逡巡、あるいはただの決意
21,
他者を通して自分を感じ、競争を通じて自己を定義し、社会を透かして世界を見る。
人間とはつまりそういう存在。
◆◇◆◇◆
夜が明けた。
士郎が聖杯戦争に巻き込まれて三日目の朝である。
見上げた先にある空には爽快感の欠片もない薄暗い灰色の雲が漂っており、見るものの気分を下落させる。気候区分としては太平洋岸気候に含まれ、冬の間は雲ひとつない澄み切った青空を見せるこの冬木市においては珍しい光景でもあったが、しかし、今の士郎に空模様など気にする余裕はなかった。
昨日の戦いのこと。あるいは、それに見合わぬ自分の力量。
彼の頭にあったのはただそれだけだった。
自分が弱いことは知っていた。
人類の最高峰である英霊には及ぶべくもなく、更に言えば通常の魔術師相手にだってもちろん劣る。
士郎の腕は細く小さく、彼の望む者全てを収めることは到底かなわない。
遠坂凛の言葉を借りれば、士郎は魔術師以下の存在なのだから。
言われずとも、士郎はそのことを自覚していた。
だから、打ち勝とうなどと思ったわけではない。
優ろうなどと考えたわけではない。
しかし、それでも足手まといには。
彼らを邪魔することだけは避けたかった。
「………………」
昨日のライダー戦で。
士郎は何も出来なかった。
いや、それは誤魔化しだ。士郎は間違いなく、足を引っ張っていた。
士郎がいなければセイバーはライダーの攻撃に気を配ることなく撃破出来ていただろうし、その後の事の運びにしても、士郎の立ち位置は体の良い人質でしか無かった。
それが無性に辛くて、悔しくて、苦しくて。
誰かを守りたいと思ったのに、誰かに守られるしかない自分の身が恨めしかった。
だからこそ、起きてすぐさま士郎が剣道場に向かったのは、当然のことと言えた。
強くなるために。
胸の内に燻る焦燥を誤魔化すために。
あるいは、期待していたのかもしれない。
そこに行けば、自分の目指すべき未来が見えると信じて。
辿り着ける際があると願って。
「………………」
がらりと戸を開けると、はたしてそこに彼はいた。
均一のとれた肉体。精悍な顔つき。上半身を惜しげも無く晒し、ただひとり剣道場で技の確認に勤しむ彼の名は。
「………セイバー」
ぽつりと士郎は呟いた。
届かぬ星を眺めるしかない只人のように。
あるいは、諦めきれぬと無為に手を伸ばす狂人のように。
「………………」
士郎の呟きが霧散して消えると、剣道場にはただ静謐な空気のみがあった。
それに思わず士郎は息を呑む。
時節聞こえるセイバーの脚が床を叩く音はさながら、拍節のようで。さすれば、彼の繰り出す技は演舞のようであった。
しかし、そんなものではないと。
彼の技のひとつひとつが必殺の一撃であり、どれをとっても、士郎が及びつかぬ絶技だと。
到底自分では辿りつけぬ領域だと士郎は知っていた。
だから士郎はそれを眺めるのみだった。
触れることなど出来るわけがない。止めるなんてのはもっての外だった。
士郎が黙って鑑賞していると、やがて、遅滞なく円環のように繋がっていたセイバーの演舞は終わりを告げた。
「よう、しろう。今日も魔術の鍛錬か?」
額に汗ひとつ浮かべず、セイバーは言った。
「………まぁ、そんなところ。遠坂に魔術師以下だって言われちゃったからな、頑張らないと」
「遠坂って………あぁ、右衛門左衛門のマスターか………まぁ、なんでも良いけどよ。あいつは信用できるのか?」
不機嫌そうに尋ねるセイバーに士郎は苦笑した。
彼も本気で言っているわけではないのだろう。ただ、昨日少しばかり騙された件で腹が立っているだけだ。
「遠坂はいいやつだよ。少しだけお茶目が過ぎる部分もあるけれど」
士郎はその言葉に内心大いに同意しながらも無難に返す。
「ふぅん。俺の持ち主であるしろうがそう判断するなら俺は何も言わないけどな」
とセイバーは言う。
士郎を信用していると。
マスターとしての士郎を信頼していると、言外に言う。
それは今の自分に対して酷く分不相応なもののように思えて―――
