【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

57 / 247
第五章 激情(四)

 鬼は寺の地下室の先にある扉の向こう、自然に作られた洞窟の中にいるのだと言う。

 座敷牢を横に通り過ぎる時、格子にくくられた弟子共が和尚の姿を見て騒いだ。

 

「和尚様!」

「助けてください!」

 

 しかし、その首と手に縄がうたれているのを見ると、はたと止まる。

 

「あなた達も一緒に来る?」

 

 佐奈恵が尋ねると、弟子どもはブルブルと首を振った。

 

「誰もあなたの代わりになろうっていう殊勝な弟子はいないようね」

 

 和尚はもはやそれどころではない。恐怖で歯の根があわずにガチガチと小刻みな音をたてた。

 板が敷かれてあった場所を抜けると岩場がむき出しになった。ここから洞窟になっているらしい。

 ピチョンと、どこかで水滴が響く。蝋燭の灯りだけが光る、仄暗い隧道(すいどう)

 やがて奥に洞窟を塞ぐように作られた大きな白木の扉が見えた。扉の左右は格子が嵌め込まれている。

 

「こんなもの作ったって、意味ないのに」

 

 佐奈恵は自分の背の倍以上ある、見上げるほどの扉を見て呆れた。人間ならばともかく、鬼の力をもってすれば、破ることなどたやすいだろう。

 しかし和尚は意外なことを言う。

 

「そ、それは……ヌシ様に言われたのよ」

「は?」

「ここに扉を作っておけと……」

「なんでまた?」

「知らん! お、お、お前達がヌシ様を追い立てるからだろう!」

 

 和尚が震えながら抗議すると、薫と佐奈恵は目を見合わせた。

 事情を聞いてみると、どうやらここに潜む鬼は鬼殺隊から逃げ回っていたらしい。

 夜に鬼狩りから、昼は太陽から身を隠しながら逃げるうちに、和尚と出会い、取引をした。

 なにしろここにいる限りは鬼狩りに追い回されることもなく、日の光を気にすることもなく、しかも待っているだけで愚かな人間が食料を調達してくれる。格好のねぐらであったろう。

 双方の利害の一致が、この歪な関係性を生み出した。どちらの理由も、吐き気がするほど利己的なものだが。

 

「鬼をここまで震え上がらせるなんて、柱かな?」

「そうですね……いずれにしろ、取引相手としてはあまり頭のいい相手を選ぶ余裕はなかったようですね」

 

 薫が言うと、佐奈恵はクックッと笑った。

 

「ま、そうだわね。結局、私達に目をつけられる羽目に追い込まれているんだから」

 

 二人で和尚を窺ったが、皮肉にすら気付かないほどに、怯えているらしい。

 佐奈恵は肩をすくめると、目の前の扉をコツコツと叩いた。

 

「ふぅん……」

 

 鈍い音だ。横で扉を支えている格子の太さからいっても、相当に分厚く、重そうだ。

 いかに呼吸の技を持つ鬼殺の剣士であっても、ここを叩き壊すには、かなりの技力がなければ無理だろう。少なくとも、自分には出来ない。

 

「こ、こ、この先におる……」

 

 和尚は扉を指さすと、逃げようとして目を泳がせた。

 佐奈恵が縄を引き絞った。

 ぐい、と和尚の首がのけぞる。

 

「どこに行こうとしているのよ?」

 

 薫はあらかじめ和尚から渡されていた鍵を南京錠に合わせた。

 和尚は逃げようともがいた。

 

「ヒイィッ! も、も、もう儂は関係ないじゃろ? お前さんら二人で行けばええ」

 

 裏返った声が洞窟内に響く。

 薫はグッと扉を押した。辛うじて動くものの、人が入れるほどには開かない。

 佐奈恵は頷くと、和尚を格子にくくりつけ、薫と一緒に扉を押した。ギギギと軋みながら、ゆっくりと扉は開いた。手近にあった石をかませて、扉を固定する。

 仄かな明かりの中で、白い岩がいくつも氷柱のように垂れ下がっているのが見えた。

 

