【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第七章 自覚(四)

 翌朝、目を覚ましてから屋敷の中を見回ったが、カナエの姿はなかった。

 

 勝母(かつも)に尋ねると、「ああ」と頷いて、

「昨夜、鬼狩りの後に来たらしいね。それで今日も任務のようだよ。どうもこの辺も最近はやたらと鬼が跋扈しているようだね。無惨がこっちにまた来ているのかもしれない」

 

「そんな事がわかるのですか?」

 

「そりゃ、鬼が増えるってことは無惨がそこで人間を鬼にしていってるって事だろうからね。数百年前まではこっちが最前線だったんだよ。ほとんどの鬼は関西周辺に集中していた。江戸の頃から徐々に東京近辺で増えてきたんだ。だから最近では無惨はあちらで身を潜めているんだろう…とは思うが、こればっかりは推測でしかないからね。確かなことは誰もわからない。御館様すらわからないんだから、隠の情報部隊がいかに優秀といってもそう上手く事は運ばないもんさ」

 勝母は鼻を鳴らすと、独特の香りのするお茶を啜った。

 

「それなら私にもそろそろ……」

 薫が言いかけると、勝母は首を振った。

 

「アンタはまだ駄目だよ。毒が抜けたとはいえ、まだ肋骨だって完全治癒はしてないし、何より今は常中の修行中ということで、本部に伝えてある。私からの許可がない限り任務はこないよ、それこそ無惨が姿を現しでもしない限り」

「………」

 

 律歌から聞いた話によると、勝母は歴代の柱の中でも在籍年数が長く、そのせいか未だに本部に意見ができるくらいの影響力があるらしい。現在の御館様のお乳をあげていた、と豪語するくらいなのだから、それは有り得ない話ではない。

 

 いずれにしろ常中を体得できるまで、任務に携わることができないとなると、益々焦ってくる。早く、勝母から認めてもらえるようにならなければ。

 

 朝食を終えて、事前の運動――――柔軟や打ち合い、走り込みといったものをこなした後に、本当は滝壺へと出向きたかったのだが、律歌も勝母もその日は忙しいようで、代わりに瞑想するように薦められた。

 

「本当に滝壺の中に潜っていく感じでやってみたらいいのよ。薫にはわりと合ってると思うよ」

 

 律歌に言われ、道場で一人結跏趺坐(けっかふざ)して半眼を閉じる。

 昨日、カナエに言われたように心を平らかにして、澄ませる。

 自分を見つめる。

 

 全集中の呼吸をしながら、滝壺の底へ、底へと沈んでゆく自分を想像する。

 浮力のない身体が暗い水底に沈んでいく。

 そこは本当のあの滝壺ではない。

 薫の中にある心象風景だ。

 太陽の光も差し込まぬ冷たい水の中でたゆたう。

 水面は遠く、自分の呼吸では到底たどり着くはずもない、無明無音の世界。

 そこから、今度はゆっくりと上へと目指していく。

 肺を包んだ横隔膜がゆるやかに元の位置に戻ろうとする。

 

 ―――――ゆっくり…ゆっくり……

 

 呪文のように心の中で唱える。

 大丈夫、ゆっくりと浮き上がっていけばいい。焦るな――――と、戒めた途端、昨晩の失神しかけた時の苦しみが襲った。

 

「ごほっ、ごほっごほっごほっ」

 実際には水に入ってもいないのに、溺れたようになってしまった。

 駄目だった。また、焦りが顔を出す。こうなっては潜ることすらできない。

 座禅を組み直し、また一から。

 

 どうして自分はこうなのだろうか…。

 薫は瞑想に入っていきながら、自分がいつまでも成長しないことに軽い苛立ちすら覚えた。焦っては駄目だとわかっているのに、身体は逆に逆にと反応してしまう。焦りは禁物、と考えることすら、自分が未熟な証拠だ。

 