「………なぁ、セイバー。お前は俺がマスターで本当に―――」
―――良かったのか。
そう問おうとして、辛うじて踏みとどまった。
しかし、彼の伝えたかった真意はセイバーに余すところなく伝わっていたようだった。
セイバーは一瞬きょとんとすると、おもむろに話を切り出した。
「なぁ、しろう。俺が虚刀流を受け継ぎ始めて何年になると思う?」
「いきなりなんだよ」
「いいから」
話の転換についていけず、疑問を呈する士郎にセイバーは答えを促した。
「そう、だな。虚刀流っていうのがどんなものなのか、俺にはまだ理解っているとは言えないけど―――それでも、それが確かな技術の裏打ちによるものだっていうのは感じるよ―――だから、生まれてすぐ間もない頃から修行を始めたんじゃないのか?」
脳裏に焼き付いた技の数々を思い起こしながら答えた士郎に、セイバーはひとつ頷いた。
「まぁ、そうだ。しろうの洞察は当たりだ。それこそ物心付く前から、俺は親父から虚刀流を教わった―――」
「だろうな。ただの掌底ひとつとってみても、生半可な次元じゃないことは俺にだってわかる―――」
「―――だけど、それは虚刀流を受け継ぎ始めた時期を同じじゃないぜ。あくまで、修行を開始した時期ってだけのこと。それ以上でも以下でもない」
「………じゃあ、セイバーが虚刀流を引き継ぎ始めたのはいつなんだよ」
言葉の真意を測れず、問い返す士郎にセイバーは笑った。
「
「生まれる、前から」
「そうだ。虚刀流っていうのは一切の刀を使わず己が肉体を使う流派だが、しかし虚刀流が剣術の域を出ない以上、刀が絡まないということはない」
「………………」
「つまるところ、虚刀流は
「受け継ぐ………」
「だから、俺が虚刀流当主になることは生まれる前決まっていたと言っても過言ではないし―――仮にまかり間違って俺が虚刀流になれなくても、
「………………」
それ以上は聞きたくなかった。
声を大にして静止したかった。
セイバーの言っていることはつまり、人とは所詮生まれる前から成すべきことを―――出来ることを定められているのだという残酷な事実を突きつけているに過ぎない。
それは辛く運命的な考えで。
そして、酷く残酷な結論でもあった。
だから、士郎はただただ苦痛だった。
所詮、借り物の幻想を追う士郎にとって、それは己が夢を諦めろと諭されているにも等しい。
そんなもの、聞きたくなかった。
ましてや、それを語るのは人類の守護者、七天に導かれた超越者である英霊の一柱のセイバーである。
凡人の届かぬ領域に座す彼の口から、夢とは、人の在り方とは曲げることの出来ぬことだなんて―――まさしく夢のない言葉を聞きたくは無かった。
「………セイバー。もういいよ。確かにその言葉は真を得ているのかもしれない。間違ってないのかもしれない。だけど俺は―――」
「と。俺はそう思っていた」
「………え?」
諦めて、あるいは押し潰されて、言葉を紡ぐ士郎に、まだ話は終わってないと手で制しセイバーは続ける。
「俺は所詮、刀でしかないのだと―――刀として生きる他ないのだと、そう思ってた。もしくは、ただ単にそのことを考えなかっただけかもしれないけれど、しかしその生き方をただ漫然と受け入れていたことだけは確かだ」
そこでセイバーは一度言葉を切ると、士郎を見やった。
その瞳には強固な意思が篭められていた。
「だけどそうじゃない。俺は確かに刀だったのかもしれないが、だからといって他の在り方が出来ないわけじゃないんだ」
「………………」
「俺は刀である以前に人だった―――なんて陳腐な言葉を振るうつもりは毛頭ないぜ。むしろ、俺は人である以前に刀だった―――しかし、だからといって
「………………」
「なぁ、しろう。結局、俺たちに出来ることは限られてるだろうさ。あるいは、定められてるのかもしれない。だけど、どうしてその枠内に留まらなきゃいけない。どうして、その在り方に自分を定義しなければいけないんだ」
「………………」
「俺はそうは思わないぜ。みっともなく足掻いて、外聞もなく喚き散らして、恥もなく貫き通して―――それでも、届かないかもしれないけれど―――だけど、立ち向かうことは出来る」
