【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
第一章 鬼殺の人々(一)
目にもとまらぬ速さ、とはこの事をいうのだと、翔太郎は思った。
三人がかりで挑んで一時間近く膠着状態であったというのに、背後からとてつもない空気の塊が押し寄せてくる、と思った次の瞬間にそれは鬼の前に跳躍し、あれほど硬くて斬れないと思われた鬼の首を寸断した。
翔太郎はまだ息切れして、激しく肩を上下させていたが、鬼の首を斬ったその女は走ってきただろうに息も乱れていなかった。
サッと刀を振って血を払い、懐紙で拭うと、鞘にしまう。
一連の動作は流麗で、無駄がない。まるで歌舞伎か何かの舞姿を見ているかのようだった。
「………大丈夫でしたか?」
振り返った顔を見て、翔太郎は呆となってしまった。
―――――……キレイな人が立っている。
「あれー? 森野辺…薫? さん?」
一緒に戦っていた
薫さん、と呼ばれて女の顔がはっと驚き、すぐにニコリと花が開いたように笑った。
「三好さ……あ、秋子さん。あなたがいらしたんですか」
「援軍頼んだけど、まさか薫さんが来るとは思わんかったー」
二人は抱き合わんばかりに再会を嬉しがったが、それを見ていた
「おい! はしゃいでんじゃねぇっ」
きょとん、となって女二人が止まる。
あ、と薫が声を上げた。
「え……っと、確か……まきた、さん?」
「ますだ、やで。薫さん」
「あ、升田さん。お久しぶりです」
軽く頭を下げる薫に、升田は「おう」とだけ返事すると、自分の鴉を呼んだ。
鬼との戦闘で、畑を荒らしてしまった。おそらくは被害の弁償等が必要になるので、隠に来てもらう必要がある。
升田は隠を呼ぶため、印となる紐を鴉の足に括りつけていた。
「あの……秋子さん」
薫が秋子の肩をつつく。「升田さんは、下の名前は何と言うのでしょう?」
なんでそんなことを? と聞き返そうとして、秋子はふと思い出した。
吉野の百花屋敷で、薫に佐奈恵が隊士達と早く仲良くなるために、下の名前で呼んでいた話をして、互いに佐奈恵を見習おうと言って別れたのだった。
秋子は苦笑した。
自分はすっかり忘れていた。薫はやっぱり相変わらず律儀で真面目だ。
「升田ァ、名前なん言うたっけー?」
秋子が大きな声で尋ねると、升田がハァ? という顔で振り向いた。
「なんで名前なんぞ聞くんだよ?」
「ええから、教えぇな」
秋子は特に他意もないので頓着しない。「名前、なんちゅうたっけ?」
「て、哲次……」
「やって、薫さん」
「あ、はい。哲次さん…ですね」
薫に名前を呼ばれた途端、升田の顔が真っ赤になる。
わかり易すぎて、翔太郎はブフッと吹いた。
ようやくその時になって、翔太郎の存在に気付いたらしい。秋子が薫に紹介した。
「あ、薫さん。この子な、今年鬼殺隊に入った新米やねん」
「初めまして!
翔太郎が大声で自己紹介をすると、薫はニコと笑って、挨拶を返した。
「はじめまして。森野辺薫と言います。ええと……翔太郎君、でいい?」
「もちろんです! 嬉しいです!」
翔太郎は心の中で『やったー』と快哉を叫んだ。
升田はチッと舌打ちする。
「そんなヤツ、クソ
「なにイラついとんねん。ウチ思い出したで。佐奈恵さんはアンタの事、てっちん、って呼んでたやんかぁ。そう呼ぼかー?」
「あぁ? 冗談じゃねぇ!」
「てっちんが
「だから! 言うな! 呼ぶな! 呼んでも返事しねぇからな!!」
「じゃあ、哲次さんでいいですか?」
薫が穏やかに尋ねると、升田改め哲次は急にまごまごして、「仕方ねぇ…なぁ…」とブツブツつぶやいている。
翔太郎がニヤニヤと見ていると、気付いた哲次が睨みをきかせてくる。
「なんだァ、クソ餓鬼ィ」
「いやいや。これからは翔太郎でお願いします」
「うっせぇ」
哲次は吐き捨てたが、翔太郎はまったく意に介さない。
「あの、森野辺さん! 僕らも、薫さんって呼んでいいのでしょうか?」
薫は驚いたように目をしばたかせたが、ふっとまた笑った。
「どうぞ」
「ですって、哲次さん! よかったですね!」
「なにテメェまで図に乗ってんだ! お前は先輩と呼べ!」
「えぇ~。いいじゃないですかぁ。ねぇ、薫さん」
「そうですね。でも、どうしても哲次さんがお嫌なら、哲次先輩と呼んだ方がいいでしょうか?」
「あ………アンタはいい。俺より階級上だろうが」
哲次はあわてて薫にはボソボソと否定したが、
「あぁ、いいですね。ね? 哲次先輩」
と、翔太郎がニヤニヤと笑って言うと、即座にその首に腕を回して固める。
「くっ、苦ッ、苦し!!!!」