「……鍾乳洞ですね」

 

 薫は以前に父母らと訪れた奥多摩の鍾乳洞を思い出した。夏でも寒いほどに涼しかった。

 

「こ、こ、この道を進めば鬼がいよるわ。一本道じゃ。迷いはせん…儂は…」

 

 和尚はすっかり自分が鬼に差し出されるのだと思っているらしい。恐怖で汗が止まらず上ずった声で必死に訴える。

 

一見(いちげん)の客には紹介者が必要でしょ?」

 

 佐奈恵は言いながら、格子に括りつけてあった和尚の紐を再び解いて掴むと、「ほら、行った」と日輪刀で背をつついた。

 どこかで水の流れる音がした。地下水であろうか。仄暗い道の両側に広がる風景は幻想的だった。

 もはやカチカチと歯の鳴る音しかさせなくなった和尚は、時々つまづきながら歩く。

 近づくにつれ、梅雨の季節に不釣り合いなほどの冷気と饐えた匂いが漂う。

 いきなり開けた場所にたどり着くと、上から低い声が響いた。

 

「もう、次の(にえ)を持ってきたんか。糞坊主」

 

 上を見上げたと同時にその姿はなく、気付くと鬼は皿のようになった乳白色の岩の上に立っていた。

 巨体である。十尺はあるだろう。

 褐色の肌にシミのような赤黒い斑紋。禿げ上がった頭。筋骨隆々とした腕が右に二本、左に二本。腹はでっぷりと丸く膨れ、緑色の血管がいくつも浮き出ていた。

 小さい紅の目がギョロと和尚を見つめ、ついでさっと薫、佐奈恵を見た。

 

「糞坊主……貴様ァ、裏切ったな」

 

 怒気を含んだ低い声が、和尚を責める。「鬼殺隊なんぞ呼びよって…貴様ァァァ!」

 口が頬まで裂け、唇がめくれ上がって赤いヌラヌラした粘膜が蠢いた。

 和尚がヒィツと喉を鳴らし、その場に腰を抜かした。

 

「ちっ、ち、違うっ! 違うんだ! 儂は…儂は……」

 

 言いながら、這いつくばって逃げようとする和尚の前に、鬼が巨体に似合わぬ俊敏さで立ち塞がると、和尚の頭を掴み上げた。

 

「ぎゃああああぁぁぁ!!!!!!」

 

 和尚の悲鳴が響くと同時に、薫はその鬼の腕を斬った。

 ギロと、薫を睨む紅の目。鬼特有の細長い虹彩。目が合った瞬間に、ゾワリとうなじに寒気が走った。

 

 

  ―――― 強い。

 

 

 ドサリと、鬼の腕と一緒に和尚が地面に落ちた。

 

「ひいっ、ひっ、ひっ、ひっ」

 

 和尚は腰くだけになった状態で、それでも必死に逃げようとする。

 隣にいた佐奈恵が、チッと舌打ちしながら、和尚の縄を切った。

 

「さっさと行け!」

 

 尻を蹴り上げられ、和尚はどうにか走って来た道を戻っていく。

 薫はスウゥゥゥと息を吸い込み、鬼に向って必殺の技を繰り出すべく構えた。

 

 

 鳥の呼吸 参の型 飛燕之鋒(ひえんのほう)

 

 

 上段と下段から首を狙うその技が鬼の首をとらえる前に、鬼が血鬼術を放った。

 

 

 血鬼術 撒砂哢刃(さんしゃろうじん)

 

 

 無数の硝子のようなものが、薫に向って放射された。

 咄嗟に後ろに宙返りして躱すものの、細かな斬撃はほぼ全身に裂傷を負わせた。弱い鬼の爪程度では掻き斬ることもできないはずの隊服が破れ、ジワリと血が滲んでくる。

 

 

  ―――― やはり、この鬼…強い。

 

 

 薫がこれまでに討伐してきた中で、血鬼術を使えるほどの鬼は最初に任務で葬った小鬼を含めても数匹。たいがいは血鬼術も使えない、いわば体力と腕力だけが人間離れしている、という鬼がほとんどだった。

