23,
誰かのために、たとえ世界を失うことがあっても
世界のために誰かを失いたくない
◆◇◆◇◆
と、人類最悪の遊び人との運命的とも言える邂逅を果たした士郎だったが、しかしそれで話が終わるわけがない。
いや、そこで話が終わっていればあのような鬱屈とした戦いに身を投じる事など無かったのだが、しかしそれは語るだけ野暮というものだろう。
後々から考えてみれば。
人類最悪の登場にしたって、あの戦いの前座にしか過ぎなかったのだ、というのは言い過ぎだったにしろ、しかし開幕ベルであった、と評するのはそう間違ったことではないと士郎は断言できる。
マスターである彼女を助けると誓ったひとりのサーヴァントと、正義の味方を望んだ衛宮士郎による、その他大勢を巻き込んだ大決戦の。
あるいは、救いを願った彼女に答えた聖杯の。
有無も言わせず、全てを巻き込んだ総力戦と言うべき戦いの幕開けだった。
もしかしたら、回避できたのかもしれない。
もしかしたら、逃避できたのかもしれない。
しかし、そんなIFの話など、それこそ後世の、全てを俯瞰したものにしか気付き得ぬことだし、そして事実士郎がその選択肢をたぐり寄せることは無かった。
つまるところ士郎は根っから『正義の味方』に憧れていて。
それを行うのに、一分の躊躇も無かった。
だからこそ、その戦いは必然で。
ただひたすらに運命的で、酷く因縁めいたものだったと言えるではないだろうか。
◆◇◆◇◆
「どうする、しろう。あいつが敵だって言うなら、今からだって追撃して討ち取れるぜ」
狐面の男に圧倒され、未だ体を震わせる士郎にそう問うたのはセイバーだった。
好き放題言うだけ言った彼の姿はすでに視界にはなく、士郎が気圧された圧迫感もまた同様になかった。
体の震えをむりやりに矯正しながら、セイバーの問いに少しだけ考え
「いや、その必要はない」
と、士郎は言った。
それは恐怖から出た忌避の言葉でも、敵の情報を得たというアドバンテージから来た理性の判断でもなかった。
ただ単に。
理解していたからだ。
いったいどういう未来を辿ろうとも、然るべき場所で彼とは相対するだろうことを。
あるいは、まかり間違ってしまわない限り、縁が遭わないだろうことを。
士郎は悟っていた。
ゆえにここで追うのは意味がない。
きっと追ったところで、縁が遭ってないのならば、間を外され、お茶を濁され、徒に時を重ねるだけだろう。
そう士郎は判断した。
「ふぅん。まぁ、俺としてはどっちでも良いけどな。あいつは自分のことをサーヴァントと言っていたけど、それこそ戦闘力というものを感じなかったし」
「………そうなのか?」
「あぁ。余りにも無警戒だから、てっきり自分の力に自信を持ってるのかと思ったんだが、しかしさっきだけでも都合十度は確実に殺せるほど無力だったぜ―――無力というか、幽鬼というか―――まるでそこに存在してないような印象だったな」
「………そこに、存在してない」
「まぁ、実際戦ったわけじゃないから正確なことは言えないけど」
「………………」
その言葉に士郎は思考を巡らせた。
戦闘において一流であるセイバーの分析は疑いようのないものだろう。少なくとも、斬った斬られたの戦いに初めて身を投じる事になった士郎より、正確なのは間違いない。
だとすれば、疑問が残る。
セイバーは彼を評して幽鬼と言った。
また、存在してないとも。
「………………」
しかし、
士郎の感じた圧迫感は間違いなく狐面の男から放たれていて、それは他者を圧倒するような、演者を飲み込んでしまうような、強烈なものだった。
あれを感じたなら、幽鬼だなんて言葉は言えない。
言えるはずもない。
ということは、あの圧迫感は士郎しか感じなかったということで―――
「………………」
「ん?どうかしたか、しろう?」
「………いや、なんでもない」
わけが分からなかった。
士郎の、事戦闘におけるセイバーへの信頼度は高い。
そんな彼が感じ取れなかったものが、士郎には身にしみるほど感じるのだ。
これはちょっとした悪夢だった。
自分の知らないうちに眠っていた隠されし力が蘇って、さながら英霊のように直感が鋭くなった―――というほうがまだマシである。
あるいは、死戦をくぐり抜けるたびに強くなる某宇宙人だったと判明したほうが、士郎の精神安定上良い。
しかし、そんな都合のいいことは起きない。
