ニシオニストによる聖杯戦争、あるいはただの蛇足   作:堂升

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初動、あるいはただの勇み足

 2,

 

 不幸せはいつも自分の心が決める

 幸せはいつも他人の偏見が決める

 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 

 

「相手の様子には、変わりない?」

 

「残念な報告だ、我が主よ。今しがた、敵のサーヴァントを逃した」

 

「なっ………!逃したってどういうことよ!?」

 

 この冬木の中枢と言ってもいい新都を一望できる建物の上で遠坂凛は大声で自分のサーヴァントに怒鳴りつけていた。

 熱くなっている。凛はそう自覚したがそう簡単に止められるものでもない。

 凛の怒声を受けてもどことふく風で顔色一つ変えない自身のサーヴァントをちらりと横目で見る。

 

 アーチャー。弓兵。凛が召喚したサーヴァント。

 彼はちぐはぐで奇妙な格好をしていた。

 その全身は洋装であるにも関わらず、腰に佩く武器は大小二刀の日本刀。赤みがかった橙の髪は後ろで短く纏められており、一見それは武士の髷のようにも見える。そして、顔には上半分を覆うように『不忍』と書かれた白い面をつけていて僅かに口元が見えるのみだった。

 

 何を考えているのかわからないアーチャーを見ながら凛は深呼吸をひとつし、自分の呼吸とリズムを整える。

 

「………………それで、なにか言い訳があるかしら、アーチャー」

 

「『不答(こたえず)』。一里先の敵を補足し続けろというのが土台無理な話だ」

 

 まるで自分は悪くないとばかりに嘯くアーチャー。凛はそれに思わず頭を抱えた。

 アーチャーはそんな凛の様子に目もくれず言葉を続ける。

 

「仮に捕捉でき奇襲を仕掛けられたとしても、戦いにすらならなかっただろうな。同じ存在なのかも疑わしい」

 

「………それほど強いの?」

 

 アーチャーが下すアインツベルン家の者と思しきバーサーカーの評価に凛は疑わしげな視線を向けた。

 

「『不否(いなまず)』。あの赤色―――真紅のバーサーカーには手を出さないほうが懸命だと思うが。そも、下地が違いすぎる。所詮我が身は脆弱で薄弱な、英霊と呼ばれることすらおこがましい存在。太刀打ちどころか太刀傷ひとつ付けられんよ」

 

「………………あなた、英霊としての誇りはないの?」

 

「そもそも、わたしが歴史に語られるような存在と肩を並べてることすらおこがましい。どうして、誇りなど持てようか」

 

「あなた、卑屈なのね」

 

「順当な評価だ。召喚時間を間違えるようなへっぽこマスターにはお似合いであろう。そら、我がマスターにわたしがいい愛称をつけてやろう」

 

「へ、へっぽこマスター!?ことに言い欠いてそれ!? 確かに、私の召喚でほんのちょっと―――それこそ豆粒のようなちっぽけなミスがあったことは認めるけど、その言い方はないんじゃない!?」

 

「なるほど。膨大な魔力によって召喚陣の上でなく別の場所に召喚するのは、ほんのちょっと―――それこそ豆粒のようなちっぽけなミスなのか。では、わたしが敵を見逃したとてそれはちっぽけなミスなのではないか?」

 

「ぐっ…………!」

 

 無表情で言い募るアーチャーに凛は言葉に詰まる。彼の言うことは紛れもない真実であり、彼女の汚点とも言える。

 

 まさか時間をかけ入念に準備し完璧であるはずのサーヴァント召喚日に限って、家にある全ての時計が一時間もずれているなど誰が思うだろうか。

 いや、その事実に凛は気がついていたはずだった。朝学園に登校した際にいつもより一時間早かった到着。そこから自宅の時計という時計が狂っていたことは先刻承知のことだったのである。

 しかし、英霊を召喚するという大一番の際にその事実をさっぱり忘れ一時間早く召喚に至ったのは、確かに明確なミスであった。

 

 それを見逃すのが彼女の持つ「大事な時に限ってポカをやらかす」という弱点であり、そのことを凛は自覚していながらも未然に防ぐことが出来なかった。

 

 口では敵わないと凛は悟り、マスターである彼女を白けた目で―――といっても『不忍』の面を被ったアーチャーがどんな目をしているのかわからないので気分だが―――見ているアーチャーから視線をそらす。

 

 そも、なぜこんなサーヴァントが私のもとに来たのか。

 

 彼に不満があるわけではない。

 いや、ないというと語弊はある。

 

 凛が召喚したかったのは剣のサーヴァント、『最優』と称されるセイバーであり、索敵踏破遠距離からの攻撃に長けるアーチャーではない。

 さらに言えば、その能力値は一般的な魔術師に比べ遥かに優秀であると自負する凛の完全な魔力供給を受けても軒並み低い。彼が自分のことを脆弱薄弱というのもわかるというものである。

 

 しかし、その不満は召喚されたサーヴァントにぶつけるものではなく、強力なサーヴァントを召喚できなかった自身の力不足へのものだ。遠坂家当主としての誇りと自負が彼女がアーチャーを責めることを許さない。

