【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
屋敷は広かったが、人気はあまり感じられなかった。
客間に通されて、翔太郎は物珍しげに部屋の中を見回した。
「いやー。俺が子供の時にはこの部屋入ったら怒られたんでー。まさか入れてもらえるようになるとは思わなかったなぁ」
「それは、よほどにオイタをしたのね?」
薫が言うと、肯定の笑みを返してくる。
聞けば、千寿郎は翔太郎よりも四つ下だというから、きっと翔太郎が親分よろしく、様々ないたずらをしていたのだろう。
「翔太郎くんは、千寿郎くんと幼馴染だったのね」
「そうっすねー。俺が小さい時は杏寿郎さんに遊んでもらってたし、杏寿郎さんが継子の修行で忙しくなってからは、千寿郎と遊んでましたね。まぁ、遊び半分稽古半分みたいな感じでもあったんですけど。まぁそれも――――途中で親父さんがあんな感じになっちゃったんで」
「あんな感じ?」
「…………」
翔太郎にしては珍しく、気まずい様子で口を噤む。言いたくないのだろうか。
薫は立ち上がると縁側に出て、庭を眺めた。
きれいに手入れされている。中央にはおそらく稽古のために作られたらしい円形の砂場があり、中には巻藁が五本立っていた。
白塀に沿って松やクヌギなどが植えられ、池の側にはもう花を落とした、しだれ梅が水面に枝を垂らしていた。
「すいません、おまたせして」
千寿郎がお茶とお菓子を持って入ってきた。
「やった! あんパンだっ」
翔太郎は皿に盛られた丸いパンを見ると、すぐさま手に取った。
「ショータくん、好きだよね。昔から」
「おう! さすが千寿郎だ。用意がいい!」
「いや、本当は甘露寺さんが昨日たまたま通りかかって、僕と父上にって買ってきてくれたんだけど、父上は甘い物はあまりお好きじゃないから……」
千寿郎は言いながら顔を俯けた。
翔太郎はあっという間に一個目を食べ終え、二個目にかぶりつきながら尋ねる。
「親父さん、相変わらず?」
千寿郎がコクリと頷く。悲しそうな顔だった。
薫はお茶を飲みながら、とりあえず黙っていたのだが、翔太郎が不意に訊いてくる。
「薫さん、今の炎柱がほとんど仕事してないって、知ってます?」
「え?」
「ここ一年なんか、ぜんぜん任務に行ってないんだろ?」
「……うん」
「どこか具合でもお悪いの?」
薫が尋ねると、翔太郎はうーん、と唸った。
「具合が悪いっちゃあ、悪いって言えるのかなぁ、アレ。酒浸りなんですよ」
「酒?」
「千寿郎の母上が亡くなってから、なんか落ち込んではいたんですけど……。その後、どんどん不機嫌になって、昼間っから酒呑むようになって。そのうち、仕事も放り出すようになっちゃって」
「そんな……」
薫には信じられなかった。
柱である以上、酒を飲んで任務を放擲するような真似をするものだろうか。
だが、シュンとなって否定もしない千寿郎の顔を見ると、翔太郎が大袈裟に言っているわけではないらしい。
そういえば前に宝耳も似たようなことを言っていた気がする……。
暗くなりかけて、翔太郎は千寿郎の背中をバン! と叩いた。
「ま! 気にするなよ! 杏寿郎さんがすぐに柱継ぐって! そうだ、今日は杏寿郎さんは?」
「兄上は、任務で出てるよ。明後日ぐらいには戻るって」
「そっかー。残念だなー。せっかく杏寿郎さんが好きそうな土産持ってきたのに」
言いながら、翔太郎は荷物の中から茶色の包みを取り出した。
「芋きんつばっつーの。七輪か何かで炙ってから食うと、すっげぇうめぇからさ」
「うわぁ! ありがとう、ショータくん! 兄上、すごく喜ぶよ」
「だろー。あ、お前、自分の分とっとけよ。じゃないと、あの人全部食べるから」
薫は途中から面白くて、口を押さえてクスクス笑ってしまった。
まるで、兄弟のようだ。これで今はいないという杏寿郎という人がいれば、どんな会話になっていたのだろうか…?
