20,
「努力は報われず、正義は滅びる。
しかし、正義の敵が悪ではなく、また別の正義だとすれば―――また同様に滅びるのだ」
と、ひとりの悪が笑った。
◆◇◆◇◆
冬木協会奥底のひと目のつかぬ一室にて。
昨日と同様、『最終鬼畜神父』こと言峰綺礼が、着流しを纏った狐面の男とともに酒を嗜んでいた時のことである。
「なぁ、綺礼。主人公って、誰なんだろうな?」
「………は?」
また変なことを言い始めたな、こいつは。
綺礼はそう思うも、飄々という文字を背負って生きているような狐面の男の言動にいちいち驚いては身がもたない。この十年共に過ごした経験と、最盛期に比べ錆びついてきた直感から、そう断じ―――しかし、反応を返さないのもあれだろうと葛藤して、辛うじて疑問符だけを返した。
言峰綺礼。
意外と心配りのできるやつである。
それはともかく。
「『………は?』か、ふん………………はたして、その沈黙の間に何を想ってたのかは知らんが、しかし俺は別に狂っちゃいないぜ。これは至極真っ当な疑問だ―――真っ当すぎて今更話すのも憚れるぐらいだ」
「………というと?」
「『………というと?』だと?おいおい、綺礼さんよ。あんた、ちゃんと耳ついてのか。最初に俺は言っただろう、『主人公は誰なんだろうな』ってな」
だからそれが理解できないのだが。
綺礼はそう口にしようとして諦める。代わりに、乾いた喉にするりと酒を流し込んだ。
旨い。
今日の酒は、狐面の男が何処から持ちだした日本酒だったが、いつも嗜む綺礼秘蔵の洋酒とは異なる味わいはまた一興。
さらりとした飲み口と鼻孔いっぱいに広がる芳醇な香りは、一時でも現を忘れさせてくれる。
さりとて、時が止まるわけではない。
綺礼が酒を楽しんでいる間も、狐面の男の話は続いていた。
「つまるところ、
「世界が本だと?ふん、くだらない………仮にそうだとしても、この世の主人公足りえるのは、天にまします我らの父、ただ一人だろう」
「父………この期に及んでカミサマねぇ………………歪みきってる割に変なところで聖職者ってのは、あんたの特性としてはなかなかに秀逸だと俺は思ってるんだが、しかし―――」
そこで言葉を切り、狐面の男は杯を乾かし「旨い」と呟くと、再び綺礼の正眼へ向き直った。
「―――事ここに至っては、神って選択肢はないだろうな。ありゃ、主人公って柄じゃない。いいとこ、
「………そう語るんだ。貴様にはある程度の察しがついてるのだろう?勿体ぶらずにさっさと言えばいい」
「『勿体ぶらずのさっさと言えばいい』だなんて、随分と冷たい言い草じゃないか、綺礼。あんたは、少し会話を愉しむ余裕ってものを持ったほうがいいぜ」
曲がりなりにも信仰する神を貶められ、やや憮然とする綺礼に、狐面の男はどうでも良さげにそう忠告すると、話を続ける。
「しかし、察しね………。前々から言ってるように、この俺がいる限り『主人公』は間違いなく、『俺の敵』だろうと思ってる―――いや、願ってるんだが………………」
「貴様の敵、というと、あの得体のしれないキャスターか」
「ん?あぁ、まぁ、そうなんだけど………」
確認する綺礼に、狐面の男は歯切れ悪く答えた。
「しかし、どうも、あちらはそう思ってないようなんだよな。今夜ライダー陣営に接触したのも、そのためだろう」
「………ライダーへの牽制だったのではないのか?なにか、呪いじみたものを仕掛けていたようだが」
「『呪いじみたもの』ねぇ。あんなのそんな大したものじゃない。もののついでに楔を打ち込んだ、といったところだろう。精々、運が悪く死ぬ程度のものだしな」
「………………」
それは、聖杯戦争において十分大したものなのではないだろうか。
綺礼の頭でそんな疑問が沸き起こるが、しかし目の前の男は大して重要視してないようだった。
「多分、あいつは今自分の代わりを探してるんだろうぜ―――と言うより………
「本来の、主人公………」
「物語的に言うならな」
空になった杯に酒を注ぎながら、狐面の男は続けた。