 鬼殺隊から逃げている鬼など大したことはない、という油断があった。それは否めない。

 ギリ、と歯噛みしながら、間合いをとって構える。

 鬼が再び手を振り上げて攻撃してこようとしたが、その背後から佐奈恵が技を繰り出す。

 

 

 水の呼吸 肆の型 打ち潮

 

 

 複数の斬撃を加える技であったが、鬼は俊敏だった。

 腕一本を斬られながらも、素早く飛び退ると同時に、佐奈恵に攻撃していた。

 横腹を抉られ、グゥと呻きながら佐奈恵は尻もちをついた。見る間に隊服に赤黒い染みが広がっていく。

 

「また、斬りやがって……これだから嫌なんだ、テメェらは………」

 

 鬼は苦々しい口調で言い、斬られた腕をベロリと舐めた。

 口が頬まで裂けて、長く伸びた舌が出てくる。その先端はサソリのように尖って、黒光りしていた。形状だけで判断できないが、それは危険なものだと感じた。毒針のような気がする。

 鬼はしばらく佐奈恵と薫を睨みつけて動かなかった。攻撃の隙も見せない。

 三者で膠着状態となった後、鬼はニイイと嗤った。

 

「なんだァ……鬼狩りでもアイツじゃねぇならいいや」

 

 薫は鬼の揶揄(やゆ)には乗らなかった。むしろ、皮肉な笑みを浮かべた。

 

「よほど強かったんでしょうね、その人は。まさか追っていた鬼が、こんな洞穴に逃げ込んで、隠れて縮こまって、人に世話されなければならないほど、怯えているとは思わないでしょうね」

「……貴様ァ、誰に何を言ってる?」

「無論、お前に言っている。逃げ鬼が」

「小娘がアァァァッ!!!!」

 

 鬼が薫に向って突進してきた。

 直線的な行動であれば、薫にもまだ対処できる。

 素早い動きで鬼の攻撃を躱しながら、呼吸をより深めていく。

 

 

 鳥の呼吸 弐ノ型 破突連擲(はとつれんちゃく)

 

 

 素早い突き攻撃を繰り返しつつ、今度は鬼との間合いを詰める。

 鬼は四つの手で薫を掴もうとしたが、くるりと宙返りしてかわし、その太く固い腕に降り立つと同時に、蹴り上げて跳躍した。

 目の前には鬼の首。

 

 

 鳥の呼吸 肆の型 円環狭扼(えんかんきょうやく)

 

 

 交錯した二本の刀が円を描き、鬼の頸を絞扼(こうやく)する。

 ゴト、と鬼の首が落ちた。

 薫は着地し、横に落ちている鬼の首を見つめる。

 拍子抜けするぐらいあっさりと首がとれてしまった。

 

 

  ―――― おかしい。 

 

 

 ザワザワと耳鳴りがする。

 全身が粟立った。

 終わっていない ―― と、何かが告げている。

 だが、佐奈恵は脇腹を押さえながら近寄ってきて、フゥと一息ついた。

 

「もう、薫ちゃんが挑発するからどうなるかと……」

「日村さん、逃げて」

 

 佐奈恵を遮って、薫は静かに言った。

 

「え?」

「この鬼…尋常じゃない。お願いします、救援を」

「何言ってんの? やっつけた……」

 

 佐奈恵は怪訝そうに言いかけたが、首を切られたはずの鬼の体が煙となって消えることもなく、ゆっくりと起き上がるのを見て、言葉を失った。

 

「日村さん!」

 

 薫は叫んだ。

 

「早く! 救援を要請!」

 

 それは命令だった。

 佐奈恵は唾を呑み込むと、あわてて来た道を走り出す。

 

 薫が構える間もなく、首なしとなった鬼が跳躍し蹴りこんできた。

 一瞬の隙。

 腹に衝撃が入る。

 すさまじい勢いで岩の壁に打ちつけられた。氷柱状の鍾乳石が落ちてくる。

 