それが現実というもので。
その事実を士郎はとうの昔に知っていた。
だからこそ、不可解な現実に首を傾げ―――
「しろう!」
―――それに気がつくのが遅れた。
セイバーの警告に遅ればせながら、心渡を投影し敵襲に身構える。
油断なく視線を這わせ、周囲を見た。
そこでようやく。
セイバーの声が突発的な襲撃を示唆したものでなく、わずかながらの警戒と多分な戸惑いを含んだものだったことに気がついた。
そして、その相手の姿にも。
「………………セイバーのマスター、か。名前は―――衛宮士郎とか言ったっけ」
「………………っ!」
夕闇が薄暗く照らす路上。
微かに聞き覚えのあるその声と、色濃く漂う血の匂い。
士郎の前に現れたのは、慎二のサーヴァント、ライダーだった。
「なんというか、みっともない格好で悪いな。だけど、自力で立つことも覚束ないんだ。満身創痍ってやつでさ―――」
ジジジッと。
街灯の灯る音が聞こえて、ようやくその全貌が士郎の目へ入った。
―――ライダーはずたぼろだった。
全身余すところなく、銃創にような穿たれた跡が散見し、五体で無事な場所などどこにもない。
辛うじて五体満足であったが、しかし右腕と左足は既に体の一部として機能しておらず、もはや棒切れが引っ付いていると評する方が近い有り様。
赤く滴る血は砂時計のようにぽたりぽたりと、命の期限を示しており、その命脈はもはや風前の灯火であることはひと目に明らかだった。
「お前、いったいどうして―――」
満身創痍、とライダーは言ったが、しかし士郎の目から見て、生きているのが不思議であるほどの損傷だった。
あるいは、死因と言ったほうが正確かもしれない。
凛が彼の宝具だと推察した金髪の少女に肩を寄せながら、ライダーは士郎の問いに弱々しく苦笑した。
「少し、失敗したんだ。彼女を助けようと思った。だけど、僕だけじゃ無理だったんだ。僕ひとりじゃ手を伸ばすことさえ難しい、暗い闇の底に彼女はいたんだ」
「………………」
その言葉は悔恨だった。
そうでなければ、懺悔の。
自分の失敗をあげつらい、既に失われた取り戻せぬ時間への憧憬の言葉。
それを士郎はただ黙って聞いた。
「そのことに僕は気がつけなかった。笑えるだろ?英霊なんて持ち上げられて、さも賢しげに振る舞って、どうあがいたところで僕は所詮僕でしかないというのに、分不相応な何かを掴めると、本気でそう思ってたんだから」
「………………」
「だからこそ、失敗した。もはや、取り戻しようのないほどの失態だ。惨めすぎて、涙も出ない。だけど―――いや、だからこそ、そんな僕でもできることがあるならば、最後までやり通すのが筋というものだと思う」
「………………」
「これが筋違いだと言うのはわかってる。敵である君に頼むのなんて、無謀を通り越してもはや無様でしかないことだって百も承知だ。一方的な理由で襲っておきながら、そんな君に頼るしかない、そんな僕なんだ。だから、僕にできるのは、ただ安い、どうしようもなく軽いこの頭を下げることしか出来ない―――」
「………………」
「―――お願いします。彼女を助けて下さい。闇に喘ぎながらも助けを呼ぶことすら敵わない彼女を―――僕のマスターである間桐桜を助けて下さい」
そして。
無様に、ただただ無残に、矜持を擲って、対面を捨て去って、ライダーは頭を垂れた。
◆◇◆◇◆
またも、時計の針を進めよう。
場所は穂群原学園。
マーダーと凛、アーチャーが対峙する教室だ。
マーダーに警告を受けた凛はすぐさま踵を返し、士郎のもとに走りだしたい気分だった。
一人でいるところをライダーに襲われたのは記憶に新しい昨日のことである。
いくつ厄介事を持ち込めば気が済むのよ、と内心愚痴りながらも、しかし凛は動けなかった。
「おいおい、話はまだ終わっちゃいないぜ」
マーダーが立ちふさがったからである。
逃さぬとばかりに、教室の扉に立ち凛を邪魔している。
凛は苛立たしげに舌打ちをした。
「………情報提供には感謝するわ。けれど、そこをどきなさい。急な用事があるの」
「セイバーのマスターを助けに行くという?―――まぁ、俺としちゃ構わないんだけどよ。なけなしのやる気を絞って、ここまで来たんだ。義理は果たしたいという俺の気持ちを尊重してくれてもいいんじゃないか」
それに、とマーダーは続ける。
「やつを助けに行くとしても、俺の話を聞いておいて損はないと思うぜ」
