22,
自分本位に他人の本意を翻意しろ
◆◇◆◇◆
今日の授業を終え、足早に士郎はひとり帰宅の路に立っていた。
そう、ひとりである。
目下、協力関係にある凛は、なにやら教員から託された仕事があるとのことで帰宅時間が合わなかったのだ。
穂群原学園のブラウニーこと、士郎は当然のように手伝いを申し出たのだが、すげなく袖にされた。
「どうせ貴方のことだから、夜になるのにも気が付かなくて、ついでに私が帰ったことにも気が付かなくて、また襲撃に合うんでしょ。だからダメ」
そう嘯く凛の目には不信感がありありと写っていた。
それでもなお、別れるより一緒に行動する方がいいと士郎は食い下がったが、お前が言うなとジト目で睨まれ、士郎は引き下がらざる得なかった。
因果応報、というやつだろう。
実際に襲撃にあった士郎には抗弁する余地がない。
「けど、遠坂ももう少し俺を信用してもいいじゃないかと思うけどな………」
というわけで。
士郎はひとり帰路についていた。
特にやることもなく、淡々と帰り道を歩く士郎だったが、ふと今日あったことを思い出した。
「そういえば、結局、桜には逢えなかったな………」
なんとなしにそう呟く。
桜が休んでいることを士郎が知ったのは、昼休みのことだ。
昨日の騒動のお詫び代わりと言うわけではないけれど、士郎謹製の手弁当を引っさげ、一年の教室を叩いた士郎を迎えたのは、申し訳無さそうに桜の欠席を告げるクラスメイトの姿だった。
「それに、慎二のやつも休んでるようだし………」
ひとり、自宅への道を歩きながら、士郎は言う。
そして、少し思考を深める。
これが意味するところを推察する。
慎二が学校に来なかったのはいい。
いや、学生という身分で無断欠席というのはあまり見られた行為ではないのだけど、しかしそういう意味でなく。
理解できる、ということだ。
昨日、士郎は慎二と戦った。
途中から姿を見せなかった慎二だが、まさか口上だけを述べてすごすごとひとりで逃げ帰ったわけではないだろう。初めからそのつもりなら、戦場に足を運ばなければいいだけのことだ。
襲撃をサーヴァントだけに任せて、マスターは影から観察する。
英霊と人間の埋めがたい
だから、慎二があの場にいたことはそれなりに意味があったということだ。
「不意打つ機会を伺っていたか―――」
―――それともマスターがそこに立っていなければいけなかった、とか。
そんなことを考えながら、士郎は凛から軽く教えてもらった知識を引っ張りだした。
曰く、サーヴァントは必ずしも従順な者だけではない。
曰く、いついかなる状況でも、強制的な執行力を持つ令呪はそのためにある。
そういえば。
と、士郎は昨日のライダーの姿を思い出した。
あの時は敵がいきなり現れ、なし崩しに戦闘になったため、深く観察していたわけではなかったが、しかし慎二のライダーに対する反応は、確かな信頼関係を築けているとは言いがたかった。
というより、むしろ。
道具を使うような―――奴隷を扱うような、感じ。
サーヴァントを信じてない。
そんな印象を士郎は受けていた。
「サーヴァントが信用できないなら、敵がいるところに馬鹿正直に来ない、か………」
それも、昨日の戦いは凛の助力があったとはいえ、実質引き分けである。
いくら、暗闘が基本の聖杯戦争とはいえ、日中敵の隣に居続ける状況は、相当負担だろう。
いつ仕掛けてるか解らず気を張るし、なにより心臓に悪い。
更に言えば、アーチャーの援護射撃により、士郎が誰かと同盟を結んでるのは察したはず。
「だから、慎二が学校に来なかったのは、想像していたとおりなんだけど………」
しかし、わからないのは桜である。
彼女が欠席であることを知った士郎は、嫌な胸騒ぎを覚えた。
桜のクラスメイトから、詳しい話を聞く限りだと、連絡を受けた先生は風邪だと言ってたらしい。
「風邪、ね………」
どうとでも取れる理由だ。
そして、休むための無難な言い訳でもある。