「立ち、向かう」
「あるいは、目指すことが出来る」
その言葉は真摯だった。
真っ直ぐ突き刺さって、そしてそのまま抜けていく。
間違ってるかもしれない。
正道から外れているのかもしれない。
しかしそんなことさえどこかに追いやる、清涼剤じみた爽快感のある言葉だった。
「俺にはしろうの譲れないものがなんだかは知らないけれど―――それが途方も無いことだってことぐらいは想像つくけれど、しかしそれが歩みを止める理由にはならないはずだぜ―――士郎の生きたいように行けよ。誰に迷惑かけたって、誰の足を引っ張ったって、結局自分の望むようにするのが一番だと、俺は思うぜ」
その言葉に士郎は。
「………そんなこと」
「ん?」
「そんなこと、言われなくてもわかってるって言ってるんだよ。セイバーに否定されたって、そこだけは曲がることのない、俺の大基だ。わざわざタメを作って何を言うかと思えば、そんなことか。全く、身構えて少しだけ損した」
なんて、憎まれ口を叩く士郎だが。
しかし、先程までは確かに心にあった、暗雲のように立ち込めていたわだかまりのような者が霧散していることに士郎は気がついた。
身体が軽く。
心も軽やかだった。
もう何も怖くない―――とまでは言わないものの、しかし重荷に感じていたなにかが崩れ去っていくのを士郎は感じた。
そんな心境の変化をセイバーが察したのかはいざしらず。
「………そうか。そりゃ、悪かったな」
「あぁ、全くもって悪いね。俺がそんなことで弱るような人間に見えたのか」
「―――いいや。俺の持ち主がそんな人間なはずないもんな。完全に、俺の早とちりだったよ。勘違いもいいところだった。穴がなくても、墓穴掘って埋まりたい気分だぜ」
士郎は思う。
こんなに嬉しい事だったのかと。
理解者と言えずとも、後援者がいるだけで背中がこれほど軽くなるのかと。
そう実感して、士郎は。
「………ありがとな」
「ん?なにか言ったか?」
「―――いや、なんでも。それよか、試合始めようぜ。時間も押しているようだし、一日でも身体を動かさないと鈍っちゃうよ」
「なんだ、魔術の方は良いのかよ」
「それは昨日遠坂にみっちり教えられたからな、もう飽き飽きだ。今はそれより試合だ。昨日は一本も取れなかったけど、今日こそはセイバーから取ってやる」
「向上心があることは良いことだけど、しかし俺は勝ちを譲ってやるほど甘くはないぜ」
「譲られた勝ちに価値を見出すほど、俺は落ちぶれてないよ」
竹刀の一振りを投影し、セイバーへ試合を挑んだのだった。
◆◇◆◇◆
セイバーとの試合を終え、眠そうに眼を擦る凛と朝食をとった後。
士郎は昨日と同様、いきなり増えた同居人と並んでふたり学校への通学路を歩いていた。
ちなみに、桜の姿はない。
今日は予定か何かあったのだろうか。いつもなら、弓道部の朝練があろうとも朝食を作りに来る健気な後輩の姿を思い返しながら、しかしそういうこともあるだろうと士郎は無理矢理に納得した。
それよりも今は目の前のことである。
「………………」
「………………」
ここに至るまで道中終始無言だった。
わずかに漂う緊張に耐え切れず、溜息を付きながら凛はようやく口を開いた。
「………………………」
「ちょっと」
「………なんだよ、遠坂」
「貴方まだ怒ってるの?もう済んだことじゃない」
「当然だろ!俺は危うく貞操を奪われそうになったんだぞ!なんでその犯人がけろりとしてるんだよ、もう少し反省したらどうなんだ!」
「ちょっとした冗談じゃない」
「開き直るな。どう考えても、過剰な悪戯だ!」
「あー、はいはい。それは悪うございました。私が悪かったです………これでいいかしら?」
「なげやり過ぎる………どう考えても、悪いと思ってないだろ………」
「そう言われても。本当に私も悪いと思ってるのよ?ただ、謝ろうと思ってないだけで」
「なお悪いだろ、それ」
訴えたら勝てるぞ、と士郎は不満げに呟いた。