 痛みに顔を顰めながら、薫は呼吸を行った。

 うまく受け身をとれなかったせいで、頭を打ったようだ。クラクラする。

 よろよろと立ち上がり、刀を構えた。

 攻撃にも守勢にも応じる必要がある。

 気を抜いたら、お終いだ。

 

 だが鬼は攻撃してこなかった。

 ゆっくりと歩いて、転がった自分の首を拾い上げる。

 首は笑っていた。ニヤニヤと笑ったまま、鬼のでっぷりと太った腹に吸収されていく。

 

 もう、意味がわからない。

 なんなのだろう、この鬼は。

 

 恐怖や怒りが心の中心を占有しそうになるのを、必死で押し止める。そうなってはもう勝ち目はない。

 冷静に、状況を分析するのだ。呼吸を整えて、勝機を見極めなければならない。

 頭から血が流れてきていたが、手当している暇はない。

 刀を構えて、鬼の攻撃に備える。

 

 その時、佐奈恵の叫ぶ声が聞こえた。

 

「薫ちゃん!」

「日村…さん……?」

 

 どうして戻ってきてしまったのだろう。できればそのまま鴉に救援を要請して、誰かが来るまでその場で待っていてほしかったのに……。

 

「あの坊主、扉閉めやがったわ…!」

 

 薫を庇うように、佐奈恵は前に立った。

 

「でも、格子のところから、薫ちゃんの鴉に頼んだから。大丈夫、大丈夫…」

 

 首を切っても鬼が消えない ――― 。

 ありえない状況に恐怖する自分に言い聞かせるように、佐奈恵は大丈夫を繰り返した。

 腹を一応、(さらし)で巻いて止血しているが、赤黒い染みは手の平ほどに広がっていた。

 

 その時、二人の目の前で、またしても信じられないことが起きた。

 鬼のなくなった首の部分から、三つの首が出てきたのだ。

 それぞれがまったく違う顔である。

 

 一つは落武者のようなザンバラ髪で、青黒い肌。目を閉じて顰め面をしている。

 一つはさっきの禿頭でニヤニヤと笑っている。

 一つは童のような丸く白い顔に幾筋も隆起した緑の血管、額から瘤のような角が生え、ギーッギーッと猿のような鳴き声でずっと喚き立てている。

 

 腕も二本多くなって六本。よくよく見れば、腕は左右二本ずつ、それぞれ肌色が違う。

 

「共食い……?」

 

 薫がつぶやくと、佐奈恵も頷いた。

 

「食べたヤツを吸収して、こんな姿になるって……趣味悪っ」

 

 鬼が共食いするのは珍しいことではない。しかし、この鬼のように自分の喰った鬼の姿をわざわざ晒して見せるというのは初めてだった。

 

「どれが喰ったヤツなの?」

「考えるより、全部の首を落とした方が早いです」

「よしっ!」

 

 佐奈恵が気合を発して、鬼に向かって行く。薫は慌てた。

 

「日村さんっ!!」

 

 

 水の呼吸 壱の型 水面斬り

 

 

 佐奈恵が跳躍すると同時に、剣撃を繰り出す。しかし、鬼の手が伸びる。

 薫もまた、跳躍して技を繰り出した。

 

 

 鳥の呼吸 参の型 飛燕之鋒(ひえんのほう)

 

 

 素早い身のこなしで鬼の攻撃を避けると同時に、佐奈恵の剣撃を邪魔しないように、流れるような動作で鬼の腕を五本、切り落とす。

 佐奈恵の日輪刀が童顔の鬼の首に届いた瞬間、パキンと刀が折れた。

 折れた刀身が地面に落ちていく。

 二人の空隙を狙って、残り一本となった鬼の腕が伸びて、黒い爪が再び佐奈恵を襲った。先程やられた腹を、今度は深く掻き切っていく。

 ドサリと佐奈恵が地上に落ちたが、様子を見ている暇はない。

 薫は次の攻撃を繰り出した。

 

 

 鳥の呼吸 壱の型 鷹隼空斬(ようしゅんくうざん)

 

 

 足に力をこめて思い切り上に跳躍する。しかしすぐに後悔した。

 ここでやるには、天井が低い。威力が、落ちる ――― !

