僕たちは何一つ叶わないのなら。   作:小野まる。

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入隊

「でけぇ家だな…。」

土方は真選組の屯所ほどはあろうかと思う目の前の屋敷を見上げた。

 

歌舞伎町から徒歩15分。「やんごとなき人々」の暮らす高級屋敷街。歌舞伎町の真裏に位置する場所だが、雑多な雰囲気の歌舞伎町とは違い、ゴミ一つ落ちていない閑静な街だ。

 

ただでさえ大きな屋敷の並ぶ中、一際目立つ門の前で土方は立ちすくんでいた。

 

「松平のとっちゃんも面倒ごと押し付けやがって……」

 

ーーーーー

「土方ぁ。お前仕事大変だよな?補佐役。欲しいよな?」

先週のこと。土方は松平に呼ばれ、幕府を訪れていた

松平は加えタバコのまま、こちらを睥睨している。

「は?補佐役?」

「そうだ。お前いつも忙しいだろ?優しい俺がお前に補佐役をつけてやろうと思ってな。」

「いや。待て待て。俺がいつそんなことを……」

土方には全く話が見えない。

だが、松平の中では既に決定事項なのであろう。土方の抗議など耳に入っていない様子で続けた。

 

「如月家って知ってるか?」

如月家…。土方は記憶を辿った。

「しらねぇな。有名な奴らなのか?」

「しらねぇのはお前らくらいだろうよ。」

松平は煙を吐き出した。

「如月家っていやぁ。古くから天皇家に使える名門だ。

天皇陛下の身辺の警護、それに陛下に直接剣術を教えてる。もっとも江戸に入ってからは天皇陛下直々に徳川幕府に仕えろっちゅう御命令が下った。表向きはな。そんな訳で今は徳川家の忠実な幕臣だ。今は剣術の名門ってのよりありゃ政治家だな。俺らのお上よ。」

「んで、その名門が俺らになんの関係がある。」

土方は頭を整理しながら、松平に問いかけた。

とても真選組に関係のある話と思えない。政治など、土方たちには関係のない雲の上のことだ。

 

「まぁ普通は関わらなねぇな。ただな、その殿上人から手紙が来た。」

松平は上等な和紙に書かれた手紙を机の上に広げた。

「如月家の当主 如月公近からだ。まぁ色々書いてあるがな、要約すると如月家の次男の坊ちゃんを3年間真選組で預かってくれっちゅう話だ。」

はぁ!?と土方は眉を顰めた。

「なんだそりゃ。厄介者のぼんぼんを俺らに押し付けよって腹か。駆け込み寺じゃねぇんだぞ。」

「俺も初めはそう思った。ただな。このぼっちゃんが相当に優秀なようだ。剣術は一門の中でも上位の実力。学もある。性格的に難がある訳でもない。」

「話が見えねぇな。なんでそんな優秀な坊ちゃんを俺らのとこなんかによこすんだ。」

「この手紙に書いてあることを信じるならだ。こう書いてある。『如月家に下された天皇陛下からの御命令は、徳川家への滅私奉公と江戸を守ること。にも関わらず最近はその本来のご命令を忘れ、政ごとにばかり携わってきた。この動乱の世において我ら如月家が血を流さぬなぞ許されることではない。どうか我が一族にも江戸の治安を守るという責務を担がせて欲しい。』こうきたもんだ。」

土方は困惑する。別に真選組に害のある話でもない。戦力が増えるのは良いことだ。

今までもこういう依頼がなかった訳ではない。ただそのほとんどが厄介者を押し付けられるだけだった。それに大概3ヶ月程度のものだ。3年のというのはあまりに長すぎる。

手紙に書いてあることだけが真実ではなさそうだ。

「で。あんたはこの内容を信じてるのか。」

「まさか。なんか裏があるんだろう。ただ断れねぇんだよ。お相手は殿上人だぞ。」

ため息をついた。こう言う厄介ごとは大概土方の身の上に降りかかるものなのだ。

「で、どうすりゃいいんだ。」

「手紙には続きがある。こちらからお願いする身で申し訳ないが、込み入った話もあるので、一度如月家にきて欲しいっちゅうことだ。とりあえず行ってその坊ちゃんとやらと話でもして来い。殿上人でもまだ若い。使えなかったら倉庫の掃除でもさせとけ。まぁこいつは学もあるっちゅう事だ。お前の書類仕事くらいは使えるだろう。」

