【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第七章 自覚(九)

 翌朝になり、薫の熱はすっかり下がっていた。身体も軽い。

 朝食を食べていると、通りかかった勝母(かつも)が「おや、いい顔色だね」と声をかけた。

 

「もう治ったかい?」

「はい。大丈夫です」

 薫が落ち着いて答えると、勝母はフッと笑った。

「もう少し、弱っててもよかったんだがね。あんたは日頃から頑張りすぎだから」

と、少し残念そうに言う。

 

「もういいです。早く身体を動かしたいので」

 本当にこれ以上は寝ている方が苦痛だった。

「やれやれ……二人そろって」

 勝母は頭を押さえた。

「師匠はものぐさ太郎だったってのに、どうして弟子の方は揃いも揃ってクソ真面目なんだろうかね」

 薫はパンを千切る手を止め、勝母に問うた。

 

「二人…?」

「あぁ、昨日ね。不死川が来てたんだよ」

 その名前を聞いた時に、以前のように表情を強張らせることもなく、自然と、

「実弥さんが? 怪我でもしたのですか?」

と、聞き返したことに、薫は内心で少し驚いていた。

 

「いや、怪我じゃないさ。昨日、重体の隊士がいてね。輸血してもらったんだよ」

「輸血?」

「不死川の血ってのは便利――――っちゃあ何だが、まぁ、有難い代物でね。普通は血をもらう方とあげる方の血液型ってのが合ってないと駄目なんだが、あの坊主の血は誰にでも輸血できるんだよ」

「それは……稀血だからですか?」

 勝母は薫がすぐにその関連性を見つけたことにニヤリと笑った。

 

「なかなか良いところをつくじゃないか。まぁ、でもそれはわからない。なにせ、そこんところは専門外でね。あの人が生きてりゃ、面白がって調べたかもしれないがねぇ……」

 おそらく『あの人』というのは、勝母の夫であった医学博士のことだろう。表立ってではないが、勝母の要望で解毒剤などの開発を手伝ったこともあったらしい。

 

「ま、それで昨夜(ゆうべ)は輸血が終わった後は飯食って寝ておけと言ったんだがね。夜半にどうやら指令が来たらしくて、出て行っちまったよ。全く、本部も人使いが荒いよ。もうちょっとぐらい休ませてやればいいのに…」

 

 勝母はフンと不満げに鼻を鳴らし、薫の様子をこっそり窺っていたが、当の薫は怪我でないとわかったら、安心したのか特に表情を変えることもなくパンを食べていた。

 

「そういや、アンタが前に律歌に教えた臓物の味噌煮込みかい? あれがよほどおいしかったらしくてねぇ。前はそりゃあ吐きそうに食べてたんだけど、今回はきれいに完食したって言ってたよ……ねぇ、律歌(りつか)

 ようやく朝の仕事を一通り終えて食卓についた律歌に、勝母は声をかける。

「あぁ、悪たれ坊主のこと? うん、そうそう。あっという間に食べてた。ありがとね、薫」

「え? 何がですか?」

「あれよ。臓物の味噌煮込みよ。前はとても食べられる代物でなかったのに、ここまで美味しくしてくれてありがとう」

 言いながら、律歌はまるで神様でも拝むようにパンパンと手を打って、祈る真似をする。

 

「なんだろうねぇ? 教えてもらった時にはもっとおいしかったんだけどねぇ…? おかしなことだよ」

「おっ母様に料理を教えようとした人が間違ってるんです」

 律歌が言うと、勝母はカラカラと笑った。

 

 十三の(とし)から柱として働いていた勝母に、普通の主婦のごとく家事万端を任すのは無理な話だろう。

 天は二物を与えず、ということだ。

 

「カナエにも作り方教えておいたから、今後は蝶屋敷でも作っておくって言ってたわ。継子に料理上手な子がいるんだって。不死川も喜んで行くようになるんじゃない?」

 律歌の話に、薫の手がつと止まった。

 

「不死川さんは、蝶屋敷にも輸血に行ってるんですか?」

「うん、そうね。輸血の場合もあるし、ただの採血もあるし。あとは不死川の血って、普通の人間にとっては有難いんだけど、問題なのが、不死川本人に輸血できる血がないってことでね」