 薫の逡巡を鬼は見逃さない。

 メキメキと再生した右腕の一本がパッと手を開くと、また無数の割れた硝子のようなものが放出された。

 再び細かい斬撃に襲われ、薫は反射的に亀のように丸まって、地面に転がった。かわしきれなかった攻撃が薫の身体を切り裂き、血があたりに飛び散った。

 構えをとる間もなく、また再生した別の腕が薫を掴もうと伸びてくる。

 

 

 水の呼吸 弐ノ型 水車

 

 

 ヒュウウと音がして、その腕に刀が刺さった。

 佐奈恵が呼吸による技で、腕をねじ切るために折れた日輪刀を投げたのだ。

 薫はその腕を叩き切った。

 

「痛テェ…痛テェ……お前らァ、さっきから痛テェんだぞ」

 

 禿頭の鬼が、恨めしそうな声で言う。

 切られた腕の肉がビロビロと蠢いているのが、ひどく気持ち悪い。

 薫は横たわる佐奈恵と鬼の間に立つ。

 ここまで追い込まれたのは初めてかもしれない。背中にびっしょりと冷や汗をかいていた。

 戦闘において計算違いをするのも、自分が確実に動揺しているせいだ。あの畜生坊主達のせいで、戦闘の前から頭に血が昇っている。冷静にならなければならない。

 呼吸をこらす。

 今度こそ、決めなければ。自分も佐奈恵も助かるために。

 この鬼さえ始末すれば、佐奈恵は大丈夫だ。

 必ず、きっと、無事に帰れる。

 

「痛テェ…痛テェ……」

 

 真ん中の禿頭の鬼は怨念のこもった目で睨みつけてくる。

 

 薫は息を吸った。深く。深く。細く、長く、遠く……。

 集中しろ。

 今、考えるべきはこの鬼を倒すことだけ。

 技を、より研ぎ澄ませ。より強く、相手を圧倒するものを。

 冷たく冴えた頭が、この鬼を分析する。三つの頭をほぼ同時に斬るための技……

 

 鬼は歩みを止めた。禿頭の鬼の口がニィィィィと割け、先程見た毒針のような舌が、踊っているかのようにくねくねと動いている。

 

「死ネエェエェエエエ!!!!!!」

 

 鬼が岩を蹴り、跳躍してくる。

 

 

 鳥の呼吸 肆の型・改 双環狭扼(そうかんきょうやく)

 

 

 いつものでは鬼の首を落とせない。もっと呼吸を深くして、大きく ―― 速く!

 日輪刀がブンと空気を震わせる。

 二つの円環が鬼の首をそれぞれ捉えて、ねじり斬る。

 

 童顔の鬼の甲高い悲鳴と、禿頭の嗄れた怒声が洞窟にこだました。

 鬼がガクリと膝をつく。

 ようやく訪れた反撃の契機に、薫が再び息を吸い込んで技を出そうとした刹那。

 残されたザンバラ髪が、それまで閉じていた目をカッと見開いた。

 血の滲んだような紅い目が、薫を睨みつける。

 その瞬間、金縛りにあったかのように動けなくなった。

 

「………鬼狩りめ」

 

 無防備になったのを狙って、鬼が薫の首に手をかけた。

 

 

  ―――― 殺られる!

 

 

 カッと脳天に電気が走る。

 沸騰した血が傷口からドクドクと溢れてくる。

 その時、薫は意味のわからぬ映像を見た。 

 

 白昼夢だろうか…?

 

 鬼殺隊の隊服を着た男の姿が見えた。

 この鬼に対しても見劣りせぬくらいに、大柄な、逞しい体躯の男だ。

 珍しいことに、刀を持っていない。見るからに重そうな、鎖で繋がった棘のある鉄球と斧を、縦横無尽に振り回して、迫ってきている。

 ギャアギャアと喚き立てる声。この声は、この鬼の声か?

 待て! と、男の声がする。鬼は走っているのか、荒い息遣いが聞こえる。

 怖い。怖い。怖い。怖い。

 逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。

 必死で逃げている。

 

  ―――― この鬼は、この男から逃げ回っていたの…………?

