【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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閑話休題 其の弐
<花柱と天邪鬼>


「いらっしゃい、不死川くん。待ってたわ~」

 ニッコリ笑って胡蝶カナエに迎えられた時、実弥はなぜか背中がゾクリと冷えた。一歩後退(あとずさ)り、クルリと踵を返す。

 しかし扉を再び開ける前に、ガシッと肩を掴まれた。

 

「どこに行くの?」

「いや…今日は、用が」

「なんの?」

「…………」

 

 こういう時にパッと適当な嘘が思いつかない自分が恨めしい。

 

「さっ、血をとりますよ~」

 腕を掴まれると、寝台の方へと連れて行かれた。

 なぜだろうか…今日の胡蝶カナエはいつもと様子が違う気がする。

 

 だがカナエのやっている事はいつもと変わらない。簡単な問診の後、聴診をして、問題なければ採血に入る。

 針を構えるカナエを下から見上げた。

 笑っているが、笑ってない。目が。

 

「ちょっ、ちょっと待てェ!」

「なぁに~?」

「お前、なにか……企んでないか?」

「なにを企むっていうの? いつもやってることなのに。はい、腕出して」

 

 実弥はどことなく不穏な空気を感じつつも、今更帰ることもできず、目を閉じた。

 鬼にやられることを考えれば大した痛みでないのだが、なぜか注射されるのは怖い。

 ただでさえ怖いのに、今日の胡蝶カナエは妙に怖い。

 

 チク、と肌に突き刺された感覚に、心の中でうっと呻きつつ耐えていると、

「あれ~? なんか上手くできないな~」

と、カナエは一旦針を抜く。

 

「ごめんなさいね~、不死川くん。もう一回」

 またチクリ。だが、またうまくできなかったのか、抜く。

 

 痛い。地味に痛い。早くやれ。やるんなら、すっとやれ。

 

 しかしカナエは上腕部分の紐をグイッときつく締め上げ、腕を乱暴に擦り上げ、ベチベチと叩きだした。

 だんだん叩く力が強くなっていっている気がする……。

 

「おかしいなぁ? 血管が逃げちゃうなぁ」

 血管が逃げる…の意味がわからない。

 が、実弥がうっすら目を開けてカナエを見ると、無表情に針を持って実弥を見ていた。

 がっつりと目が合うと、ゆっくりとカナエは微笑んだ。

 

「この針だと上手くいなかないから、別のでやるわねー」

 そう言うと、次に持ってきたのは見るからにさっきのよりも太い針だった。

 

「オイ!」

「なにー?」

「太いだろ、それ! かえって入らねぇだろうがァ!?」

「そう? そんなに変わんないわよ。でも右腕やりにくいから、左でやってみよっか」

「…………胡蝶ォ」

「なに?」

「お前、なんか……怒ってないか?」

 

 カナエは否定もせず、ただに~っこりと笑った。

 実弥の背にゾクリと悪寒が走る。

 すぐさま起き上がって帰ろうとしたが、カナエは左手で実弥の肩を掴み、右手で針をもったまま、氷の微笑を浮かべて歌うように問うてくる。

 

「帰るの~、不死川く~ん? 薫に言うわよぉ。あなたの兄弟子は注射が怖くて逃げちゃった~って」

 いきなりその名を出されて、実弥は固まった。軋んだように首が動いて、カナエを見つめる。

「テメェ……なんで」

「なんで私が薫を知ってるかって? そりゃ、薫はここのところずーっとおっ母様のところにいたんだから、当然のことでしょ? まぁ、その前から知り合いだったけど」

 そういえば……と、実弥の脳裏に勝母の顔が浮かぶ。

 

 ―――――薫は今、風邪で寝込んでるから、会えないよ。

 

 あそこで世話になっていたなら、勝母の弟子であるカナエと知り合う機会があって当然だろう。

 

 表情をあまり変えない実弥の態度が、カナエには面白くなかったのだろう。

 いきなりとんでもないことを言い出した。

 