「………………」
その言葉に凛は沈黙した。
冷静になって考えてみれば、彼の言い分はある程度正しい。
そも、彼の警告自体が信憑性のあるものではない。
あくまで、マーダーは敵。
どうあったところで、有無も言わせず信じることは出来ない。
そして―――
「………………」
と、凛は窓から望む斜光に目を向けた。朱に染まる空は輝きに満ち溢れていて、日が完全に落ちるまでまだ時間があることを伺わせた。
彼の言が正しいとするならば、本番は今夜。
帰宅途中であろう士郎を捕まえ、合流し対策を練るための時間はまだ残されている。
そのための情報を彼から引き出しておくことは、間違っていない。
むしろ、推奨されるべき事柄のはずだ。
その程度のことすら見えてなかったのか。
自分が思った以上に動揺していたことを自覚し、凛は愕然とした。
「―――いいわ、話しなさい」
「かはは、上等。冷静な判断を下してくれて心底嬉しいぜ、お嬢ちゃん」
と、マーダーは皮肉げに口元を歪めた。
やはり、苦手だ。
マーダーの振る舞いを見て、凛はそう感じる。
しかし、今現在主導権を握っているのは彼だ。今後の展開のためにも、マーダーからは情報を引き出さなければならない。
凛は苛立ちをかき消すよう、ため息をついた。
そんな彼女の反応に対して意にも返さず、マーダーは淡々と言葉を紡いだ。
滔々と、語り始めた。
「さて、一体どこから話したもんかな。どうにも、説明は苦手だ。話下手な俺からすると、どうあっても話がとっ散らかっちまう―――けどまぁ、時間はまだあることだし、ここは黒幕についてから触れるのが妥当なんだろうぜ―――」
「黒幕………?」
「そう、黒幕―――この聖杯戦争とやらを仕掛けた張本人の話さ―――それでいて、未だ裏でこそこそと這いまわってる、どうにもやりにくい厄介なやつだ」
「………………」
「彼の名前について寡聞にして俺は知らないが、しかしその二つ名はいくつか聞いてる―――『人類最悪の遊び人』『
と。
核心を口にしようとしたマーダーだったが、しかしそれはある音により中断された。
ピリリッとなる、人を急かすような電子音。
「電話、ね」
「電話、だな」
「『不否《いなならず》。電話以外の何物でもない」
携帯電話だった。
凛のポケットから鳴る音に、興が削がれたのか、マーダーは手をひらひらと振り、凛に携帯を取るように促した。
凛は断りを入れて、携帯電話を取り出し―――その画面に映る電話番号の主を見て強張った。
衛宮士郎。
まさしく、話の中心にいたはずの彼の名。
それも、携帯電話の番号だった。
凛は緊張しながら通話ボタンを押した。
余談だが、彼女が緊張していたのは士郎から電話がかかってきたせいだけでなく、携帯電話の扱いに少しならずいささか不安を残していたためでもあったのだが―――そんな、彼女の機械音痴を知らないマーダーにとっては、気が付きもしないことだった。
「もしもし、衛宮くん?どうしたの、いきなり。自宅からかけてないってことはまだ帰る途中なのよね?」
『………………ハッ………ハッ………ハッ………遠坂、か………?』
電話口から聞こえてきたのは、断続するように路面を叩く幾人かの靴の音と、呼吸の乱れた士郎の声。
それに凛はわずかな引っ掛かりを感じた。
「………もしかして、誰かに追われてるの?」
『追われてる?………ハッ………ハッ………いや………違う………』
当たりをつけた凛の言葉を士郎はあっさりと否定した。
その間も、長距離を走るような浅い呼吸が乱れることはない。
「じゃあ、いったい何が―――」
『遠坂、聞いてくれ』
「――――――」
その声に含まれた緊張と覚悟の色に凛は言葉を止めた。
その隙に、電話越しで呼吸を整える音がし、士郎は話し始めた。
『悪い。本当に悪いと思ってる。罵ってくれもいい、犬以下だって評価も今考えれば当然のことだと思う。これが遠坂に迷惑をかける行為だってことは重々承知だ。だけど、俺には我慢できなかった』
「ちょ、ちょっと待って! 貴方、今どこにいるの!?」
いきなり、謝り始めた士郎に嫌な予感を覚え、声を荒げる凛。
しかし、士郎はその問に答えず、必至で息を整えながら、話を続けた。
『あぁ、そうだ。
「待って、衛宮くん。一から話してくれるかしら、じゃないと、なんのことだかさっぱりわからない!」
