【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第二章 変調(二)

 翌日。

 

 学校から帰ってきて、いつもなら一番に迎えてくれる志津がいないので、薫は身の回りの世話をしてくれているスヱ子に尋ねた。

 

「志津さんはどうしたの?」

 

 スヱ子は困ったように表情を歪めた。

 

「えっと、あの…おやすみです」

「おやすみ? あら、やっぱり昨日は具合がよくなかったのね。後で……」

 

と、言いかけて志津との約束を思い出す。

 

「そう、ね。あとで、一度様子を見に行ってくれないかしら?」

 

 薫が言うと、スヱ子は「えっ」と顔を引き攣らせた。

 

「あら、何か用事があるの? それだったらトヨさんか、ヨネちゃんでもいいけど……」

「それは……無理だと思います」

 

 スヱ子がビクビクしながら言うのを、薫は怪訝な目で見た。

 

「スヱちゃん、どうしたの? 何かあったの?」

「私は、知らないんです。辰造さんが見に行ったから……」

 

 そこまで言って、スヱ子は黙り込んでしまった。

 よく見れば、目の端に涙が光っている。

 

 ようやく、薫は事態がひどく不穏な気配を孕んでいることに気がついた。

 

 嫌な予感を打ち払いながら、部屋を飛び出すと、辰造を探した。

 

「トヨさん、辰造さんは?」

 

 玄関で革靴を磨いているトヨを見つけて尋ねると、トヨもまた困ったような顔で薫を見た。

 

「あ、お嬢様。えと、辰造は…ちょっと……出ております」

「何処に?」

 

  いつもなら聞かないようなことを聞いてしまったのは、妙な胸騒ぎがしてならないからだ。

 

「ど、どこって…」

「志津さんに何かあったの?」

 

 トヨは顔を伏せた。

 

「私には……わかりません」

「トヨさん!」

 

 言ってる間に勝手口から入って来ていたらしい辰造が、ふらりと廊下に現れた。

 

「辰造さん」

 

 薫が声をかけると、辰造はあっと叫んで、あわてて立ち去ろうとする。

 

「待って!」

 

 薫は辰造の袂を掴んだ。

 

「なにかあったの? 志津さんに」

 

 辰造はトヨと目を見合わせた。

 

「いやあ、まだよくわからねぇんで…」

「わかっていることだけでも教えて!」

「……どうも、物盗りだか何かに襲われたらしくて。志津の行方はわからねぇんです。ただ、あすこの家が…そのぉ…」

 

 辰造は言い淀んで、「お嬢様」と薫の肩に手を置いた。

 

「気をしっかり持って下さいよ。志津ン()の子供は殺されたんです」

「……………」

 

 そこから―――薫の記憶は曖昧になった。

 

 まるで水の中にいるかのようだった。

 辰造達の声がくぐもって、はっきり聞こえてこない。

 

 どうやら自分は、辰造から志津の家が襲われ、子供達が殺されたという事を聞き、外に飛び出そうとした。

 

 それを辰造とトヨが必死に止める。

 

 そこに父が現れる。

 

 辰造とトヨから志津一家の不幸と、実は薫が不死川家に出入りして、子供達と知り合いだったことを聞く。

 

 父は驚きながらも、冷静に薫を諭す。

 

薫子(ゆきこ)、お前の気持ちもわかる。だが、今行ってもできることは少ないだろう。とりあえず辰造達に状況を調べさせるから、もう少し待ちなさい。ひどい顔色だ。トヨ、薫子を部屋に連れて行ってくれ。それと目を離さないように。この子はすぐに外に出るからね。今日ばかりは外出禁止だ」

 

 父は薫が度々、家人に言わずに外出することを知っていたが、大目に見てくれていたらしい。

 

 呆然としたまま顔を上げると、やさしく頭を撫でてくれた。

 いつも、何もかもお見通しであるかのような透徹した眼差しで、穏やかに薫を包んでくれている。

 この父の言うことには逆らえない。

 

 トヨが薫を支えながら、部屋へと歩き出す。

 背後で辰造と父が話している。

 