「薫とはねぇ……口づけを交わしたこともあって」

「は……ハアアァ??!! テメェ……何考えてん…」

 愕然とする実弥の様子に、ニコと微笑んで付け足す。

「なぁに? だって、そうしなけりゃ死ぬところだったのよ。溺れて。すぐに呼吸蘇生したから助かったの。いけなかったかしら?」

「…………」

 

 完全に振り回して楽しんでいると気付くと、実弥は途端にムスッといつもの怒ったような顔に戻った。

 だがカナエはまだ思わせぶりに薫のことを話そうとする。

 

「一晩中語り明かしたりもしてねぇ……色々と聞いたの。色々と」

「………くだらねぇ。とっとと血とれよ」

「あ、そう」

 言うなりカナエは実弥の腕にブスリと針を突き刺した。

「~~~~~~~!!!!!!!」

 思い切り痛覚に入った。腕にビリビリと電気のような痺れが走る。

 

「痛い? ごめんね、間違えちゃった」

 カナエはハハハと笑うと、また針を抜いた。

「胡蝶ォォ……テメ…ェ」

 もうこれは確実に悪意である。悪意しかない。

「ごめん、ごめん。今度はちゃんとやるから、ね?」

 

 カナエはコロコロと笑って、また酒精綿で腕を拭うと、小さな針に持ち替えた。真面目な顔になって、スッと針を血管に入れる。管を赤い血が通っていく。

 やれば最初から出来たはずである。実弥は溜息まじりにつぶやいた。

 

「……何を言ったんだ……アイツ……」

「聞きたい?」

「いらねぇ」

「あと三、四回やればよかったかしら……」

「いい加減にしろ!」

「はいはい。あ、終わったら臓物煮込み、食べてってね」

「…………あれ、だろうな?」

「あれ……って? ……どれ?」

「前の不味(マズ)いのじゃねェやつだ」

 カナエは腕を組みながら、不敵な笑みを浮かべる。

 

「薫が作り方を教えてくれた臓物煮込みの方を食べたい?」

「…………」

「薫の作った方のが食べたーいって、言うなら用意してあげてもいいわよ」

「…………いらねェ」

「あ、そ。じゃ、不味いやつでいいのね?」

「………」

「い・い・の・ね!?」

 カナエが重ねて強く尋ねたが、実弥は顔を背けて寝てしまった。無論、狸寝入りだ。

 ふぅーっと不満げな溜息をもらすと、カナエは部屋から出た。

 

「……ほんっと、素直じゃない」

 バタンと扉を閉めてからボソリとつぶやく。

 

 ―――――実弥さんは………何も悪くありません

 

 結局最後まで、薫は実弥のことを責めなかった。

 具体的に二人の間に何があったのかは不明のままだ。推し量ることはできても、断定はできない。

 

 ただ、カナエは不満だった。

 なんだってあの男のために薫が泣かないといけない? あんな苦しい気持ちを抱えて、生きなければなならない? 

 

 律歌とも話したが、どうも薫という子は放っておけないところがあるのだ。真面目なのはいいが、真面目が過ぎて自分を追い込みすぎる。勝母の言うように恋でもすればいい…と思っても、それすらも重い足枷になっている。

 

 あぁ……なんだってあんな()が好きなんだろう?

 

 ―――――と、カナエが人知れず悶々と忿懣を溜め込んでいたところに、問題の不死川実弥がやって来たのだ。

 そりゃ多少の……意地悪の一つや二つや三つや四つ、してしまいたくもなるというものだ。

 これで薫の名前を出して、悪口でも言い出したら極太の注射針をあと三十回は刺してやらないと気が済まなかったが、一応仕事なのであの程度で勘弁してあげよう。

 あんまりイジメて薫に嫌われたくもない……。

 

 臓物煮込みを用意しておいてもらうため台所へ向かう途中で、見知った顔がこちらに気づいて頭を下げた。

「あら、粂野くん。どうしたの? 怪我?」

「あ、いや……実弥がこっちに来てるって訊いて」

「あぁ。不死川くんならいつものよ。一時間ほどで終わるわ。あ、そうだ。粂野くんも食べてく? 臓物の煮込み」

「え?」

 匡近の顔がヒクリと歪んだ。

 

