【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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▼今回、残酷描写あります。ご不快な方は避けてください。



第三章 呪鬼(四)

 翔太郎がこちらに向かっていることを知らず、薫は隈取の鬼と対峙していた。

 

 正直なところ、鬼が繰り出す攻撃を避けるだけで精一杯だった。とても反撃に打って出る隙が見つからない。

 

 薫の額を汗が伝った。

 全集中の呼吸の常中を会得して以来、ここまで追い込まれたことはない。

 

 この鬼は明らかに異端だ。

 あの刀。そして呼吸。

 間違いなく元鬼殺隊士であり、しかも実力もそこそこにある剣士であったに違いない。

 

 鬼殺隊が創設されて以来、鬼に寝返った者がまったくいなかったわけではない。

 だが、もちろんそんな不祥事はおおっぴらに話せるものでないので、薫のような平隊士には、そうした情報は回ってこない。

 

「やれやれ、オマエは逃げ回るのが相当上手いなぁ」

 鬼は心底呆れたように溜息をつく。「では、これでどうだ…?」

 言うなり鬼は刀を振り上げる。

 

 霞の呼吸 参ノ型 霞散の飛沫

 

 薫は目を見開いた。風の呼吸だけでなく、霞の呼吸も使えるのか…?

 フワリと大きく振り回した刀から、押し寄せる斬撃。躱すことのできぬ広範囲の攻撃。

「くッ!!」

 すぐさま刀を目の前で交差させて、回転する。

 

 鳥の呼吸 陸ノ型 迦楼羅(かるら)千翔(せんしょう)

 

 技で攻撃を散らせたものの、さすがにすべてを回避するのは不可能だった。主に前面を庇ったために、右の横太腿をざっくりと深くやられた。血が流れ出していく。

 

「…………」

 

 日輪刀を構えながら、呼吸を深くして太腿の血管を意識する。破れてしまったところを、筋肉で固めていく。一時的にでも止血しなければ、あっという間に失血して倒れる。

 

「やるじゃないか、小娘。ますますオマエを食べるのが楽しみになってきたぞ」

 鬼は相変わらずニタニタと笑っていたが、自分もまた右肩を斬られていたことに気付くと、途端に苛々と歯噛みした。

「オノレ……小娘がァ」

 自分の攻撃も効いてきている……。薫は確信と共に跳躍する。

 

 鳥の呼吸 弐ノ型 破突連擲(はとつれんちゃく)

 

 薫が技を繰り出すのと同時に、鬼も再び攻撃する。

 

 血鬼術 乱刃嵐剳(らんばらんとう)

 

 鬼が刀を一振りすると同時に複数の刃がばらばらの角度で襲いかかろうとする。

 だが右肩の傷が癒えてない状態で繰り出したせいなのか、その攻撃は少しばかり遅れた。

 

 薫は間隙を突く。

 その速さはおそらく鬼が予想していたものではなかったのだろう。

 

「ウグゥッ!!」

 日輪刀で胸を刺され、鬼が呻いた。

 

 血鬼術に綻びが生じる。

 ようやく開けた勝機を薫は逃さなかった。

 

 鳥の呼吸 肆ノ型 円環狭扼(えんかんきょうやく)

 

 水平に唸った刀が鬼の首を捕らえようとした刹那、躱された。

 鬼の左足だけがボタ、と地面に転がった。

 鬼は枝の上に一本足で立っていた。ギリギリと歯噛みしながら、薫を睨みつける。

 

「小娘、本当にムカつくヤツだなァ……オマエ。嫌な女を思い出す。あの女も俺の足を斬りやがった。貴様、花柱の継子か?」

「花柱? カナエ……胡蝶さんのことか?」

「胡蝶ォ? 誰だ、それは。俺の言っているのは五百旗頭(いおきべ)のことだ」

「五百旗頭?」

 

