【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第七章 自覚(五)

 何度目だろうか…。また、同じ失敗を繰り返す。

 薫は内心で溜息をついた。

 

 以前に掴んだコツとして、最初から勢いをつけるのではなく、なるべくゆっくりと肺を水圧に慣らしながら、静かに潜っていくと、より深くまで行けるようにはなってきた。そうすると、刀を見つける位置まで来ることはできる。けれど掴もうと手を伸ばすと、急に息が苦しくなる。

 

 焦りが、どうしても出てくる。

 早く、早く。

 落ち着けと自分で暗示しても、まったく効果がない。刀が岩に挟まってなかなか抜けなかったりすると、より焦燥を助長する。

 

 水面から飛び出すと、ゼイゼイと空気を必死で取り込んだ。

 

「どうも…アンタは内観(ないかん)ができていないねぇ」

 勝母(かつも)煙管(キセル)を吹かしながら、岩の上から言った。

 

「心が乱れると、一気に崩れてしまう。これは、アンタにとっての弱点でもあるんだよ、薫。粂野に刀を向けた時の自分のことを、理解できているかい?」

 

 薫は岩場へと登ると、四つん這いになって呼吸を整えた。

 勝母の問いかけに、首を振る。

 

東洋一(とよいち)にも久しぶりに手紙を送ったよ。まぁ、半分は文句だったんだがね。いつまでも古臭いやり方してるから」

「……先生は、何か仰言(おっしゃ)っておられましたか?」

 こんな状態であることを知られたら、さぞがっかりされてしまうだろう。

 

「アンタの中に修羅がある、と言っていたよ」

「………修羅?」

「ご両親が亡くなったときも、東洋一から刀を奪って何度も鬼を刺していたらしいね。恨みを唱えて。理由は……わかるよ。今回のこともね」

 勝母は静かに頷いて、煙を吐いた。その視線の先はどこか遠い。

 

「……人間ってのは、自分のことは意外とわからない。だが、長く生きれば行く末についてはまだ未知だとしても、()し方は振り返ることができる。アンタは昔の私を思い出す」

 

 薫はようやく息が整うと、勝母の側に立った。

 チラリと勝母は薫を見遣ると、話を続けた。

 

「鬼殺隊に十二で入って、十三で柱になった。史上最年少で柱になった私に期待している奴は少なかった。たいがいは皆、すぐに()られるだろうと馬鹿にしていたし、期待してもいたろうよ。鼻持ちならない小娘だったからねぇ…私は。でもそんなことは関係なかった。私は、ただひたすら強くなることだけを願っていた」

 

 水面を反射した光が、勝母の視力の消えた目を射た。それでも白濁した目の虹彩が動くことはない。

 

「だが、ある日気付いたんだよ。今の自分は……人間なのか? と。一番遠ざけていたはずの、最も忌み嫌ったあの男と同じに、強くあることに執着し、強い自分に恍惚として、人ならぬ道を歩もうとしているんじゃないか……?」

 

 勝母は横目で薫を見上げた。神妙な顔をしているが、目に困惑が浮かんでいる。

 煙をフーっと吐きながら、微笑む。

 次の瞬間、薫を圧倒するかのように睨みつけた。

 

「憎しみのためだけの剣が、いずれ自らを滅ぼすように、自らの強さだけを追い求めた剣は、必ず己を蝕む」

 

 低く放った言葉は、呪詛のように薫の胸に刻み込まれる。

 

 だが、勝母はすっくと立ち上がると、いつものような快活な笑顔になった。

 

「アンタが真面目なことは美徳だよ。だが、見失っちゃいけない。強くなるべき理由をね」

「強くなるべき理由?」

「それは、誰かのためであるべきだ。護るべき人のため。死んだ人じゃあ、いけない。アンタをここに……この俗世に繋ぎ止めるものでなくてはならない」

 

「それは……今までお世話になった人達のことを考えて、ということですか?」

 薫が戸惑いながら答えると、勝母はフンと鼻を鳴らし、うんざりしたように手を振った。

 

「そんなフワフワした近所付き合いみたいなモンじゃなくてね。手っ取り早く、好きな男でも作りゃいいのさ」

「……は?」

「男だよ。男。恋をするのさ。いないのかね? 手近に。アンタ美人なんだし、()り取り見取りだろ?」

 

 さっきまでの話との落差についていけず、薫は絶句した。ついでに思考も止まる。

 だが勝母は勝手に独りでブツブツつぶやいていた。

 

「粂野匡近もいいが……あれも奥手で、つっ突かないと動きそうもないしねぇ。どうにも鬼殺隊の男共では頼りないよ。同僚ってのは、どうしても競争意識が働くからねぇ。まして女相手だと変に見くびって、やたら威圧的になったりもするし……できれば、どっかで普通の男を見つけたらいいと思うが………」

