【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
「ははうえ、天井が笑ってる」
母の
「そう、そう。天井の木の目をずーっと見てたらねぇ…人の顔に見えてきたりしたものだよねぇ……」
「もよう、なの?」
「そう、そう。模様よ。木の目の筋がそう見えるだけ」
「でも、違うよ。笑ってる。ずっと笑って見てる」
「……もう寝なさい。目を瞑ったら、見えなくなるから」
「笑って……来てるよ」
清子は目の前に降りてきた顔を、不思議そうに見つめていた……。
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「…………」
起きるなり、
横でうつらうつらとしていた
「ずいぶん、お疲れのようだねぇ」
宝耳は頭を押さえて、もう一度溜息をつくと、「煙草」とぞんざいな口調で言う。
女が用意して
その日は珍しく何の仕事も入っていなかった。
本来であればそういう日は、馴染みの茶屋で日がな一日のたりのたりと過ごすのが常だったのだが、どういう訳か昨夜、夢枕に先代の産屋敷家当主・
―――― 頼むよ。
あの日と同じ言葉。
一言だけ言って、消えてしまった。
宝耳に何も言わせないまま。
「………親子共々、人遣いが荒いな」
ボヤキながら、宝耳は煙管を敵娼に返して、身支度を始める。
「なぁに…今日は居続けじゃなかったの?」
女は煙管を吹かしながら、少しばかり怒ったように言った。
「野暮用や。すまんな」
「どういう野暮なんだか」
こういういかにもなやり取りも料金の内である。
どうせこの女も煙草を吸い終えたら、邪魔な客がいなくなって清々したとばかりに、二度寝するに違いない。
女主人に金を払って茶屋を出ると、宝耳は歩き出した。
目的とする
森野辺薫から話を聞いてから、風波見一族については暇なときに気が向く程度で調べてはいた。
その後、例の風波見家の子孫が入隊してきたらしいことも、刀鍛冶づてに聞いている。
いずれ話を聞きに行こうと思ってはいるが、実際のところ、十代の若者が三十年以上の前の出来事を詳細に知っているとも思えない。それよりは、今も風波見家にて存命の先々代当主の妻に話を聞いた方が確実だろう。
それに宝耳には他にも気にかかることがあった。
最近になってやたらと風の呼吸を遣う隊士の死亡が増えているのだ。
鬼殺隊士である限り、常に命の危険があるのは勿論だが、それにしても割合として多い。
中には「風の遣い手だな……って、そう言うなり、殺して喰ったんだ」という……命からがら生き延びた他流派の隊士からの証言もある。
まるで狙っているかのようではないか。
この現象は初めてではない。三十五年前にもあった。
記録を読む限り、最後の風柱が亡くなる前後の数年間に、風波見家から輩出した風の呼吸の遣い手達が次々に殺されている。
そのせいで、一時は風の呼吸はこのまま滅びるかもしれないとすら危惧されていた。
その後に
実際のところ、あの夢に現れた聡哉の本体が何なのかは、宝耳が一番わかっていた。
それは三十五年前のことが、再燃しているのではないのか……という、宝耳の茫洋とした直感だ。
だがすぐに ―― そうでもないかもしれない……と考えを翻すことになる。
街を離れて人もまばらな土手道を歩いていると、バサバサと上空から羽音が聞こえた。
鴉である。
眉をひそめたのは、それが本部直属の鴉だったからだ。
足に括られた書付を読むなり、ひそめた眉は深い皺をつくる。
『裏切者有。風ノ者。霞モ使用。調査ノ事』
「なんやソレ……」
ボソリとつぶやく。
まったくあの御仁は……やはり死んでまでも超人的な能力をもって、何事かを囁く。
宝耳は我知らず、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
風の剣士が相次いで死亡し、風の剣士から裏切者が出て、その上で今から自分が向かおうとしていた場所は、かつて数多くの風の剣士達を輩出した風波見家。
