【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
前話よりも数日前に戻る。
粂野匡近が風見翔太郎に風の呼吸玖ノ型について助言したが、にべなく突っぱねられた日の夜のこと ――――
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「あぁ……」
薫はガックリと肩を落とした。
予想はしていたものの……。
午後に鴉からの指令を受け、鬼を倒して帰ってきたはいいが、既に夜半。
開いている店はなかった。
よく行く店の前で溜息をついていた薫に、声をかけてきたのは匡近だった。
「薫」
「匡近さん!」
「今、帰りか? 食いっぱぐれたか?」
匡近は笑って言うと、「ついて来い」と歩き出す。
「ちょっと行ったところに、遅くまでやってる店があるから……」
「あ……教えていただければ一人で行きますよ。匡近さんは、もう夕食は食べられたのでしょう?」
「いや」
匡近は苦笑いした。
元々は遊郭通いの酔客向けの店であるので、さすがに一人で行かせるわけにはいかない。
「……食べた後に稽古してたんで、小腹が空いてるんだ」
薫はそれが匡近なりの気の遣い方なのだとわかったが、ニコリと笑ってついていく。
店に着くと、ちょうど客が切れていたのか、いつものような酔客はいなかった。匡近はホッとして、壁際の席へと腰を降ろす。
匡近はかけ蕎麦を頼んで、翔太郎の話を始めた。
「あの、
「え? そういう話だったんですか?」
薫は意外だったのだが、匡近は笑った。
「そりゃ、一緒に型を創るとなったら、さすがに離れたこの状態では無理だろ。弟子なら―――まぁ、実際に弟子っていうんじゃなくて、そういう
「それは確かに……」
「まぁ、でもけんもほろろに断られたよ。どうも、俺ら嫌われてるみたいだな」
「すいません」
頭を下げる薫に、「薫のせいじゃないさ」と言いかけて匡近はのみ込む。
はっきりと言われたわけではないが、おそらく翔太郎は薫に好意を持っているのだろう。
朝、道場で薫と型のことで話していた時も、ものすごい視線を感じて振り返ると、翔太郎が睨みつけるようにこちらを見ていた。
その後、例の玖の型のことで一悶着あった後、他の隊士にそれとなく聞いたら、全員一致で「翔太郎は森野辺さんにホの字ですよ」という返事だった。
だとすれば、ある程度は『薫のせい』であるかもしれない。とはいえ、それで薫を責めるのは違うだろう。
「匡近さん?」
黙り込んだ匡近に薫が首を傾げる。
匡近は苦笑しながら、結局浮かんだ言葉を言った。
「……薫のせいじゃない、気にするな」
薫は少しホッとしたような笑みを浮かべると、残念そうにつぶやいた。
「………翔太郎くん、意気込んでたんです。自分が玖ノ型を完成させるって」
「うん。なかなか…生意気なぐらい元気そうなヤツだな」
薫は思わずクスっと笑った。
いかにも翔太郎にぴったりな言い様だ。生意気だと言いながらも、匡近の余裕が、さほど嫌味に聞こえさせない。
「言っても、自分の家が宗家だったっていう自負があるんだろうな。せっかく見つけたお
「そうですね。鬼殺隊に入るのも大変だったみたいですし、克己心のある子ですから。自分ひとりの力でどうにかしたいって思ってるのかもしれません」
「まぁ、急には無理でも、何回か会ってる内に親しくもなっていくだろうし、そうなれば考えも変わるかもしれないから。おいおい、声かけるよ」
「ありがとうございます」
薫は頭を下げると、ようやく来た親子丼に手をつける。
翔太郎はもちろん、実弥にしてもそんな話が進行していることは知らないので、当人達が聞けば『冗談じゃねぇ!』と怒鳴ってきそうな話だったが、匡近も薫もまったく善意しかない。
そこが翔太郎が薫に強く言えず、実弥が匡近に言い返せない要因だった。
その後は、薫が見つけた東洋一の若い頃の写真の話になった。
美丈夫でしたよ、という薫の感想に、匡近は帰りに寄って確かめてくると言い、翌朝には発った。
その後、何度か薫は玖ノ型のことで翔太郎に話を聞こうかと思ったが、翔太郎はその話題について避けているようだった。
今回、任務が下り、偶然にも行き先が翔太郎達と同じ方角だったので途中まで一緒だったが、道中も、翔太郎はとうとう玖ノ型については一切話さなかった。
