【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
不死川家は元々は御家人の出で、維新後に没落したらしく、寺には立派な墓石があった。
薫は花を持ってきたが、既に花立には白い菊が活けられていた。
花立の横に供花を置き、その上に寿美達にあげるはずだったリボンを載せておいた。
しゃがみこんで手を合わせながら、薫はまだなんの実感もなかった。
まだ、あの家に行けば寿美達が待っている気がする。
薫が来たら、貞子が飛びついてきて、弘が算術の教科書を持って上がり框で待ち構えている。
寿美は
目を開くと、後ろで待っている辰造に言った。
「ねぇ、家に行くことはできる?」
辰造は途端に渋面になった。
「お嬢様…そいつぁ、いけません。それに、大家がもう戸に板を張り付けて、中に入れませんよ」
「……外から見るだけでいいの」
「見ても……なにもないんですよ」
「なにもないなら、見てもいいでしょう?」
「……お嬢様…?」
辰造は恐ろしくなってきた。
目の前で能面のように固まった顔の娘は、いつも朗らかに笑っていたお嬢様と同じ娘だろうか?
辰造の返事を待たずに、薫は通い慣れた不死川家に向かって歩き出した。
寺からの距離はそう遠くない。
早足で歩く薫に、辰造は息を切らしながらあわててついていく。
いつも子供達の喧しい声が聞こえてきていたその家は、今はシンと静まり返っていた。
何枚もおむつの布が翻っていた物干しにも、何もない。
辰造が言っていた通り、玄関の障子戸には板が打ちつけられて、入ることができなくなっている。
「…実弥さん達は?」
これではもうここに住むことはできない。
実弥達はどこに行ったのだろう? 行方不明の志津を探しに行ったのだろうか?
辰造は首を振った。
「妹達の骨を納めた後、どこかに行っちまったらしいです。働いてたっていう問屋にも行ってみたんですが、何処に行ったかまったく……」
皆、消えてしまった。
無表情に固まった頬に、
薫は踵を返すと、大通りへと戻っていく。
この道を通ることはもうない。
あそこには誰もいない。
誰も薫を待っていない。
懐かしさを惜しむものすら、残っていないのだろう……。
一度も振り返らずに、足早に歩いていく。
辰造はいよいよ心配だった。
もしかすると薫が泣き崩れて気を失うのではないか、と
しかし案に相違して、薫はまったく泣くこともなく、いっそ冷たいほどの無表情で、今もしっかりした足取りで歩いている。
悲しみを見せないように気丈に振る舞っているのか、それともなんにも感じていないのか…?
辰造には薫の心境を推し量ることは出来なかった。
ふいに、薫が足を止めた。
じっと見つめる先には乞食がいる。何事かをブツブツと呟いていた。
ゆっくりと引き寄せられるかのように、薫は乞食に近寄っていく。
「お嬢様!」
辰造はあわてて薫の腕を掴んだが、
「……辰造さん」
振り返った顔は目を見開き、蒼白で、なんの表情もない。
「離してちょうだい…」
静かだが、異様な迫力だった。
辰造は思わず離してしまった。
乞食は空を仰いで、ブツブツとつぶやいていた。
「あれは…鬼。鬼だァ…。ち、ち、ち…血まみれ。一面、血まみれ。俺は見た…俺は見たァ…」
「何を、見たの?」
薫が尋ねると、乞食はゆっくりと視線を下ろし、じいぃと薫を凝視した。
「………何を見たァ?」
乞食が聞き返す。
薫はやさしい声音でもう一度問いかけた。
「あなたが言ってたの。俺は見た、って。何を見たの?」
「ああァァ…見たァ。俺は、見たァ。鬼だ。鬼が…殺した。子供を…あそこの家の子供……殺された。ピョンピョン…ピョンピョン…跳ねて、飛んで…あっという間に殺したァ」
その乞食の言う子供達の顔がすべて思い浮かぶ。
薫は叫びたい気持ちを抑えて、辛抱強く尋ねた。
「……それで?」
乞食はカクカクと首を左右に傾げながら、不思議そうに薫を見つめる。
「その
薫が訊くと、途端にブルブルと手が震え始める。
その時のことを思い出しているのだろうか……
「ガキが…来た。鉈持って、鬼…こ、こ、殺した。ここだ。ここで…。そら、そこに血が……」
乞食が指差す先に、赤黒くなった土がある。土が血を吸ったようだ。
「後から、またガキが来た…。朝になって…そいつは…死んだ母ちゃんの死体に縋りついて…ワァワァ泣いた。オンオン泣いた…。鬼殺したガキが…母ちゃんの死体のそばで…血まみれだった……。母ちゃん母ちゃん…ガキが何度も叫んで……死体がボロボロ崩れてったァ…。ボロボロ、ボロボロ、散ってった。散ってったァ……ガキどもも、みんな、みィィんなァ、散ってったァ……ボロボロ、ボロボロ………ボロボロ」
言いながら乞食は舞い落ちてくる雪を掴む。
立ち上がって、フラフラとあちらこちらに歩き回っては、雪を掴む。
掴んでは溶けて消えるのがわからぬように、首を何度もカクカクと傾げていた。
「お嬢様」
辰造は後ろからそっと囁いた。
「ヤツの言うことをまともにとっちゃあいけません。こいつぁ、ちぃとばかし頭の様子がおかしいヤツなんです。どっからか来て、日がな一日、出鱈目なことばかりくっちゃべってやがる」
「………そう」
薫は固い表情のまま返事をすると、
「俺は見たァ。俺は見たァ。鬼だァ…鬼…ガキが殺した……母ちゃん、母ちゃァん……死んだ…死んだ…ボロボロ散った、ボロボロ、ボロボロ……」
天を仰いで、訴えるかのようにつぶやいている。
鈍色の空はどんよりと重い雲が垂れている。
雪の勢いが増してきた。おそらく今夜は積もるだろう。
二三歩、歩きかけて、薫は振り返った。
色を失っていく町。
ある日いきなり、何も言わずにいなくなる…。
ただ…明日の約束だけを残して。
踵を返し、薫は歩き始めた。
◆◆◆
甚だ信用できなかったが、辰造は屋敷に戻った後、その乞食の語ったことを主人に報告した。
森野辺子爵はしばらく考え込んだ。
「まぁ、鬼というのは殺人鬼というくらいだ。彼なりの比喩なのだろう。しかし、彼の言っていることが本当なら、志津は殺されたということか…? 生き残った子供達は母親の死を看取ったのだろうか……」
「わかりゃあせん。あっしが一番上のガキに聞いた時にゃ、返事もしなかったもんで」
「それは無理ないことだ。いくら長男とはいえ、まだ子供だろうし、目の前で親を失って平静でいられるわけもない」
子爵はその後も実弥達の行方を調べさせたのだが、杳として知れず、諦めざるを得なかった。
一方、薫は日常を取り戻しつつあった。
学校から帰ってきたとき、出迎えてくれる志津の姿がないことにも、徐々に慣れていった。
端切れ屋で自分には可愛すぎる生地を買うこともなくなった。
それでも時折、川べりの道を歩いている時に、橋の上を大八車が勢いよく通り過ぎるたび、それを曳いている少年の姿を探した。
人違いだとわかるたびに、心の軋む音が聞こえた。
<つづく>