【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第二章 変調(三)

 不死川家は元々は御家人の出で、維新後に没落したらしく、寺には立派な墓石があった。

 

 薫は花を持ってきたが、既に花立には白い菊が活けられていた。

 花立の横に供花を置き、その上に寿美達にあげるはずだったリボンを載せておいた。

 

 しゃがみこんで手を合わせながら、薫はまだなんの実感もなかった。

 

 まだ、あの家に行けば寿美達が待っている気がする。

 薫が来たら、貞子が飛びついてきて、弘が算術の教科書を持って上がり框で待ち構えている。

 寿美は()()をおんぶしながら子守唄を歌い、就也は聞き齧った落語の文句を諳んじている。……

 

 目を開くと、後ろで待っている辰造に言った。

 

「ねぇ、家に行くことはできる?」

 

 辰造は途端に渋面になった。

 

「お嬢様…そいつぁ、いけません。それに、大家がもう戸に板を張り付けて、中に入れませんよ」

「……外から見るだけでいいの」

「見ても……なにもないんですよ」

「なにもないなら、見てもいいでしょう?」

「……お嬢様…?」

 

 辰造は恐ろしくなってきた。

 目の前で能面のように固まった顔の娘は、いつも朗らかに笑っていたお嬢様と同じ娘だろうか?

 

 辰造の返事を待たずに、薫は通い慣れた不死川家に向かって歩き出した。

 寺からの距離はそう遠くない。

 早足で歩く薫に、辰造は息を切らしながらあわててついていく。

 

 いつも子供達の喧しい声が聞こえてきていたその家は、今はシンと静まり返っていた。

 何枚もおむつの布が翻っていた物干しにも、何もない。

 辰造が言っていた通り、玄関の障子戸には板が打ちつけられて、入ることができなくなっている。

 

「…実弥さん達は?」

 

 これではもうここに住むことはできない。

 実弥達はどこに行ったのだろう? 行方不明の志津を探しに行ったのだろうか?

 

 辰造は首を振った。

 

「妹達の骨を納めた後、どこかに行っちまったらしいです。働いてたっていう問屋にも行ってみたんですが、何処に行ったかまったく……」

 

 皆、消えてしまった。

 

 無表情に固まった頬に、雪颪(ゆきおろし)がみぞれを打ちつけた。

 

 薫は踵を返すと、大通りへと戻っていく。

 この道を通ることはもうない。

 あそこには誰もいない。

 誰も薫を待っていない。

 懐かしさを惜しむものすら、残っていないのだろう……。

 

 一度も振り返らずに、足早に歩いていく。

 

 辰造はいよいよ心配だった。

 もしかすると薫が泣き崩れて気を失うのではないか、と(おもんぱか)って、子爵は辰造について行くように言っていた。

 しかし案に相違して、薫はまったく泣くこともなく、いっそ冷たいほどの無表情で、今もしっかりした足取りで歩いている。

 悲しみを見せないように気丈に振る舞っているのか、それともなんにも感じていないのか…?

 

 辰造には薫の心境を推し量ることは出来なかった。

 

 ふいに、薫が足を止めた。

 

 じっと見つめる先には乞食がいる。何事かをブツブツと呟いていた。

 ゆっくりと引き寄せられるかのように、薫は乞食に近寄っていく。

 

「お嬢様!」

 

 辰造はあわてて薫の腕を掴んだが、

 

「……辰造さん」

 

 振り返った顔は目を見開き、蒼白で、なんの表情もない。

 

「離してちょうだい…」

 

 静かだが、異様な迫力だった。

 辰造は思わず離してしまった。

 

 乞食は空を仰いで、ブツブツとつぶやいていた。

 

「あれは…鬼。鬼だァ…。ち、ち、ち…血まみれ。一面、血まみれ。俺は見た…俺は見たァ…」

「何を、見たの?」

 

 薫が尋ねると、乞食はゆっくりと視線を下ろし、じいぃと薫を凝視した。

 

「………何を見たァ?」

 

 乞食が聞き返す。

 薫はやさしい声音でもう一度問いかけた。

 