「ひどいもンですよ。まるで野犬にでも喰われたのかってな有様で。部屋中、血だらけの地獄絵図のようでした。男のあっしでも嘔吐(えづ)いちまって。しかしおかしなことに、そこには志津はいなかったんですよ」

「どういうことだい?」

「志津の他にも、上の二人…長男と次男がいなくて。行方不明なんでさぁ」

「それは…犯人に連れ去られたのだろうか?」

「よくわかりません。また後でもう一度行って聞いてみます」

「そうしてくれ。それにしても……薫子があんなに気落ちしてしまって、よほどそこの子供達と馴染んでいたんだね…」

「いやぁ…あっしは行かない方がいいと言ってたんですがね。下町のきったねぇ家だし、お嬢様にゃ似つかわしくないと…」

 

 だんだんと声が遠くなっていった。

 

 二階の自分の部屋へと階段を上っていっている。

 

 そうか。

 

 志津は行方不明なのだ。

 上の二人というのは、実弥と玄弥のことだろう。 

 

 もしかすると、生きているかもしれない。

 ―――――死んでるかもしれない。

 

 会えるかもしれない。

 ―――――会えないかもしれない。

 

 会いたい。

 ―――――会えない。

 

 促されるまま薫は寝台に横たわった。

 ぐるぐると目が回る。

 

「お嬢様、少しおやすみあそばせ」

 

 トヨがやさしく言う。

 

 目を瞑ると、寿美の顔が浮かんだ。

 そういえば寿美達にリボンを作ってあげたのだった。今度行く時に持っていこうと思っていたのに、志津との約束で行けなくなってしまった。

 

 ――――志津さんが来たら、渡そう……。

 

 急速に、睡魔が薫の意識を覆った。

 本当は寝たくなどないのに、なぜだかひどく粘りつくような眠気が襲ってくる。

 

 昏々とした眠りの中で、薫は寿美達と遊んでいた。

 いつもと変わらぬ日常は、夢の中に消えていった。……

 

 

◆◆◆

 

 

 次の日。

 

 薫はいつものように学校に行き、授業を受け、帰ってきた。

 

「あら、志津さんは?」

 

 思わず尋ねると、トヨがなんともいえぬ泣きそうな顔で言う。

 

「お嬢様、志津は参りません」

「そう……寿美ちゃん達にリボンを作ったから、渡してもらおうと思ってたのに……どこか具合が悪いのかしら?」

 

 トヨはヒッと息を呑み、パタパタと駆け去っていく。

 

 薫は不思議だった。

 何か驚かせるようなことをしただろうか?

 

 夕食後、父が教えてくれた。

 

「辰造が聞いてきてくれたよ。志津の上の息子達が家に一度戻って、弟妹達の遺体を、もう荼毘に付したそうだ。志津の行方については聞いたが、答えなかったそうだ」

「……そうですか」

 

 薫は返事をしながら、ふと思い出した。

 そう言えば、昨日、辰造が寿美達が殺されたと言っていたのだった。

 

 そうだった。

 殺された……死んでしまった。

 

 寿美も…貞子も、就也、弘…まだ小さな小さな()()も。

 

 薫は無意識にギュッと握り拳をつくっていた。

 少し伸びた爪が皮膚に食い込むほどに。

 

 だが、一方で。

 

「お父様、それではお墓参りに行くことは許していただけますか?」

 

 なぜだか冷静にそんなことを言っている。

 

 どうしたのだろう…?

 ちっとも悲しくない。

 心が、まるで、石になってしまったようだ。

 

 昔、実の母が亡くなった時も、自分はそういえば泣かなかった。

 

 ―――――冷でぇ(わらし)だ…。普通は親の遺体さ取りすがって泣ぎ喚ぐもんだ……

 

 後ろで非難めいたことを言われているのも聞こえていたが、何も感じなかった。

 

 自分は、冷たい人間なのだろうか……?

 

 父はしばらく考え込んでいた。

 

「いいだろう。ヒサと……いや、辰造と一緒に行っておいで」

「はい、それでは明日、学校の帰りに寄ってまいります」

 

 頭を下げながら、あのリボンを持って行って供えようと思った。

 もう、寿美達の髪を飾ることもなくなったが、約束したのだから、持って行ってあげよう。……

 

 

 

<つづく>

 

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