【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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残酷描写が多少あります。



第五章 昔日 -暁風篇- (三)

「よォ。お前か…ヤサ男の隊士って」

 

 会うなりそう言って近づいて来る男に、鱗滝左近次はあからさまに冷淡な顔つきになった。

 が、相手は一応先輩で、自分はまだまだ新米の一隊士である。

 

「……鱗滝左近次と申します」

 

 丁寧な口調で形ばかりのお辞儀をすると、男は特に気にかける様子もなく「おゥ。じゃ、行くか」と走り出した。

 名前も聞いてないが、左近次はあえて聞こうとも思わなかった。

 走りながら男が問うてくる。

 

「お前、今回が初めての任務じゃないよな? 今までにどれくらい殺った?」

「……四」

「四ね。なかなかじゃねぇか。去年の選別からで、その数は」

「………」

 

 左近次は足を早めた。

 男を抜かして走って行く。

 

 今宵は新月。夜半の道は暗く、星明かりも切れ切れの雲に隠されている。

 ビョオオと強い南風。春は近い…。

 

 小さな村を襲った鬼は、村人五人を喰い殺した後、日の出と共に姿を消した。それから一月ほど鳴りを潜めていたようだが、また現れたと報せが来た。

 残されていた村人は藤の香を焚いて鬼を忌避していたが、村外れに住む浮浪人の親子が襲われたらしい。

 

 村へと向かう道の途中で、左近次は足を止めた。

 風上から血のにおいがする。

 

「どうした?」

 後ろから来ていた男が首を傾げた。

「………」

 クン、とにおいを嗅ぐ。

 

 おかしい…。二つ…ある…?

 

 左近次が戸惑っている間に、道の両脇に広がる千萱の群生がガサガサと揺れ、ピョンと黒い影が飛び出してきた。

 

 ダラダラと涎を垂らして、月を背に立っている―――――鬼。

 右手には殺したばかりらしい犬の頭。

 左手からはボタボタと血が滴っている。

 かろうじて身に纏っているだけの粗末な着物は血だらけだった。

 

 なによりおかしなことに、頭が部分的に欠けていた。

 まるで何かに噛み千切られたかのように。

 だがそれも見ている間に再生していっている。

 

 左近次がざっと鬼を観察している間、鬼もまた猪首を突き出してジロジロと無遠慮に左近次を見つめていた。

 やがて、チッと苛立たしげに舌打ちする。

 

「稚児上がりの餓鬼(ガキ)が……なまっちろい顔して刀なんぞブラ下げやがって……」

 

 ピシッ、と左近次の中で何かが苛立ちはじける。

 柄を握りしめる手が少しだけ震えた。

 

「ちょいとばかし見目がいいからって、意気がるなよ、小僧! テメェなんぞ、年増のババァか因業ジジィの陰間でもやって………」

 

 聞くに堪えない下卑た言葉を放つ鬼に、左近次はギリと歯軋りすると、技を放った。

 

 水の呼吸 壱ノ型 水面斬り

 

 一足飛びに間合いを詰められた鬼は驚く間もなかった。

 半笑いを浮かべたまま、首は胴を離れる。

 チン、と刀を鞘に収め、左近次は鬼の首が地面に落ちるのを見ることもなく背を向けた。

 

「あ…あ…ゥ…が……」

 

 鬼は信じられないように紅い目を見開いた。

 自分の体が煙となって消えていくのを見て、恐怖に絶叫する。

 助けを求めて視線が泳いだ先に、自分を一顧だにせず歩き去っていく左近次の背中があった。

 

「ク……ソ……」

 

 辛うじて残っていた左手が、転がっていた犬の首を掴むと、鬼は怨念をその中に入れ込むかのように吠えて投げつけた。

 

 左近次は背後の鬼のことなどもう気にしていなかった。それよりも先程来、気にかかるにおいがもう一つある。

 

「あの…」

 

 一緒に来ていた男に声をかけようとして、左近次は息を止めた。

 

 牙を剥き出した犬が左近次の首へと喰らいつく寸前、目の前の男が抜刀するなり、犬の目を突き刺した。 

 ポト、と左近次の耳朶から血が一滴落ちた。

 

「…クソォォォ……こんな腑抜けた顔の野郎に………嫌いだァ…嫌い……だ…ァ」

 

 鬼は最期まで左近次の容姿を馬鹿にしながら――――というより、あるいは嫉妬していたのか、執念深く恨みを唱えながら消えていった。

 

「油断したな…」

 男はブンと刀を振って犬の頭を捨てると、薄ら笑いを浮かべて鞘に収めた。

 

「……すいません」

 左近次が掠れた声で言うと、

「大変だねぇ、色男も」

と茶化す。

 