「それで副長補佐にってことか。」

土方は再度大きなため息をついた。こうなっては断れない。

「わかったよ。いついきゃいいんだ。」

「来週にでもって書いあるな。都合の良い日あげとけ。俺から回答しとく。」

「んで、坊ちゃんの名前は」

「如月葵。18だそうだ。如月家の次男。剣術の腕は一門でも随一、学問に秀で、人柄も温厚、門下生にも慕われてるんだとよ。」

松平は馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、土方に退席を促した。

 

ーーーーーーー

「こちらになります。」

土方は客間であろう座敷に通された。

「まもなく当主が参ります。今しばしお待ちを。」

にこりともしない無愛想な女中が襖を閉めた。

 

訪問者を拒むかのような頑丈な門の前で立ちすくんでいた土方は、10分後ようやく門を叩いた。無愛想な女中に名前を告げるとすんなり案内された。大きな庭を通って通路を右に曲がり左に曲がりやっとこの客間に通されたのだ。

(まるで迷路だな…。)

土方も元を辿れば名家の生まれだ。だがここまで広い屋敷は見たことがない。

(それに…。)

静かだ。松平の話だと門下生が100名ばかりいるはずなのだが、物音ひとつしない。別の建物にいるのかと考えたが、それでも静かすぎる。

居心地が悪く、姿勢を崩そうとした。

「お待たせしました。」

突然声をかけられ、慌てて姿勢を直す。

すっと襖が空いた。

「当主の如月公近です。この度はこちら側からの無理なお願いにも関わらず、お越しいただき申し訳がない。」

そこには色白の優男が正座していた。ゆっくりと頭を下げる。

「剣術の名門の当主」という肩書きからもっと熊のような男を想像していたが、まるで役者のような出立ちであった。

相手が頭を上げないことに気づいた土方は慌てた。

「頭をお上げください。申し遅れました真選組副長の土方十四郎です。」

如月家の当主はゆっくり頭を上げ、やっと客間に入ってきた。土方に対面する形で座布団の上に正座する。

「ご足労いただき、感謝します。こちらから伺うのが礼儀というのは承知をしているのですが、なにぶん内密にしていただきたい当家の事情というものがございまして。お許しください。」

そう言ってまた頭を下げた。

「この度は突然手紙を差し上げ、なんとも無礼な真似をいたしました」

「いえ…。そんなことは…。ただ私としても突然のことで少々話が見えない部分があります。」

「そうでしょうとも。詳しいお話は後ほど行いましょう。

まずは、葵の紹介を。」

入れ、と公近が声をかけた。襖が音もなく開いた。

足音もなく如月葵が部屋に入り、公近の横に正座した。

「ご挨拶を。」

葵は頭を下げた。

「如月葵と申します。」

土方は葵をまじまじと見た。小柄な男だ。165センチくらいだろう。色白でまた恐ろしいほどに顔の整っている。少し長めの髪、大きな目、きっと硬く結ばれた口、どちらかというと中性的なまだ少年と言っても差し支えない風貌だ。

(だが…。)土方は居心地の悪さを覚えた。この屋敷にきてからずっと感じている違和感がより一層強くなった。

静かすぎるのだ。土方は相手の表情や息遣いから相手の思惑を図ることには慣れている。しかし、伏目がちなその顔からは何も読み取れない。ただすっと背筋を伸ばし、無表情のまま公近の横に正座している。

(人形か?こいつは…?)