もちろん、士郎は桜が本当に風邪であることを信じていたし、またそう願っていた。
「………………」
しかし。
どうにも、胸騒ぎが消えない。
本能の最奥、直感とでも言うべき頭蓋の中枢が、士郎に警告を送っている。
このままだと、取り返しの付かないことになると。
後悔することになると。
だが、士郎は動けない。
そんな、確証もない不確かなもののために、敵陣である間桐の家に殴りこむことはできない。
いや、これが聖杯戦争でない、ただの喧嘩や不仲であったならば―――我が身ひとつを案じていれば良ければ、直ぐ様士郎は動いていただろう。
しかし、今の士郎にそれはできない。
心理的に難しい。
士郎が動けば、そのサーヴァントであるセイバーも否応なしに同行する。そうなれば、共闘関係であり、アインツベルンという強敵に対向するためセイバーの力を当てにしている凛もまた動かざる得ない。
そうでなくても、あの少女は、たとえ不利になることを知っていても、きっと士郎を助ける。
そんな確信にも似た信頼が、士郎にはあった。
優しい娘なのだ。
自身に確固たる信念を持ち、誇り高く、弱者を見捨てられない。
魔術師ゆえにある種の非情さは持ち合わせているが、しかしそれが彼女の高潔さを損なうことは決してない。
魔術師としての生き方と、遠坂凛としての在り方がぶつかった時、彼女は大いに迷い、苦悩し、それでも遠坂凛であろうとする。
そんな、気高くも、優しい少女なのだということを、士郎はこの短い間だけども理解していた。
それはできない。
助けられるばかりの士郎だが―――いや、だからこそ、これ以上凛に負担を強いるわけにはいかない。
「くそっ………………」
ゆえに士郎は動けない。
否、動かない。
心のうちに、靄のようにかかる不安感をただ飲み下すことしかできない。
ただ後輩が一日休んだだけなのだ。何をそんなに悩むことがある。本当に風邪かもしれないじゃないか。
心の片隅でそんな楽観じみた考えが産まれるも、士郎の心にある懸念は打ち消すことが出来ず―――
「制服ってのは」
と。
ふと。
通学路の途中、陽光満ちる道路から。
そんな声が―――した。
「制服ってのは―――良いものだ」
「………………っ!」
「社会に
思考の外から、突如かけられた言葉に士郎は戦慄する―――聞き覚えのない声に咄嗟にその場から逃げ出せるよう足に力を篭めた。
しかし、そんな士郎の行動を制するように
「どうしたよ、少年」
と、声は言った。
「まるで、非科学じみた直感で後輩の危機を感じ取って、助けに行きたいけど今の自分の力量では誰かに頼るしかなくて、その誰かに迷惑をかけることはどうしようもなく嫌で、それが自分が動かなくていい都合のいい言い訳になっていることに気がついて、それがまた酷く不愉快で、慕われる後輩の危機かもしれないのにどうすることも出来なくて、そんな考えも自分の勘違いかもと無理やり納得しようとして、それでもとても心にはびこった考えは押し殺せなくて、どうにも出来ず己が内に渦巻くやりきれなさと不甲斐なさと情けなさで心が綯い交ぜになっちゃって、どうしようもなく暴力という形で外に吐き出そうとしても今度はそんなことしかできない自分が許せなくて、結局自分に力が無いことが我慢できなくて、こんなことで自分の大望を果たすことが出来るのか本当に疑問に思っちゃって、それでも自分の信念とも言えるそれを曲げることなんてどうあっても出来ないというような―――そんな顔をしてるぜ」
「………………っ!?」
いきなり、ずばずばと。
いきなり、ずけずけと、心中に土足で踏み込まれたようで―――士郎は思わず後退った。
そして相手を見る。
この寒空にも関わらず、肌着同然の着流しを一枚纏っているのみの背の高い男だった―――奇妙と感じる以前に風邪を引かないのだろうかと場違いな考えが浮かぶ。
そしてどういうつもりなのか、男は、その頭部に狐の面を着用していた―――まるで周りを拒絶するような、世界に拒絶されるような―――狐の面。
だから、表情を読むことさえ出来ない。