 

 だが、これはいったいどういうことなのだろう。

 

 と凛は大小二刀の日本刀を佩く、弓兵のクラスで呼ばれたにも関わらず弓のひとつも持っていないアーチャーを横目で見る。

 

 聖杯戦争で召喚されるサーヴァントはその全てが西洋圏の英霊だ。それはマスターの力量に関係なくひとつの例外もない。

 

 隣で何事かを考えているアーチャーの装いは一見西洋のそれであり、何も問題ないように思える。しかし、彼が持つ武器は刀。しかも、その製法を真似て中国などで濫造されたまがい物ではなく、純然たる日本刀である。

 

 そも、彼の顔を覆う面に書かれた『不忍』という文字からして、極東圏のサーヴァントであることは明白だ。

 

(聖杯のバグ………………?いや、それにしたって………)

 

 不自然である。

 もしそうであるなら、聖杯の管理をしているアインツベルンから何か一言あってもいいはずだ。

 

 そも、聖杯が西洋圏のサーヴァントを召喚する理由は単純明快。聖杯という概念が西洋にしか無いからだ。だからこそ、それに注がれるサーヴァントは全て西洋の者になる。

 これはシステム的な問題であって、一個人で成し得る細工ではない。それが崩れている今、聖杯自体に歪みが出ている可能性すらある。

 もしそうなら、一般的な魔術師が聖杯に賭ける『根源への到達』という目標を適うことすら叶わないかもしれない。

 

 西洋文化の聖杯に東洋のサーヴァントが入り込んでいるこの現状は、御三家のひとつであり遠坂家当主である凛には見過ごせない事態である。

 

(とはいえ、何もできることは無いんだけどね………………)

 

 前回の聖杯戦争で親をなくし、彼の魔術を独力と兄弟子の助けで習得した凛には聖杯に干渉する術や方法など失伝している。

 彼女に出来ることなど現状維持での情報収集が精々だった。

 

 そんな思考の波に飲まれながら、凛は離脱の準備を始める。

 アーチャーの索敵能力とアインツベルンのサーヴァントがバーサーカーだとわかった今、ここにとどまり続ける意味はもはやない。

 

「アーチャー。今日はこれぐらいにして探索はまた今度に――――――ッ!!」

 

 ―――そう思った時だった。

 瞬間、膨大な殺気と強烈な気配が辺りを駆け巡った。それだけで人を殺せそうなほどの量と密度。それが全方位無差別にばらまかれていた。

 

 あからさまな挑発。ここに俺はいるぞという意思表示。倒せるものなら倒してみろと言わんばかりの殺気に凛はアーチャーを振り返る。

 

「アーチャーッ!!」

 

「わかっている。愛称のことだろう。阿呆姫というのはどうだ」

 

「いや、そうじゃなくて殺気が――――――って、なにか考えてると思ったらそんなことだったの!?」

 

「よくよく考えれば、我がマスターの名前は言いづらい。愛称をつけるというのは大事なことだと思ったのだが」

 

「凛って二文字で呼びやすい名前じゃない!というか、阿呆姫って………………。もしかして、リビングに無理やり召喚されたことをまだ怒ってるの!?」

 

「『不答(こたえず)』」

 

「いや、それ肯定してるのも一緒だから………………」

 

 そんなアーチャーの言葉に凛は思わず脱力した。

 

 そして、ほんのすこしだけアーチャーの雰囲気が楽しげであることを察して、凛は驚愕する。

 

 無表情無感動。顔の大部分がはっきりしない面をつけるアーチャーは凛にとっていったいどんなことを考えているのかわからない、得体のしれないサーヴァントだった。

 凛としてもこの聖杯戦争を生き残るため信頼関係をどうにか築かなくてはと思っていたものの、手を出せなかったのである。

 

 そんな彼が凛にも判るほど感情を表した。

 それは凛にとって驚愕に値することだった。

 

 もしかしたら、彼女が歩み寄ろうとしていたのにも関わらず手を出せなかったのと同じく、アーチャーもむりやり召喚された年の若い魔術師に遠慮していたのかも知れ得ない。

 

 そして、その歩み寄り方が凛に愛称をつけることだったとしたら。

 そう考えると、その無表情にすら愛着が湧いてくる自分がいることに凛は気がつい、その頬を緩めた。

 

「アーチャー!ふざけてないでさっさと行くわよ。敵の場所、わからないなんて言わないわよ

 ね」

 

「『不得禁(きんじえず)』。笑えない冗談だ。不肖のこの身なれどまごうことなくクラスはアーチャー。あれほどの殺気を放つ相手の場所がわからないはずもない。………………しかし本当に行くのか? 遠距離からの観察だけでも情報は得られると思うが」

 

「敵がこんなに堂々と挑発してきてるのよ?答えないわけにもいかないでしょ」

 

 凛の顔に浮かぶは己への自信とアーチャーへの信頼。それを察知したのか、アーチャーは薄く笑みのかたちに口元を歪めた。

 

