【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第七章 自覚(二)

 薫はその日のうちに吉野の那霧勝母(なぎりかつも)の元に戻った。

 

 帰ってくるなり、晩ごはんも食べずに修練を始める薫に、勝母も律歌(りつか)も何事かあったのだろうとは推測したが、あえて何も聞かなかった。

 

 

 翌日の朝。勝母は裏山の中腹にある滝壺に薫を案内した。

 十丈ほどの高さから、まっすぐに勢いよく落ちてくる滝の白い飛沫が、キラキラと朝の光に反射している。

 

 滝壺は広く、一番長いところで端から端までで半町以上はありそうだった。

 奥の大きな一枚岩にはいくつも引っかき傷のような痕があり、手前の岩場からせり出した百日紅(さるすべり)が太い枝を蛇のようにくねらせて、水面に淡い桃色の花を落としていた。

 

 薫は周りより一段低くなった岩から滝壺の中を覗き込んだ。

 透明で澄んだ水。底にある砂利も見える。小さな魚の姿もあった。

 

「あまりに澄んで綺麗だから錯覚するがね、ここの底は深いんだ」

 勝母が横から言った。

「そうだね、ここはまだ一尋*くらいだろうが、一番深いところは十尋以上はあるかね」

「そんなに?」

 大人でも足がつかない深さだ。泳ぎが達者な人間でないと、ここで水遊びはできないだろう。

 

「昔からここは隊士達の修行の場所でね。元は大して大きくもなかったんだが、誰かが呼吸の技を使う修行をしたりしたんだろうねぇ。どんどん広くなって、底もどんどんえぐられて深くなっていったんだよ。私の現役時代には使ってる人間もいたんだが、そのうち誰も来ないようになったみたいでね。ここを開発しようなんて話が出てきたもんだから、私がここに移住するのと一緒に、御館様に頼んで山ごと買い取ってもらったんだよ」

「山ごと…ですか」

 

 前々から思っていたのだが、いったい御館様という人はどういう人間なのだろうか?

 元柱からの申し出一つで山を一つあっさり買えてしまう財力もそうだが、警察内部にもおそらく公然とでなくとも影響力があるやに思える。

 

 鬼殺隊は政府未公認の組織で、もちろん帯刀は許されていない。

 一度、見つかって警察署に連れて行かれたのだが、一日留置所に入れられただけで、翌日には無罪放免になった。詳しい理由は教えられなかったが、何かしらの力が働いたのだとしか思えない。

 その後、本部から訓戒を受けたが、それ以上のことはない。

 

 匡近に手紙で伝えると、そういう隊士はたまにいるのだと言っていた。だからといって大っぴらにして何度も捕まってると、階級の降格、あるいは行状不行届で除隊させられることもあるという。

 

 はるか昔の、徳川の世よりも前からあった組織。御一新で世の中がひっくり返っても、連綿と続く鬼狩りの系譜。

 その頂点に立つ御館様という存在。こうなると神にも近く思えてくる。

 

 薫は轟々と落ちる滝を見上げた。途中に虹がかかっていた。

 ここで古き時代から一体幾百の剣士が腕を磨いてきたのだろうか……。

 

「お前さん、泳ぎはできるかい?」

 唐突に勝母が尋ねてくる。薫は頷いた。特に習ったわけではないが、海も川も小さい頃から身近にあったので、誰に教わるでもなく、泳ぐことはできた。

 

「そりゃよかった。じゃ、全集中の呼吸・常中の仕上げだよ。この滝壺にはね、刀が何十本も落ちてる。昔の隊士達が修行を積んで、その礼にと沈めていったものだ。それをどれか一本、拾ってきな」

「え……いいんですか?」

「構わないさ。どうせ錆びて使い物にもならない代物だ。日輪刀でも何でもないただの刀だからね」

「でも、祈願して奉納したものを勝手に……」

「また、沈めりゃ文句もないだろう」

 勝母は案外と神仏への信仰が薄い。長い間鬼殺しの現場にいれば、そうなってしまうのかもしれないが。

 

「一番深いところまで行く必要はないよ。中は段々になっているから、浅いところで見つけられればそれを拾ってこりゃあいい。まぁ、浅いっていっても五、六尋は潜らないと無理だろうがね」

「わかりました」

 薫は服を脱ぎ、ほぼ下着だけの状態になると滝壺に飛び込んだ。

 

 軽く潜ってみたが、やはり深い。とりあえず飛び込んだ場所で底まで潜ったが、水面へと戻ってくるときに、あと少しで息ができずに溺れそうになった。

 危険だ。潜る時だけでなく、帰ってくる時間のことも考えて潜らないと息が続かなくなる。

 だが呼吸を鍛えるのに、これはかなり有効な訓練に違いない。

 

 水面に浮かんだ薫を見て、勝母はニッと笑った。

「気が早いねぇ。ちゃんと潜る時用の着物を用意してあるから、次からはそれ着てやりな」

「………すいません」

 気が急いたようだ。薫が顔を赤らめると、勝母はハッハッと笑う。

「やる気があるのは結構なことだがね、くれぐれも無理をするんじゃないよ。下手すりゃ死ぬからね」

 さらりと言って、勝母は去って行く。

 

 しばらくそのまま薫は滝壺の中を探索したが、息が続く範囲でいける場所に、刀は見つからなかった。

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 この修練は勝母が全集中の呼吸・常中を教えた最終段階として行うものだった。