翔太郎はバタバタと動き回り、どうにか哲次の筋肉質な腕から抜け出すと、よろけて後ろにいた薫にぶつかった。ぶつかった瞬間、あたってはいけない場所に触れた気がして、「うわっ」と声を上げてあわてて避けて……自分の足で自分の足を引っ掛けて尻もちをつく。
「ケッ! 阿呆が」
「なにしとねん、アンタは。落ち着きない
秋子と哲次は呆れているだけだったが、薫はクスクス笑いながら、手を差し伸べてくれた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫で……………ない………かも」
情けない声を出して、翔太郎は薫の手を掴もうと手を伸ばしたが、その時、薫の鴉がガシリと翔太郎の頭にしがみつくように乗った。
「
「こら、
薫が叱りつけても、祐喜之介という鴉は一向に動く気配もなく、何だったらギリギリと頭皮に爪を突き立ててくる。その場で次の任務を告げた。
「四国! 伊予ヘ向カエェ!!」
それだけ言うと、祐喜之介は思い切り踏み込んで、上へと舞い上がった。
「
翔太郎は上空で旋回する祐喜之介に怒鳴りつけたが、祐喜之介はまるで聞こえていないかのように悠々と飛んでいる。
「ごめんなさい。怪我はない?」
薫は気遣わしそうに翔太郎を見たが、秋子は冷たく言い放つ。
「気にせんでえぇよ、薫さん。さっき鬼にもやられたんやし、手拭い巻いとったら治るわ」
「忠義者の鴉だな」
哲次も顎の無精髭を撫でながら、いい気味だとばかりに薄ら笑いを浮かべていた。
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隠に後始末を任せて、祐喜之介の告げた任地へと向かおうとした薫に、秋子が呼びかけた。
「待って、薫さん。ウチの鴉にも指令が来た。この任務は四人で行け、やて」
「四人で?」
基本的にはこれまで単独任務が多かった薫は、復帰早々、複数での任務を命じられたことに、少し驚いた。
もしかすると、まだ怪我が治りきってないと本部が判断したのだろうか。
いずれにしろ、そのように指令が来たならば従うしかない。
共同任務だとわかった途端、翔太郎は跳ね上がって喜んだ。
「やったぁっ! よろしくお願いしまっス! 薫さん」
翔太郎が『薫さん』と呼ぶたびに、哲次の顔がヒクリと強張っていたのだが、当の本人達は露とも気づかない。秋子だけが肩をすくめて見守っている。
佐奈恵も人の懐に入るのが得意であったが、翔太郎の図々しさもまた似たものがあった。
今も初対面にも関わらず、ちゃっかり薫の隣に並んで歩いている。
「薫さんの呼吸の型はなんですか? ちょっと風っぽかったけど」
「一応、風から派生したものなんです。私の師匠は風の遣い手だから」
「へぇ。お師匠さんのお名前は?」
「
「知ってるも何も! 一番最初に俺が弟子入りを断られたお師匠さんだ」
「えっ?」
薫は嘘だと思った。
だが、翔太郎は反論する間もなく、喋り続ける。
「俺のお
翔太郎はガクリと項垂れたと思ったら、いきなり顔を上げるなり喚いた。
「あ~あっ! 篠宮先生のところに拝み倒してでも入門しとくんだった。そしたら薫さんと
聞きながら薫は不思議に思った。
東洋一は薫は女だということもあってか入門を渋ったが、基本的には来る者拒まずであった。
実際に薫のいた頃にも入門希望者は三ヶ月に一人二人くらいは来ていたのだが、たいがいは一ヶ月もすれば辞めていった。
入れるのは入れるが、入ったからには容赦はしない。そうして
「おじいさんの兄弟子ぃ言うことは、アンタとこの家系は代々鬼殺隊なん?」
秋子が後ろから問いかけると、翔太郎は振り返って答える。
「あー……いや、父上は体が弱くって、無理だったんです。それで一旦、途絶えちゃったんですけどぉ……」
薫はそんな話を前に聞いたような気がした。
代々の続いた鬼殺の家系。失われて久しい風柱…。
まさか、と思いつつ尋ねてみる。
「翔太郎くんの家は、風の呼吸を伝えてきたの?」
「そうです…ねぇ……いや、まー…」
翔太郎は言いにくそうに首を掻きながら、それでも何か言いたげにチラチラと三人の先輩の顔を窺っていた。驚かせようとする前の、自負と期待と不安の入り混じった表情。
「……言いたいことあるならとっとと言え!」
哲次が察して怒鳴ると、翔太郎はヘヘヘと笑いながら、
「いやぁ。別に大したことじゃないんですよぉ。なんかー、ウチの家系って本当は代々の風柱だったみたいでぇ」
「えっ?」
その場にいた全員が驚いて翔太郎を見た。
注目を浴びて、翔太郎は満足そうにペロリと上唇を舐めた。
「いやー。もー、お
聞きながら、薫は以前、宝耳から聞いた風柱の惣領家の名前を思い出した。
確か……
だが翔太郎は自己紹介の時、「風見翔太郎」と名乗っていた。
改名してまで、風波見家は鬼殺隊から離れたかったということだろうか?
