【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
結局、一晩お世話になって、翌朝カナエは薫の傷の具合を見てくれた。
「肩と背中の傷はほとんど治ってるわね。足の方は、ちゃんと塗り薬を塗っておけば、一週間ほどで完治するでしょう」
カナエは足の甲に新しいガーゼを当てると、するすると器用に包帯を巻いていく。
「ありがとうございます」
礼を言って診療室を出ようとすると、コンコンコンと忙しなく扉を叩く音がして、カナエの返事を待たずに開いた。
「邪魔するでェ」
ヌッと入ってきたのは鬼の『生け捕り師』・
「宝耳さん!」
薫が驚いて声を上げると、「ヨォ」と気安く挨拶し、ずいずいと中に入って、診療用のベッドに腰掛けた。
「宝耳さん、女の方の診察中に入って来ないで下さい」
カナエが眉間に皺を寄せて咎めると、宝耳は肩をすくめた。
「いやぁ、知り合いがいるって聞いてなァ。ちょいとばかし挨拶に寄ったんや。『ありがとうございます』って聞こえたんで、もうエェか思ぅて」
「だったら、外で待っていればいいでしょう?」
「いやぁ、ワイもちょいとばかし怪我が膿んどってな。ついでに診てもらおうかと思て、ほんでついでに喋れるしな」
「………何なんですか、まったく」
怒ったように溜息をつきながらも、カナエは宝耳の脛の傷を診る。
その間に宝耳は呑気に薫に話しかけた。
「なんや
「あ、いえ…私は墓参りに来ただけです」
「へ? それで鬼に当たったンか? しかも花柱に滅殺命令が下っとった鬼に?」
薫はますますでしゃばった自分が恥ずかしくなった。
赤くなった顔を俯けると、宝耳はケラケラ笑った。
「アンタも、何や、運があるんやらないんやら……鬼が寄る
「……なんで知ってるんですか?」
「……ワイの情報網を舐めたらアカンで。まぁ、たまたまやろうけど、気ィつけェな」
「気いつけるのは
カナエは腰に手を当て、仁王立ちになった。
「こんな状態になるまで放っておいて。どうしてさっさと来ないんです?」
「いやぁ、薬も服んだし、そのウチ治るやろーて思とったんやけど、どうもあの鬼、ちょいどばかり違う毒を使うたみたいでな」
「薬が効かなかったんですか?」
「そのようや。一応、検体はさっきしのぶちゃんに渡しといたよってな。まぁ、吉野のおっ母さんと適当に調べといてや」
カナエはフウと溜息をつくと、宝耳の怪我の手当をしながら、薫に尋ねてきた。
「森野辺さんは、篠宮先生の門下なの?」
「あ……はい」
「じゃあ、
不意にその名前が出て、薫は一瞬、顔が固まった。
奇妙な間にカナエが首を傾げる。
「どうしたの?」
薫はすぐにニコと微笑んだ。
「……そうです。不死川さんは兄弟子にあたります」
「そうなんだ。大変でしょうねぇ」
心底から同情されて、薫はぎこちなく笑った。
「そう…ですね」
「言うことは聞かないし、無茶ばっかりするし。困った人よね」
カナエは実弥と知り合いらしく、気のおけない様子で言う。
「花柱様は………」
呼びかけると、カナエは「やめて頂戴」と立ち上がって、薫の前にズイと顔を近づけた。
「花柱様なんて、肩の凝る呼び方。大して年も違わないでしょう? いくつ?」
「私は十六ですが」
「あら、年下なのね。同じくらいかと思ってた。じゃあ、私はこれから貴方のことは薫って呼ぶことにするわ。私のことはカナエさんって呼んでね」
「え………」
「ね?」
正直、柱たる人に対してそんな気軽な呼び方をしていいものかと迷ったが、昨日もそうだが、カナエの笑顔はある意味、抗いがたい支配力を持っている。
「……はい」
ひとまず頷くと、カナエはニコリと笑って再び尋ねてきた。
「それで?」
「え?」
「何か言いかけていたでしょう?」
「…………忘れました」
本当に、何を言おうとしていたのか失念した。
どうしてだかカナエに真正面から見られると、思考が停止してしまう。
当のカナエは薫の動揺など知る由もない。気の抜けた顔をすると、肩をすくめた。
「じゃあ、また会うこともあるでしょう。お互い、頑張りましょう」
握手をして、薫は再び礼を言うと診察室を出た。
ホッとしたような、名残惜しいような妙な気分だった。
気持ちを整えるために大きく深呼吸をして、歩き出す。
出てきてから、ふと、宝耳は何をしにきたのだろう? と診察室のドアを振り返ってみたが、特に追いかけてくる様子もない。
深く考えることもなく、薫は再び歩き出した。
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薫が去った後の診察室では、カナエが宝耳の脛に包帯を巻きながら、話をしている。