 カナエの前の花柱だろうか? 確か、東洋一の家にある鬼殺隊についての伝文書にそんな名前があったような気もするが、あまりにも朧げな記憶で思い出せない。

 

 いずれにしろ、そこに拘泥していられる状況ではない。

 刀を構え、薫はきっぱりと答えた。

 

「生憎だが、私の育手は篠宮(しのみや)東洋一(とよいち)だ」

 

 その名前を出した途端、鬼は目を見開き、うねうねと蠢いていた髪が鮮やかな橙に変化した。

 

「篠宮東洋一だと?! ハ、ハ、ハ、ハ……なんという配剤!」

 鬼は恍惚とした表情となり、天を仰いだ。

 

風波見(かざはみ)賢太郎(けんたろう)の孫に、篠宮東洋一の弟子だと!? ハハッハハァ! ……なんて楽しい偶然だ」

 

 薫には訳が分からなかった。だが、詮索している暇はない。

 鬼が油断している間に、次の動作に移ろうとした時、右肩にある目がギロリと動いて、あの不気味な刀が振り下ろされた。

 

 ―――――斬られる!

 

 その時、鬼の技を打ち消すように風が唸って、薫を逃がした。

 クルリと地面で一回転して、体を起こすと、翔太郎と信子が来ていた。

 

 翔太郎の顔は蒼白を通り越して、土気色をしている。両肩を止血はしているが、布に広がった染みは相当量の出血を物語っていた。

 

「翔太郎君! 避難しなさい! その怪我ではまともに戦えない」

 しかし翔太郎は初めて薫に反発した。

「嫌です。アイツだけは……俺が殺す……!」

 

 異様な様子に、信子を見ると、黙って首を振った。おそらく信子もまた、説得はしたのだろうが、受け容れなかったのだろう。

 

 この鬼と翔太郎の間に何かしらの因縁があるのだろうか…? さっきの鬼の態度も気になる。

 だが、今は考えている暇はない。

 鬼は枝の上でまた、ニヤニヤと笑っていた。足はもう再生が終わる。

 

「同じように足を斬られても、東洋一はこうして元に戻ることもないだろう? 哀れよな」

 

 その言葉を聞いて、薫はカッと頭が熱くなった。

 東洋一の左足は義足。

 足が無いという事を知ってるということは……この鬼が東洋一の足を奪ったのか?

 

 だが薫が出るより早く、翔太郎が技を繰り出す。

 

 風の呼吸 弐ノ型 爪々・科戸風

 

 決死のものであっただろうが、勢いはなかった。

 鬼は楽々と避けて、素早く木々の間を渡っている。

 

「ずいぶんと弱いなァ、翔太郎。実力もないヤツが、風柱の家になんか生まれて可哀相に。オマエも将来、柱になりたいのか? ハハッハハァ!!!! 残念! オマエには無理だ! 血脈だけで、柱になぞなれるものかッ!」

 

 吐き捨てるように言うなり、唸る風の音とともに血鬼術が翔太郎を襲った。

 薫は技を繰り出して血鬼術を散らしつつ、翔太郎の前に立った。

 後ろで無造作に括っていた紐が切れて髪が乱れた。

 額が切れて、血が顔を赤く染めていく。その血まみれの姿と冷たく睨み据えた瞳。

 

 薫と、鬼の脳裏に浮かぶ女が重なって見える。

 

 ―――――憐れよな。所詮は東洋一にも、賢太郎にすら及ばぬ…。お前は、雑魚(ザコ)

 

 嫌な女だった。

 冷たい双眸は会った時から睥睨していた。

 絶対的に自分が勝つことを知っている、微塵の臆病も恐怖もない、不惑不動のその姿。

 

「お前は、柱になりたかったのか?」

 

 薫は剣を正眼に構えて問うた。

 先程の翔太郎との問答を聞く限り、この鬼は鬼殺隊での自分の立ち位置に不満があったようだが、そのために鬼になったというなら、本末顛倒と言うしかない。

 