 一応、目標として刀を持ってくることを課すが、実際に持ってくる必要はない。要は、常中を体得することが目的である。

 

 ここ数ヶ月の訓練で、常中はかなり会得できたと思っていた薫だったが、この潜水訓練でまだ自分が未熟だということを思い知らされた。深く潜ることはできても、戻ってくるのに息が保たない。

 

「ぼちぼちやるこった」

 それは焦りすぎる気のある薫に対して、勝母が課した『忍耐』という修練でもあった。

 潜水は早く潜ればいいというものではない。焦りこそが一番の大敵で、心を穏やかに澄ますことができないと、それは動揺となり、あっという間に息切れを起こす。もっと悪くすれば失神し、死ぬこともありえるのだ。

 

 実際、無理をした薫が水面ギリギリまで来たところで失神してしまうことがあり、それ以来、律歌は必ず自分か勝母かが側で見ている時にしかこの訓練を行うことは禁止した。

 

 早く常中を修得したい薫は、正直、毎日朝から夜になるまで、どうかすれば夜ですらも行きたかったのだが、

「そーいう焦りが駄目なのよ」

と、律歌に額を小突かれた。

「余裕。悠然。心をしなやかに保つこと、それが重要なのよ、薫」

 律歌は教えてくれたが、それをどう養えばいいのか薫にはわかりかねた。

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

 その日は暑かった。

 蚊帳の中にいつの間にか入り込んだ蚊に眠りを邪魔され、目を覚ます。起き上がって縁側でしばらく涼んでいたが、風もなく、ただじっとりと蒸れた空気が纏わりついてくる。

 

 律歌に怒られるだろうな…と思いつつ、薫は滝壺に向かった。

 訓練をするつもりはない。ただ、少しばかり身体を冷やしたい。

 

 すっかり慣れた道を月明かりの下、歩いていくと、滝はドウドウと流れ落ち、天空に浮かんだ半月の(しろ)い光りが辺りを(しず)かに照らしていた。

 

 薫は軋んだ身体を軽くほぐすと、いつもの一段低くなっている岩からばしゃりと入った。

 夏場でも冷たい水が、じっとりした寝汗を流していく。

 

 しばらく辺りを泳いだ後、滝の方へと近寄った。

 何度となく潜って調べた結果、滝が落ちている場所よりも、やや手前が一番深いようだった。そこだけ潜っても潜っても底が見えない。途中で息が続かなくなるのだ。無理すれば深く潜ることは可能だが、それだと上に戻るまでに確実に気を失う。

 

 すぅ、と息を吸い込むと、薫は軽く潜った。途中でくるりと回転すると、身体を上向きにしてそのまま浮力に任せる。

 数万の星の瞬く空が、ユラユラと揺らめき、月が歪む。浮揚していく身体が、水面の空と重なった次の瞬間、空気が肌にはりつくように薫を包む。

 長く遠く、薫は息を吐いた。ぷかぷかと浮かんでいると、脱力した身体が妙に心地よかった。

 

 ―――――心をしなやかに保つこと…

 

 律歌に言われた言葉が自然と心に浮かぶ。

 なんとなしに、今だとできそうな気がした。

 

 薫は全集中の呼吸で、すぅぅと長く息を吸い込むと、ちゃぽ、とほとんど音を立てずに潜った。

 いつもだと早く底まで行き、早く戻ってこなければ…と躍起になって、急いで足を動かしていたのだが、今日はあえてゆっくりと潜っていった。

 

 不思議なくらい楽に潜っていっている気がする。肺が苦しくない。

 夜の滝壺は、月の光が水中に差し込んで、昼とは違う幻想的な光景だった。

 確実にいつもより長く、深く潜っていくと、視界の先に刀の柄らしきものが見えた。

 

 ―――――あった!

 

 勢いづいて水を掻く。グッとより深みへと進んだ。

 あと少しで届く! と、より強く足を蹴って水を押す。手を伸ばした先に柄が触れて、やったと思った……その時。

 なぜかいきなり脳裏に甦ったのは、あの日の言葉。

 

 ―――――お前は…………戻れ。

 

 途端、心臓がドクンと響き、苦しさが一気に襲ってきた。

 

 まずい……。

 

 すぐに転回し、必死で上へ上へと足を動かす。

 水面の月がユラユラと揺れるのが見えた。掴もうと腕を伸ばすと同時に、ボコボコと息が無数の泡となって上っていく。

 水面はまだ遥か遠い。

 あぁ……苦しい、苦しい、苦しい。

 遠い、遠い…水面の空。

 揺れる…空。

 

 ―――――ごめんねぇ……。

 

 母の声が響く。

 

 どうして…?

 記憶の中の母は、どうしていつも謝っているのだろう?

 覗き込む影。

 アレは…何?

 差し伸べられた手。

 助けてくれる………?

 

 ―――――薫…

 

 暗く落ちていく意識の中で、実弥の声だけが響く。ずっと昔の…まだ、笑いかけてくれていた日の、懐かしい声。

 自分の中で、あの人はあのまま止まっているのか……。

 

 泣きたくなるような気持ちを抱えて、やがて視界が真っ黒に閉ざされた。

 

 

 

<つづく>

 

 

 





*一尋…約2メートルほどです。




次回は2021.02.27.更新です。

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