ブロック塀にもたれかかるようにして。
彼は士郎をじっと眺めていた。
いや、じろじろと観察していた。
無遠慮にも。不躾にも。非礼にも。
「な―――なんだ、あんた」
自然と。
自分の口調に、絶え間ない動揺が混じっていることを嫌でも自覚する―――何にどう対応するよりも、今は自身をしっかりと持たなければいけないと、強く思う。
しかし、そんな考えとは裏腹に確かに自分が怖気づいている事に気がついた。
「あんたは誰なんだよ………」
「『あんたは誰なんだよ』。ふん。実に面白い質問だ」
狐面の男は言う。
実につまらなさそうに。
酷くどうでも良さげに、そう言う。
「俺は、俺だよ。見ての通り俺そのものだ。強いて言うなら、この聖杯戦争の仕掛け人にして、隠された八騎目のサーヴァントってところだ―――んん?これは時系列的にここで明かしていいことだったかな―――まぁいい。どうでもいいことさ」
そう、狐面の男は、犯しそうに、笑った。
◆◇◆◇◆
それから、時計の針をやや進めた穂群原学園にて。
凛は己の教室に残り、教員に託された仕事をひとりで黙々とこなしていた。
遠坂凛が学校に残った理由は大したものではなかった。
いや学園運営という点において重要な仕事には違いないが、しかし凛にとってみれば取るに足らないことだった。
面倒というか。
お門違いというか。
本来教員が行うような生徒である凛がやる必要性もない仕事だが、彼女の優秀さはこういった厄介事を引き寄せることもある。
いつもなら有名税ならぬ優秀税として渋々ながらも引き受けることだったが、しかし今日このときに限ってはいつも以上に凛にとって煩わしいものでしかなかった。
仕事が大変だということではない。
衛宮士郎のことである。
端的に言ってしまえば、彼をひとり行動させることに不安を感じていたのだ。
ひとりで突っ走り、自分の身さえ省みないその行動力。
力量に見合わずとも、信念を曲げず、退くことを知らない正義の味方志望。
どの要素をとってみても、安心の二文字が出ることはない彼の在り方。
あるいは不信と言い換えても遜色ないその感情は、凛の脳内をかき回し、ひどく不快な気持ちにさせた。
とはいえ、士郎と一緒に学校に残るという選択肢もまた存在しない。
朝方、士郎の取り巻く環境が変貌していると書いたが、しかしそれは凛もまた同様だった。士郎ほど、露骨でないにしても周囲に群がる人の目が好奇一色に染め上げられていることに凛は気がついていた。
ついでに、辟易もしていた。
二日ほど、朝一緒に登校しただけでこれなのに、放課後、夕陽の差す校舎にふたりだけで残るなんてことになった日には好奇が好色な視線に変わるのは想像しなくても自明だ。
健やかなる学校生活のため、自身の精神安定のため、なにより乙女心を他者に汚されないため、士郎に仕事を手伝ってもらうという選択肢は論外だった。
だからこそ、凛は任された仕事をただひとり黙々とこなしていたわけだが、しかしいつもに比べて今日の量は多かったらしい。
直ぐ様、終わらせて帰るつもりだったが、どうやらその展望は望み薄のようだった。
まだ半分以上残っている書類に目をやり、己が教室から見える日の傾きを見てため息を付きかけたその時、スライド式の扉が開き、見覚えのある女性教員が現れた。
「遠坂さん、知り合いの方が来ているんだけど」
「知り合い、ですか?」
思案げに目を細める凛。
もちろん、優等生の仮面を被ることも忘れない。
知り合いとはいったい誰のことだろうか。
この冬木の町で生まれ育った凛はもちろん友人知人が大勢いる。
それは表の学生としての知り合いもいるし、裏の魔術師としてのそれも少なくはない。
しかし、今日この日、日も落ちぬ頃、更には聖杯戦争中において凛のテリトリーと言ってもいい学校にわざわざ訪ねてくる魔術師の知り合いなどいない。
だとすれば、表の知り合いだと推測できるのだが―――
「知り合い、ね」
友達でも友人でもなく、知り合い。