 蝶屋敷、及び百花屋敷で出される輸血後の『臓物の煮込み』は、一部の隊士達の間では伝説的な不味さで有名な一品。

 匡近も他の隊士の輸血をした後に食べさせられて以来、思い出すなり吐き気がしてくる。

 

 だが、カナエの話で表情が変わった。

 

「随分と評判悪くって…今回、調理法が変わったの。作り方を薫…あ、粂野くんの妹弟子でもあるわよね? 森野辺さんが教えてくれて、とーっても美味しくなったのよ」

「え? 薫が……作ったんですか?」

「作り方をね。実際に本人が作ったらもっと美味しいんでしょうけど……まさかわざわざ作りに来てはもらえないし。どう? 食べる?」

「はい」

 カナエはニッコリと笑った。素直でよろしい。

 

 粂野を食堂へと案内すると、台所へ向かい、調理を担当してくれている神崎アオイに声をかけた。

「アオイ、臓物の煮込みって出来てる?」

「はい。出来てます」

「じゃ、一人前食堂に持ってきてもらえる?」

「わかりました」

 

 しばらくすると、お盆の上に臓物の煮込みとご飯を載せてアオイが現れた。

 粂野はその茶色く照り光るおかずを見て、「うわぁ」と驚く。その反応にカナエは微笑んだ。

 

「どうぞ。美味しそうでしょ?」

「あ、じゃあ…いただきます」

 以前の臓物の煮込みならば、食べ始めるまでに皆、十分以上はかかっていたものだ。「冷めたら余計にまずくなるわよ」と言われて、渋々食べ始めるのが常だった。

 カナエは心の中で心底、薫に感謝した。これからはおかわりするぐらい食べてくれるだろう……。実際、匡近に用意したご飯はあっという間に半分以下になった。

 

「美味しい?」

「はい!」

「さすが薫よねぇ。おっ母様に教えてもらった通りに作ってたら、いつまでも評判が悪いままだったわ」

「あ、いや……前のも別に食べられないって訳じゃないんだけど……」

 カナエはクスっと笑う。

 

「本当に、粂野くんは素直でいいわ。気遣いもできるし。――――誰かさんと違って」

「あの……実弥がなにかしました?」

「私には何もしてないけど……」

 ―――――というより、私がさんざしてやったけど……ということは隠しておき、カナエは溜息をつきながら尋ねた。

 

「ねぇ、粂野くん。粂野くんも不死川くんも、弟子時代に薫と出会ったのよね?」

「あ。いや……俺はそうなんですけど。実弥は前から知り合いだったみたいです」

 律儀に匡近が訂正して答えると、カナエは目を見開いた。 

「……そうなの?」

「はい。だから師匠の家で再会した時には喜んで……」

 

 匡近は薫が実弥に抱きついて、泣いて喜んでいた姿を思い浮かべた。

 あの時は、屈託なくただただ嬉しそうだった。

 それが鬼殺隊に入ってからは、実弥の名前を出しただけで顔を強張らせるようになった。以前は手紙で互いに新旧の実弥の面白話を書きあったものだったが、それもいつのまにかなくなっている…。

 まぁ、もっとも双方とも忙しくなって、ゆっくり思い出話を書いている暇もないだけかもしれないが。

 

 そんなことをつらつら考えている匡近の前で、カナエがバタリと机に突伏した。

 

「え? あれ…? 胡蝶…さん?」

「そういうことかー………」

 

 その独り言は大きく、少し怒っているようにも聞こえた。

 なにか自分が言ったことで、気に障ったかと匡近はドキドキしたが、そうではないようだった。

 

「弟子になる前から知り合いだったんだ」

「あ、はい。そう、みたい、です」

「そう。そういうこと……」

 カナエはゆっくりと立ち上がった。

 

 なるほど。

 薫にとって実弥は兄弟子でなく、もっと前からの特別な存在だったという訳か……。

 