しかし、不満をためていたのは士郎だけではない。凛もまた同様だった。
「そりゃ、私だって貴方の魔術を見るまでは謝ろうと思ってたわよ。さすがにやり過ぎたと思ったし、なによりこんな下らないことで私たちの関係に罅を入れるのもなんじゃない?」
「関係って………」
「なに、変な想像してるのよ。勘違いしないで。ただのアインツベルン打倒までの共闘関係でしょ。これだから男ってのは………」
溜息つく凛だったが、しかし溜息を付きたいのはこっちだと士郎は内心で思った。
遠坂凛は学校一の美少女である。
そして容姿だけでなく、公正な性格や気品ある振る舞い、知的な装いからして校内での人気は高い。
彼女の素に触れた士郎からしてみれば、猫かぶってる彼女のどこがいいのか全く理解できなかったが、しかしそれを一因として士郎が妬まれているのもまた事実である。
彼の前で直接何かを言うわけではないが、確実に士郎の取り巻く環境と言うべきものは変貌している。
色恋沙汰に疎く、また興味も示さない、『堅物』柳洞一成ですら士郎と凛の関係に注目しているのだ。
その他有象無象の、色恋沙汰に鋭く、興味どころか他人の恋愛には首を突っ込みたくなる節のある一般生徒から、士郎がどのような扱いを受けているのかは書き記すことすら野暮というものだった。
………まぁ、他の生徒はともかく一成の場合、相手が『天敵』遠坂凜であることが問題なのかもしれないが。
閑話休題。
「だけど、なんで俺の魔術を見たことが謝る気をなくすことに繋がるんだよ。どう考えても関連性ゼロだろ」
「いいえ、大いにあるわ。私のモチベーションの問題よ」
「………さいですか」
それはつまり、凛にとって謝ることが苦痛でしかなく―――そこまで言わないまでも酷く不本意であることを意味するのだが―――士郎はそのことを指摘しなかった。
彼女の性格に見切りをつけたとも言う。
「だいたいねぇ!貴方、なんで三流以下の魔術師のくせして、あんな魔術使えるのよ!」
「あんなって………そんな事言われても、出来るんだから仕方ないだろ」
「出来るんだからって―――あぁ、もう!衛宮くんは自分の希少性をわかって無さすぎ!相手が相手なら、骨の髄まで解剖されて、そのままホルマリン漬けよ!」
「そこまでかよ、魔術師怖すぎだろ………」
改めて魔術師という在り方の業の深さを実感しつつ、しかし士郎としては「そんなことを言われても………」という感覚だった。
昨夜。
セイバーと合同で行った、刑罰という名の軽い無視終わった後。
士郎は凛の部屋で魔術指導を受けていた。
勉強会、というやつである。
まぁ、士郎が魔術師以下である以上その内容は見習いの域を出ないものだったし、更に言えば、凛の部屋と言っても勝手に彼女が住み着いた一室と言ったほうが近い場所だったが。
それはともかく。
そこで凛は当面の問題点である魔術回路の切り替えの方法を士郎に教えた。
『魔術師』である自分と『人間』である自分を切り替える、さながらスイッチのごとし、そのイメージの形成は、凛の想像していた以上に容易く、そして円満に終了した。
士郎曰く、身の危険を感じた際に、いつものようにいちいち回路を開かずに魔術が使えていたということだから、基盤となるものはしっかりと出来ていたのかもしれない。
その日一日、『スイッチ』の形成に費やすと思ってた凛にとっては朗報以外何物でもなかった。
そして、そこまでは良かったのだ。
問題は、その後時間も余っていることだし、と士郎に魔術を使わせた際に凛の怒りは起因する。
士郎の魔術は、凛が評したように三流以下の魔術師であることは疑いようもなかった。
彼が教わったと言う『強化』と『走査』にしてもてんでダメ。
凛が試しに行わせた洋灯を『強化』する、という簡単なものでさえ、成功率は十個に一個。成功品ですら、十年前の凛が行う『強化』に劣る次元である。
あまりの不効率さと不確かさに凛が頭を抱えた程だった。
しかし、それは士郎の才能が無いわけではない。
士郎が内包していた、才能の象徴とも言われる魔術回路の本数は二十七本。その内一本が、昨日の襲撃の際、ライダーに壊されていたが、しかしそれでも二十六本あった。
