

「申し訳ございません、お嬢様」

「どうして志津さんが謝るの? 私の方が勝手なことして、迷惑をかけてたのに。謝るのは私よ。ごめんなさい。もう、志津さんの家に行くのはよしておくわね。だって、こんなことで志津さんが辞めなきゃいけなくなったら、その方が私、嫌だもの」

「お嬢様……」

 

 子供達と楽しそうに遊ぶ薫から、その時間を取り上げることを心苦しく思いつつも、志津にはこうするよりなかった。

 

「さ、志津さん。これでもう心配事はなくなったのだから、ちゃんと食べて頂戴」

 

 薫はハキハキと言って、茶碗に粥を注ぎ足した。

 

 

◆◆◆

 

 

 早く家に帰るように言ったのだが、結局、志津は倒れる前にやり残していた仕事を片付けて、とっぷり日が沈んでから帰っていった。

 

「大丈夫? 辰造さんに送ってもらったら?」

「いえいえ。もう、すっかり。お嬢様に作って頂いた卵粥のおかげで」

「そう。気をつけてね」

 

 薫は手を振った。

 勝手口から出て、角を曲がる前に志津が振り返って、頭を下げる。

 

 薫はもう一度、大きく手を振った。

 志津はおずおずと、小さく手を振り、また頭を下げて……帰っていった。

 

 

 薫の中で、志津の姿はその時の印象のまま止まった。

 

 それきり、二度と志津と会うことはなかった。

 

 志津だけでなく、寿美や他の子供達にも。

 

 

<つづく>

 






<単語説明>

*卒業面
 美人でない、という意味で使われた言葉。
 大正時代のこの頃、女学校は学び舎であると同時に、お嫁さん候補養成学校のような趣もあったようです。本文中にもあるように、学校には地方の名士や資産家などが参観に訪れ、そこではやはり美人から声がかかっていったそうで……。
 それなりの方々は、卒業までしっかり勉強に励んだということで、つまり、『卒業』まで居残った『面』をお持ちの方々ということで、一種、侮蔑を含んだ言葉として用いられたようです。



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