その微妙な距離感を保つ言葉に凛は首を傾げた。
訪問者は学園の生徒ではない。もしそうなら、知り合いなどと婉曲な表現を教員が使うはずもない。素直に姓名を告げるはずだ。
そうでないということは、外部の人間。それも、わざわざ学校に訪ねてくるほどの緊急性の要件を持った人物。
心当たりが全くない。
いったい、誰が来たのだろうと凛が首を傾げていると、呼びに来た教員が困った顔をして
「どうする?知らない人かもしれないなら、断って帰ってもらうけど」
「………いえ、会います。案内してください」
「わかった、連れてくるわ」
教員の問いに凛はきっぱりと決断を下した。
もし、どうあっても凛と会いたいなら、道中で待ちぶせをしてでも会おうとするだろうし、もし悪意のある第三者だとしても今の凛の横にはアーチャーがいる。
大きな問題にはならないだろう。
そう思って待つこと、十分。
少し遅いなと苛立ちを募らせていると、ようやく教室の扉が開かれた。
「私が遠坂凜です。どうやら、私を訪ねてきたみたいだけど、いったいどういう―――」
振り返りながら、そう問う凛の身体が途中で止まった。
驚きのあまり、硬直した。
なぜなら、そこにいたのは―――
「よう、アーチャーのマスター。一昨日ぶりだな」
「………………っ!」
白髪の少年だった。
白く脱色して斑に染めた髪に、片耳には三連ピアス、もう片耳に携帯ストラップ、そして顔面には顔半分を覆うように刺青が彫られており、よく学校内をお咎め無しで歩けたなと場違いな感想を抱くほどで。
人懐っこい笑みを浮かべ笑うその顔は、しかしどこか歪んでいた。
マーダー。
聖杯の寄る辺に従い現界した英霊の一柱。
「アーチャーっ!」
「さっそく、臨戦態勢かよ。怖いね、最近のキレる若者ってやつか」
「『
凛の言葉とともに現れた二刀一対の『刀』炎刀・銃を構えるアーチャーを見やり、マーダーはひとつ口笛を吹いた。
「………いったい、どういうつもりか知らないけど、ここで戦うって言うなら相手になるわよ」
「そういきりたつんじゃねえよ。少なくとも、俺はあんたらと戦いに来たわけじゃないぜ」
「………じゃあ、何のために来たのよ。サーヴァントである貴方が敵のマスターである私に」
「ほんの少しの義理と、逃れられぬ義務と、そして多大なる気まぐれのため、っていうのが俺の答えだ」
「………義理?義務?」
警戒を緩めない凛とアーチャーの両名を尻目に、マーダーは無警戒にすたすたと歩き、並べられていた机のひとつに腰を下ろした。
「あえて言うなら、って話だ―――全く、あの人間失格嘘つき戯言野郎は俺のこと伝書鳩かなにかだと勘違いしてるんじゃねえだろうな………傑作以前の問題だぜ」
「………貴方、何を言ってるの?」
「あぁ、こっちの話だよ。もしくは、
小さく呟いたマーダーの言葉を耳ざとく拾った凛の言葉に、マーダーは気にするなと手をひらひら降った。
もちろん、その手には彼の獲物であるナイフは存在しない。
まるで、彼女らが襲ってこないことを確信しているように―――あるいは、攻撃を誘っているかのような彼の振る舞いに、凛は困惑した。
どうにも、やりづらい。
見たところ、状況は一対一。
しかし、先手はあちらだ。
地の利は凛たちにあるが、しかしその場所までわざわざ赴いてきたということは、己が力量に対する自身の現れか。あるいは、凛に気づかぬよう罠を張り巡らせているのか。
敵の思考の裏を読もうとする凛に対して、マーダーは驚くほど無警戒だった。
討ち取ってくれと言わんばかりである。
やはり、罠か。それとも、単なる考えなしか。
そんな凛の思考に気付いているのかいないのか、マーダーは自由気ままに話を続けた。
「まぁ、俺としても思うところがなかったわけじゃないからな。不公平というか、不平等というか………………どう考えても、
「………待って。私達が不利っていうのはどういうこと?」
だらだらと言い訳するように重ねるマーダーの言葉に引っかかりを感じ、凛はストップをかけた。その間も警戒心は緩めない。