「うるさいっ!!!!」

 鬼が蝿を追い払うように手を薙ぐと、真空の刃が襲いかかる。

 薫が再び技で散らすと同時に、信子が鬼に攻めにかかる。

 

 水の呼吸 弐ノ型 水車

 

 別方向からの刺客に鬼は一瞬動揺しつつも反撃した。

 

 血鬼術 風雷奔濤(ふうらいほんとう)

 

 バリバリと空気が鳴って、信子の身体に巻き付くように斬撃が叩き込まれる。

 

 声すら出せぬ痛みに悶絶し、信子は地面に叩きつけられ気を失った。

 とどめを刺さんと、鬼が空中に跳び上がる。

 

「くっ!」

 薫は走って、跳躍する。

 

 しかし信子はすぐに意識を取り戻した。

 不完全ながらも、鬼に向けて技を繰り出す。

 

 水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き

 

 鬼は信子の攻撃を、ブンと刀を振って跳ね返したが、次の瞬間には薫が上から襲いかかってくるのを、避けきることができなかった。

 

 鳥の呼吸 壱ノ型 鷹隼空斬(ようしゅんくうざん)

 

 右耳と右腕、右膝から下を斬り落とされ、鬼は吠えるような悲鳴をあげた。

 

「クソッ!!」

 着地するなり、残った足で飛び跳ねつつ逃げていく。

 

「待て!!」

 追いかけてくる薫に、鬼は一本足で再び跳躍して木の枝に乗り移ると、振り返ってニヤリと笑った。

「いいのか? 俺にかまけている内に仲間は死ぬぞ」

 

 薫はハッとして、背後の気配を探った。

 すでに翔太郎は動けない。意識も朦朧としている。下手をすれば数刻の内に死ぬ。

 信子もまた気息奄々としている。血鬼術を受けながら技を無理に行ったことで、心臓に負担がかかったのだ。

 一刻も早く隠に知らせなければならない…。

 

 ギリと歯噛みして、薫は息を吐いた。

 それから細く、長く、吸い込む。

 

 無論、二人とも助ける。だが目の前のこの鬼を退治することもやり遂げる。

 一発で、仕留めなければならない。

 

 鬼は枝の上にいる間に足を復元させ、再び地面に降り立つと走り出した。

 右腕も肉が蠢きながら再生していっている。

 

 逃さない―――――。

 

 薫はスウゥゥと息を吸い込んで、跳躍する。

 

 鳥の呼吸 参ノ型 飛燕之鋒(ひえんのほう)

 

 薫が技を出すと同時に、鬼もまたギリギリの状態で血鬼術を繰り出した。

 

 血鬼術 乱刃嵐剳

 

 遮二無二に放たれた風の刃が、今は防御の姿勢をとっていない薫の全身に細かな裂傷を負わせ、特に脇腹を深く抉り斬った。

 

 一方、左右から迫る刀を鬼は避けそこなった。

 右からの刀に顎から左目を切り裂かれ、左からの刀が右肩に残っていた瞳ごと、ざっくりと首を掬い上げるように斬っていく。

 

 鬼は手をかざすと煙で自らを覆った。

 灰緑の煙が周辺に広がる。

 

「くっ!」

 薫は反射的に目を(つむ)った。目が痛い。毒だ、この煙は。

 しかしそのまま刀を横へと引き斬っていく。

 

「ヒャアアァァァ」

 

 奇妙に間延びした悲鳴が聞こえると同時に、いきなり刀がスルリと滑るように抜けた。

 

 ―――――殺ったのか?