 左近次は眉を寄せたが、また風上から漂ってきたにおいにハッとなった。

 

「どうした?」

「……まだ………います」

 告げて左近次は走り出した。村の方角だ。

 

 キャアアア…と女の悲鳴が聞こえた。

 

 

 集落からは少し離れた水車小屋の上で、たった今、殺したのであろう娘の死体を喰らう鬼がいた。

 まだ、左近次と同じ年の頃―――十五、六に見える。

 

 鬼となってまだ日は浅い、と思われた。

 さほどに姿に変貌がなく、明らかに人間と違うのは、額から生えた二本の白い禍々しい角。

 口からは牙が飛び出し、爪は赤黒く伸びて血がこびりついていた。

 

 鬼は娘の肩の部分を喰い千切り、クチャクチャと食べていた。

 左近次は息を吸い込んで全集中の呼吸に入る。

 刀を抜いて構えると、急に後ろから袖を引っ張られた。

 

「駄目ッ!」

 振り返れば、少年が左近次の袖の袂を掴んでいる。

 年は九つか十といったところだろうか。

 

「兄ちゃん! 逃げて!!」

 

 どうやら鬼の弟であるらしい。兄が鬼に変貌しても、どうしても肉親の情を捨てきれないのか、少年は必死で左近次の腰に巻き付いてくる。

 左近次はその少年の腕を掴むが、案外と力が強くて引き剥がせない。

 

「離してくれ」

「嫌だッ! 兄ちゃんを殺すなッ!!」

「お前の兄はもう人を殺してるんだぞ!」

「あの女は兄ちゃんを裏切ったんだ! 殺されたって文句は言えねぇッ」

 

「ハハハハハ! そうだそうだ! コイツは殺されて当然の売女(ばいた)だ」

 鬼は笑いながら娘の肉を喰らう。

 

 左近次は「すまん」とつぶやくと、柄で少年の手を打った。少年がアッと痛みで思わず手を離すや、グイと後ろへと押しやって、息を吸い込む。

 

 水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き

 

 強く踏み込んでからの跳躍。

 鬼の首の根へと刃を突き立てる。パックリと鬼の喉元に穴が空いて、そのまま鬼は小屋の後ろへと落ちてゆく。

 

 鬼の手が離れ、娘はごろごろと屋根の上を転がり落ちた。

 左近次は娘の死体を抱きとめると、道端へとそっと寝かせた。

 見るも無残な姿であっても、人としての形を留めた状態で家族に引き渡すべきだろう。

 

「兄ちゃん!」

 少年は小屋から落ちて、ビクビクと痙攣している鬼へと走り寄って行こうとする。

 

「待て!」

 左近次が声をあげると同時に、少年は途中でヒョイと上へと浮いた。

 

「……なんか面倒なことになってんな」

 いつの間にかやって来ていた男がのんびりした口調で言う。

「いきなり走り出すから、探したぞ」

 

 少年は男に襟首を持たれて、宙で足をバタバタさせていた。男に向かって必死に蹴りつけて自由になろうとするが、難なく躱されて手も足も出ない。

 

「離せッ! 兄ちゃんッ!!」

 

 甲高い声をまったく無視して、男は左近次に尋ねてくる。

 

「コイツ、どうすんの?」

「向こうに避難を……」 

 

 言っている間に、鬼の首の穴は再生していく。

 傷跡が完全に消えると、鬼はムクリと起き上がった。

 

「テメェェェ……」

 怒りに顔を赤く染めた鬼は、見る間に大男へと変化していく。

 

 紅く見開いた目からは血が流れてそれはそのまま斑紋となり、メリメリと筋肉が膨らんでいく音がすると共に、鬼の両腕は逞しくなり地面にまでつきそうなほどに伸びて、手もまるで無花果(いちじく)の葉のような大きさになった。

 

「兄ちゃん……」

 少年はあまりに変貌した兄の姿に呆然となった。

 

 鬼が男諸共に弟を掴もうと手を伸ばしてくると、男は無造作にその手を斬って捨てた。

 

「アガアアアァァ!!」

 

 鬼が痛そうな悲鳴を上げると、少年は泣きながら叫んだ。

 

「兄ちゃんッ! 兄ちゃんッ!! やめろよッ! 兄ちゃんを斬るなァ!!」

 

 ブルブルと必死に体を振りながら、少年は腰紐を解いた。

 途端にすっぽりと着物が脱げ、褌一丁になって少年は地面へと落ちた。

 

「兄ちゃんっ!」

 

 少年が鬼に向かっていこうとする。

 

「待て!」

 

 左近次は刀を構えた。

 一瞬、迷いが走る。

 それでも走って少年を追い抜きざま、技を繰り出した。

 