「別に。大した意味なんてないぜ。ただ、そう、多分だけど―――本流は
「………何が?」
「恥を偲んで言うなら、運命ってやつかな」
―――かはは、傑作だぜ。
と、マーダーは凶相を浮かべた。
「………はぁ?何言ってるのよ、貴方」
その言葉に思わず苛立ちの言葉が凛の口から漏れた。
わけがわからない。
運命が足りないなんて、言葉足らず以前に文章としておかしい。
支離滅裂だ。
しかし、マーダーは凛の問いになんの気なく答える。
「言葉の綾だ。ただ格好いい言葉を使いたい中学生みたいなお年ごろなわけでもなし、そこを突っ込まれる俺もどう返したもんだかわからなくなっちまうぜ」
「………なんだか、貴方と話してると頭が痛くなるわ」
「かはは、気にすんな。それは俺も同じだ」
と、どこか楽しげにマーダーは朗らかな声で笑う。
そんな彼に凛は大きく嘆息した。
「で、結局貴方はなんで私の元を訪れたの?」
「んー。そうだな。無意味な掛け合いはここぐらいにして、本題に入るとするか―――そう時間があるわけでもないしな」
先延ばしにしてきたやりたくないことをやらざるを得ないような、けだるい雰囲気を纏って、マーダーは言う。
倦怠感を持って、マーダーは言う。
「ことが動くなら、今日だ。暴発するなら、今夜だ。きっと祭りになる。あんたのパートナー、危ないぜ」
そう、マーダーは、凶悪な笑みを浮かべて言った。
◆◇◆◇◆
黒幕は自分だ、という狐面の男の言葉を受けたにも関わらず、士郎が動けなかったのは気圧されていたからではなかった。ましてや、聞き逃してわけでもない。
士郎の耳には彼がサーヴァントだと告白した言葉がしかと届いていたし、混乱の極地にあった脳も意味を掴み損ねるという失態は犯さなかった。
ただ、単純に。
その言葉が信じられなかっただけにすぎない。
目の前の男が。
英霊であるという事実が。
受け入れられなかっただけだった。
一見ただの壮年の男性である。
初対面での言動は確かに士郎の度肝を抜くものではあったが、しかしだからといってそこに魔術的行為は感じられず、ただの無礼な一般人にしか見えない。
「ふぅん」
と。
目の前の男が動いた。
じろじろと観察しながら感嘆すると、士郎の張る警戒線をあまりに気安く、あまりに剛気に、あまりに無遠慮に、踏み出し、踏み抜き、踏み越えた。
「………………っ!セイバー!」
そこでようやく、士郎の身体が再起動する。
狐面の男がサーヴァントには見えないとて、警戒しないわけにもいかない。
戸惑いながらも喚んだ声に従い、素手と素足を晒したセイバーが姿を現した。
両手両足を使い敵を打破する虚刀流においては、その『刀身』を覆う篭手や草履はさながら鞘でしかない。
つまり、今のセイバーは臨戦状態。
あるいは、戦闘態勢である。
抜身の『刀』を引っさげてセイバーは士郎への視線を塞ぐように、狐面の男に相対した。
「あんたがどこの誰だが知らないが、それ以上近づくのは得策とは言えないぜ」
油断なく狐面の男を観察しながら、セイバーは言う。
「『それ以上近づくのは得策とは言えないぜ』か、ふん。忠義深いもんだな。そんなに睨まなくても別にとって喰いやしねえよ。ただちょっと―――世間話をするにしても距離が遠いと思っただけだ」
セイバーの登場に足を止めた狐面の男は至極億劫そうだった。
「話ならそこからしろ。一歩でも近づいたら、敵対行動と俺は取るぜ」
「『敵対行動と俺は取るぜ』か。随分と冷たいんだな。もしかして、マスターの知り合いに騙され、裏切られて、不意を打たれた経験でもあるのか?まぁ、別にここからでも声も届くし顔もわかるから問題ないけどよ」
「………………」
やはり。
と。
士郎は今の言葉を聞いて、確信した。
目の前の男は間違いなく聖杯戦争関係者だ。サーヴァントであるかどうかはひとまず置いとくにしても、しかし聖杯戦争に何らかの形で関与しているのは疑いようのない結論である。