土方が葵に抱いた初めての感想だった

 

「この度、御隊に預かって欲しいのは、この葵です」

公近が会話を繋いだ。

「端的にお話ししましょう。この葵を御隊にお預けする3年の間に、亡き者としていただきたい。これが今回のご依頼の要です。」

 

土方は目を見開いた。

「亡き者というのは…」

土方は冷静さを取り戻そうと努めながら、やっと声を出した。

全く話が見えない。

 

公近が続けた。

「話が少々長くなるのですが、順を追ってご説明させていただきたい。」

 

公近の話はこうだ。

如月家は遡れば、平安の時代より天皇に仕える家柄。

天皇の身辺警護と剣術の教育を任されてきた一族だ。

ただ江戸に入り、天皇より徳川幕府に仕え、江戸の治安を守れという命令が下された。ただ平和な江戸の街では、剣を振う機会はほとんどなく、いつしか如月家は政治家としての面が強くなった。

 

「ただ天人の襲来で、一気に情勢が変わりました。

今や攘夷浪士どもが徳川幕府に楯突こうとあちこちで反旗を翻している。我々としても憤るが募るばかりだ。ただ我々が剣を取るには幕府の許可が要る。政ごとにばかりうつつを抜かしたせいで、我々もあまり自由に振舞えなくなってしまいました。ですので、当家の秀才この葵を前線で活躍している真選組にお預けしたい、これが表向きの理由です。」

公近は続けた。

 

「ですが、物事にはなんでも表と裏というものがございましょう。

如月家も同じ。我々の責務は冒頭に述べたもの以外にもう一つ重要な役目がありました。暗殺業です。」

 

公近は努めて無表情でいるよう心がけている様子だが、ふっと嫌悪の色が顔を覆った。

 

「当家が暗殺業を行なっている…。幕臣なら皆知っている話です。ですが胸を張って公言する内容でもございません。ですから世間一般にはあまり知られていませんでした。

さて、ここからが御内密にしていただきたい話です。」

 

「如月家は古来より表の家業を継ぐものと裏の顔を継ぐものがございました。

裏の顔を継ぐもの、つまり暗殺業を行う者は特殊な育てられ方をします。男なら女として、女なら男として育てるのです。」

 

土方は狼狽した。

「つまり葵殿は…」

「えぇ、葵は私の娘です。」

土方はまじまじと葵を観察した。確かに性別を感じさせない顔をしている。体も小柄だ。だが、とても女には見えぬ。何より自分の話をされているにも関わらず相変わらずの無表情。土方は違和感を通り越して、不気味さすら感じていた。

 

「これには訳がございます。一つ目はどこにでも潜入できるようにするため、男にしか入れぬ場、女にしか入れぬ場、色々とございましょう。二つ目は素性を知られぬようにするためです。容疑者が男である場合、女を調査し出す人間はいないでしょう。どんな場所でもどんな場面でも怪しまれず相手を殺す。そのためには元の生まれとは別の性で生きていく方が手っ取り早いのです。ですが、この方法が使えるのもせいぜい成人する頃まで。成人後は誤魔化しが効かなくなってきます。そこで次の手です。裏の顔を継ぐものは成人後、亡き者となる。正確には生きてはいるが、世間には死んだと公表するのです。そして正式な如月家の暗殺者となる。」

「暗殺というのは難しい。生まれついての才が必要です。高い身体能力、刀の才能、敵地に潜み人を欺く精神これらは訓練して伸ばすには限界がございます。

この葵は生まれついてそれらの能力を身につけていた。さらに都合の良いことに女だった。これが長男であれば色々とややこしいことになりますからね。

この葵を3年間真選組にお預けする。必ずや役に立ちましょう。3年後頃合いを見て、如月葵は死んだと公表していただきたい。その後はこちらで引き取りましょう。」

 

土方は頭を掻く。これはまた厄介なことに巻き込まれた。

「…お話はわかりました。確かに内密にしなきゃいけない話でしょう。

ただ真選組に預けるということは、それだけ修羅場も潜るということ。

本当に命を落としてもこちらじゃ責任はとれませんがね。」

 