 水の呼吸 肆ノ型 打ち潮

 

 流麗な身のこなしに乗って、斬撃が繰り出される。鬼の身体が寸断された。

 

「ウガアアァァァァ!!!!!!!」

 

 手と足を斬り落とされた鬼が地面に蹲るように突っ伏する。

 

「痛い、痛いィィ! 痛いィよオォォ……」

 

 鬼が紅い目から涙を浮かべて、赤子のように泣き叫ぶと、少年は肉塊に成り果てた兄の前で両腕をあらん限りに伸ばして庇った。

 

「お願いだよォッ! 兄ちゃんを殺さないで! もう誰も殺さないから!! 俺達はこの村を出てくからッ」

「………」

 

 左近次は唇を噛み締めた。

 少年の背後の鬼もまた、紅い目に涙を浮かべて必死に命乞いをする。

 

「頼むゥ! 頼むゥよォォ…命だけはァ……俺は…俺は……」

「助けておくれよぉッ!!!!」

 

 悲鳴のような懇願と共に、少年は跪いて土下座する。

 

 と、同時に。

 ヒュンッ! と、空気を切り裂く音がしたかと思うと、少年の背後にいた鬼の首は落ちていた。

 

 左近次は息を呑んだ。

 男が、いつの間にか少年と鬼を飛び越えて、あちらに立っている。

 崩れゆく鬼の、いつの間にか再生して伸びた手の先―――そこには少年がいた―――を見て、苦々しく笑っていた。

 

「う……わあああぁぁぁ」

 

 少年が煙となって消えていく兄の手を掴もうとする。自分を殺そうとしていた手を。

 

「兄ちゃん! 嫌だ! 嫌だ!! 兄ちゃん、兄ちゃん、兄ちゃんッ!!」

 

 何度も呼びかける言葉と一緒に、少年から絶望のにおいがしてくる。

 たった一人、孤独になった人間の、暗い穴に落ちていく不安と焦燥と恐怖と怒り。

 骸すらなくなって、少年はただただ茫然と座り込んでいた。

 

「ホレ…風邪ひいちまうぞ」

 

 男はバサリと少年の着物を頭からおっ被せた。

 その着物を払いのけて立ち上がると、少年はギロリと男を睨み、次いで左近次を睨んだ。

 

「人殺し! なんで兄ちゃんを殺したッ!?」

 血走った目から、ボロボロと涙が零れ落ちる。

 

 左近次は俯いて柄を握りしめる。

 隣で男があっさり言った。

 

「恨めよ」

 

 少年は目を見開いて、男を凝視する。

 男は少年を悠然と見下ろしていた。

 

「恨みたいだけ恨め。そんでいずれ、俺でもコイツでも仇討ちに来い」

 

 呆然と立ち尽くす少年を置いて、男は歩き出す。

 

 

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 村から出たところで、左近次は鴉に任務完了を報せる紐を括りつけて飛ばした。

 男は鴉を見送ってから、振り向いて左近次を見つめた。

 

 その目は怒っているようにも、笑っているようにも見え、ある程度、人の気持ちを推量できる左近次にも、男の今の感情を見極めることができなかった。

 

「お前、あれワザとだろ? 肆ノ型で首をとらなかったの」

 

 いきなり問われて、左近次は沈黙する。

 

「兄弟二人、鬼と人間で生きていけると思ったか?」

「………いえ」

 左近次は拳を握りしめた。

 

 最後の鬼の言葉。

『俺は…』の後、かすかに聞こえた。『死にたくない』と。

『生きて、殺して、喰らい尽くすんだ!』

 ……鬼の生々しい心の叫びが、鼻を覆いたくなるような腐臭となって刺してきた。

 

 弟と一緒にいたかった訳ではない。

 やはり鬼は鬼。

 ただただ自分の欲望のままに生きていたかった。

 だから、最期まで自分の弟すら殺して喰おうとしていたではないか……。

 

 沈鬱な表情で黙り込む左近次を見て、男はフッと笑った。

 

「そう、沈むなよ。しょっちゅうあることじゃねぇが、珍しくもねぇ。鬼が命乞いすんのも、鬼になった家族を庇おうとするのも…。どっちにしろ、鬼は殺すしかねぇし、家族にゃ恨まれるしかねぇんだよ」

「………」

 男の答えは明快で、迷いがない。

 鬼狩りとしての実績を積めば、いつかそう思えるようになるのだろうか。

 

 自分は…まだ迷いの中にいる。

 

 もし今日、単独任務であれば、確実に少年は鬼によって殺されていた。

 一瞬の判断の遅れが、少年の命とその後の人生を変えていた……。

 