「過去の人物を投影したに過ぎない英霊は、所詮外様の外様。物語に触れることはあっても、根幹を成すわけじゃあない。まぁ、実在しないマクガフィンのようなものだ。あくまで、刺激を加えるスパイスであって、素材そのものじゃない―――」
「………………」
「―――と、『俺の敵』はそう思ってるんだろう………ふん。結局、この世に現界した時点で既に物語の中心だと言うのに。どうにも、謙虚で自己評価の低いやつだ。全く、俺がわざわざ講釈垂れてやったことも忘れてると見える………」
「と、言うと………貴様の考えは違うということか?」
相も変わらずわかりにくい説明に、自分が分かる部分だけ浚って気づいたことを指摘した綺礼に、狐面の男は二本の指を立てて答えた。
「『
「………………」
「こいつは俺が生きてきて感じたものを端的に指し示した、あるいは単なる違えようのない世界の法則とまで言えるものだが―――詳しい説明を省くが、ようは『
「ふむ………理解に苦しむな。私がいなければ、他の誰でもない似通った誰かが私の代わりに此度の聖杯戦争の調停者を務め―――そして、それ以前の第四次の時点で貴様を召喚していた、ということだろう?」
「つまるところ、そうなるんだろうな」
あっけからんと答える狐面の男に、綺礼は渋面を作った。
「それはいささか、暴論が過ぎるというものではないか?貴様を召喚する際には触媒を使わず、私個人の縁と言うべきもので、守護者の座から引き出したのだぞ?マスターが変われば、すなわち召喚されるだろう英霊も変わる。貴様がここにいなかった可能性すらある―――いや、むしろそちらの方が高いだろう。そこを見逃してはいないか」
「『貴様がここにいなかった可能性すらある』ね、ふん―――」
綺礼の言葉尻を引用し、狐面の男は小馬鹿にするように鼻で笑った。
「じゃあ、逆に聞くがな。
「………もちろん、貴様がいなかったらここまで此度の聖杯戦争が混迷することなど無かっただろうよ」
「さて、それはどうかな―――俺の代わりも同じことをしたかもしれないじゃないか」
「………………それは」
「どうしてだ、綺礼。どうして俺の代わりが、
「………………」
再度の問いかけに綺礼は沈黙をもって答えた。
否、沈黙でしか答えられなかった。
どこか違う。
綺礼はそう思うが、それを証明する手立てはない。
彼の言は確認のしようがないシュレディンガー製のもの。
人の身で、平行世界を渡るなど第二魔法を持ってしなければ叶うべくもない。所詮、一介の神父である綺礼に確認できることではない。
しかし、それは間違ってると。
あまりにも冒涜的過ぎると。
理性の及ばぬ領域が悲鳴を上げる。
彼のいうことを正しいと思ってしまったなら………思えてしまったなら、それは多分―――
「ふん………まぁ、躍起になって否定したい気持ちもわからなくないけどな。『自分が演らなくても誰かが演る』なんて言われりゃ、まるで、
褒めているはずなのにどこか突き放した雰囲気で言う狐面の男。
そんな奇怪な信念を掲げる狐面の男に、いささかならず大いに
この男が最悪なのは初めからであり、とうの昔に知っていたことだ。
そして、この十年間でそれを理解できないまでも制御するすべ綺礼は知っていた。
「と言っても、所詮は詭弁の類かもしれんがな。あるいは戯言か………ふん、まぁいい。話が横に逸れたな―――それで、いったい何の話だったか」
「………『主人公』が誰か、という話だろう」
「そうだった、『主人公』の話だ」
手筒を打ち、狐面の男は話を戻した。
「だから、そう―――俺はあいつが『主人公』だと思って、話を進めていたんだが、しかし『俺の敵』はそうは思ってないらしい。どうにも、食い違ってる………俯瞰して見ている俺と、現場を回ったやつの視点の違いとでも言うべきなのか―――」
「それが。なにか問題でもあるのか?」
未だに、狐面の男の言いたことが解らず、綺礼は素直に問い返した。
それに、彼は心外だと言わんばかりに驚く。
「『なにか、問題でもあるのか?』だって?おいおいおい、マジで言ってんのかよ。正気か、あんた。『主人公』が違うかもしれないって言うんだぜ?物語の終着点が変わっちまうじゃねえか。これは、昨日の下らない雑談とは、わけが違うんだ」