「あなたが言ってたの。俺は見た、って。何を見たの?」

「ああァァ…見たァ。俺は、見たァ。鬼だ。鬼が…殺した。子供を…あそこの家の子供……殺された。ピョンピョン…ピョンピョン…跳ねて、飛んで…あっという間に殺したァ」

 

 その乞食の言う子供達の顔がすべて思い浮かぶ。

 薫は叫びたい気持ちを抑えて、辛抱強く尋ねた。

 

「……それで?」

 

 乞食はカクカクと首を左右に傾げながら、不思議そうに薫を見つめる。

 

「その()は、どうしたの?」

 

 薫が訊くと、途端にブルブルと手が震え始める。

 その時のことを思い出しているのだろうか……

 

「ガキが…来た。鉈持って、鬼…こ、こ、殺した。ここだ。ここで…。そら、そこに血が……」

 

 乞食が指差す先に、赤黒くなった土がある。土が血を吸ったようだ。

 

「後から、またガキが来た…。朝になって…そいつは…死んだ母ちゃんの死体に縋りついて…ワァワァ泣いた。オンオン泣いた…。鬼殺したガキが…母ちゃんの死体のそばで…血まみれだった……。母ちゃん母ちゃん…ガキが何度も叫んで……死体がボロボロ崩れてったァ…。ボロボロ、ボロボロ、散ってった。散ってったァ……ガキどもも、みんな、みィィんなァ、散ってったァ……ボロボロ、ボロボロ………ボロボロ」

 

 言いながら乞食は舞い落ちてくる雪を掴む。

 立ち上がって、フラフラとあちらこちらに歩き回っては、雪を掴む。

 掴んでは溶けて消えるのがわからぬように、首を何度もカクカクと傾げていた。

 

「お嬢様」

 

 辰造は後ろからそっと囁いた。

 

「ヤツの言うことをまともにとっちゃあいけません。こいつぁ、ちぃとばかし頭の様子がおかしいヤツなんです。どっからか来て、日がな一日、出鱈目なことばかりくっちゃべってやがる」

「………そう」

 

 薫は固い表情のまま返事をすると、(むしろ)の前にある欠け茶碗に、銅貨を一枚入れた。カランと乾いた音がしたが、乞食は気付かず、まだ雪の中をウロウロとさまよっていた。

 

「俺は見たァ。俺は見たァ。鬼だァ…鬼…ガキが殺した……母ちゃん、母ちゃァん……死んだ…死んだ…ボロボロ散った、ボロボロ、ボロボロ……」

 

 天を仰いで、訴えるかのようにつぶやいている。

 

 鈍色の空はどんよりと重い雲が垂れている。

 雪の勢いが増してきた。おそらく今夜は積もるだろう。

 二三歩、歩きかけて、薫は振り返った。

 

 色を失っていく町。

 ある日いきなり、何も言わずにいなくなる…。

 ただ…明日の約束だけを残して。

 

 踵を返し、薫は歩き始めた。

 

 

◆◆◆

 

 

 甚だ信用できなかったが、辰造は屋敷に戻った後、その乞食の語ったことを主人に報告した。

 

 森野辺子爵はしばらく考え込んだ。

 

「まぁ、鬼というのは殺人鬼というくらいだ。彼なりの比喩なのだろう。しかし、彼の言っていることが本当なら、志津は殺されたということか…? 生き残った子供達は母親の死を看取ったのだろうか……」

「わかりゃあせん。あっしが一番上のガキに聞いた時にゃ、返事もしなかったもんで」

「それは無理ないことだ。いくら長男とはいえ、まだ子供だろうし、目の前で親を失って平静でいられるわけもない」

 

 子爵はその後も実弥達の行方を調べさせたのだが、杳として知れず、諦めざるを得なかった。

 

 一方、薫は日常を取り戻しつつあった。

 学校から帰ってきたとき、出迎えてくれる志津の姿がないことにも、徐々に慣れていった。

 端切れ屋で自分には可愛すぎる生地を買うこともなくなった。

 

 それでも時折、川べりの道を歩いている時に、橋の上を大八車が勢いよく通り過ぎるたび、それを曳いている少年の姿を探した。

 人違いだとわかるたびに、心の軋む音が聞こえた。

 

 

 

<つづく>

 

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