「なんスか、薫さん?」
翔太郎が不思議そうに訊いてくる。
「いえ。本当に仲が良いなぁ、と思って。千寿郎くんも将来は鬼殺隊に入るの?」
「え……と、僕は……」
言い淀む千寿郎に、翔太郎はバッサリと言った。
「やめとけよ。お前、合わねーって」
「え?」
「杏寿郎さんはある意味鈍感だし、稽古バカみたいなとこあるからいいけどさ。お前は、無理だよ。たぶん」
千寿郎は悔しそうに唇を噛みしめ、しばらく俯いていた。
薫が翔太郎をたしなめようとすると、顔を上げ、キッと翔太郎を睨みつける。
「なんだよ! 自分がなれたからって!」
「なって、今、鬼殺隊にいるからわかるんだよ」
「まだたったの一年そこらだろ! エラそうに云うな! ショータのくせにっ! 兄上にコテンパンに負けて、泣いて、小便漏らしてたじゃないかっ」
「いつの話だよっ! そーゆーこと今、云うなっ!」
「なんだよ! 綺麗な人の前だと格好つけてさ! 昔っからそうだよね! みっちゃんにいいところ見せようとして、高下駄なんて履いてさ、思いっきり転んで足くじいて、結局兄上におんぶされて帰ってきてたよね!」
「てめーッ! 泣き虫千寿がぁっ!!」
互いに掴みかかって、いよいよ喧嘩が始まりそうになった時。
「うるさいぞ!!!!」
パシン、と襖が開いて、太い男の声が一喝した。
サッと千寿郎の顔に緊張がはしる。
すぐに正座して、廊下に立っている男に頭を下げた。
「すいません! 父上」
翔太郎はジロと見上げ、フイとそっぽを向く。
男は寝ていたのか随分と着崩した、だらしない格好だったが、翔太郎を見る眼光は鋭く、明らかに空気を一変させる威圧感を持っていた。
「翔太郎か?」
男が尋ねると、翔太郎はようやく振り向いて挨拶した。
「どうも、お邪魔してます」
「お前、鬼殺隊に入ったのか?」
「はい」
「………無駄なことだ」
吐き捨てるように言って、踵を返しかけた時に、ふと薫と目が合う。
驚いたように目を見開くと、しばらく凝視された。
「…………」
唇が何かをつぶやいたのか動いたが、薫には聞こえなかった。
挨拶をしようと思ったが、男は目を逸らせると、背を向けて去ってしまった。
「翔太郎くん、今のって……」
「千寿郎の親父さんです」
「それは……炎柱ってことよね?」
「そうです」
サーっと血の気が引く。
なんとなくそうだろうと思っていたのに、圧倒されてまともに挨拶もできなかった。
あぁ………呆れられたに違いない。
「わ、私、ちゃんとご挨拶に行ってきます」
「へ? 気にしなくていいですよ。ただの酔っ払いですよ」
「駄目よ。いきなりお邪魔した上に、ご迷惑をかけたのだから。ちょっと行ってきます。あ、千寿郎くん。炎柱様って、どこに行かれたの?」
「え? 廊下のつきあたりを曲がったところが父上の部屋ですけど」
薫は立ち上がると、薄暗い廊下を音をさせないように急ぎ足で向かった。
「真面目なんだからな、あの人」
翔太郎は呆れたように言って立ち上がる。
歩きかけて、ふと気になった。
「さっき、親父さん。るか、って言ってなかった?」
「………」
「親父さんもだけど、お前もさ。薫さんを初めて見た時、なんか変だったよな。なに?」
千寿郎はキュッと拳をつくった。
「……似てたから」
「似てる? 誰に?」
「母上に」
「母上って……お前、顔なんて覚えてないだろ? 俺だって朧げだよ。綺麗な人だった気はするけど」
「一枚だけ、写真があったから。見たことあるんだ」
千寿郎は翔太郎を見上げた。
「似てるから、連れて来たんじゃないの?」
「まさか。知るわけないだろ。単純にこっちで用があって……あと、薫さんは甘露寺さんって人に会いたかったみたいだし」
「あ、そうだった。蜜璃さん、まだ帰ってこないのかな…」
千寿郎は立ち上がると、勝手口の方へと向かっていく。
翔太郎はフゥと息を吐くと、炎柱・煉獄槇寿郎の居室へと歩いて行った。