「………………」
「作戦会議、ってやつだ。ほら、あんたも少しは考えてくれよ」
「………………」
そうだったのか。てっきり、酒の肴かと思っていたが。
なんて、間抜けた言葉は発さなかったが、しかし。
綺礼の内心は驚きで満ち溢れていた。
綺礼の視点から見るなら、今日起こったことはキャスターとマーダーが手を組んで、ライダーたちに不利になるなにかを仕込んだ、というものに過ぎない。
ともすれば、孤立気味だったマーダーがアインツベルン陣営に取り込まれたという見方もあるが、しかしその後彼らは特に連絡を取り合うことなく別れている。
だとすれば、昨日から特に何も動いていない。
優勝候補筆頭のバーサーカー擁するアインツベルンは居城に引きこもり。
トチ狂ったライダーのマスターが、遠坂陣営に痛撃を与えたのみである。
戦況の推移としては、脱落もなくパワーバランスに大した変化もない。
しかし、彼から見ればまた違うようだった。
作戦会議など似合わぬ言葉を使い、綺礼に助言を求めている。
傍若無人というには気配りができ、しかし唯々諾々というには自由過ぎるこの男が。
綺礼の意見を聞こうとは。
「俺の娘が脱落しないうちにこんな事になるなんてな………。全く、仮に『主人公』でなくても厄介なもんだ。流石は『俺の敵』と言ったこところか………」
驚く綺礼だったが、しかし案など出ようものはない。
そも、今日の何が彼を焦らせているのかもわからないのだ。
「一体全体どうするか………個人的には、他の奴らにアインツベルン包囲網を作ってもらって、俺の娘が脱落してから動き出したかったんだが………万が一に備えて、見極める期間が必要か………おい、綺礼。黙ってないで、お前もなんか案出せよ」
「………私はただ愉しいものが見られればそれでいい。だからこそ、貴様に着いたのだ」
「『私はただ愉しいものが見られればそれでいい』って、あんたやる気無さすぎだろ。少しは俺の手伝いとかしろよ」
「そもそも、この状況を作り上げたのは貴様だろう。だとすれば、その尻拭いも貴様がやるべきではないのか?」
「………………言うようになったな。確かにその通りではあるんだが………あぁー!もう、面倒臭え。世界の終わりとかもういいじゃん。皆でダレて、下らない日常編に入ろうぜ」
うまく責任逃れをする綺礼に、狐面の男は頭を抱え現実逃避を始める。
「だらだら引き伸ばしつつ、最後は大団円。皆生存のハッピーエンドなら、どこからも文句もつかないだろ。いいじゃん、そうしようぜ。最後の敵は地球外からくる侵攻体―――名前は『
どうだ、と言われても。
何処からか電波を受信した狐面の男の言動に、やや面食らいながら綺礼は意見を口にした。
「………ならば、切り札の一枚を切れば良いだろう。どうにも使いづらいが、しかしこういう時の切り札とも言える」
その言葉に、管を巻いていた狐面の男はぴたりと動きを止めた。
そして、思案げに何処かを眺める。
「切り札………切り札ね。あれは、万が一俺の娘に相対した際の、文字通りの切り札として使おうと思ってたんだが………」
「まぁ、致し方あるまい。貴様がそこまで切羽詰まっているというのならな。時間を稼ぐことを叶わないまでも状況をリセットすることぐらいは出来るだろう」
「『状況をリセットすることぐらい出来るだろう』か、ふん。そんな器用なことを出来るようなやつじゃないと俺は思うが―――しかし」
綺礼の言葉に渋々と言ったふうに納得し、狐面の男はため息をついた。
「それも仕方ないか………抱えて腐らせても意味のないことだ。俺が出張るよりはマシ、か………だが、その後の処理が大変そうだが」
「それをするのは、貴様だろう」
「………まぁ、そうだろうな。全く、あの殺人鬼なら『傑作だぜ』だなんて言うのかな―――
」
最後に狐面の男は残った杯を乾かし、「不味い………」と小さく呟いた。
総文字数が二十万字を超えました。私はだいたい三万字程度書くと満足してしまうたちなので、これは喜ばしいことです。どう考えても、ここまで読んでくださった皆様のお陰です。拙い文章を読んで頂いて本当に有難うございます!