さきほどの発言は間違いなく昨日のライダー戦を示唆したものだった。
昨日の戦闘自体は夜にならない内に始められたとはいえ、目撃者はいなかったはずだ。
それも、戦闘の発端を知っているとなると、戦ったものに聞いたか、もしくは最初から当たりをつけて
そして、このタイミング。
凛と士郎が別行動するのを見計らったような機会での接触。
まず間違いなく、士郎は
だとするなら、この男は―――
「………あんた、俺にいったいなんのようだ?」
士郎を狙ったわけがあるはずだ。
そう確信して問いかけた言葉だったが、しかし狐面の男に鼻で笑われた。
「『俺にいったいなんのようだ』なんて、随分と自意識過剰だな。物事全てに自分が絡んでないと気が済まない質かよ」
「………………」
「俺はただの通りすがりだ。お前なんて、ものついでに顔を見に来ただけにすぎない。俺にとっては路端に転がる石の方がまだ運命を感じるぜ」
「………………」
「世界の中心は自分だと妄信している小学生か、お前は」
そして、すごい勢いで罵られた。
なぜだろう、無性に腹が立った士郎だった。
それはともかく。
「………………つまりなんだ。あんたが俺に声をかけたことに意味なんてないって言いたいのか」
頭痛のする頭を抱えながら、士郎は問い返した。
「『声をかけたことに意味なんてない』か、ふん。意味なんざ、確かに無いさ。ただ
「………は?何言ってるんだ、あんた。前半と後半で言ってることがちぐはぐじゃないか」
「『言ってることがちぐはぐじゃないか』だと?ふん、察しの悪いやつだな。意味を見出すのはいつだって後世の、全てを俯瞰視出来るやつだけだ、ってことだよ。今現在を生きる俺らがするべきなのは意味付けなんて、つまらない事柄じゃない。ただ黙って踊れば―――そう、演じればいいのさ。愚者を気取って、あるいは賢者を気取ってな。好きにやればいいんだよ。本人がどう思ってたところで、それに意味付けをする輩は未来の青狸みたく『今』に来れるわけじゃないんだからな」
「………………」
わけのわからぬことを、さも世界の真理を語るように喋る彼はいっそ滑稽にも思えた。
がしかし、士郎はそんな彼から目が離せなかった。
彼の言ってることはわからない。
しかし、彼のその姿勢は。
有り様は。
在り方は。
酷く共感できるものだった。
圧倒的なまでの自己完結。
内界で終わり、そこから外へと飛び出したとて理解されぬ境地。
他者の意見に流されず、自分が信じていることが世界の全てだと、そう言い切ってしまえる強固な自我。
それはどこか、誰にも理解されぬ『正義の味方』を願う自身に似ているような気がして―――
「………………俺には理解できない」
―――だからこそ、相容れないと悟る。
それは同族嫌悪なんて、安い言葉で片付けていいものはなく。
似ているゆえに。
あるいは同値でないために。
譲り得ぬ信念を持つ両者は、他者に譲れないからこそいずれ衝突するだろうと士郎は確信する。
「多分、あんたは俺の敵になるんだろうな」
―――だからそう。
士郎がそう呟いたのは警戒を緩めたわけではなかった。
ただ心の底から思っただけで。
不意に口をついて出ただけだった。
なんとなしに。
本当に思わず口から漏れたような、そんな呟きを。
耳ざとく捉えた狐面の男は、酷く犯しそうに、心底侵しそうに、笑った。
大笑、した。
「くくくっ、はははっ、はーはっはっはっ!『あんたは俺の敵になる』だと!?まさか、そんな言葉を、こんなついでの保険にもならぬ、精々が備品チェックの心持ちで訪れたまさにここで聞くとはな―――」
何が面白いのか、喉を震わせ、肺を膨らませ、あらん限りの力で狐面の男は笑う。
ともすれば、被った狐面がどこかに飛んでいってしまうのではないかと懸念するほど、身体を震わせて、笑う。
「………………っ」
そのあまりの異常さに。
あまりの理解できなさに、士郎は一歩たじろいだ。
なんだ、コレは。
なんなんだ、コレは。
一見普通の人間だと?ただの壮年の男性にしか見えないだと?