公近はふっと笑った。

「命を落とすなら所詮それだけの器だったということ。

別段未練もありません。」

 

父親の発言にも葵は表情一つ崩さない。二人とも能面のような顔である。親子の情や温かさといったものが感じられない。土方は一刻も早く帰りたくなった。

「私一人で決めれる話でもありません。一度隊内に持ち帰らせてもらいます。またこちらから連絡しましょう。」

 

「結構です。ただくれぐれも葵が性別を偽っていることはご内密に。」

公近は頭を下げた。

 

ーーーーーーーーー

月に一度の隊内会議。各隊の隊長と状況報告を一通り聞いた後土方は如月家での出来事を告げた。もちろん葵が女であることは伏せて。

 

「そりゃ戦力が増えるんだからこっちとしちゃありがたい話だが…。いきなり副長補佐にっていうのも急だな。」

近藤は宙を仰ぎながら、皆はどう思うと続けた。

隊長たちは困り顔だ。真選組に損のある話ではないが、自分の隊に影響が及ぶのを億劫に感じているのだろう。

 

「近藤さん」

沖田が手を挙げた。

 

「土方さんの下につけるって話。恐らく隊士たちが納得しねぇだろうよ。あいつらからしちゃ急に来た坊ちゃんがいきなり副長補佐だ。不満も出てくる。そこで一つ入団試験でもさせたりゃいいんじゃないですか。話を聞いてりゃ剣術の腕はすこぶるいいという話だ。腕が立つやつを認めねぇ奴はいないでしょう。」

 

沖田にしてはまともな意見だ。土方はまじまじと沖田の顔を見た。

沖田も顔だけなら中性的な顔立ちをしている。土方は先日の葵の様子を思い出していた。

同じ中世的な顔立ちと言っても沖田とは大違いだ。顔だけ言えば葵もかなり整っているんだろうが、あの時はまるで生気を感じなかった。顔が整っていることがマイナスに働いて不気味さが増していた。

「お前…。顔だけみりゃ可愛いのにな。」

土方はつぶやいた。いきなりの土方のおかしな発言に近藤含め隊長たちの視線が一気に土方に集まった。

 

「…どうしたんです土方さん。マヨネーズの食いすぎでおかしくなったんですかぃ?」

沖田が気持ち悪そうに土方を見ている。土方は慌てて咳ばらいをし、わざと不機嫌そうな顔を作ってみせる。

 

「いや…。その流れでいいと思いますよ。近藤さん。

どうせ面倒を見るのは俺だろうが、まぁ隊士たちを納得させる必要があるのは最もだ。」

 

「トシがいいならいいが…。入団試験の相手は誰が務める。」

 

「俺がお相手しやしょう。」またもや沖田が手を挙げる。

「新人にやらせる入団試験と同じルールで。試合形式は剣道のルールで。3本勝負で俺から一本でも奪えば入隊を認めるっちゅうことで。」

 

「そうだな。総悟から一本でもとれりゃ、納得しねぇ隊士もいねぇだろう。トシそれでいいか?」

土方は了承した。テストの日を一週間後に決め、隊長たちは解散した。

 

ー如月家 葵ーーーーーーーーーーーーーーー

 

「真選組より返答の手紙が来た。一週間後に入隊のテストが行われるようだ。」

 

公近の部屋。夕食の後公近に呼び出された葵は入り口近い廊下で正座をしていた。

公近は葵に背を向けたまま机に向かっている。こちらを一瞥もしない。

 

「承知致しました。」

葵は廊下に手をつき頭を下げる。たとえこちらを向いていなくとも当主に向かって礼を欠くことは許されないのだ。

 