「え?」

「隊士への輸血はいいのよ。でもいざ不死川自身が瀕死になった場合には、誰も提供者にはなれないの。だから、定期的に通って自分の血を保存しておくように言ってあるんだけど、なにせ、その後にあの臓物スウプを食べないといけないもんだから、任務にかこつけて、サボりがちになってたみたいでねー。ま、実際には不死川が重傷になるまで追い込まれたことがないから、たいていは捨てちゃうんだけどね。あんまり長く貯蔵できないし。ま、これで少しは行くようになるでしょう」

 

 聞きながら薫が考えていたのは、以前に宝耳(ほうじ)の言っていたことであった。

 

 ―――――蝶屋敷に不死川は頻繁に来るらしいんや。来たら数時間近くおることもあるらしい……

 

 つまり、こういう事か。

 自分の気持ちが定まると、他愛のない噂で狼狽していたことに気付く。

 今となれば、もうそんなことはどうでもよかった。最初から自分の想いが届くわけがないのはわかっているのだから。

 

 薫が得心して紅茶を飲んでいる間も、律歌と勝母は実弥のことで話し合っていた。

 

「そういや、律歌。アンタの同期のところに不死川の弟が行ったとか言ってたろう?」

「悲鳴嶼くんのこと? うん、そう。なんか拾ったらしいよ」

「拾ったってね…猫じゃないんだから」

「あの人にとっちゃ猫と大差ないわよ」

「一度、カナエのとこでもいい。調べたらいいかもしれない。もしかして兄弟なら同じ血を持ってるかもしれないしね」

「そうねぇ……なんか、妙な子だとは言ってたわ」

「聞いておいておくれな」

「はーい」

 

 律歌が頷くと、薫はちょうど食べ終えたところだった。

 ご馳走様でした、と手を合わせてから、律歌を呼び止めた。

「この後、滝壺に行きたいんですが。お時間はよろしいでしょうか?」

 

 律歌はチラと問いかけるように勝母を窺う。「やれやれ…」と、勝母は溜息をついた。

「昨日まで熱があったんだろ? もう一日様子見たら?」

「大丈夫です。お願いします」

 勝母はまじまじと薫を見つめて問うた。

「………力は抜けたかい?」

「はい」

 頷いた薫の顔を見て、その清々しい様子に勝母は「そうか」とつぶやくと、許可を出した。

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 律歌についてきてもらい、軽く柔軟運動をしてからちゃぷん、と水の中へ飛び込む。

 少しだけ潜ってみた。

 水の中から見上げると、青い空が木々の陰を通して、ゆらゆらと揺らめいている。

 ぷかりと浮き上がってぐるりと周囲を見回すと、滴るような緑葉の木々が太陽の光の下、濃い影を水面に落とし、飛沫(しぶき)舞う滝にはうっすらと虹が架かっていた。

 最初の日に訪れた時以来、辺りをのんびりと観賞する余裕もなくなっていたことに気付く…。

 

 すぅぅ、と深く息を吸い込む。全集中の呼吸。

 奥深く吸い込み、肺の隅々に澄んだ空気を取り込む。

 そのまま後ろへ倒れていくように水の中へと入っていった。

 

 何の抵抗も感じず、奥へと進んでいく。

 早くも遅くもない速度。

 水圧が徐々に重くなるにつれ、横隔膜が柔らかく肺を持ち上げていく。

 肺内部の圧力が高くなって、さっき吸い込んだ空気が血の中に溶け込んで、全身へと行き渡っていく……。

 

 思っていたよりも早く、刀が見えた。岩と岩の間に挟まっている。

 黒い(つか)を持ち引っ張るが、抜けない。

 ごとごと、と石が動き、透明な世界にわずかに土埃が舞う。

 引っ掛かっている、というより長くその場に刺さっていたために、藻か何かで固着しているようだ。

 岩に足を突っ張らせて、柄を左右に少し動かしてからもう一度引っ張ると、ブチブチと何かが切れるような感触がして、抜けた。

 

 すぐに上を向く。呼吸に乱れはない。

 岩を蹴って上へとゆっくり昇っていく。

 