しかしそういう事情を知ってか知らずか、翔太郎はあくまで明るい。
「しかし元々宗家なんだったら、伝承された技なり何なりがあるだろう? 本とか」
哲次が困惑した様子で尋ねると、翔太郎は手を振った。
「いやー。なんか、大お
「じゃあ、先生の家で見たあの本は……」
薫は東洋一の家で何度か見た書物を思い出す。
紙の痛み具合や、文字の旧さから言っても江戸の時代、あるいはそれ以前に書かれたものであろう冊子が、蔵の書棚にびっしり置いてあった。
翔太郎はにやっと笑って、羽織にある紋を指差した。隅切り角に八つ矢車菱の紋。
「これ、この紋があったらウチにあったヤツですよ。ア、別に返してほしいとかってワケじゃないですよ。あっても俺、たぶん読まないだろーし」
「いや、読めよ、お前。跡継ぎなんだろ」
「いやー。今どきそんなのないですよー。実力重視ですからねー」
「でも炎柱なんかは、未だに世襲やって聞くで。今度ならはるって噂されとる人も、確かお父さんが柱やって、跡継ぎはるみたいな……」
「杏寿郎さんでしょ? 煉獄家の。知ってる知ってる。俺ン家、近くだったんで。あの人は別格ですよ、強すぎますもん。俺、弟の方と仲が良くってねぇ。ま、俺は……のんびりやります」
「のんびりやるもんじゃねぇっての!」
「嫌だなー、先輩。やるときゃ、やりますよ。男ってそういうモンでしょ」
「わかったようなこと言うとるわ……」
秋子は呆れ顔でいいながら、薫と目を合わせた。
薫も肩をすくめつつ、この妙な愛嬌をもった後輩がいることで、いつも暗くなりがちな任務前の気持ちも軽くなっているのを感じた。
それにしても――――。
東洋一が翔太郎を入門させなかった理由がわからない。
多少お調子者なところがあるとはいえ、翔太郎は素直な性質だと思うし、こうして鬼殺隊士となっているのであれば、身体的にも技術的にも問題があるとは思えない。
まさか、本来は宗家のお坊ちゃんだからという理由で東洋一が煙たがったとも考えにくい。
ふと、宝耳が以前に風波見一族について知りたがっていたことを思い出す。
その一族の直系である翔太郎が鬼殺隊士となったことを、宝耳は知っているのだろうか? 東洋一が翔太郎を弟子にとらなかった理由も。
だがあっけらかんとした翔太郎の姿を見ていると、どうでもいいように思えた。
理由があろうがなかろうが、翔太郎は自分自身で考えて、別の育手の元に行き、鬼殺隊士になったのだから。
「さ、急ぎましょう。早くしないと、今日は布団で寝られなくなりますよ」
薫が声をかけると「はーい!」と元気な返事がかえってくる。
まるで自分が小学校の先生になった気分で、ふっと笑ってしまった。
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「いやー、驚いたわー。まさか薫さんが来ると思わへんかったし」
秋子は布団に転がって、今更ながら言った。
明日にはこの四人で四国の方まで赴くことになっている。朝一番の船に乗るため、今日は船宿に宿泊することになったのだ。
「秋子さん達はこの辺りの担当なんですか?」
「うん。そうやな。ウチらは泉州とか紀州とか…たまにこうして四国とかやな。前はわりと佐奈恵さんと一緒になることが多かってんけど、最近ではなんか新米の子ぉも含めて、升田……あぁ、哲次やったっけ? 哲次ゆう感じやないなー。テツ……テツでえぇわ。テツと一緒になるんが多いんよね。それにしても
「誰がですか?」
「薫さん、わからんの? テツやん。薫さんに『哲次さん』って呼ばれるたびに顔が茹でダコみたいに
「そうでした?」
まったくその意図するところに気付いていないのであろう薫は首を傾げた。
秋子はやれやれとため息をついた。
「下の名前で呼ぶんは、佐奈恵さんの?」
「えぇ。少しでも見習いたくて……私、今まで単独行動が多かったから、なかなか他の鬼殺隊の人達と話す機会がないし……。今日も、翔太郎くんはすぐに打ち解けてくれましたね。やはり下の名前で呼ぶと、自然に胸襟を開いて話せるものですね」