 軽く吐息をもらしたカナエを、匡近が心配そうに見ていた。

「あの……薫と実弥がなにか?」

「粂野くんは……薫のこと好きでしょ?」

 断定しながら尋ねると、匡近は顔を真っ赤にする。

 本当に、素直だ。彼を好きになれば、きっとあんなに苦しむこともなかったろうに…可哀相な薫。

 

「…いや……あの……」

 否定しようとして言葉に詰まる匡近に顔を近づけると、カナエは囁いた。

「頑張って。私は…粂野くんを応援するわ」

「……………へ?」

 匡近は情けなく聞き返す。

 カナエはすっと離れると、ニッコリと微笑んで立ち去った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「お前なにか……花柱を怒らせるようなことしてないか?」

 

 蝶屋敷からの帰り道、匡近が尋ねると、実弥はムスッとして「知らん」と一言。

 怒らせた覚えはないが、怒っていたのは確かだろう。右にも左にも注射針を刺されて、少し青くなっている。

 

 あの女…やわそうな体をしておきながら、体重のかけ方がわかっている。肩を掴んだ力も、普通の女の力ではありえない。無理やりに押し返すことはできたが、注射針が不気味で動けなかった。その上……

 

「なんか、薫の話になったんだけど……」

 匡近が言いにくそうに尋ねると、実弥はギロと睨んだ。

「余計なこと言ってねェだろうなァ?」

「余計なことって……なんだよ」

 匡近が聞き返すと実弥は口を噤み、歩く速度を早めた。

 

 しばらく行くと川べりの道に出た。

 横目に流れゆく川の景色を眺めながら、川のそばで頼りなげに佇む薫の姿が浮かぶ。

 

「…………」

 実弥は昔、いつまでも川を眺めている薫を見て思ったことがあった。

 こいつは一人じゃないと、泣けないんじゃないか……と。

 

 引き取ってくれた養父母への恩義。その期待に応えるために、必死で勉強して、学校でいじめられても黙って耐えて、人前で泣くことも自ら禁じたのではないか。

 そうして時折、川に来た時だけ、押し殺した自分(なみだ)を……流していた。

 

 ―――――自分が消えてく……

 

 ポツリとつぶやいた時の、白い、死人のような表情。それを掻き消すための、痛々しい笑顔。

 

 自分ならあんな顔はさせないと、その時は思っていたはずだ。だが………

 

 あの日。

 気を失った薫の、閉じた瞼から涙が頬をつたって流れた。

 

 一番傷つけたくなかったのに、結局一番傷つけた。

 何度も自分を殺して、心が冷たく固まって、傷ついていることにすら気付けなくなっている薫を知っている………はずだったのに。

 自分にはもう薫を救う資格すらない。

 

 それでも見たくなかった。

 考えたくもない。

 いつか薫が鬼に殺されることなど。

 だから遠ざけたし、嫌われようが構わないから冷たい態度もとっていた。

 

 それなのに……志津の死の真相を知った薫は、実弥のために涙し、憐れみさえする。

 

 ―――――情けねェ……

 

 頼むから罵るだけ罵って、さっさと鬼殺隊から出て行ってほしい。

 

「実弥?」

 匡近が心配そうに覗き込んでいた。「大丈夫か?」

 いつのまにか橋の上で立ち止まって、川の流れを見ていたらしい。

 実弥はぶん、と頭を振った。

 

「………大したことねぇよ。口直しでも買ってくか」

 言いながら懐からツギのあてられた道中財布を取り出して、金を確認する。

 

 匡近はまじまじとその財布を眺めた。

「お前…それ、またボロボロになってきたな」

「あ?」

「買い替えないのか?」

「…………馴染みがいいんだよ、これが」

 匡近は驚いたように実弥を見た。

 初めて、正直な言葉を聞いた気がする。

 

 だが匡近が何か言う前に、実弥はまた足早に歩き出していた。

「行くぞ、匡近。早く行かねェと、店が閉まっちまう」

 

 

 

<了>

 

 

 





次回は2021.03.27.土曜日の更新になります。
次回も閑話休題・番外編です。

pixivの方では、作者のつぶやき話をアップしてます。興味とお暇がある方はどうぞ。

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