 しなやかに心を保つ―――――と言った律歌の言葉が思い出される。

 自分の心は硬直しているのだろうか。

 カナエに昨日言われた意味を考えようとするが、どこかで敬遠する自分がいた。これが自分に蓋をしているということだろうか。

 ぐるぐると思考が否定的な方向へとばかり向っていく。

 

 ―――――一番の馬鹿は……お前だ……

 

 ふっと、実弥の声が聞こえた。

 目を開き、誰もいない空間を(じっ)と見つめる。汗が額から頬をつたった。

 

 ―――――さっさと辞めろォ…

 

 何度も言われた言葉が、直接耳朶に響く。

 

 ―――――さっさと失せろォ。俺は、お前を認めない……

 

 ギロリと睨む目が心を抉る。

 

「………うるさい」

 奥歯を噛み締めて、薫は唸るようにつぶやいた。

 

 こんな時に、こんな気持ちの時に出てくる。

 本当に自分で自分が嫌だった。幻聴だとわかっているのに、その声すらも一抹の懐かしさを感じる。それこそ自分の弱さそのものではないか……!

 

 立ち上がると、傍らに置いてあった木刀を振るった。

 何度も何度も、打ち払う。

 苦しかった。苦しくてたまらない。いっそのことあの冷たい水底に沈んだままでいたい。

 尋常でない汗が体中から噴き出した。

 頭の中が沸騰するように熱い。

 

「――――どうしたの!?」

 気付くと、律歌が木刀を掴んでいた。

 隣で秋子が目を丸くしている。

 

「……三好さん? どうして」

 薫が我に返ると、秋子は手ぬぐいを差し出した。

 

「森野辺さん、鼻血出とるよ」

 言われて気付いた。道着の襟から胸元、床にも血が点々とある。

 

「すっ、すいませんっ!!」

 途端に薫は恥ずかしくなって、あわてて外へと飛び出した。

 

 井戸で顔を洗っていると、秋子がのんびりした様子でやってくる。

「だいじょーぶー?」

「大丈夫です。すいません。手ぬぐいを汚してしまって」

「ええよええよ、そんなん。にしても、えらい怒ってたなぁ。なんや意外やったわ」

 

 薫は思わず顔を逸らせると、鼻血を拭いているフリをして、遠くを見遣(みや)った。

 秋子に他意のないことはわかっている。目を背けたくなるのは、薫自身の問題だった。

 

 秋子はそんな薫の様子を知ってか知らずか、床几(しょうぎ)に腰掛けた。

「こっち方面の仕事があってな。ついでに寄らしてもろてん。ウチもここでよぅ面倒みてもろてる。あんまり自慢できることやないけど。今年の初めぐらいにも世話になったわ」

「……そうなんですか」

 

「森野辺さん」

 秋子は急に真剣な面持ちになると、ペコリと頭を下げた。「ごめん」

 今度は薫が目を丸くした。

「どうしたんです?」

「この前のこと。まさか笠沼さんがあないなこと言わはると思わんかったから……」

 

「そんなの、三好さんのせいじゃないですよ。……あれは、笠沼さんの気持ちを考えられなかった私が悪いんです。私が何も考えずにただ佐奈恵さんの最期に立ち会ったからって、笠沼さんに会う必要があると思い込んでいたんです。私に会って笠沼さんが辛い思いをされることに思い至らなかった……」

 

「そんなん気にする必要ないわ。ウチ、あの時ばかりは不死川さんの言う通りやと思った。佐奈恵さんかて、守ってもらおうなんて露とも思てなかったはずやわ。もし、佐奈恵さんが生きとったら、笠沼さん、けちょんけちょんに叱られとったはずや!」

 

 そう言われると、怒る佐奈恵の姿が想像できて、思わずフっと笑ってしまった。

 秋子もニコと笑った。

 だがすぐに「実は笠沼さんなぁ、行方知れずになってもうてん」と、声を落とした。

「行方知れず?」

 