『そんな時間はもうない。いや、
「………………」
いったい彼が。
何を言ってるのか凛には解らなかったが、しかしそれを遮ることはしなかった。
聞かなければならないと直感的に、凛は悟っていた。
あるいは。
自分程度の言葉では、彼が止まらないことを知っていたからかもしれない。
しかし、いくら温厚な凛と言えど次の言葉はさすがに聞き逃せなかった。
『いいか、遠坂。俺は今から、間桐の本拠に向かう。
「ちょっと! 貴方分かってるの、間桐は敵なのよ!?さく―――いや、間桐さんも例外じゃないわ!」
『あぁ、わかってる。だけど、行かなきゃいけない。これはもしかしたら、裏切り行為なのかもしれない。そう思うんなら、同盟関係を解消してくれても構わない。だけど、それでも俺は―――』
『おい、しろう!前だ、避け―――』
『ここから先は通さないぜ―――って、さながらジャンプの噛ませ犬みたいな言葉、一度使ってみたかったん―――』
『まさか、ここに来て七騎―――』
と。
受話器越しの喧騒とともに、唐突に通話が切れた。
最後に、聞き覚えのあるセイバーの焦燥の声と、高校生ぐらいの少年の声がふたつ。
それきり、電話は無機質なツーツーという音しか発さなくなった。
「衛宮くん!?ちょっと、聞こえる!?ねぇ、何があったの!?」
リダイヤルをかけても繋がらない。
「なにがあった、阿呆姫」
焦り、携帯を弄くりまわす凛に見かねて、そう問うたのはアーチャーだった。
「わっかんないわよ!あのバカ、説明もなしに間桐の本拠に向かうって言い放って、敵に襲撃されて、桜がどうとか言ってて、同盟解消しても構わないって勝手に―――あぁ~、もう!」
「ひとまず、落ち着け。焦っても、状況は好転しないだろう?」
「そんなの、言われなくてもわかってるわ!」
宥めるアーチャーに、凛は怒鳴り散らした。
どう見ても、冷静でないマスターにアーチャーはため息ひとつつくと、この得も知れぬ徒労感を共有したいと視線を這わせ―――
「――――――ッ」
多大な警戒心とともに、炎刀・銃のトリガーに力を篭めた。
彼の視線の先にあったのは―――
「あぁ」
マーダー、だった。
「―――傑作だぜ。こりゃ、予想外ってやつだな。まさかまさか、こんなに早く事態が進展するとは、あの欠陥製品でも想定し得なかっただろうよ。かはは―――つうことは、俺らは出し抜かれた、ってことか。やりきれねえな、やるせねえな、本当に―――」
気だるそうに、彼は言う。
居心地悪そうに、彼は言う。
しかし、その身体には。
世界を侵食するほどの殺気が満ち溢れていた。
「だけどまぁ、ここに俺がいるってのは―――これすらも、あの戯言野郎の想定内だった―――なんて思いたくはないが、しかし万が一の事態は予測していたってことだろうな―――予想外だが、規定内ってことか」
「貴様―――」
「あぁ、心配すんな。
その手にあるのは、いつの間にか握られた一振りのナイフ。
薄い刀子のような、一振りの刃物。
それをだらりと引き下げ、マーダーは言う。
「俺としちゃ、あんたらにこの聖杯戦争の謎を説明して、解説して、解体してやりたかったんだけど―――義理ってやつを果たかったんだけどよ。こうなっちゃ、そうもいかない。今度は義務ってやつを果たさなきゃな―――」
「―――阿呆姫」
「な、何よ………。悪いけど、今はそういう場合じゃ―――」
「それはこっちの台詞だ、さっさと逃げろ」
未だ現状を把握しきれていない凛に、アーチャーは警告する。
それにようやく、凛は目の前のサーヴァントの異変に気がついたのか、息を飲み込んだ。
「誰が呼んだか、零崎一賊。生きるために人殺し、話すために人殺す。立てば惨殺座れば死骸、歩く姿は殺人鬼。殺し名序列三位零崎一賊が鬼子、零崎人識―――つぅことで、ふたりにはここで足止めてもらう」
―――それが、俺のこのクソみたいな物語での役割なんだろうからさ。
と。
マーダーは、皮肉げに笑った。
斜陽はすでに地平線に消え、世界は逢魔が時から夜の世界に―――魔術師たちの時間に変貌していた。
◆◇◆◇◆
第五次聖杯戦争三日目。
第四戦。
殺し名序列第三位零崎一賊が鬼子零崎人識VS尾張幕府直轄内部監察所総監督補佐にして元忍者左右田右衛門左衛門。
改め、マーダーVSアーチャー。
初戦より因縁深い両者の戦いは、各地で始まる大決戦の幕開けとして、なし崩し的に始められた―――