匡近の言うように、自負もあり、薫に大見得をきった手前の気恥ずかしさもあるのだろう。
薫もまたその事については触れず、夕暮れの宿場町で別れた。
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雨が上がると、雲の切れ間から星が見え始めた。
青や、白、橙の星が煌めいている。
鬼を倒し終わった薫は、その夜空を見上げると、殺伐した気持ちが流れていくのを感じた。
「……すごい」
同行していた新米隊士がつぶやく。
隣にいた信子が肩を叩いた。
「今度は、見てるだけではアカンねんで。怖ぅても、ちゃんと刀を構えな」
そう言われた新米隊士はしゅんと頭を垂れた。
恐怖のあまりガチガチに体が強張ってしまい、鞘から刀を抜くことすらできなかったのである。
「あんたそれでよく最終選別に残れたなぁ」
「……い、い、異能の鬼なんて初めてで…」
土の中に潜行して襲いかかる鬼だった。
なかなか姿を現さないその鬼を、薫は一瞬出てきたところに連撃の突きで傷を負わせた後、再び出現するや否や、呼吸の技で鮮やかに首を討ち取った。
「まぁ、
信子は溜息をつきながら、薫に声をかけた。
「帰りますか? 隠に連絡は?」
「そうですね。特に怪我人はいませんが、もしかすると周辺に被害があったかもしれませんから…一応、連絡はしておきましょう。
いきなり声をかけられ、新米隊士の高見晋助は「は、はいっ」とうわずった声で返事した。
鴉の足に完了を報せる紫の紐を結んでいると、奇妙な羽音が近づいてきた。
薫はハッとして上を見上げる。
険しい表情で待っていると、片足を失い羽根もいくつか抜けて傷つけられたらしい鴉が、ほとんど落ちるように報せを告げた。
翔太郎達が苦戦しているという。
「……よほど強い鬼なんでしょうか?」
信子は緊張で顔が固まった。
新米の頃なら慌てるあまりに型ができなくなることもあった翔太郎ではあるが、最近では薫からの教示もあって、冷静に戦闘をこなすようになってきている。
それが苦戦を強いられている…ということは並の鬼ではない。
薫はその鴉を朴の木の根本にそっと置いた。
おそらくもう長くない。
ここまで必死で、死ぬ直前にもかかわらず、無理に飛行してきたのだろう。
「そうね。すぐに向かわないと…でも、場所がわからない」
薫が鴉の飛んできた方向を見つめていると、また黒い影が迫ってくる。
「救援ッ! 救援乞ウゥゥ!!」
「
信子が叫ぶと、志筑と呼ばれた鴉が急降下してきて、伸ばした薫の腕に止まった。
「救援ッ!」
「わかった。案内をお願い」
薫が短く言うなり、志筑は再びバサリと上空に舞い、薫達を導いていく。
薫はすぐさま走り出した。信子も続こうとして、まごまごしている晋助を睨んだ。
「晋助! 早よ行くで!」
「あ、あの…鴉は?」
「そんなもん、えぇから、はよせぇ!」
言うなり信子は駆け出す。もう薫の背中は小さくなっている。
迷った晋助が自分の鴉を放すと、鴉は薫達と反対方向へ飛んで行った。
「あっ」
晋助は声を上げたが、それは任務完了を報せる紐を結んだのだから、鴉にとっては近くにある隠達の詰める番所へと向かう、当然の行動だった。
逡巡しながらも、晋助は薫達の後を追っていった。
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峠道から少し外れた、ブナ林の道なき道を進む。
足元の落葉は厚く堆積して、踏み込むたびに軽く沈むが、フワリとした弾力を返してくる。
先程まで雨が降っていたせいか、うっすら靄がかかり、視界は悪い。
やがて戦った跡であろう。
幹に鬼の爪痕らしい傷や、落葉の層が抉られて黒い土がむきだしになっている場所に出た。
薫はピタリと止まった。靄の中、木の根元に倒れ込んだ人間の姿。
一人ではない。
目を凝らすと、その横にももう一人。少し離れた場所に一人。
三人とも翔太郎と一緒に任務に向かった隊士達だろう。
木の根元にいた隊士達は、腹から真っ二つに斬られていた。流れた血はほとんど落葉の土の中へと吸収されている。
離れた場所にいた隊士は首を斬られ、座り込んだ足の間に頭が落ちていた。両腕も斬られてなくなっている。
「これは……」
ようやく追いついた信子は顔を顰めた。「喰われた……?」
