【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
昼過ぎであったが、家の中は暗かった。
それは雨戸が開いていなかったというのもあり、
玄関から入って呼びかけたものの返事がなく、そのまま
縁側に面した広い廊下を歩いていると、先の方で雨戸が破られて、そこから光が差し込んでいた。
途端に、クンと血の臭いがする。
宝耳はすぐにその現場が血塗れであろうことを察知した。
春海も言っていた。「もう、ここにはいない」と。
つまり…鬼はいた、のだ。
鬼がいた以上、やることは一つ。
スルスルと廊下を摺足で進み、そうっとその部屋の中を覗く。
わずかな光が差し込む暗闇に、なにかが
ぎし、と畳を踏むと、血が足袋に染み込むのがわかった。
さっと見回して、壁にも障子にも、血が一面に飛び散っている。明らかな殺戮の痕に、宝耳は無表情になった。
部屋の真ん中で丸くなっているそれに、そろそろと近づいていくと、やがて人だとわかり、その次には乱れた白髪に、老婆だと気付いた。
「………う…ぐ」
微かな声がして、宝耳はあわてて老婆を抱き起こす。
かくん、と背が仰向けになると、老婆の手には血のついた短刀があった。
「………う……う」
老婆がうっすらと目を開く。
「大丈夫か?」
宝耳は声をかけながら、老婆が掻き切ったらしい首筋の傷に手拭いを押し当てた。
老婆は震える声で言った。
「……しょ……たろ………に…げ…」
言いながら、短刀を落として、宝耳の腕に必死で手を伸ばす。
「しょ……ろ………や…め……」
宝耳はポンポンと老婆の肩を叩いた。
「大丈夫や。翔太郎は大丈夫やで。安心しぃ」
無論、その時に宝耳が翔太郎の安否など知る由もない。だが、老婆はその言葉を聞くと、安心したのか、スゥと意識を失った。
怪我の程度を見る限り、すぐに処置すれば助かる。
自刃しようとしたらしいが、力が及ばなかったか、
宝耳は応急処置を行うと、近所の医者に老婆を連れて行って、その療養を頼んだ。
その後に隠を呼んで、荒れた家の後片付けをしながら、風波見家の調査を行う。
風波見家には、老婆と、亡くなった当主の嫁とその娘が住んでいたらしい。
だが、嫁と娘の姿はどこにもなかった。
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「……喰われたんやろな」
宝耳が無表情に告げると、薫の顔は凍りついた。
あの日、握った小さな手。
翔太郎の妹の清子から貰った折り鶴は、胸ポケットの中にずっと入れてある。
「まさか…あの鬼が殺ったというのかい?」
「あの鬼?」
宝耳は聞き返したが、誰も答えない。答えられなかった。
長い沈黙の後、問いかけたのは薫だった。
「……宝耳さん、あなたは一体どこまでご存知なんです? どうして
勝母は眉を寄せて、宝耳を睨む。
「なんだい、アンタ。何をコソコソ調べ回ってんだい? 誰に頼まれたんだい?」
「いやいやいや。そないに険しい顔で……別嬪二人が」
「よくこの空気で冗談を言う気になれるね、アンタ」
宝耳は肩をすくめると、観念したように話し始めた。
「いや、元々は
「聡哉様が?」
勝母は久しく聞かなかったその名前に驚いた。
この目の前の男が、どういう訳か先代の御館様である聡哉と非常に仲が良かったのは知っているが、なぜそんなことを頼んだのだろう?
「聡哉様自身はさほど気にかけてはった訳やないと思う。なにせ、風波見家が鬼殺隊と縁を断ったのは、幼い頃のことやしな。しかし、父上の
宝耳が聡哉のことを思い出しながら話すのを見て、勝母の古い記憶が再び呼び覚まされた。
聡哉の父である輝久哉は、風波見家―――――特に、先々代の周太郎への依存が強かった。
幼くして当主になった後、長く柱にあって輝久哉を支えてきた周太郎は、父のような存在であったのだろう。その跡を継いだ賢太郎のことも兄のように慕っていた。
その二人を失い、風波見家から縁を断つと一方的に告げられ、相当に動揺したのだろう。その後の輝久哉は生来の気弱さから、より不安を深め、とうとう自ら命を絶ってしまった。
「………それで、アンタは聡哉様からの遺言で調べて回っていたって? 随分とまた、仕事が遅かないかい? 聡哉様が死んで何年経ってるのさ」
「いや。それはしゃあないやないか。勝母
困った顔をする宝耳を勝母は胡散臭そうに見たが、薫は真面目な顔で問い詰めた。
「では、先代の御館様のご意向で調べられていたということですね。それで、何かわかったのですか?」
「まさか。さっきも言うたように、つい最近まで何も手を付けとらんかったんやで。ワイよりも、
「……今日ここに来たのも、翔太郎くんに会うためですか?」
「まぁ、そうや。風波見のあのお婆さんが安否を気にしてはったからな。それで、風見翔太郎について聞き回ったら、前の任務で大層な重体でここに運ばれた、いうからやな。わざわざ足を運んだら、
「盗み聞きしてたわけだね」
