【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
翌日。
学校から帰ってきて、いつもなら一番に迎えてくれる志津がいないので、薫は身の回りの世話をしてくれているスヱ子に尋ねた。
「志津さんはどうしたの?」
スヱ子は困ったように表情を歪めた。
「えっと、あの…おやすみです」
「おやすみ? あら、やっぱり昨日は具合がよくなかったのね。後で……」
と、言いかけて志津との約束を思い出す。
「そう、ね。あとで、一度様子を見に行ってくれないかしら?」
薫が言うと、スヱ子は「えっ」と顔を引き攣らせた。
「あら、何か用事があるの? それだったらトヨさんか、ヨネちゃんでもいいけど……」
「それは……無理だと思います」
スヱ子がビクビクしながら言うのを、薫は怪訝な目で見た。
「スヱちゃん、どうしたの? 何かあったの?」
「私は、知らないんです。辰造さんが見に行ったから……」
そこまで言って、スヱ子は黙り込んでしまった。
よく見れば、目の端に涙が光っている。
ようやく、薫は事態がひどく不穏な気配を孕んでいることに気がついた。
嫌な予感を打ち払いながら、部屋を飛び出すと、辰造を探した。
「トヨさん、辰造さんは?」
玄関で革靴を磨いているトヨを見つけて尋ねると、トヨもまた困ったような顔で薫を見た。
「あ、お嬢様。えと、辰造は…ちょっと……出ております」
「何処に?」
いつもなら聞かないようなことを聞いてしまったのは、妙な胸騒ぎがしてならないからだ。
「ど、どこって…」
「志津さんに何かあったの?」
トヨは顔を伏せた。
「私には……わかりません」
「トヨさん!」
言ってる間に勝手口から入って来ていたらしい辰造が、ふらりと廊下に現れた。
「辰造さん」
薫が声をかけると、辰造はあっと叫んで、あわてて立ち去ろうとする。
「待って!」
薫は辰造の袂を掴んだ。
「なにかあったの? 志津さんに」
辰造はトヨと目を見合わせた。
「いやあ、まだよくわからねぇんで…」
「わかっていることだけでも教えて!」
「……どうも、物盗りだか何かに襲われたらしくて。志津の行方はわからねぇんです。ただ、あすこの家が…そのぉ…」
辰造は言い淀んで、「お嬢様」と薫の肩に手を置いた。
「気をしっかり持って下さいよ。志津ン
「……………」
そこから―――薫の記憶は曖昧になった。
まるで水の中にいるかのようだった。
辰造達の声がくぐもって、はっきり聞こえてこない。
どうやら自分は、辰造から志津の家が襲われ、子供達が殺されたという事を聞き、外に飛び出そうとした。
それを辰造とトヨが必死に止める。
そこに父が現れる。
辰造とトヨから志津一家の不幸と、実は薫が不死川家に出入りして、子供達と知り合いだったことを聞く。
父は驚きながらも、冷静に薫を諭す。
「
父は薫が度々、家人に言わずに外出することを知っていたが、大目に見てくれていたらしい。
呆然としたまま顔を上げると、やさしく頭を撫でてくれた。
いつも、何もかもお見通しであるかのような透徹した眼差しで、穏やかに薫を包んでくれている。
この父の言うことには逆らえない。
トヨが薫を支えながら、部屋へと歩き出す。
背後で辰造と父が話している。
「ひどいもンですよ。まるで野犬にでも喰われたのかってな有様で。部屋中、血だらけの地獄絵図のようでした。男のあっしでも
「どういうことだい?」
「志津の他にも、上の二人…長男と次男がいなくて。行方不明なんでさぁ」
「それは…犯人に連れ去られたのだろうか?」
「よくわかりません。また後でもう一度行って聞いてみます」
「そうしてくれ。それにしても……薫子があんなに気落ちしてしまって、よほどそこの子供達と馴染んでいたんだね…」
「いやぁ…あっしは行かない方がいいと言ってたんですがね。下町のきったねぇ家だし、お嬢様にゃ似つかわしくないと…」
だんだんと声が遠くなっていった。
二階の自分の部屋へと階段を上っていっている。
そうか。
志津は行方不明なのだ。
上の二人というのは、実弥と玄弥のことだろう。
もしかすると、生きているかもしれない。
―――――死んでるかもしれない。
会えるかもしれない。
―――――会えないかもしれない。
会いたい。
―――――会えない。
促されるまま薫は寝台に横たわった。
ぐるぐると目が回る。
「お嬢様、少しおやすみあそばせ」
トヨがやさしく言う。
目を瞑ると、寿美の顔が浮かんだ。
そういえば寿美達にリボンを作ってあげたのだった。今度行く時に持っていこうと思っていたのに、志津との約束で行けなくなってしまった。
――――志津さんが来たら、渡そう……。
急速に、睡魔が薫の意識を覆った。
本当は寝たくなどないのに、なぜだかひどく粘りつくような眠気が襲ってくる。
昏々とした眠りの中で、薫は寿美達と遊んでいた。
いつもと変わらぬ日常は、夢の中に消えていった。……
◆◆◆
次の日。
薫はいつものように学校に行き、授業を受け、帰ってきた。
「あら、志津さんは?」
思わず尋ねると、トヨがなんともいえぬ泣きそうな顔で言う。
「お嬢様、志津は参りません」
「そう……寿美ちゃん達にリボンを作ったから、渡してもらおうと思ってたのに……どこか具合が悪いのかしら?」
トヨはヒッと息を呑み、パタパタと駆け去っていく。
薫は不思議だった。
何か驚かせるようなことをしただろうか?
夕食後、父が教えてくれた。
「辰造が聞いてきてくれたよ。志津の上の息子達が家に一度戻って、弟妹達の遺体を、もう荼毘に付したそうだ。志津の行方については聞いたが、答えなかったそうだ」
「……そうですか」
薫は返事をしながら、ふと思い出した。
そう言えば、昨日、辰造が寿美達が殺されたと言っていたのだった。
そうだった。
殺された……死んでしまった。
寿美も…貞子も、就也、弘…まだ小さな小さな
薫は無意識にギュッと握り拳をつくっていた。
少し伸びた爪が皮膚に食い込むほどに。
だが、一方で。
「お父様、それではお墓参りに行くことは許していただけますか?」
なぜだか冷静にそんなことを言っている。
どうしたのだろう…?
ちっとも悲しくない。
心が、まるで、石になってしまったようだ。
昔、実の母が亡くなった時も、自分はそういえば泣かなかった。
―――――冷でぇ
後ろで非難めいたことを言われているのも聞こえていたが、何も感じなかった。
自分は、冷たい人間なのだろうか……?
父はしばらく考え込んでいた。
「いいだろう。ヒサと……いや、辰造と一緒に行っておいで」
「はい、それでは明日、学校の帰りに寄ってまいります」
頭を下げながら、あのリボンを持って行って供えようと思った。
もう、寿美達の髪を飾ることもなくなったが、約束したのだから、持って行ってあげよう。……
<つづく>