「お前。あの男をどう思う。」唐突な父の問いかけに葵は戸惑った。

土方…という真選組の副長のことだろう。

真っ黒な男だった、という印象しかない…。最低限の礼儀を保つよう心掛けてはいたのだろうが、こちらを値踏みするような嫌な目つきをしていた。それに葵にとって土方がどういう人物なのかは大した問題ではなかった。父が自分を真選組に入れることを決めたのだ。例え土方という人物が噂通りの鬼と違わぬ人物であったとしても父があの人物の下で働けというのなら葵に口を挟む権利などない。

 

「真選組の鬼の副長 と聞いておりましたので、どんな強面がくるのかと身構えておりましたが、思いのほか礼儀正しい方でしたので安心致しました。」

当たり障りのない言葉を口にした。

 

「私にはお前と同じ目をしていたように思うぞ。無表情で無感動のつまらない目だ。…あまり深入りするなよ。」

父からしてみれば巷で攘夷浪士と戦っている真選組より、幕府内で書類仕事をしている自分の方が「正当な武士」なのであろう。そして、如月家の裏の顔として人を密かに殺す自分もやはり「正当な武士」とは認められていないのだ。

 

「入隊テストの日までに荷物をまとめておけ。」

葵は思わず顔を上げた。

「ですが父上。まだ入隊が決まった訳では…。」

「黙れ。このような試験すら通らぬ者が跨げる敷地など、この如月家にはない。」

 

もう何を言っても無駄なのだろう。

葵は深く息を吸い、襖を閉めた。

 

 

(結局、一度もこちらを見てはくれなかった。)

葵は自室に向かう中で、ふっと虚しさに襲われた。

父の態度はいつものことだ。だが、先ほどの挨拶が永遠の別れになる可能性もあったというのに、惜しむ言葉すらなかった。

 

暗殺者としての使命を背負ったときから、自分の将来に疑問を持ったことはなかった。

代々表の顔と裏の顔両方を担い、天皇陛下を支えてきた先祖がいたからこそ、今日までの繁栄があるのだと幼いころから聞かされていた。

父の厳しさも、背負った使命を全うできるよう、わざと自分に辛く当たっているのだと考えていた。

けれども、こちらを見ようともしない父の姿を思い出すと、やはり自分は邪魔な存在、如月家の汚点なのだろうかという疑いが頭をよぎる。当主として一族を守り、武士として光の道を歩いてきた父にとって、暗殺者たる自分など家族の一員だと認めたくないのやもしれない。

 

真選組に行くことは辛いことではない。別に命を落としたって構いはしない。それが一族のため、父のためになるのであれば。

それでもあの態度を見ると一族のため国のための口では言いながら、ただただ厄介払いをしたかったのではないかとあらぬ疑いが頭をよぎる。

それなら自分は一体なんのために人を殺めてまで生きているのだろうか。

 

 

「葵様。」

葵の部屋に続く廊下の曲がり角で門下生が数名控えていた。

「皆どうしたのだ。もうとっくに部屋に戻る時間だろう。」

葵は目を丸くしながら答えた。見ればまだ幼い門下生たちまでいる。

 

「葵様が屋敷を出られる日が近づいて来ていると聞き、無礼を承知でお待ちしておりました。」

年長の門下生が答えた。

まだ10になったばかりの門下生がしゃくりを上げながら葵に小包を手渡した。

 

「あのね。みんなでお金を集めてあおいさまにお別れの品を買ったんです…。

ぼくたちのことを忘れないようお手紙とてぬぐいを…。」

葵は膝をついて受け取った。泣いている門下生の頭を撫でながら、ふっと笑みを浮かべる。

肉親である父の冷やかさに比べ、なんと温かいことだろう。

 

「ありがとう。大切にする。」

 

「あおいさま、かえってくるよね?」

もちろんだとも、と答えそうになって葵は言葉に詰まる。

3年後、この門下生たちは「葵は死んだ」と聞かされることになるのだ。自分が生きていたとしても。

 

「…過酷な3年間になるだろう。生きて帰る約束など簡単に私はできない。

でも私は如月家の男だ。私が散るときは国のための礎となったのだとそう思って欲しい。」

 