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その部屋の襖は開け放たれており、中には炎を
そっと中を覗くと、先程の男―――炎柱が、縁側の柱に背を凭せかけてボンヤリしていた。かたわらには酒瓶がある。
どうやら翔太郎が言っていたのは本当のことらしい。
いずれにせよ、一言の挨拶もせずに過ごしていい相手ではない。
薫は深呼吸すると、廊下に正座して頭を下げた。
既に気付いていたのか、槇寿郎は見向きもせずに問うてくる。
「何か用か?」
「先程は、失礼しました。炎柱様にご挨拶もなく、お邪魔して騒ぎ立ててしまいました。申し訳ございません」
槇寿郎は返事をしない。
薫がどうしようかと考えていると、後ろから翔太郎がぞんざいな口調で言い放つ。
「薫さんが謝ることじゃないです。俺と千寿郎の喧嘩ですから」
「翔太郎くん!?」
「っつーか、昼間っから酒くらって寝てたら、うるさいのが来て叩き起こされて不機嫌になったってだけでしょ? どっちもどっちだよ」
翔太郎は人が変わってからの槇寿郎に対していい気持ちを持ってない。
杏寿郎はともかく、気が弱い千寿郎はやたらと顔色を窺うようになってしまった。それもこれもこのジジィのせいだ、ぐらいの気持ちでいる。
だが薫はそうした事情は知らない。厳しい口調で翔太郎を諌めた。
「翔太郎くん、
「………すいませんでした」
立ったまま翔太郎が言うと、槇寿郎はチラとだけこちらを見て、長い溜息をついた。
「……もういい。帰れ」
それ以上、声をかけることも憚られ、薫は黙って頭を下げるとその場から立ち去った。
はぁぁぁ、と安堵と反省の溜息がもれる。
「そんな気にしなくていいですよー。だいたい、ほとんど仕事してない炎柱に挨拶なんか……」
「炎柱であるかどうかの前に、千寿郎くんのお父上で、この家の家長でいらっしゃるのだから、挨拶をするのが筋というものです。翔太郎くんだって、昔はお世話になったのでしょう?」
「薫さんって、ホントに真面目すぎですよ」
翔太郎は呆れて言うと、玄関にいた千寿郎に声をかける。
「千寿郎。も、帰るわ。杏寿郎さんに、芋きんつば食べてもらってな」
「うん。あ、森野辺さん。蜜璃さんなんですけど、まだ帰ってこなくて」
そういえば、甘露寺蜜璃に会って誤解を解こうという目的もあったのだと、思い出す。
「たぶん、途中のお茶屋さんで桜餅とか食べてるんだと思います」
千寿郎は申し訳なさそうに言った。
薫は初めて会った時に桜餅を一気に五皿近く食べていた蜜璃の姿を思い出し、クスクス笑った。
「そう。甘露寺さんなら有り得るわね。いいの。私のは大した用事ではないし、その内どこかでお会いすることもあるでしょうから。今日は失礼します」
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薫と翔太郎が立ち去って一時間後。
大八車に米六俵を載せて運んできた蜜璃は、千寿郎から森野辺薫が訪ねて来ていたということを知ると、
「えええぇぇぇーーーーーーっっっっ!!!!!!!!!」
と、甲高い悲鳴を上げた。
父が酒を買いに外に出ていて良かった、と千寿郎は内心思った。
しかし、蜜璃はお構いなしに大声で訊いてくる。
「いつ? いつ、いつ? なーんで、私もっと早くに帰らなかったのーっっ!!!!!」
千寿郎は蜜璃に肩を揺さぶられて、軽く眩暈になりながらも、やさしく言った。
「でも、その内会うこともあるだろうからって……その時にまたって」
「うぅぅ」
蜜璃は米俵に突っ伏して悔しがりながら、千寿郎をじとっ、と見た。
「薫さん、相変わらず美しかった?」
「へ? あ、そ、そうですね」
「インバネスコート羽織って、二枚目役者みたいだったでしょ!?」
「…………はい」
蜜璃の勢いに押されて、千寿郎は頷いたが、頭の中では疑問符が浮かぶ。
―――――二枚目って……女の人にも使うのかなぁ?
<つづく>
次回の更新予定は2021.04.24.土曜日になります。