【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
吉野での修行が始まって一ヶ月ほどした頃、
以前に日村佐奈恵と初めて会った道場にいるのだという。
あの時に知り合った三好秋子もそこにいたため、祐喜之介に手紙を託してくれていた。
秋子は、笠沼は佐奈恵が死んだことを知ってから、人が変わってしまって、ひどく陰気で粗暴になっているので、できれば来ないほうがいい、と書いていた。
とはいえ、薫には佐奈恵からの遺言がある。それに笠沼がそうした状態に陥ってしまうことは無理もないことだった。
「但し、常中を忘れなさんな。帰ってきたら、試験をするよ」
意味ありげな笑みを浮かべて見送る勝母に、内心で戦々恐々としつつも、薫はともかく大阪へと向った。
道場に着くと、先に知らせておいたからか、門の前で秋子が待っていた。
薫の顔を見るなり、困ったような表情を浮かべた。
「来てもうたん……」
「すいません。でも、佐奈恵さんから預かったものがあって……」
秋子の眉間にキュッと皺が寄った。
「佐奈恵さんの最期、看取ったんや」
「………はい」
「ほな、
秋子は深い溜息をつくと、薫を中に促した。
道場からは鋭い気合と、剣戟の音が聞こえてくる。
秋子について薫が入って行くと、何人かが気付いてヒソヒソと話し始める。何を話しているのかはわからなかったが、雰囲気からして好意的ではないのがわかった。
途中でこちらに気付いた無精髭を生やした大男が、ギョッとした顔でやってくる。見覚えがあると思ってよく見てみると、以前に薫が打ち負かした
「オイ! なんでコイツ来てるんだよ?」
薫を指でさしながら、ヒソヒソ声で怒鳴る。秋子が面倒くさそうに見上げた。
「佐奈恵さんの形見を届けに来たと言うんやから、
升田はうーん、と唸ると薫の前に手を差し出した。
「出せよ」
薫は「は?」と問い返す。
「日村の形見、俺が笠沼に渡しておくから」
「それは、できません」
薫はきっぱりと断った。「私が、佐奈恵さんに頼まれましたから」
升田はイライラした様子で頭を掻いたが、既に薫の来訪を誰かから聞いた笠沼が後ろに立っていた。
「佐奈恵が…何をあんたに頼んだって?」
笠沼の声は低く、怒気を含んでいた。
薫は多少、困惑した。
秋子の言った通り、笠沼は変貌していた。
以前にチラリと佐奈恵と一緒にいたところを見ただけだったが、こんな荒んだ印象ではなかったように思う。
頬はこけ、落ち窪んだ目はギョロリと剥いて、薫を睨みつけている。
こんなに誰彼かまわず敵愾心を剥き出しにする人だったろうか?
佐奈恵の話を思い出しても、むしろ気弱で、猛進しがちな佐奈恵を後ろから支えるような、穏やかな人だという印象だ。
ここまで面貌が変わるほど、笠沼にとって佐奈恵の死が辛かったのか……。
薫は懐から桜色の小袋を取り出した。佐奈恵から預かった石が入っている。
「これを……佐奈恵さんが、あなたに渡すようにと」
笠沼は怪訝そうに袋を受け取った。荒っぽく袋の口を開けて、ひっくり返すと、手の平に翡翠の石が転がり出た。
その石を見た途端、笠沼は目を見開き、滂沱と涙があふれた。崩れるように膝をついて、しばらくの間、泣きじゃくる。
―――――頼むよ、薫ちゃん
今際の際にこの石を託した佐奈恵の顔が思い浮かぶ。
彼らにとって、おそらくこの石は思い出そのものなのだろう。
ようやく約束を果たせた安堵感に、薫はホッとした。
だが、笠沼が薫に言ったのは礼ではなかった。
「………なんでだよ」
ボソリとつぶやいた声は暗く、押し籠めた感情そのままにくぐもって聞こえた。
薫を見上げた目は赤く充血し、怒りに満ちていた。
「なんで、アンタが一緒にいて、あいつが
「……………」
薫は硬直した。
笠沼が立ち上がり、薫に掴みかかろうとするのを、升田があわてて止めた。
「やめろ、笠沼!」
「うるさいっ!! 佐奈恵はなぁ、もう鬼殺隊は辞めるって言ってたんだ。でも、この任務はアンタとだから、きっとアンタとだったら楽勝だから、最後の任務だからって、行ったんだ! なんでだよ! なんで、守ってくれなかった!? なんで佐奈恵を見殺しにした!!」
笠沼は大柄な升田すらも手こずるほど、身を捩って、薫に対する憎悪を露にした。
もし、周囲から止められていなかったら、その首を絞めるのではないかと思うほど。
見殺し、と言われて薫はあの任務のことを反芻した。
薫もあの時、佐奈恵に言ったのだ。もう、鬼殺隊を辞めるのであれば、この任務は断ってほしいと。
だが、佐奈恵は言った。
―――――薫ちゃんと一緒だったら、大丈夫でしょ!