幼い門下生が涙を零した。

葵にはどうしたら良いかわからない。幼い頃涙など流そうものなら父に殴られていた。武士たるもの人前で泣くなと怒鳴られこそすれ、慰められたことなど一度もない。

 

戸惑いながらも泣いている門下生を抱きしめる。

父は葵には厳しかったが、幼い頃に死んだ母はいつも優しかった。

父に怒られ泣いていると何も言わずに、抱きしめてくれたものだ。

だがその母も葵が5歳の時に死んだ。その日から暗殺者としての将来が確定したのだ。

 

唇を噛みながら様子を見ていた年長者が、いつまでも泣いている門下生を葵の腕から引き取った。

 

「皆葵様に良くして戴いた者ばかりです。

葵様が攘夷浪士なぞに負けるなどないでしょうが、真選組は過酷な任務ばかりと聞きます。どうかご達者で。」

葵は頷いた。

「皆に手紙を書こう。月に一度は送るから、皆の様子も教えてほしい。…鍛錬に励み、父を助けてやっておくれ。」

 

門下生たちは頭を下げつつ、寮に戻っていった。

 

ー真選組 土方ーーーーーーーーー

入隊試験の日の朝…。

土方は屯所の門にもたれながら葵を持っていた。

たばこの煙を吐き出す。

 

(億劫だな…。)

もし如月が沖田から一本でも取り、入隊が決定すれば、

これからあの能面のような顔を見ながら仕事をすることになる。

その光景を頭に思い浮かべ、再度大量の煙を吐き出した。

 

定刻になり葵がこちらに向かってきた。

すっと背筋を伸ばしたまま、土方に一礼する。事前に送っていた隊服を身につけてはいるが、やはりそこらの隊士と比べるとどこか気品が漂っていた。送った隊服が大きかったのか、袖を折って着用している。その様子は屋敷で対面した時に比べると、生きている年相応の少年に見えた。

 

「この度は、当家の無理を聞いていただき、ありがとうございます。」

目の前までやってきた如月は再度頭を下げる。

 

「…なんだその荷物。」

 

如月は首に風呂敷包みをくくり付けていた。

土方のぶっきらぼうな口調に少々面食らったのか、

微かに戸惑いを見せつつも

「父が…。試験も突破できぬような息子は要らぬとのこと。

荷物もまとめて行けとのことでしたので。」

 

「…まとめた荷物ってそれだけか。」

葵の荷物は風呂敷包み一つだけであった。着替えと数冊の本だけでしたのでこれで十分ですと、葵がつぶやく。

 

「まぁいい。ついてこい。」

土方は葵を伴って屯所の中に入った。

 

 

「あいつか。今日の入隊試験を受けるやつは。」

「小柄だな。ほんとに男か?人形みてぇな面してんな。」

「あの様子じゃ沖田さんから一本取るのは無理だろう。」

 

屯所内の長い廊下を歩き、試験場所の道場へ向かっていると密かにこちらの様子を伺っているらしい隊士の声が聞こえる。

土方は聞き逃さない。そちらを人睨みすると隊士たちは慌ててどこかに消えた。

 

葵は意に介さずといった様子だ。

(下々の意見なぞ耳に入らぬってことか?)

 

土方は歩きながら試験内容を説明する。沖田と剣道のルールで戦い、一本でも取ることができれば即合格。しかし負ければすぐに追い出すと。

「帰る場所のないお前に言うのは酷だろうが、こちらとしても融通するつもりはないからな。」

土方は肩越しに後ろを振り返っていった。

如月家の屋敷でもそうだったが、葵は足音がしない。息遣いすら感じられない。本当について来ているか確かめないと不安になる。

 

「承知をしております。」

如月が真っ直ぐにこちらを見つめ返してくる。

結果次第では今日寝る場所も無くなると言うのに、長いまつ毛に縁取られた目は、なんの動揺も見せず、土方を見据えていた。

 

(…そういやこいつ女だったか。)

不意に土方は思い出した。

側から見れば少年そのもの。その風貌のせいですっかり失念していた。

 