 水底から見える景色は、美しかった。

 魚が泳ぎ、水面に落ちた葉のつくる影が水中にも暗がりを作り、その間から光が木漏れ日のように差し込んでいた。

 

 薫はそうした景色を楽しみながら、ゆっくりと浮上していった。

 

 ぷかりと頭を出した薫の表情を見るなり、律歌は刀をとってきたのだとわかった。果たして、薫はその錆びた刀を堂々と掲げ見せた。

 

「………お見事」

 律歌は言いながら、少しだけ寂しかった。

 とうとう薫もまた、ここから巣立っていく。

 

 百花屋敷に戻ると、勝母は療養者の診察を行っていた。

 薫が刀を取ってきたことを聞いて、「そうかい」と頷いた。

 

 折しも、本部からそろそろ森野辺薫を任務に復帰させる旨の連絡が来ていたところだった。

 常中の修行中とはいえ、既に鬼殺隊士の身分である薫が、療養を終えていつまでも任務を免除されるわけもなかった。

 まして、薫は既に中堅の実力者と見られている。

 本部としてもいつまでも待っていられないのだろう。

 

 勝母はハアァと長い溜息をついた。

 

 最近の鬼殺隊は勝母のいた頃に比べ、平均年齢も若く、また経験も浅いまま死んでいく隊士が多かった。

 御一新*の此の方、文明開化という世の風潮もあってか、近頃の若い世代はどうにも堪え性がない。年長者の意見をきかない。功を焦って、慎重な行動ができない。

 

 正直、隊士は多くなったが、その分の質の低下は否めない。

 どこかで(ふるい)にかけて、精鋭を選り分ける必要があるだろうが、最近の鬼の出現率の多さからしても、そこまでしている暇もないのだろう。

 

 一体、無惨は何を考えているのだろうか。

 明治の後半あたりから、やたらと鬼が増えた気がする。

 

 無論、交通網の発達によって、以前よりも情報そのものが収集されやすくなって、今まで網にかからなかった遠方の鬼も討伐対象になるようになったというのもあるだろうが、それにしても長年の鬼殺の資料を見ても、黒船以前の頃からすれば、去年は三倍以上になっている。

 

 鬼は群れず、同じ縄張りにあれば共食いして消えていくものだ。

 一体、何を目的に鬼を増やして回っているのかが理解できない。

 鬼は人のように徒党を組まないのだから、まさか一斉攻撃をしかけるつもりという訳でもなかろうに……。

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 勝母は診察を終えた後、道場で素振り稽古をしている薫に声をかけた。

 

「よくやったね。これで、鬼との戦いも随分と動きが違ってくるだろう。普通なら、これで終わったと思って油断せずに精進しろ、と言うところだが……」

 勝母はしばらく考え、フッと笑った。

「アンタに限って稽古をサボるようなこともないだろうから、反対にね、たまには気を抜いて、のんびり遊ぶことだ」

「……がんばります」

 頑張るこっちゃないよ、と勝母は言いかけてやめておいた。

 

 本部には、これから薫にはなるべく共同任務につけるよう頼んである。

 基本は単独行動の鬼殺隊ではあるが、あまりに平隊士の殉職が多いため、勝母の代くらいから複数人数での戦闘を許すようになってきた。

 薫の実力であれば単独任務は可能だろうが、共同任務につけば、佐奈恵のように考え方の違う隊士と触れ合うことで、少しは心の持ちようも変わるだろう。

 

 真面目で、頑固で、己から目を逸らさず、ひたすらに剣の道に打ち込む――――。

 聞こえようによっては、それは素晴らしい剣士だ。

 だが、その道がただ自らの強さのみを追い求めた結果、独り善がりのものであるなら、そんなものは邪道に堕ちる。

 勝母自身の中にある経験が、薫の持つ危うさを浮き彫りにしている。

 

 決してこの子を『あちら』へと堕としてはならない……。

 

 

 

第二部 了

 

<第三部につづく>

 

 

 




*御一新……学校で習うところの明治維新のこと。


次回は2021.03.24.水曜日の更新予定で、久しぶりの閑話休題。本編番外編となります。

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