 

 勝母の言葉に敏感に反応してしまったのは、あの日言われた、一番思い出したくない言葉が、不意に聞こえてきたからだった。

 

 ―――――お前は、普通の男と……

 

「いりません!」

 怒鳴るように言って、薫はバシャンと滝壺に飛び込んだ。

 

 勝母は驚きながら、潜っていく薫を見つめた。

「…………誰か好い(ひと)でもいないかねぇ」

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 その日は、勝母が呆れて途中で律歌に交代し、その律歌に「いい加減にしなさい!」と叱られるまで、薫は潜水訓練を行った。

 よろける足で屋敷にたどり着くと、いつの間にか用意されていた布団の上に倒れ込み、そのまま気を失うかのように眠った。

 

「おっ母様、何か火を付けるようなこと言ったでしょ?」

 律歌が眠り込んだ薫をどうにか布団の中に押し入れると、後ろで見ていた勝母に尋ねた。

 勝母はポリポリと顎の下を掻きながら、思案する。

 

「恋でもしろ、って言っただけだよ?」

「それはまた………唐突」

「だってこの子、真面目過ぎるんだよ。心配になっちゃうよ。自分の命でも簡単に手放しそうでさ」

「まぁ、それはわからないでもないですけど。それにしたって…薫は女石部金吉(いしべきんきち)ですよ。いきなりそんな話されたら、混乱してしまいますよ」

「そうかねぇ……? 年頃なんだし、考えて不思議ないと思うけどねぇ」

「もー、おっ母様。いつからそんな世話焼き婆みたいなことするようになったんですか?」

「いやぁ、なんだか放っておけなくて。アンタ、どう思う? 私は鬼殺隊以外のさ、関係ない人を見つけた方がいいと思うんだよ。隊内だとホラ、できる子だからさァ、この子…気の小さい男なんぞは妙にやっかんで、くだらないこと言いそうだろう?」

 

「…………もしもーし」

 

「鬼殺隊でもいいじゃないですか。粂野くんとか、絶対薫のこと好きでしょ?」

 

「………もしもーし」

 

「粂野はわかりやすいけど、薫が気付かないからねぇ。もうちょっと押しが強くないと」

 

「もしもーし」

 

 ヌッと割り込むように現れたカナエに、勝母と律歌はわっと後退った。

 

「なんだい!」

「アンタ、帰ってきたなら言いなさいよ!」

 

 二人が怒鳴るのを、カナエは涼しい顔して眺めている。

 

「さっきから、呼びかけているのに、二人共熱心に話し込んでらっしゃるから」

「……そりゃ、悪かったね」

 勝母はふぅ、と息をつくと、カナエに向き直った。

 

「鬼は? 成敗してきたのかい?」

「ハイ。つつがなく」

「つつがなく……ね。じゃ、飯にしようか」

 

 カナエは寝ている薫をちらりと見た。「薫は?」

「その子は今日は起きないだろうよ。ずーっと滝壺で潜って、海女(あま)にでもなる気だよ。まったく、呆れちまう」

「半分は、おっ母様のせいだと思うけどね」

 律歌は言いながら台所へと歩いていく。

 勝母も部屋から出ようとして、薫の寝顔をじぃーっと眺めるカナエに声をかけた。

 

「悪戯するんじゃないよ、カナエ」

「アラ、そんなことしないですよ。でも起こさなくていいの? ずっと修行していたなら、きっとお腹も空いてるでしょうに」

「食い気より、眠気だよ、今は。ほら、行くよ。アンタを残しておくと、何するかわかったもんじゃない」

「まぁ、心外」

「よく言うよ。アンタ、薫みたいなのおちょくって遊ぶの好きだろう?」

 

 カナエは満面の笑みを浮かべると、立ち上がった。

 

「ねぇ、おっ母様」

 勝母の後に従いながら、カナエが尋ねてくる。

「薫の恋の相手って、男でなくてもいいんじゃありません?」

 

 勝母は思わず立ち止まって、振り返る。

「はぁ?」

「今の時代、女同士だって珍しいことでもありませんよ」

「…ちょ、ちょっと待ちな」

「薫も、私には懐いてくれてますしねぇ……」

「はぁ? アンタらいつの間にそういう仲………」

 

 言葉をなくした勝母が慌てふためくのを見て、カナエはカラカラと大笑いした。

 勝母ははぁ、と溜息をつく。

 ……どうやらからかわれたらしい。

 本当にこの弟子は何を考えているのかわからない。

 

「…ったく。相変わらず面白くもない冗談を言う子だよ」

 勝母は言い捨てて、廊下をズンズンと歩いていく。

 

 カナエは薫の寝顔をもう一度チラと見てから、その後について行った。

 

 

 

<つづく>

 

 

 






次回は2021.03.10.水曜日に更新予定です。

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