風・風・風。 ――― 奇妙な符牒。
自らの作り上げた夢の形代でしかなかった聡哉の姿が、目の前に佇んでいる気がする。
溜息をついて、宝耳は鼻の頭をぽりぽり掻いた。
さて、仕事である。
早速にも、現在生存中の風の遣い手達に聞き込みをする必要がある。
風と霞が同系列であるとはいえ、二つの呼吸を使う者など宝耳は聞いたことがない。
一つの呼吸の全ての型を極めるのさえ難しいのだ。
他流派の呼吸に手を出している暇があるなら、一つを極めた方が確実に強さの質は上がる。
そんな中途半端なことをしていた隊士がいたなら、すぐに名前が上がってくるだろう……。
戻ろうかと足を止めて振り返った先に、顔見知りが歩いてくるのが見えた。
ゆらゆらと揺れる着物の袖に手は見えず、長く垂れた黒髪の中に混じる金の髪。
「
呼びかけると、袖から伸びた杖で地面を擦りながら、うつむきがちに歩いていたその男はつと顔を上げた。
「会うんは久しぶりやな」
「まことに」
細めた紫の目に、宝耳は映っていない。
生来のものなのか、その目は宝耳達と同じものを見ることはない。
「仕事か? 鬼がおるんか?」
聞かれて、春海はきゅっと眉を寄せた。
「鬼…と思われます。ひどく色濃い煙が見えまして……」
「ほぅ…こっちの方角か?」
「はい。こちらに気配を感じまする。
宝耳は自らも進もうとしていた先の景色を見つめた。
煙などひとつもない。ただただ
とはいえ、それは宝耳にはそうであっても、目の前のこの男にはそうでない。
春海は隠の別働隊であるところの、
鬼蒐の者は、鬼殺隊の中にあって、鬼の居場所をつきとめる役割を負う。
自らが討伐することはできないが、その特殊な能力によって、あるいは地道な聞き込み等によって、鬼の所在を探り当てる。
それを本部に伝え、そこから隊士達に任務指令が下る。
春海の目は通常の人のように見えていない。
本人が語ったところによると、その人の顔の造作や、建物の細かい部分などは見えないらしい。ただ、ボンヤリと人の姿がわかる程度の視力。
だが、普通の人間には見えないものが見えた。
鬼の気配が見えるのだ。
鬼がいると、その辺りに煙が立つのだという。その煙の色によって、強さがわかる場合もあるらしい。
体がそう丈夫でもないので、あちこちに出向くわけにもいかないが、鬼蒐の者の中でも、その探索能力は五指に入った。
春海がいる、と言えば確実に鬼はそこにいる。
なぜ、そんな能力が備わっているのかは本人もわからない。
元は見世物小屋に売られた、おそらくは
親は両腕のない我が子を育てる気がなかったのだろう。
捨てられたところを誰が拾ったのか、物心ついた頃には見世物小屋で口で絵を描く芸を見せていた。
宝耳はたまたま知り合い、その紫の目で見ているものが違うことに気付き、春海を
無論、大枚の出処は産屋敷家だが。
そういう昔のよしみもあって、あまり強くもなさそうな鬼の情報を春海から定期的に仕入れて、生け捕りしているのだ。
「強いんか、その鬼」
「………おそらく。しかし、鬼にしては妙な気配でございます。なにせ恨みが深いのです。その元へと一直線に向かっているようでございます」
「その元?」
「恨みの元でございます。一緒に行かれますか?」
尋ねられて、宝耳は一瞬逡巡した後に「ああ」と頷いた。
自分でも理由はわからない。
妙な勘が働いたのか、また聡哉が見えぬ糸ででも操っているのか……。
そのまま二人で歩いていく。
まさか日が燦々と照る間に襲われることはないだろうが、春海の向かう先が気になった。
「おい、春海。ここら辺りから、人家も多いで。ホンマにこっちなんか?」
「左様」
春海は静かな面持ちで進んでいく。
宝耳はついていくに従って、眉を寄せた。
まさか……と思いながら歩いて、元々行こうとしていたその家の前で止まる。
春海も歩みを止めた。
「………ここに、おるんか?」
宝耳は思わず問いかけた。
春海はしばらくその閉ざされた門の先を透視するかのように見つめていたが、首を振った。
「いいえ。もうおりませぬ」
「……もう?」