「あの後なぁ、慰めるのやら、叱咤するのやら、色々言われててん。それでも本人の耳には入ってないみたいやったけど。晩ごはんも食べへんで、ずーっと考え込んでたみたい。そんで朝になったら隊服と日輪刀が置かれてて、後は一切合切無ぅなってたんやて。鴉も籠の中に入れられとってなぁ……離したら慌てて飛んで行ったけど、結局見つけられへんで帰ってきてもうた」

 

「それは…鬼殺隊を辞めたということですか?」

「まぁ、そういうことなんやろな」

「…………」

「森野辺さんのせいやないで。気にしんとき。そういう人もたまにおるし」

 

 鬼殺隊に入ったはいいものの、鬼への恐怖やあるいは怪我することへの恐れから、正式な願いを出さぬまま鬼殺隊から出奔する人がいないわけではない。そういう人間の多くは、金目当てで鬼殺隊に入ってきた者達だが。

 

「探しに行こうか言うのもいたんやけど、不死川さんが、本人にやる気がないのを連れて帰ってどうするんやー言うて、結局、そのまんまや」

 

 笠沼と佐奈恵の関係性を知っていた人間にとっては予想できたことだった。むしろ、佐奈恵が死んだという一報を受けてからも、笠沼が鬼殺隊に残っていたことの方が意外だと秋子は思っていた。

 

 だがこの前、薫に対して敵意を剥き出しにし、道理の通らぬ罵声を浴びせた笠沼を見て納得した。

 笠沼は、薫に自分の怒りを吐き出すために鬼殺隊に残っていたのだ。そうでもしなければやっていられなかったのだろうが、正直、情けない男だと秋子は呆れていた。

 そんな男のために今、目の前で悲しそうな顔をしている薫が心底気の毒であった。

 

「なぁ、森野辺さん。薫さん、言うてもえぇ?」

 秋子は気分を変えようと、明るい声で尋ねた。

 薫はちょっと驚いた顔で頷く。

 秋子は照れたように笑った。

 

「本当は佐奈恵さんみたいに言いたいんやけどな。あの人、私のこと、アコちゃんとか呼んでたやろ? 粂野さんのこともマッさんとか。薫さんも薫ちゃんとか呼ばれとったんと()ゃう?」

 

 その通りだった。

 茶屋で声をかけてきて、気付くと「森野辺さん」から「薫ちゃん」と呼ばれていた。不思議と違和感もなく、すんなり受け入れてしまっていた。

 

「たいがいの知り合いは愛称か渾名か、下の名前で呼んではったわ。なんでか知ってる?」

「いえ……何か、理由があったんですか?」

 

「うーん。まぁ、佐奈恵さんの性格もあるんやろうけどな。あないにスッと人の心に入っていくんは。でもなぁ、前になんかそんな話になったことがあってん。その時にな、鬼殺隊ってすぐにみんな死んでまうやん? 昨日知り合ぅたばっかりの人が、今日には屍になってる。そんなんが普通やんか。だから、できるだけ早う仲良ぅなりたいんやって言ぅてはってん。下の名前で呼んだら、ちょっと距離縮まるやん? まぁ、たまには頑なに嫌がる人もおったから、そういう人には無理強いせんけどな。そやって、ちょっとの間ぁでも、楽しく笑って過ごしていられたら……そういうことが大切なことなんやって、思えるようでいたい………言うてはって…」

 

 言いながら秋子の目が少し潤んだ。紛らすように深呼吸して空を仰ぐ。

 

「殺伐とした仕事やけど、なんのためにやっとるんかわからんようなったらあかんからね。楽しい生きんと」

「楽しく……生きる?」

「そやで。鬼狩りでも、楽しぃ生きるんや。人の暮らしはそこにある、て思う。私らはそういう人らの暮らしのためにやっとるんやから。自分だけが苦しんでると思てたら、他人様(ひとさま)の痛みに気付けんようなるやろ?」

 

 秋子は立ち上がると、薫に手を差し出した。

 

「ほな、行くわ。運が良ければまた会えるやろ」

「はい………秋子さんも、元気で」

 名前を呼ばれて、秋子はニッコリ笑った。「佐奈恵さんの弟子二号やな。ウチが一番弟子やけど」

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 道場に戻ると、律歌が雑巾がけをしていた。ふと、自分が鼻血を出していたことを思い出した。