「…ぃや、翔太郎の場合はそういうのでもないような……」
秋子は二ヶ月前に翔太郎に会っているのだが、初対面からやたら人懐こい、佐奈恵とは別の意味で人と接することに躊躇のない性格だと思う。
ここに来るまでにもべったり薫の隣について、ずーっと話しかけていた。
秋子は薫が困った様子もないので、とりあえず様子を見ていたが、哲次はずーっと仏頂面だった。あの男はあの男で顔に出過ぎだ…。
しかし―――――。
秋子には一抹の不安がよぎる。
薫は佐奈恵のやりようを真似しただけで、他意はないとしても、血気盛んな男共が、薫のような美人に『○○さん』などと下の名前で呼びかけられて、心がざわめかない筈もない。
この前も道場に花柱の胡蝶カナエが来ていて、ニコリと微笑まれただけで舞い上がってしまう男共のどれだけ多かったことか。隅で見ていた女隊士は皆、白目を剥いていたものだ。
そりゃあ、花柱の美しさに文句のつけようもないのはわかるが、それにしても男というのは、美人を前にするとほとほとだらしなくなる生き物だと思う。
佐奈恵とても不美人であったわけでもないが、彼女の場合はわかりやすい恋人が始終隣にいたというのと、佐奈恵生来のカラリと竹を割った性格のせいもあろう、男女間のそうした感情は沸き起こることはなかった。
しかしもし、これで道場にでも行って、薫がそれぞれの隊士を名前で呼ぶことになれば、おそらく総勢色めき立つだろう。
その中で翔太郎が得意になって、薫に親しげに話しかけて煽るであろうということも容易に想像できる……。
「な、薫さん。とりあえず翔太郎とテツは置くとしても、道場行ってどいつもこいつも名前で呼ぶのはやめとこ」
「え? どうしてですか?」
「いやー、ちょっとなぁ……嵐を呼ぶことになると思うんよ」
「はぁ……?」
困ったお人やなぁ、と秋子は内心でため息をつく。
薫が自分自身の容姿についての自覚がないのも困りものであるが、もっと恐ろしいのは、二人の兄弟子の存在である。
粂野匡近については、薫を道場に連れてきた時から、だいたいわかった。
薫を見る眼差しが明らかに違っていたからだ。その後で実弥と喧嘩していた時の様子を見ても、薫を探し回っていた姿を見ても、一定以上の―――妹弟子として以上の―――好意があるのだろう。
その上で、秋子の分析が正しければ不死川実弥もまた薫に好意を持っている。
こちらは捻じくれ曲がっているので、どうにもわかりにくいところがあったが、おそらく間違いない。
笠沼に責め立てられて、傷心の薫を追いかけようとした時、実弥は止めた。
―――――放っとけェ。アイツは………一人でいる方がいいんだ。
あの言葉は薫を放り出したのではない。むしろ一人にさせてやってくれ、と頼んでいるように思えた。
秋子が意味深なことを言って探ろうとすると、耳を真っ赤にして去っていった。
わかりにくい男だ。正直、面倒くさい。だが、その不器用な気の遣いようが、秋子には愛情そのものに見えた。
ということで、見事な三角関係の成立である。
問題は当の薫にまったくといっていいほど、その自覚がないということだ。
その上、佐奈恵からの遺産であるところの『手早く仲良くなる方法』を実践することによって、勘違いした男共が薫に群がっていくことを考えると、より事態は混迷を極めること必至である。
ということで――――
「まぁ、とりあえず名前呼んで仲良くなろう作戦は、一緒に仕事する相手だけに絞っておこ」
秋子が念押して言うと、薫はよくわからない様子ではあったが、「じゃあ、そうしましょう」と頷いた。
こういう時、詮索しない素直な性格でいてくれて助かる。
秋子は任務以外に妙な気苦労を抱えてしまい、行く末を思いやって深い溜息をついた。
<つづく>
次回は20201.04.03.土曜日の更新予定です。