「宝耳様、この家に御用がおありですか?」
「あ、あぁ……いや………大した用やないんやけど……」
春海はしばらく黙り込んで、その門の戸を押した。錠はかかっていなかったらしく、ゆっくりと開く。
飛び石が
特に荒らされた気配はない。
「どうぞ」
春海が言った。
「お行きください。もう、ここには鬼はおりませぬ故、心配はござりませぬ」
宝耳は中に一歩入ってから、振り返って問うた。
「お前、何が見えとる? この家……静かすぎる」
春海は母屋を見上げた。
所々苔むした
だが、その初夏の
「ひどく…重い……苦しげな……
「……もう一回聞くけど…鬼はおらんのやな?」
「おりませぬ。私は、煙を辿ってゆきます故……ここにてお別れにございます」
「おぅ。元気でな。ありがとさん」
宝耳が礼を言うと、春海はニコと微笑んで立ち去った。
フゥと息を吐いて、宝耳は母屋へと入って行った。
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その日は佐奈恵と一緒に行った任務の時のような、しとしとと降り続く雨が夜半から続いていた。
厚い雲は太陽をすっかり覆い隠し、昼にも関わらず鬼は跳梁跋扈する。
薫は山間の村で人を食い殺していた鬼を一刀のもとに成敗すると、その足で吉野の百花屋敷に向かった。
近かったので、翔太郎の具合を見に行こうと思ったのだ。
あの任務からおよそ二ヶ月が過ぎ、信子は回復訓練を始めたという。薫と同じように常中の呼吸を身につけようと頑張っているらしい。
「翔太郎は、まだ意識が戻らない」
ひと月ぶりに訪れた薫に、
「もっとも…生きているのが不思議な状態だったからね。たまたま前の任務のときに取っておいた血液型の記録のお陰で輸血もすぐ出来たし、ある意味、運のいい子だよ」
そう言って、勝母は布団で眠る翔太郎を軽く叩いた。
「そうですか……」
「意識が戻ったら色々と聞きたいこともあるが、さぁ、そこのところも障害が残ってないかが心配だね。なにせ失血がひどくて、脳にも後遺症がないとも限らない」
「そのことなんですが……私、一度、翔太郎くんの実家に行こうかと思います」
薫は翔太郎の顔を見ながら、道すがら考えていたことを口にする。
「この子の家ってことは、風波見の?」
「はい。前に一度、お邪魔したことがあるんです。翔太郎くんのお母様と妹さんにはお会いしたんですが、どうも昔のことを一番ご存知なのは、翔太郎くんの曾祖母君でいらっしゃるようなので、色々と聞いてみようかと」
「……気になるかい?」
勝母が尋ねると、薫は「すみません」と顔を俯けた。
「本部に任せるように、って言われてますけど……どうしても気になって」
「まぁ……私もやきもきはしてるがね」
フッと勝母はうつむいて皮肉な笑みを浮かべた。
一応薫から話を聞いて、かつて勝母が殺した鬼と相似性が多くあることは言ったのだが、本部の方では当然ながら、とうの昔に殺した鬼と、薫が対峙した鬼に関係性があるとは思っていないようだ。
鬼は姿形を変えるのだから、偶然に似た個体が現れることもあるだろうし、何だったら風の呼吸遣いは鬼となると、同じ特徴を持つのかもしれない……というのが、あちらの考えだった。
かつては元花柱として意見を求められることもあった勝母だが、最近ではお館様の柱達への信任が厚いのもあってか、あまり
それはいい傾向だと思うので特に何を言うこともない。
だが、何かを言っても老婆心と受け取られる年になってしまったのは、正直寂しいものだった。
今はこの五年の間に行方不明となっている風、あるいは霞の呼吸の遣い手に対する探索と聞き取りを行っているようだ……。
「あの鬼と勝母さんの殺した鬼が、別の個体と考えれば考えるほど、齟齬が出るんです。先生のことを知っていたのも、勝母さんを旧姓で呼んでいたことも、翔太郎くんの家に対する執着というか……恨みを持っているらしいことも」
「……そうだね」
少なくともこの五年の間に隊士だった人間で、風波見家のことを知っていた人間などいないだろう。