土方は何も言わずに前を向いた。

(厄介ごとは御免だ…。)

祈るような気持ちで土方は道場の扉を開いた。

 

ーーーーー

道場には普段の入隊試験とは比較にならないほど、隊士が集まっていた。名門如月家の次男と、真選組の誇る天才沖田、どちらが勝つか興味を持つのも無理はないだろう。

 

如月は土方に連れられて道場の中に入ると、他の隊士には目もくれず真っ直ぐ上座に控えた近藤の前に正座し挨拶を述べた。

近藤も挨拶を返し、試験の健闘を祈る言葉を口にした後、早速試験の開始を告げた。

 

「始め!」

審判代わりを務める隊士が合図した。

 

観客代わりの隊士たちが囲む中、

沖田と如月は向かい合い、しばらく睨み合っていた。

先に動き出したのは如月の方だ。勢いよく沖田に打ち込んだが、ひらりとかわされ、逆に打ち込まれた。沖田の勝ちだ。

 

「一本!」審判が鋭く叫んだ。

 

(やっぱり沖田には勝てねぇか…)

近藤の横に控えていた土方は逡巡する。如月の実力は立派なものだ。

沖田の動きについていった。それだけで、副隊長くらいの実力はあるのだろう。普段ならこの時点で合格にしても良いくらいだ。

 

二試合目も沖田があっさりと勝利した。

如月の方には焦りが感じられる。

 

「始め!」

審判が三試合目の開始を告げる。

如月の表情には余裕が感じられない。かなり息も上がっている。

対して沖田は冷静だ。このままいけば間違いなく沖田の勝利だと土方は内心ほっとする。

 

その時、如月が素早く動いた。

一気に沖田との間合いを詰める。

そのまま沖田に打ち込んだ。

 

「…一本!」

 

隊士たちがどよめく。如月が沖田から一本取った。

「入隊を認める!」近藤が大きな声で告げる。他の隊士から拍手が起こった。

 

「おい。」

土方は、近藤と如月が話しているうちに沖田に近づく。

「お前。手抜いただろう。」

他の隊士は気づかなかったが、土方は見逃さなかった。

如月の動きを沖田は見切っていた。明らかに余裕があるなかでどういう訳かあえて避けなかったのだ。

「…土方さん。最近多忙を極めてらっしゃる様子でしたからねぇ。補佐役が必要でしょう。」

…嫌がらせだ。土方は気づいた。こいつは如月が明らかに厄介者だと勘づいている。金持ちで苦労知らずのぼんぼん。頭も腕も立つときたら邪険にすることもできない。さらに顔もいい。ここまで来たら人の恨みも買うだろう。つまりトラブルを誘い込む条件が揃っているのだ。

沖田がニタリと笑った。

「仲間が増えて嬉しいですよ。土方さん。俺は忙しくて面倒見れませんね。」汗を拭きながら沖田が退室していく。土方のこめかみに青筋が寄った。

 

「こっちが厠で、んでこっちが食堂。お前の部屋はあっちだ。」

土方は如月を伴って屯所内の案内を行っていた。

如月は何が気に入らないのかさっきからずっと黙ったままだ。

土方の説明も聞いているのかどうかわからない。

 

「…まぁこんなもんか。じゃお前の部屋行くぞ。」

土方の部屋の隣はずっと空き部屋だった。他の隊士が怖がって近づいてこないからだ。近藤さんの一声でその部屋が如月に与えられることになった。

 

「お前ずっと黙ったままだが聞いてんのか。」

土方は仏頂面のまま後ろをついてくる如月に声を掛けた。

 

「…土方さん。私は試験に合格していません。最後の試合沖田さんは明らかに手を抜いていました。」

如月がつぶやく。土方は足を止め後ろを振り向いた。

 