勝母が引き取って言うと、宝耳は黙って肯定した。
「翔太郎くんの曾祖母君の具合は?」
「命に別状はないが、話はできんやろうな。しばらくは」
薫は考え込んだ。翔太郎の曾祖母がその状態である以上、昔の風波見家について知る人物といえば………。
「薫、一つ思い出したことがあるんだがね…」
勝母もまたその人について思い浮かべたのだろう。
ふと甦った記憶を話し出す。
「昔、私が
「……どういうことです?」
「確かなことは言えないが………もしかすると、東洋一は既にあの裏切者を殺していたのかもしれない。私よりも前にね」
「じゃあ…やっぱりあの鬼が先生の足を……?」
「いや、それは違う。あんな
薫は混乱した。
「私も自分で言っていることがわからなくなってくるね………」
勝母も苛々と頭を掻き毟った。
宝耳は黙って聞いていたが、おもむろに指を一本立てると、
「ここに、鬼が一人いるとしまして……まず、その鬼を篠宮東洋一が斬った」
と、言いながら左手で手刀を作って指を斬る動作をする。
指は一度くねりと曲がったが、また伸びて―――――
「その鬼がまた現れて、その鬼を勝母刀自が斬る。そこから三十年近く経ってから、再び現れて、今度はお嬢さんが斬る。―――――言うことでっか?」
勝母は宝耳が鬼と見立てた中指を掴んだ。
「この、鬼が……なんだって復活するんだい?!」
「さぁ…?」
「そんなことがあって、たまるかい!」
「ワイに言われても……わかりまへんがな~」
宝耳は勝母の手から指を抜くと、両手を上げた。
沈黙が訪れた。
雨が窓を叩く音だけが、か細く響く。
「私、先生のところに行って訊いてみます。どこまで教えてもらえるか、わかりませんが……」
薫が決心して言うと、勝母が肩を叩いた。
「私が一筆書くよ。ヤツに知ってることはすべて吐くように、とね。こういう時のために、色々と貸しはつくってある」
「おぉ、怖。那霧勝母に借りを作るなんぞ…
宝耳がブルブルと震えたように言うと、勝母は手刀を構える。
あわてて宝耳は逃げていく。
薫は苦しい気持ちを抱えながらも、二人のやり取りに思わず笑った。
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朝一番の汽車に乗るため、夜明け前に百花屋敷を出ようとしていた薫を宝耳が呼び止めた。
「早起きですね、宝耳さん」
「早起きというより…寝とらんのや。律歌に捕まって花札をな……いや、それはえぇねん。言い忘れとったことがあってな……」
眠そうに目をしばたかせていたが、宝耳はつと真面目な顔になった。
「ここんところ、風の呼吸の剣士を狙って襲う鬼がいるようや」
サッと薫は顔を強張らせた。
「それは……あの鬼なんでしょうか?」
「わからん。そういう事が起きてる、いうだけや。それもワイがちょいと調べただけやから、隠使ってちゃんと調べたら、
「………」
「まぁ、
「そうですね……もし、あの鬼の仕業なのだとしたら、実弥さんなら簡単に滅殺すると思います。私は情けないことになりましたが……」
『
「信じとるなぁ。どえらいホレこみようや」
からかい混じりに言ったが、薫の反応は意外に冷静だった。
「当然のことですよ。実弥さんも、匡近さんも、強いですから」
微笑を浮かべて言う薫を、宝耳はまじまじと見つめた。
「お嬢さん……アンタ、何かあったんか?」
「え?」
「なんか……余裕やな」
薫は首を傾げると、「じゃあ、行ってまいります」と軽く会釈して出て行った。
取り残された宝耳はしばらく閉じた扉を見つめていた。
「………したたかな女になってきよったで…」
誰に言うでもなくボソリとつぶやく。
ああなったら、女は手に負えない……。
大あくびをして宝耳は自分に与えられた部屋へとブラブラ歩いて行った。
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一方、薫は東洋一の元へと向かう汽車の中で、昨夜の翔太郎のことを思い浮かべた。
―――――あの鬼は? 殺ったんですよね!!??
必死になって問うたのは、あるいは翔太郎は家族の身に危険が迫ることを知っていたからだろうか……?
もし、そうだとすれば自分は嘘をついたことになる。
あの鬼はやはり生き延びたのだ。そして、翔太郎の家族を
偶然にしてはあまりに時機も、要素も重なりすぎている。
胸に手を当てた。
ポケットの中にある鶴。
ぐっとこみ上げてきそうになって、薫は奥歯を噛みしめた。
卑劣な鬼め。鬼殺隊を裏切っただけで飽き足らず、あんな幼子まで殺す。次に会えば、必ず斬り殺す。今度はその醜い姿が尽きるまで凝視してやる……!
車窓の向こうに広がる爽やかな田園風景も、薫の瞳には映っていなかった。
睨みつけている窓に反射して、幼い娘を背負った女が通路を歩いて行くのが見えた。
清子と松子のことを思い出し、薫は唇を噛みしめて、涙を堪えた。
<つづく>
次回は2021.05.29.土曜日の更新予定です。