これは代を経ていない、在野の魔術師にしては多い方で、その点だけ見れば士郎は才能溢れる魔術師と言えるだろう。ちなみに、天才と評される凛の魔術回路は四十二本だが、彼女の天才性は回路の本数でなくその属性の万能性にあるのであしからず。
しかし、それが凛を怒らせていたのではない。
その才能に見合わぬあまりな結果に凛が嘆き―――そして、「そういえば、投影も出来るって言ってたっけ」と思い出したように士郎に試させたのが、凛の不満の一端だった。
投影魔術は、己が魔力を使って複製を生み出すという簡単なものだが、その有用性は酷く低い。
複製ということは、到底本物には及ぶべくもない。
所詮は贋作である。
強度も、神秘性も、その権能ですら、半分でも再現出来たら一流なのだ。
さらに、現実に存在しないはずの投影物は世界の修正力を受けて、長続きしないのが一般的である。
そのため、本来の用途は失われた過去の道具を投影し、一時凌ぎに儀式で使う程度が関の山。ましてや、英霊の逸話の象徴でもある宝具を投影しようものなら、あまりの魔力消費に気絶してもおかしくないのだ。
しかし、それを士郎はけろりとやってのけた。
凛の「そういえば、ライダーの宝具ってどんなのだったのかしら」という呟きに、「こんなのだったぞ」と軽く宣いながら、宝具を投影してみせた。
思わず夢でも見てるのかと絶句する凛に、これでは足りないと思ったのか、士郎は次々と大太刀・『心渡』を投影してみせた。
まさしく規格外である。
いともたやすく行われるえげつない行為である。
士郎が何気なく生み出すその刀にどれほどの価値があるのか、凛は頭の算盤を無意識に弾いて―――頭を抱えたくなった。
しかも、そのことに士郎は頓着していない。
それが凛の怒る原因だった。
「―――この際だから言っておくけどね。衛宮くんの投影魔術、あれは異常よ。ホルマリン漬けは冗談にしても、これが時計塔にでも知れたら封印指定を受けてもおかしくないほどの異能だわ」
「ふぅん」
「ふぅんって………。貴方、本当に事の重大さをわかってるの………?」
「いや、わからないけど」
そもそも、封印指定がなんだか分からないし。
と続ける士郎にまたも凛は怒りに顔を染める。
「あぁ、もう………なんで、そんな事出来るのよ。あまりの理不尽さに不意に貴方を殺したくなるほどだわ」
「なんでさ………………冗談だよな?」
士郎は凛の言葉に一瞬笑い―――それに篭められた感情にすぐさま真顔に戻って尋ねた。
「本気って言ったらどうするの?」
「あはは、ははは………………」
長々と語ったがつまるところ。
彼女の怒りは嫉妬に過ぎない。
三流以下だと思っていた士郎が、天才である凛にすら出来ぬことを平然とやってのけ―――あまつさえそれが当然のことと受け止めていることに憤りを感じているだけに過ぎない。
それは、巣立ちする以前のひな鳥に飛び方を教えようと思ったら既に別の方法で空を飛べていたことを知り、半ば呆然としやりきれなさと同時にかつて出来なかった自分の不甲斐なさを嘆いているのと同じことだ。
「………………無様ね」
凛は己の弱さを自覚し、振り払うように頭振る。
気が付くと、既に学園近くまで来ていた。
凛は少し遠巻きにビクビクと眺める士郎を見やり、気付かれぬようため息をつく。
「………今日はここで別れましょう。わざわざ、一緒に登校して変な噂が流れるのも面倒だし」
「あ、あぁ………そうだな」
その言葉は士郎にとって渡りに船だった。
背景を揺らすほどの怒りの熱気を纏う凛から離れられるという点で。
「じゃあ、衛宮くん。また、後で―――今度は夜になる前に戻って来なさいよ」
全く信用されてない。
釘を差す凛の言葉に士郎が無言で頷くと、彼女は満足したようにさっさと行ってしまった。
ひとり残された士郎は、助かったという安堵のため息をついた。
と、そんな時である。
「やぁ、衛宮。なんだ、今日はひとりなのか」
「………一成」
背後からかけられた声に反応して、振り返るとそこには友人である柳洞一成の姿があった。