一体何を勘違いしていた?
こんなものがサーヴァントでなく、ただの人間だなんて
否、コレと同一の存在だなんて
そんな心持で、士郎は目の前の男がサーヴァントだと信じた。
決めつけた。
決めかかった。
「はははっ………………はっ………………あー、笑わせてもらったぜ。こんなに愉快なのは、『俺の敵』が定まった時以来だ。よくよく考えれば『俺の敵』の時もこんななんでもないような、アニメならカットされちまうような場面だったな。つくづく、俺はそういう星の下に産まれて来たってことなのかね―――」
ようやく笑うのをやめ、ひとつ呟くと狐面の男は動揺する士郎に向き直った。
今までとは違う。
先ほどまでの飄々とした姿は、すでにそこにはなかった。
まるで、喰らいつくような。
もしくは、抑えつけるような。
飲み込むような、圧倒的で最悪な圧迫感が放たれていた。
「
「あ、あんた、何を言って………」
「あぁ、あぁ………混乱してるんだな、無理もない。しかし、大丈夫だ。俺もここでいきなり幕引きの最終決戦をするほど、わからず屋でも野暮でもない。そもそも、こちらとしても筋書きの修正が必要だしな―――まずは所信表明のひとつでもお披露目するのが筋というものだろう」
「………………っ」
「望んでいたんだろう?願っていたんだろう?ならば、俺が貴様の敵になってやろうじゃないか。徹頭徹尾、余すところなく、貴様に対する悪を行おう。悪逆を働き、暴虐を尽くし、最後は正義に倒される贄となって有終の美を飾ろう。世界の終わりを貴様に見せてやろう―――だから、
「………………うぅ」
あぁ。
士郎の心のなかにあったのはただただ恐怖だった。
理解できなくて、共感できなくて、同意できない。
己が知覚の対岸に立っている存在。規格外ならずとも、埒外。
おおよそ、思考を辿ることも、真似ることも不可能だという法則じみた現実を、むりやり他人に理解させる、そんなニンゲン。
これに恐怖しなくて、何を恐れると言うのだ。
そんな士郎の心境などいざしらず、狐面の男はこう告げた。
「―――と、今日はこんなものにしておくか。いつか、この伏線が役立つことを祈って―――さらばだ。
そして。
士郎が我を取り戻すと、そこに狐面の男はいなかった。
夢だったんじゃないかと錯覚するほどの退き際。そこにいたはずなのに自信が持てなくなってしまう虚ろさ。
だが、士郎は覚えている。
刷り込まれたようにじくじくと湧き出る恐怖を確かに覚えている。
挫けそうになる心を必至に立て直し、心配そうに声をかけてくるセイバーを手で制すと
「………あぁ、
この先待ち受ける展開を思い浮かべて、士郎は青い顔でそう呟いた。