「知ってるさ。そんなこと。」

「ならばなぜ出ていけと追い出さないのですか。」

「近藤さんがお前を認めた。他の隊士も認めている。それでいいじゃねぇか。」

「よくありません!」

如月が声を上げる。怒りのためなのか頬が赤く染まっている。土方は意外に思った。人間らしい表情もできんのかと当たり前のことを考える。

 

「道理に反してまでここでご厄介になれるほど、恥知らずではございません。どうぞ追い出してください。いえ、私が出て行きます。」

如月がくるりと後ろを向き、立ち去ろうとする。

 

「おいっ!」土方は慌てて如月の手首を掴む。

…お前。帰るとこねぇんだろう。

 

「離してください!」如月が睨みつけてくる。

(なんちゅう頭の硬いやつだ。)

土方は呆れた。

不器用で真面目なんだろう。自分の中で納得できないことを適当に置いておくということができない性分ってやつなのか。

 

「…お前にとって俺はなんだ。」

如月が怒りと戸惑いの混ざった顔で土方を見返してくる。

「真選組の副長です。」

「そうだ。そんでお前は真選組の隊士だ。さっき近藤さんが入隊を認めると言ったんだから、お前がなんと言おうとお前は真選組の隊士だ。ってことは、俺の部下だ。部下が、ここに居ろっつてる上司の意向を無視して自分勝手に立ち去るのは道理が通ってんのか。」

如月は言い返せないようだ。しばらくこちらを睨んでいたが、一つ息を吐くと土方の手を振り払った。

「…大変失礼致しました。では副長殿。ご指示を。」

納得はしていないようだが、もう立ち去ろうとはしない。

土方は何も言わずに部屋の襖を開ける。

「ここがお前の部屋だ。布団はその押し入れに入ってる。

明日から早速報告書の作成の手伝いだ。

自由にさしてやるのは今日限りだから、明日から動けるよう準備でもしておけ。俺は出かける。」

 

土方は、立ち去った。

意思の強そうな目、怒りに震える小さな手、光に透ける長いまつ毛…。

「俺は厄介ごとは嫌いなはずなんだがな…。」

追い出しゃよかったと呟きながら、タバコに火をつけた。

 

ー葵ーーーーー

入隊の夜、部屋に置いてあった置き机に向かった。

葵に与えられた部屋は畳6畳ほどの簡素な部屋だった。仕事用の簡素な机、座布団、箪笥、押し入れの中に布団があるだけだ。また元々一間だったのを無理に分けたのか隣の土方の部屋とは襖で遮られているだけである。まぁ特に開くこともないだろう。

 

机の蝋燭に火を灯し、如月は門下生に当てた手紙と父への報告を書いていた。

心配させないよう良い報告をまとめようにもやはり悔しい気持ちが湧き出てくる。

葵は刀の腕には自信があった。如月家で自分に勝てるのは、父と後継である5つ上の兄だけだった。

(所詮井の中の蛙だったということか…。)

沖田に勝った瞬間、世界が揺らいだ。

ただ負けるならまだしも、手を抜かれたのは屈辱の極みだった。

 

(…だが、こんな感情は久しぶりだ。)

父の教えが頭に響く。「怒るな、喜ぶな、悲しむな、憐れむな。全ての感情に蓋をしろ。それが暗殺者というものだ。」

如月家では感情を表に出さないよう教えられていた。それに自分で制御ができなくなるほど感情を揺さぶる出来事も特になかった。

それが、土方に手首を掴まれた瞬間言いようのない怒りが体中を巡った。言い返せないことが悔しかった。

 

(だめだ。もう寝よう。)

葵は筆を置き、準備をしていた布団に潜り込む。

ふと気づく。ずっと押し入れに入れていたはずの布団がカビ臭くない。からりと乾いていて寝心地がよい。誰かが干してくれたのだろう。

下っ端の隊士がやってくれたのか。はたまた土方か。

如月は、鬼の副長土方が布団を干している場面を想像する。全く似合わない。少し可笑しくなった。

 

(明日、土方さんにきちんと謝ろう。)

そのまま葵は眠りに落ちた。

 

 

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