 

「すっ、すいません!」

「あぁ、いいのいいの。話せた? なんか任務の途中だからあんまり長居はできないって言ってたけど、アコちゃん」

「アコちゃん………」

 

 確かに先程、秋子がここで世話になったことがあると言っていた。であれば、そういう愛称で呼び合う間柄であっても不思議はない。

 

「アコちゃんと佐奈恵はウチじゃ割と常連だったわよ。佐奈恵は特にね」

「ご存知だったんですか?」

「知ってたわよ。だから、死んだと聞いたときには信じられなかった。いつも怪我しては、何度も来てたから、いつの間にか当たり前になってて……佐奈恵のおしゃべりには閻魔様も閉口して、門を閉ざしているんだろう……なんて、笑ってたんだけどね……」

 律歌の顔がふっと翳った。

 

 今は引退したとはいえ、昔、鬼殺隊にいたのであれば、仲間の死を何度も経験してきたことだろう。

 今もまたこうして鬼殺隊の治療に当たっているのであれば、なおのこと後輩の死に立ち会ったことも多いに違いない。

 

「佐奈恵がアコちゃん、って呼ぶから私も気がついたらアコちゃんって呼ぶようになってたのよね。佐奈恵って、押しが強い割には、必要以上に突っ込んでこないし、あれで口も堅いから妙に話しやすくて馴染んじゃってね。鬼殺隊士として強いとは言えなかったけど………よく、やったよ」

 

「…………すみません」

 薫がつぶやくように謝ると、律歌はムッとした顔になる。

「……アコちゃんから聞いたわ。笠沼が余計なことホザいてたらしいけど、まさかまともに受け取ってるんじゃあないでしょうね?」

 

 秋子も律歌も、おそらくは死んだ佐奈恵もきっと薫に罪はないと言うだろう。それでも薫にはどうしても自分の傲慢があったと思えてしまう。

 

「薫」

 律歌は厳しく薫を睨み据えると、麻痺した足の袴を捲くった。

 

「この足はね、ある人を庇ったときにやられたの」

 コツコツと木刀で足を軽く叩く。

 

「その人も申し訳ないって謝ってきた。私、馬鹿じゃないの、って言ってやったわよ。私は私の意思でその時の最善を選び取っただけ。私はその場にいた人を助けることを優先した。彼は鬼を()った。それだけ。私の選択に間違いはなかったわよ。鬼を殺すことはできたし、私も彼も、襲われてた人も助かったんだから。その後、確かに私は鬼殺隊を離れる羽目にはなったけど、今だってまだ修練はしているの。いつか戻るためにね」

 

 薫は顔を上げた。律歌は自信ありげに微笑んだ。

「また一からだけど、あなたにだってすぐに追いつくわよ」

「律歌さん……」

 

「私が()()()()()()ヤツはねぇ、もう柱よ。なってから随分になるわ。私の足一本で彼の命を救えたってことは、それ以上に沢山の人の命を救ったってことよ。大したもんよね、私」

 腰に手を当てて、律歌は大声で(うそぶ)いてみせた。

 

 その人は律歌に頭が上がらないだろう。庇ってくれたことにではない。自分がその後も任務を続けていくことに、余計な自責を感じる必要がないように、律歌は奮い立たせてくれたのだろうから。

 

 律歌は軽く薫の肩を叩いた。

「自分の未熟を嘆くなら、よりしぶとく生きて戦い抜きなさい」

「はい……」

 

 結局のところは、それに尽きる。

 どんなに後悔して、どんなに内省してみても、時間は戻らず、死者は返ってこない。残された者にできることは、二度と同じ過ちを繰り返さないこと。

 そのためにも全集中の呼吸・常中を会得して、より強みを目指さなければ。

 

 自分の弱さに振り回されている暇などない……。

 

 

 

<つづく>

 

 

 






次回の更新は2021.03.06.土曜日の予定です。

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