本気で、佐奈恵が薫に対して守ってもらうつもりだった訳がない。
鬼殺隊士である以上、遺言書をしたため、死ぬ覚悟を持って任務にあたるのだから。佐奈恵にその矜持がなかったわけがない。
あの言葉は、佐奈恵なりの冗談。足を引っ張らないように頑張る、という謙遜。
だが、薫はその言葉を受け入れた。それで佐奈恵が任務に行くことを了承してしまった。
そこに――――『
自分が一緒にいる限り、佐奈恵を死なせることはしない…という、慢心がなかったと言えるのだろうか?
実際にその鬼に会うまで、強さなどわかるはずもない。
だが、鬼殺隊に入って以降、いくつもの任務をこなす中で、『こんな程度のもの』という勝手な思い込みから、いつしか自分は鬼狩りをすることに緊張感を失っていたのではないのか?
佐奈恵に不快に思われたとしても、無理矢理にでも、一緒に行くべきでなかった。単独任務として遂行すべきだった。
そうすれば今頃、佐奈恵に嫌味を言われたとしても、最悪、自分があの鬼に殺られたとしても、笠沼と佐奈恵は夫婦となって、数年後には薫のことを懐かしく思い出してくれたかもしれない……。
不意に、自分の足元が危うくなった。
自虐の闇が薫を包み込む。
前で喚き立てる笠沼の声も聞こえない。………
無音の中、蒼白になって立ち尽くす薫の耳に聞こえたのは、実弥の怒鳴り声だった。
「甘ェこと抜かすな!」
ハッと我に返ると、笠沼が倒れ込んでいた。
殴られたのか鼻血がでて、頬がみるみる青黒くなっていく。
笠沼の前には眉間に皺を寄せ、苛立たしげに拳を握りしめる実弥が立っていた。
「鬼殺隊に入っておいて、守ってもらうだァ? フザけてんのか、貴様ァ」
ドスのきいた声で実弥が言うと、笠沼は唇を震わせて泣きながら叫んだ。
「お前になんかわかるか! 佐奈恵はもう、鬼殺隊を辞めるつもりだったのに」
「だったら、やめようと思ったその日に辞めりゃあいいだろうがァ。鬼狩りに行ったが最後、生きて戻ろうなんて考えてる時点で甘ェんだよ。情けねェ……日村は、そんな
「違う!」
笠沼はキッと実弥を睨みつけた。「佐奈恵は誰より、努力してたんだ!」
「だから、どうしたァ?」
実弥は冷たく言い放つ。「テメェは日村を馬鹿にしてんのかァ?」
「……俺……俺は……」
笠沼はブルブルと唇を震わせたが、言い返せない。
「今、ここで、一番馬鹿なのは、テメェだァ」
実弥は言い捨てると、道場から出て行った。薫に一瞥もせずに。
笠沼はその場に泣き崩れた。手の中で石を握りしめながら。
薫は固まった表情のまま、笠沼にぎこちなく、ゆっくりと頭を下げた。それから何も言わず立ち去った。
佐奈恵の最期がどういうものであったか…笠沼に伝えようと思って来たが、それこそ大きなお世話だろう。知って何になるというのか……。
実弥の最後の一言が胸をえぐった。
今、ここで、一番馬鹿な者……
それは、薫に言ったのではないのか。慢心し、仲間を死なせてしまった薫に。
道場の門から出て、蝉しぐれの中を歩き出す。
こんなに暑いというのに、汗も出ない。ただひどく苦しい。
ひっきりなしに鳴く蝉の声が、責めているようだった。青い空も、高く伸びる入道雲も、夏の風景は明るすぎて、今の薫をなおのこと傷めつけた。
苦しい……。だが、それも受容せねばならない。
強くなると、誓ったのだから。―――――あの日も、今日も。
頬を伝わるものを、薫は乱暴に拭った。
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「森野辺さぁん!」
秋子は門の向こうへと歩いていく薫に呼びかけたが、聞こえていないのかその姿はどんどん遠くなっていく。
しまった、と思う。
佐奈恵の死を聞いてから、笠沼の様子がおかしいのにも気付いていたのに、こんな事態を招いてしまった。
薫は何も悪くないのに、あそこまで一方的に責め立てられて…きっとひどく傷ついたろう。
だが、自分がその薫に何を言うことができるだろうか、と考えた時、秋子は何も浮かばなかった。
関西圏という同じ管轄下だったが、薫がこの道場に来たのはあれ一度きり。任務で一緒になったこともなく、話したのもこの前に来た時にほんの少しばかり。
今回もたまたま薫の鴉が笠沼を探しているという話を聞きつけて、少しでも接点のある秋子が手紙を書いただけで、普段からやり取りしているわけでもない。