「
宝耳が単刀直入に尋ねると、カナエはクスッと口の端を上げた。
「どうかしらね?」
「やれやれ。おちょくって遊びなや。堅物に見えて、あのお嬢さんには好いとる男がおるんやで」
「あら、そうなの?」
それは意外だった。
薫のような真面目な性格だと、そうした事すら考えないだろう、と思っていた。
「そうや。前に寝言で呼んどったんや。『さねみさん』言ゥてな」
「さねみ、さん?」
「せや。一言だけやったけどな」
カナエはクスと笑った。
「それだけじゃあ、不十分ね」
「不十分?」
「だって、それじゃあ生きている人なのかどうかわからないわ。もしかすると、死んだ人のことを思い出していたのかもしれないじゃないの。だったら、関係ないでしょ」
「えらいご執心やな。しかし残念やけど、あれは死んだ奴のことではないやろなぁ…。次の日にその事言うたら、真っ赤になって逃げていきよった。
「……はい、終了」
カナエは包帯を巻き終えると、ベシっと上から叩いた。
「デエッ! 痛い、痛いがな、カナエはん」
「大したことないでしょ。ホントにいちいち大袈裟なんだから貴方は。薫は麻酔もなしに縫われている間、一度も声を上げなかったのよ。辛抱強い子だわ」
「………そんなん、知らんがな。ワイは痛いモンは痛い言うで」
「ハイハイ。じゃ、治療は終了。お帰り下さい」
扉を開けて退出を促すカナエに、宝耳はぶつくさ言いながら、出て行こうとして呼び止められた。
「ねぇ、もう一度聞くけど……さねみ、って言ってたのよね?」
「は? あぁ……あのお嬢さんの寝言か? せやで」
「ふぅん」
カナエは顎に手を当てて思案する。
その様子を見て、宝耳はニヤニヤと笑った。
「なんやぁ…? 気になるんか?」
「……ちょっとね。知り合いに同じ名前の人がいるのよ」
「ほぅ? 隊士かいな?」
気安く訊いてくる宝耳を、カナエはジロと冷たく見た。
「危ない、危ない。貴方はそうやっていつも情報をとっていくんだわ。油断ならないったらない」
「ハハハハ。ただのお喋りやがな。大したことやあらへん」
「貴方と喋ってたら、口を縫った人間だって縫い目が綻んで、気がついたらベラベラ喋ってしまう羽目になるのよ。さ、帰って帰って。お疲れ様。また怪我するか、何か目ぼしいことがあったらおしらせください」
「ゲンキンな御仁やで。これやから花柱っちゅうのは……」
「なぁに?」
ニッコリと笑ったカナエに、宝耳は大人しく兜を脱ぐ。
診察室から出ると、宝耳はふぅと溜息をつきながら、煙草を袂から取り出した。
「………ホンマに菩薩と毘沙門天が一緒になっとるで、アレは」
独り
そういえば、そもそもはこっちに用があって診察室なんぞに行ったのだった。
さて ――― どうしたものだろうか?
特に急用でもなく、指令でもない。
ただの古びた約束に過ぎない。それも、とうの昔に死んでしまった人間との。
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十数年前 ――― 。
藤の花が散り始め、夏へと季節が移り変わる時期に、その人は既に枕から頭を持ち上げることもできずにいた。
若い頃は、柔和な、いかにも貴公子然とした面差しであったものが、今や醜く爛れたようになって、目も光を失って久しい。
おそらくこの夏を越すことはないように感じた。
全国を飛び回る宝耳からの様々な情報を聞いて、先に口を開いたのは、産屋敷家の忠犬である。
「相変わらず、目端がきくことだな」
ジロと睨んで皮肉っぽい口調で言うその男は、見事な三つ揃えの背広を着ている。
この数寄屋造りの広壮な屋敷では珍しいので浮いているが、当人はそんなことに頓着しない。
この男は鬼殺隊そのものよりも、産屋敷家における表向きの渉外活動を担っている。同時にこの家での執事としての役割もあった。
「有用な情報だ。
床の中から、案外と元気そうな声が聞こえて、少しばかりホッとしたのも束の間、その人は急に咳き込んで血を吐いた。
気配を消して控えていた奥方の
惟親は何かを言われたらしい。ぜいぜいと息するその人のそばに近寄ると、何度か頷き、やがて宝耳を呼んだ。
「来い。お館様がお呼びだ」
「……へいへい」
宝耳が耳をほじりながら近寄ると、もっと、と手で呼ばれる。
吐いた血の匂いがしてくるくらい側近くまで寄ると、フフと笑うのがわかった。
「宝耳……鬼殺隊を辞めたいかい?」
「ご賢察ですな。ま、それなりに金も貯まりましたよって、そろそろ支那に戻ろうかなァ……と」
「それは……残念だな」
「お館様も
「
「…………」
「惟親と、君と……今の柱達に頼めるなら、僕も安心だと…思っていたんだけどね」