まして、翔太郎は『風見』と名乗っているのだ。
「あるいは……鬼が分身したのかとも考えましたが……」
薫が自信なさげに推論を挙げると、勝母はフンと鼻で笑う。
「分身するにしちゃ、年月が経ちすぎてるね。そもそも分身することでの最大の効果は、
「そうなんです…それに、これまでに分身の鬼と対峙したこともありますが、多くはその
勝母もそれは同意する。
あれは目くらましの分身体のような、あやふやなものではない。
確実に鬼として一つの脳、一つの心臓を持った実体だった。
薫は話を元に戻す。
「翔太郎くんの曾祖母君は、翔太郎くんが隊士になることをひどく反対されていたみたいです。聞いた時は身内を早くに亡くされたが故の、感傷的なものだろうと思っていたんですけど……でも、その為に鬼殺隊と絶縁までするっていうのは正直、不思議でした。柱のご
勝母はしばらく腕を組んで考え込んだ。
風柱の賢太郎を失った後、唐突に鬼殺隊との縁を切った風波見家。
その時に実際に家を取り仕切っていたのは、賢太郎の母君 ―― つまり、翔太郎の曾祖母に違いない。あのときも理由説明をするよう再三伝えたが、結局風波見家からの回答はなかった。
その後、ある程度の事情を推測することはできたが、その時には既に勝母がその問題の『鬼』を討った後で、お館様も代替わりしており、最早、風波見家のことを蒸し返す必要はないと思ったのだ。
しかし薫の会った
「じゃあ……行ってみるがいいさ」
勝母が言うと、突然扉が開いて返事する。
「そら、無理やな」
いきなり現れた宝耳を見て、薫は息を呑み、勝母は冷たく言った。
「ったく…さっきから聞き耳立ててるかと思ったら、なんだい」
「なんや、勝母
「フン。あんな粗い呼吸で気配を消したつもりかね」
二人が言い合うのを思わずぼうっと見ていた薫は、ハッとして宝耳に尋ねた。
「無理って、どういう事ですか? 宝耳さん」
勝母は眉をひそめた。
「薫…アンタ、なんでこの男のこと知ってるんだい?」
「勝母刀自。ワイをなんやー思ってまんのや? そないな汚いモン見るような目ェで」
「できればアンタみたいなのと知り合ってもらいたくないんだよ。一本気な子なんだから」
「それはよぅわかっとりまんがなー」
また二人のやり合いになってしまいそうになるのを、薫は大声で止める。
「宝耳さん! だから……」
その時、「う…」と翔太郎が呻いた。
ハッと三人の視線が翔太郎に注がれる中、かすかに瞼が震えて、そろそろと目が開いた。
翔太郎はぼぅと天井を見つめてから、傍らにいた薫の姿を見つけると、ほのかに笑顔を浮かべた。
「翔太郎くん…」
薫は嬉しくなって、翔太郎の手を握ろうとしたが、腕がなくなっていることに気付く。
翔太郎もまた、己の右腕が失われたことに気付いた ――― いや、思い出したのだろう。
カッと目を見開くと、起き上がろうとして「ウッ!」と痛みに顔を顰めた。
「寝てな、傷が開くよ」
勝母が軽く押さえようとすると、翔太郎は必死の形相で左腕を伸ばし、薫に掴みかかった。
「あの鬼は!?
薫は一瞬顔を強張らせながらも、ニコと微笑んだ。
「当たり前でしょう。私が……首を斬ったわ。………安心して」
「……本当に?」
「えぇ…」
薫がかろうじて頷くと、勝母が今度は強い力で翔太郎を無理やり寝かしつけた。
「無茶すんじゃないよ、坊主。若いんだから、さっさと寝て治しな」
ぶっきらぼうな言い方だったが、勝母の安心感にようやく気が休まったのか、翔太郎は再び瞼を閉じた。しばらく見ていると、やがてすぅすぅと寝息をたてて、再び眠りについた。
宝耳は眉を寄せて翔太郎を見ると、薫と勝母に外に出るよう促した。
廊下に出ると、勝母がさっきの話の続きを尋ねる。
「で? 無理ってのはどういうことだい?」
宝耳は腕を組み、真面目な顔で答えた。
「風波見家の婆さんは、今治療中や」
「治療中?」
「
「何があったんです?」
薫が困惑して問うと、宝耳は風波見家を訪ねていった時のことを話し始めた……。
<つづく>
次回は2021.05.26.水曜日の更新予定です。