こんな時、佐奈恵ならばそんなことを物ともせずに駆け寄って、励ましたろうに。
迷っていた秋子の目に、井戸で水を飲んでいる実弥の姿が目に入った。
「不死川さん!」
突然、呼びかけられて実弥はギョッとしたように顔を上げた。
「不死川さん! 森野辺さん、追いかけてぇな!」
秋子は実弥のところに行くと、袖をひっぱった。
「森野辺さん、
「なんで俺が行かなきゃならねェんだよ」
実弥は苛立しげに袖を振り払い、その場から立ち去ろうとする。
秋子は食い下がった。
「兄弟子なんやろ? ウチより森野辺さんのこと知ってはるやろし…さっきかて庇ってくれてはったやん」
「……んなもんじゃねぇよ。笠沼の野郎がつまらねぇこと抜かしてるから、ムカついただけだ」
「それは……ウチが至らんかった。森野辺さんに笠沼さんの居場所教えたんはウチやし」
実弥は振り返った。
「お前がアイツを呼んだのか?」
「呼んだ…言うか……来んといて、言うたんやけど……笠沼さん、あんな状態やったし」
「………余計なことしやがって」
チッと実弥が舌打ちすると、秋子はムッとなった。
「心配してはるんやったら、はよ、追いかけて慰めたってぇな」
「うるせェ」
「……なんなん!? 粂野さんやったら、きっとすぐに飛んで行かはるわ!」
珍しく秋子が怒鳴りつけると、実弥は苛立しさを満面に浮かべた。
ちょうどその時、廊下で秋子の怒鳴り声を聞きつけた升田は、その相手が実弥であることに気付くと、あわてて秋子の側に駆け寄った。
「おい、三好! お前……なに言ってんだよ」
よりによって、不死川実弥に対して、煽る相手に粂野匡近を持ってくるなんて――――と、冷や汗が出る。
隊内で二人が同門で仲が良いのは周知の事実だったが、同時に互いに好敵手として競り合っていることもまた、周りが感じていることだった。おそらく後者については、本人達の方が無意識かもしれない。
男だとこういう空気を感じて、そういう地雷は踏まないように気をつけるのだが、女は無頓着である。しかも強気だ。
「やかまし!」
秋子はキッと升田を睨みつけると、実弥をじぃぃと睨みつけ、「も、えぇわ」と呆れた口調で言った。
「不死川さんじゃ、粂野さんほど上手に慰めることなんて、でけへんやろし」
ワザと怒らせるかのようなその口調も、本当に命知らずとしか升田には思えない。
目の前にいるはずの実弥の顔を見るのも怖い。
フンと鼻を鳴らして、秋子は小走りに門へと向かいかけたが、実弥がそれを止めた。
「おい、やめとけェ」
「は?」
秋子は怪訝な顔をして振り返った。
実弥は眉間に皺を寄せていたが、案外とさほどに怒っている様子ではない。
「放っとけェ。アイツは………一人でいる方がいいんだ」
「なんでよ?」
秋子がすぐに問い返すと、実弥は詰まった。
「なんでなん?」
再び問うて、じぃぃ、と秋子は凝視し、升田はおそるおそる見た。
「……っせぇなァ…放っとけッ、
適当な理由が思いつかないのか、言いたくないのか、実弥はイライラと怒鳴った。
その時になって、秋子がふと思い出したのは数ヶ月前、薫が初めて道場を訪れた次の朝に見た、匡近と実弥の喧嘩であった。
めずらしく声を荒立て、実弥を殴っていた匡近にも驚いたが、殴られたまま項垂れていた実弥もまた、普段ではありえないことだった。
あの時の二人の聞き齧った会話から、おそらく薫が関係しているのだろう……ということは、佐奈恵とも話していたのだが、その後の任務ですっかり忘れ去っていた。
もうあの時聞いた会話をすべて思い出すのは無理だったが、少なくとも薫と、匡近と、実弥の間に何かしら複雑な関係性が生じていることは間違いないだろう。
秋子は実弥を観察した。
探られている雰囲気を感じ取った実弥がフイと横を向く。
その横顔を見て、秋子は気付いた。
―――――耳、赤い……。
「それは……不死川さんなりの優しさ?」
言葉を選びつつ秋子が尋ねると、実弥は「…っせェ」とつぶやくように吐き捨て、今度こそ足早に立ち去った。
隣でホーッと升田が膝をつく。
「三好ぃ…お前、何言ってんだよぉ」
「……あんさんにはわからんわ」
冷たく応じながら、秋子は腕を組んで、去って行く実弥を見ていた。
さっきの質問の返答はなかったが、返答以上に不死川実弥という男は正直者らしい。
「………そういう事かぁ」
独り
<つづく>
次回は2021.02.24.水曜日に更新予定です。