「他はともかく、ワイなんぞはおってもおらんでも変わらんですよ」
「そんな事を言って、本心は、つまらないんだろう?」
病に伏せていても、洞察力は健在である。
「飽きっぽい君のことだから、仕事に馴れると、辞めたい病が出るんだよ」
「……かなんな」
宝耳はポリポリと頭を掻いた。
横で背をさすっていた奥方の耶香子がつと手を止めて、宝耳に向って頭を下げた。
「お願い致します。惟親様とご一緒に、息子の代に於いてもご助力頂きますよう……」
「やめてくださいよ、奥方。別嬪さんに頼まれると、断れんようになる」
「じゃあ、頼まれてくれるのかな」
楽しげに言う夫に、耶香子はそっと微笑んだ。
こんなふうに楽しそうにしているのは久しぶりだ。
宝耳と惟親と……三人でいると、昔のままに、同じ年の少年に戻る。
「飽きっぽい宝耳に…じゃあ、もう一つ頼みたいことがある。これは……父上の遺言でもあったんだけど」
「先代の?」
「風の…一族のことだよ。父上は自分の代で風柱を途絶えさせてしまったことを、ずっと気に病んでいたんだ。……先々代の風柱には無理をいって長く勤めてもらったから……きっと親のように慕っていたんだろうな。僕も、幼い頃には最後の風柱に遊んでもらった。彼の息子にも、会ったことがある。今頃どうしているのか…生きてるのか死んでいるのかすらわからない。彼がどうして風の呼吸を継承しなかったのかも……」
そこで一旦途切れ、乱れた息を整えるまでしばらくかかった。
宝耳はいつの間にか、骨と皮だけになった、その細い腕を掴んでいた。
「興味があるなら……一度、調べほしい。あの頃、あの一族に何があったのか。理由がわかったからといって、今更どうなるものでもないのだろうけど………」
宝耳は眉を寄せた。
昔、風柱の惣領家で異変があったらしいことは、隊内で漏れ伝わっているが、そんな昔話、今は誰も気にかけてなどいない。
「もう、気にすることでもないでしょう。惣領家がなくなったとはいえ、ちゃんと風の呼吸の育手もおって、技は継承されてはいるんですから」
「うん…そうだね。だから……君の…好奇心が続くようなら、で、いいよ。あの頃、生きていた人は……もう、少ない……し、生きていたと、して……語ってくれる……とも、思えないけど。君は……こういうの、好きだろ?」
「……なんやろな、人を三流の新聞記者みたいに」
「その通りだろうが。出歯亀」
それまで口を挟まなかった惟親が、後ろから野次ってくる。
「誰が出歯亀やねんっ!」
二人のやり取りを見て、聡哉はクスクス笑っている。しばらく笑っていたが、またむせて、苦しそうに胸を押さえた。
折れそうな手が、宝耳の手を握る。いや、握る力も失ったのか、実際には重ねただけ。
「宝耳。頼むよ……」
それから ――― 。
夏が終わり、さわやかな秋風の吹く頃、産屋敷家九十六代目当主・聡哉の逝去が鬼殺隊全員に報知された。
穏やかな死であったと、伝えられた……
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が。
宝耳はあれから
なにせ今のお館様というのは、優しげな風貌とは裏腹に、人遣いが荒い。辞めるなんて言い出す暇もないくらいにこき使われ、そんな昔話にかかずらっている時間などなかった。
ひょんなことであの娘に会って、篠宮老の事を聞いてからだ。やたら思い出すようになったのは。
もうとっくに忘れたと思っていた、
―――― 宝耳。頼むよ……
これは、何かの意志なのか? 前兆なのか?
時に人ならざる直観力を持った彼の人は、極楽から糸でも垂らして、自分を動かそうとしているのか?
ポリポリと頭を掻いてしばらく思案する。
ポイと煙草を小さな池に投げ棄てると、宝耳は薫を追った。
<つづく>
<おことわり>
▼前回に引き続きなのですが、今回も確信犯でやっていることが……。
胡蝶カナエさんですが、原作に忠実にいきますと、本来はもう死んでるんです。十七歳で死亡、ということなので。ですが、そうなると、どうしてもなんか噛み合わないことがあったりなんかして…いや、単純に作者都合でカナエさんが好きなので ―― 十七歳過ぎてますが、生存中。すみません。本当に。
どうかボンヤリとお見過ごし下さい。
▼2021.02.04.に発売された『鬼滅の刃ファンブック vol.2』において、お館様についての追加情報がありました。
この話における先代お館様の描写と、原作設定とは異なることになりますが、修正が難しいため、そのまま変更しないことにします。ご了承の上、お楽しみいただけると幸いです。
▼2025/5 やや修正しました。物語の流れに変更はございません。