「………………うむ。どうやら、あの女豹はいないようだな」
士郎と並んで歩き出した一成は、狐を探す兎のように周囲に油断なく視線を這わせると、ホッとしたようにそう言った。
「お前、本当に遠坂のことが嫌いなんだな」
「違うな。嫌いなのではない。油断できないだけだ………………あやつは猫を被りながら腹の底で何を考えてるかわからん」
魔性の女と言うべき存在だ、と一成が苦々しく言う。
その言葉に士郎は苦笑した。
確かにあの猫かぶりは大したものだ。それに違和感のみならず、疑問を呈することが出来るこの友人は、紛うことなく人を見る目があると、士郎は思っていた。
「しかし、衛宮よ。今日はあの娘と一緒じゃないのだな」
「あの娘って?」
「間桐慎二の妹だよ」
「あぁ、桜のことか………というか、その言い方だとまるで俺がいつも桜と登校しているようじゃないか」
「なんだ、どこが違う?用のない日はだいたい一緒に来ていただろう」
「………まぁ、そうなんだけどさ」
訝しげに尋ねる一成に士郎は渋面を作った。
士郎としては一成が言うほど、桜と一緒だったとは思わなかったが、しかし外から見るとそうでもないのだろう。
ただ、桜と一緒に学校にきていたのは家まで毎朝朝食を作りに来るからであってそれ以上でも以下でもない―――とそう続けようとした士郎だったが、しかしそれを寸前で思い留める。
どう考えても藪蛇でしかなかったし、そういったことを口にしなくても一成はわかってくれるだろうという長年の信頼感もあった。あるいは、面倒だっただけかもしれないが。
それはともかく。
「………ふむ。喧嘩でもしたのか?」
そんな士郎の反応を矯めつ眇めつ眺め、問いかける一成に一瞬言葉に詰まった。
全く、この友人には本当に驚かされる。
気づかないよう蓋をしていた士郎の奥底に、これほどまで容易に踏み込むことが出来るなんて。
「………桜とは喧嘩なんてしてないさ」
「となると原因は間桐慎二か。なるほどな、だいたい読めてきたぞ」
絞りだすように言った士郎の言葉に、したり顔で一成は答えた。
「まぁ、衛宮と間桐が喧嘩するのはいつものことだから、別になにも言わないがな。しかし、その妹までと仲違いしたのであれば、早い内に関係修復しておいたほうがいいぞ」
「………別に、桜と仲違いしたわけじゃない」
そう、仲違いではない。
ただ、士郎が一方的に後ろめたさを感じているだけだ。
不安感を、感じているだけだ。
桜の義兄を傷つけたという後ろめたさ。
または、もしかしたら桜も聖杯戦争に参加してるんじゃないかという不安感。
不信感ではない。不安感だ。
桜が戦いに向かない質だと言うことは士郎が一番知っている。
それにも関わらず、彼女が聖杯戦争に参加していたのならば、それは本意でないはずだ。
何を間違ったらあんな優しい娘が、こんな血みどろな戦いに身を投じなければいけないのだろう。
どうにも理不尽で、あってはならないことだと士郎は思った。
「だけど、まぁ、確かに一成の言うとおりだ。今日、学校で会ったら桜と話してみる」
「おぉ、それがいい。………それで、話は変わるが、衛宮とあの女豹との関係はいったい何なんだ………?」
「結局、その話題か………。だから、遠坂とはなんでもないって。ただちょっと縁があって親しくしてるだけだ」
「親しくだと!?衛宮、まさか貴様………あの女豹に絡め取られたのではあるまいな!?」
「なんでさ………。遠坂はただの―――えっと、友人関係だよ」
「友人!?おい、目を覚ませ!あやつの振る舞いは全て偽りのものだぞ!?おい、聞いてるのか、衛宮!」
なんて、下らない追求を躱しつつ。
士郎は学園への道を急いだ。
桜がもし、聖杯戦争に巻き込まれていたら。
その時はどんな言葉で彼女を説得しようと考えながら。
士郎は、確かにそこにある輝かしい未来図に向けて、その足を一歩踏みしめた。
◆◇◆◇◆
そして。
その日、間桐桜と間桐慎二の両名は学校を休んだ。
遅くなりましたがギリギリ一週間ということで許してください………