 

 薫はしばらく目を開けることができなかった。

 ようやくそろそろと目を開けると、煙は消えて、鬼の姿もなくなっていた。

 

 首を斬った―――――その感触はあった。

 

 だが、あの煙のせいで、いつものように灰となって消えていくところを見ていない。

 途中でいきなり抜けた刀の感覚が気になった。

 あるいは鬼が『斬らせた』のなら……死んではいまい。

 

 だが。

 東の空がうっすらと明け始めていた。

 あと数十分もすれば山の端から日が昇りだすだろう。

 

 たとえ逃げていたとしても、あそこまで体を損傷した状態であればあるいは、肉体を再生する前に、陽に灼かれて死ぬ…はずだ。

 残念ながら、希望的観測でしかないが。

 

 薫は地面に手をつくと、常中の呼吸を整えた。

 特に脇腹の傷が深い。一時的に血のめぐりを止めなければならない。その部分の筋肉に圧力をかけて血管を押さえ込む。

 

 祐喜之介が横に降り立った。

「……任務は完了した」

 薫がつぶやくと、バサリと祐喜之介は飛び立った。

 

 ようやく動ける状態になって、薫は足を引き摺りながら信子の元へ行くと、声をかけた。

 

「のぶちゃん……大丈夫?」

 ヒュウヒュウと苦しそうな息遣いで、信子は目だけ(しばた)かせる。

 

「のぶちゃん、息を整えるのよ。落ち着いて……瞑想の時、教えたように……」

 薫が信子の胸に手を当てると、信子は不完全ながらも深呼吸を試みる。

 しかし苦痛に顔が歪んだ。おそらく肋骨が折れているのだろう。

 

 それでも数回繰り返すうちに、顔つきが穏やかになってきた。トントンと肩を叩いてやってから、翔太郎の方へと向かう。

 

 翔太郎はもはや意識がなく、心音は辛うじて聞こえるが、弱々しい。明らかに出血がひどい。

 ゾワリと嫌な思い出が蘇る。佐奈恵を失ったとわかった時の絶望、無力感。

 

「翔太郎君、翔太郎君。生きて…お願い……」

 

 傍らで何度も呼びかけながら、その左手に巻いていた晒をはがした。

 手にあった日輪刀を取ろうとしたが、固着しているかのように、指が硬直して取り上げることができない。そのままの状態で、左肩の傷口を覆うように、はがした晒を巻きつける。

 

 切り落とされた右腕の傷口は、信子が巻いた布がすでに真っ赤に染まって血が滴っていた。

 薫は翔太郎を抱きかかえ、その傷口を胸に押し付けるようにして、圧迫する。

 

 キラリ、と光が森の中に差し込み始めた。

 鳥達が囀り、林の中を渡っていく。

 

 夜明けは美しく、だが無情にすべての傷を浮かび上がらせる。

 

 目の前には、鬼が食べかけて捨てた人間の腕が落ちていた。

 既に小さな虫が、その傷口に群がっている。

 

 視線を逸らせると、林立する木々の間から、昨夜死んでしまった隊士達の死体が見えた。昨日まで一緒に任務にあたっていた晋助のむごい姿もまた、小さく見える。

 

 薫は歯を食いしばった。

 鬼殺隊に、死はありふれた日常なのだ。

 そうとわかっていても、昨日まで一緒にごはんを食べ、軽口を言い合った仲間が死ぬことを、仕方ないの一言で、やり過ごすことはできない。

 

 泣きそうになるのを堪えた。泣いても事態は好転しない。やるべきこと、やれることはすべてやらなければ。

 ポケットから笛を取り出す。

 

 ピイイィィィィィ!!!!

 ピイイィィィィィ!!!!

 

 薫は何度も吹いた。隠が早く来てくれることを祈って。

 

 ピイイィィィィィ!!!!

 ピイイィィィィィ!!!!

 

 朝の澄んだ空気の中を、笛の音が切り裂くように響き渡る。

 

 ピイイィィィィィ!!!!

 ピイイィィィィィ!!!!

 ピイイィィィィィ!!!!

 

 

 

<つづく>

 

 

 






次回は2021.05.19.水曜日の更新予定です。

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