 

 映像が消えると同時に、金縛りが解け、薫はその場から飛び退(すさ)った。

 刀を構えながら、ビリビリと全身の血液が粟立つような感覚に、奇妙な高揚感と嘔吐したくなるような嫌悪感が同時に訪れる。

 ザンバラ髪の鬼の表情は、強張っていた。青ざめているようにも見える。

 

「………おヌシ…その……」

 

 何か言いかけている。

 だが、鬼の言葉になど耳を貸している暇はない。

 再び息を吸う。細く、長く。全集中の呼吸 ―――

 

 

 鳥の呼吸 参の型 飛燕之鋒(ひえんのほう)

 

 

 奥歯を軋ませながら、薫はその硬い首に刃を立てる。

 途中でバキィ、と短い方の刀が折れた。すぐに手を離して、一つの刀に力を集中させる。

 地面に転がった禿頭の鬼が針のようになった舌を伸ばし、脛を刺した。鈍い痛みと共に、何かが注入されるのを感じる。だが、今は無視する。

 

 

  ―――― この、首を、なんとしても、斬る…!

 

 

 渾身の力で鬼の首をえぐり取った。

 

 

 グゴオオオォォオオオオォオ!!!!!!

 

 

 低い断末魔の咆哮が、洞窟内を反響する。

 ゴトリ、と重い音をたてて鬼の首が地面に落ちた。

 バラバラと灰となって消えていく。

 禿頭の鬼は最後まで「イヤダイヤダ!!!!」と濁声で叫びながら消えていった。

 鬼の消滅を見届けると、一気に身体(からだ)の力がなくなった。その場に崩れ落ちるように座り込む。

 脛に灼けつく痛みと痺れを感じた。おそらくさっきの舌はやはり毒針だったのだろう。

 破けた服を裂いて見ると、果たして脛の傷部分から、皮膚が赤く焼けただれ、徐々に広がっていっていた。

 

「………」

 

 息をなんとか整えつつ、懐のポケットから宝耳に以前もらった印籠を取り出した。

 毒消しの薬だと言っていた。

 震える手の中で、幾粒かの丸薬がこぼれ落ちた。どうにか口に入れた分を、唾で無理やりに飲み下す。

 これが効くかどうかは、運を天に任せるしかない。

 そのまま這いずるように佐奈恵に近づいた。

 視線の先で、鬼の体の最後の一欠片(ひとかけら)が塵となって消えていくのが見えた。

 

 今度こそ、殺した。

 

「ひ、むら、さん…」

 

 佐奈恵の周りには、血溜まりができていた。

 晒はすでに真っ赤を通り越して、黒く見える。

 

「薫ちゃん…」

 

 意外にも佐奈恵の声はしっかりしていた。

 

「ズボンの右ポケット、縫い付けてあるの……取ってくれる?」

 

 何を言い出すのかと思いつつ、佐奈恵の言う通りにズボンの右ポケットに手を突っ込むと、確かに何かが縫いつけてある。

 強張る手でどうにか布を引きちぎると、丸い石のようなものが手の平に転がり出た。

 ポケットから手を出して、中にあったものを佐奈恵に見せた。

 

「これですか?」

 

 それは翡翠の石のようだった。薄い緑色の原石。

 

「そう。……これ、さぁ…アイツに、隆に、渡してくれる?」

「…………嫌です」

 

 震える息の中で、薫は首を振った。「自分で渡してください」

 もはやどうしようもないことを佐奈恵は悟って、微笑んでいる。

 薫は「嫌です」と、繰り返した。

 

「頼むよ、薫ちゃん」

「…嫌です。………佐奈恵さん、お願いです。呼吸を整えて。もうすぐ救援が、隠が来て助けてくれますから………あきらめないでください」

 

 佐奈恵は「うわぁ」と嬉しそうに笑った。

 

「薫ちゃん、やっと名前、呼んでくれた………」

 

 

<つづく>

 

 

 






次回、水曜日(2021.02.03.)更新予定です。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。