「………」

 悄然として項垂れる左近次に、男は肩をすくめて言う。

 

「お前、あの時、弟の方しか見てなかったろ?」

「………はい」

「判断が甘いな。次からはもうちっと目端広げるこったな。そんなこっちゃ、鬼にやられて、ヤサ男の(ツラ)に傷がついちまうぞ~」

 

「………」

 また、ピキッと左近次の中で苛立ちが()ぜる。

 

 前からやって来た隠に、死んだ娘とあの少年のことを頼むと、左近次は足早に歩き出した。

 

「おーい…怒るなよー」

 男がのんびり言いながら追ってくる。

 

「なァなァ…さっきなんで鬼がいるってわかったんだ? 一匹目の後。俺ァ、まったくわからんかった」

 

 あからさまに仏頂面の後輩に、男は屈託なく問いかけてくる。

 左近次は軽く嘆息して答えた。

 

「………においがしましたから」

「におい?」

「……私は鼻が()くんです。鬼のにおいや……色々とわかるんです」

「へぇ…便利なもんだなァ。何だよ、天はちゃあんと二物を与える奴には与えるんだな」

 

 言う人によっては嫌味であるのだが、男の言い方は特に羨ましそうでもなかった。

 

 左近次はピタ、と足を止めた。

「……なんですか?」

 憮然として問うと、男は今更ながらに自己紹介した。

「俺ァ、篠宮(しのみや)東洋一(とよいち)ってんだよ。東洋一でいいや、小せぇ頃からそう呼ばれてるから」

 

「………」

 左近次は内心の驚きを隠しながら、まじまじと男を見た。

 

 いつ洗ったのか、埃っぽいボサボサの髪を無造作に後ろで束ね、伸び切った月代(さかやき)部分が痒いのかガリガリと掻いている。

 

 その名は、道場で何度か聞いていた。

『伝説の風柱』の継子。

 大柄な図体のわりに俊敏で、柔軟な身体から繰り出されるその技は、多くの風の呼吸の遣い手とは一線を画す。

 

 ―――――篠宮東洋一は笑って鬼を斬る…。

 

 一部の隊士の間では、称賛と畏怖を込めて語られていることだ。

 先程の鬼を殺した手腕を見ても、相当の手練である。それと――――

 

 左近次は息を吸い込むと、東洋一にしっかり向き合った。

「貴方のことは知ってますよ。酒と博打(ばくち)と女でいつも素寒貧(スカンピン)。金を借り回ってばかりいるから、風柱様からも度々叱りつけられ、年末には付け馬につきまとわれて、やたらと逃げているうちに足が早くなったと……」

 

 東洋一は長い溜息とともに、天を仰いだ。

 ゲンナリしたようにつぶやく。

 

「どうでもいい情報を……」

「真実でしょう?」

「まぁ、そうなんだけど」

 

 否定もしない。だが、そこに卑下はない。

 清々しいくらいに悪びれてない。

 最初に会った時からこの男の中に嫌なにおいはなかった。

 透き通った秋風が、熟れて蒸れた夏の湿気を飛ばしていくようなカラリとしたにおいだ。

 

「それで、なんです?」

 左近次が尋ねると、東洋一はニコリと屈託ない笑みを浮かべた。

 

「……お前、強いな。あの刀捌き。無駄な力が一切ない。流れに淀みがない……まさに水の呼吸の手本みたいな操体だ。これからも、どんどん鬼狩ってくんだろうな~」

「はぁ……」

 いきなり褒めてくるので、左近次は警戒しつつも戸惑った。

 

 東洋一は一歩だけ寄ってまじまじと左近次の顔を見つめると、ツイと鼻先に扇子を向けてくる。

 

「お前のツラ……二枚目だが、どーにも間抜けだな~。よく見りゃタレてんだな、目が。鬼に馬鹿にされんのって、そういうとこじゃねぇ?」

 

「…………」

 また、ピキッと癇に触れる。

 

 クルリと踵を返すなり、左近次はスタスタと歩き出した。

 東洋一は今度は追ってこなかった。

 

「……またな~」

 

 背後から能天気な声が聞こえてきたが無視する。

 

 その時は今後、絶対に篠宮東洋一には関わるまい…と、左近次は固く決心していた。

 

 

 だが数年後に再会すると、なんだかんだでつるむようになっていった。

 結局のところ、同じ剣士として東洋一の剣技の才は見過ごせなかった。

 

 それに最初の印象のまま、変わることのなかった澄んだ風のにおいが、偏屈者の左近次には居心地が良かったのだ。………

 

 

 

<つづく>

 

 

 

 






次回は2021.06.12.土曜日の更新予定です。

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