晋助はゼイゼイと息を切らせながらやって来て、その無残な姿を見ると、ヒッと声を上げた。
「うわ……あ、……く、喰われ……」
ガタガタと震えながら
人間としての本能が、逃げることを選んだ。
「あかん! 勝手に動くな!!」
信子が制止したが、恐怖にかられた晋助には聞こえない。
「来るッ!」
薫は叫ぶと同時に、その攻撃を躱す。
信子も咄嗟に呼吸の技を繰り出して、どうにかいなす。
だが、晋助は逃げようとした姿のまま、三つに寸断された。
声を上げる間もなかったろう。ゴトン、と地に落ちた頭がゆっくりと転がって、見開いた目は何が起こったのかもわからないまま逝ってしまったことを告げている。
晋助に注意をそがれた隙に、敵は再び姿を潜めた。
信子も、薫も、動かない。
鬼はいる。
こっちの出方を待っているのか、それとも既に術中にある薫達をどう痛ぶろうかと、手ぐすねを引いて待ち構えているのか。
薫は全集中の呼吸をより深くする。半眼を閉じ、研ぎ澄ます。
鳥の呼吸 伍ノ型
静かに、気配を殺して鬼の居場所を探る。
動いておらずとも、その呼吸、生命のもつ律動のようなものを感じ取るのだ…。
―――――知覚すると同時に凄まじい速さで跳躍し、薫は刃を振るった。
ざ、ざ、ざと太い木の枝が落ちた。
手応えがない。
本来であれば、鬼の気配を感じ取ると同時に、梟のように音もなく急襲して、一斬の元に首を叩き落とす技なのだが、
「なかなかやるなァ」
鬼は落ちた枝から別の枝へと移っていた。
ニヤニヤと笑って、薫を見下ろしている。
真っ白な顔に歌舞伎役者のような紅い隈取、紅い目。
長く伸びた髪は蛇のようにうねり、風を無視した動きかたをしている。
右肩だけが異様に盛り上がって、片肌を脱いだ状態になっている。その肩には大きな紅い目が、気味悪く光っていた。
入れ墨のような黒の斑紋が肩から指先にまである。
岩のような右腕の先には鈍く光る刀が握られていた。
血管のような青筋が浮いて、脈打っている。気味の悪い刀だ。……
鬼が後ろに手をやると、背中から人間の手が二本出てきた。
血の気を失い、白く固まった手。鬼はその内の一本を引き抜くように取ると、むしゃむしゃと食べ始める。
それはおそらく隊士の腕。
先程の頭を斬られていた隊士、それに―――――
鬼はニィと笑い、赤黒く伸びた爪が、薫の輪郭をなぞっていく。
「オマエ、強そうだな。俺は強いヤツが大好きなんだ。オマエを喰ったら、強くなれるだろうなぁ」
薫は鬼を冷たく見据えながら、信子に囁いた。
「……のぶちゃん、翔太郎君の姿がない。探して。おそらく……」
ギッと睨むその先には鬼の背中から見える手。月明かりに照らされて、袖口に施された柊の刺繍が見えた。
「右腕がなくなっている」
信子は返事はせず、そのまま闇に溶け込むかのように姿を消した。
「今日は豊作だなァ。阿呆な鬼に呼び寄せられて隊士が何人も来てくれたよ……懐かしいなァ」
鬼はゆらりと立ち上がると、食べかけの腕を投げ棄てた。
フッと姿が消えると、隣の木の枝へと飛び移っている。
次々と身軽に枝から枝へとまた飛び移っていく。
薫もまた、追う。
打掛をはためかせて跳躍する様はムササビのようだった。
薫の力量を探っているのか、どこか遠くに向かっているというより、辺りを周回している。
やがて根曲がりして、瘤状になっているブナの巨木へと降り立った。
その木の下には、黄土色の肉塊と、その上に不自然な形で鬼らしきものの首が載っている。
死にかけているのか、ズーズーと奇怪な息遣いが聞こえてきた。
「そんなにコイツは強いと思われたのかな?」
隈取の鬼はその首を乱暴に掴むと、持っていた刀を突き刺した。
ウゴオオオォォ!! と、土色の顔の鬼が咆哮を上げる。
肉塊と思われた胴体の一部が伸びて手の形になり、隈取の鬼を掴もうとする。
「フフ。最後のあがきか?」
面白そうに目を細めると、次の瞬間にはその伸びてきた腕も、肉塊も微塵に切り刻まれていた。
―――――この鬼……!
それは有り得ないことだった。
薫は柄を握りしめた。全身が総毛立っている。
奥歯を噛み締めて、呼吸に集中していく。
恐れは乱れに繋がる。平静を保たねばならない。
たとえ、この鬼が呼吸を――――風の呼吸を使っていたとしても。
隈取の鬼が
<つづく>
次回は2021.05.12.水曜日の更新予定です。