 無言で伝わるその意志。

 薄くか細いものだが、そこにはアーチャーとの信頼が確かにあると凛は感じていた。

 

「ならばいくぞ、阿呆姫!」

 

「………………やっぱり、そのアダ名やめにしない?」

 

 ふたりは己が敵の元に足を向けた。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「なぁ、バゼットにはアダ名みたいなのは無いのか?」

 

「アダ名、とは主に親しい間柄で使われる愛称のようなものですか?」

 

 マーダーのいきなりの問いにバゼットは小首を傾げて答える。

 バゼットの言い様にマーダーは苦笑すると「なんつったらいいかな」と視線を宙に巡らした。

 

 月が綺麗な夜である。まるで宝石箱を詰め込んだように光り輝く星々は、近くに文明の明かりがあれば霞んですぐに見えなくなってしまうほど、儚く朧気なものだった。

 

 彼らがいるのは、新都よりほど遠い丘に立つ私立穂群原学園の校庭。

 とうの昔に日は落ち、日中は青春に汗流す学生たちにより活気があったのだろうそこは、暗く闇が支配し人の気配すら感じられない。

 

 その中ほどにバゼットとそのサーヴァント、マーダーはいた。

 マーダーはそれだけで人が殺せそうな殺気を周囲に無差別に振りまきながら、しかし空手のままで。

 バゼットは硬化のルーンが刻まれた手袋を装着し臨戦態勢のまま仁王立ちである。

 もし、一般人にでも見られたら通報一発逮捕待った無しである。

 

 しかし、そんな心配をする必要もない。この学園の周囲にはバゼットがルーンの結界を張っており、それが人払いと敵感知の役目を兼ねている。そして、この時間、学校に残っているものは皆無であるはずだった。

 

 そうして並び立つ両者だが、しかし目的もなくそこにいるわけではなかった。

 

 疑似餌。釣り。挑発。

 もしくは、敵の誘引。

 言い方は多々あるだろうが、つまるところ、敵のおびき出しのために彼らはわざわざ私立穂群原学園に足を運んでいたのだ。

 

 御三家のうち、遠坂家と間桐家の子女子息が通ってる学園である。マスターである可能性は高い。

 敵情視察の意味も兼ねて夜を待ち学園に侵入したバゼットたちだったが、特に罠かなにかを仕掛けている様子もなく、退屈そうに土いじりなぞ始めたマーダーが、それならばと殺気を使った挑発を提案したのだ。

 

 マーダーはサーヴァントにしては索敵能力が低い。

 少なくとも彼はそう自負しているようだった。

 

 そのため、予想外の場所で奇襲されるのを待つぐらいなら、おびき出して構えていたところを 攻撃された方がいいという、後ろ向きなんだか前向きなんだかわからない提案に、しかしバゼットは同意する。

 

 彼女にしても待つのは性に合わないのである。できるならバンと敵が出てきてボンと戦いが終わるのがいい。そんな大雑把な志向を持つバゼットは一も二も無くその提案に飛びつく。

 

 かくして、マーダー監修のもと『挑発作戦』が開始された。

 

 予定通り、マーダーが各方面に殺気を飛ばしまくり、後は敵が来るのを―――もしくは来ないのを待つだけである。

 その気は抜けずとも手持ち無沙汰な時間をマーダーとバゼットは益体もないお喋りで潰していた。

 

 空を見上げ考え込んでいたマーダーがいい表現を思いついたのか、手筒を叩いた。

 

「そう、アダ名っつぅよりも二つ名だな。俺の場合だと『人間失格』だとか『笑顔から生まれた殺人鬼』だとか色いろあるんだけどよ。バゼットほど強かったら、そういう二つ名のひとつやふたつ持ってるんじゃねえの?」

 

 そのマーダーの性質と性格を的確に表現した二つ名のあまりの完成度に、バゼットはその命名者に賞賛を送りたくなったが、それはともかく脇においておく。

 

 二つ名。

 今の話題は二つ名である。

 バゼットはわずかに思考を逡巡させた。

 

「そう、ですね。二つ名ですか。あまり聞いたことがありませんね」

 

「へぇ」

 

「そも、魔術師というのはあまり他者に興味ない人が多いですから。その人生全てを魔術の研究に当ててるのが普通の魔術師のあるべき姿です」

 

 魔術師というのは根源への到達を大目標とした人種のことだ。

 その血を次代に繋ぎ魔術刻印という研究成果を子に残すことはあれど、それは今代で目的に辿りつけなかったという理由にほかならない。

 

 最善なのは自分が根源に到達すること。しかし、人間である以上寿命という時間の壁は存在する。よって彼らは泣く泣く魔術刻印にその使命と無念を託し次代へとつなげるのだ。いつの日か、子孫が根源に到達することを信じて。

 

 そんな利己主義と排他主義のかたまりである魔術師は、他者との関係を嫌う傾向にある。そも、魔術師にとって隣にいるものは自分の目的と競合するライバルであり蹴落とすべき敵なのだ。

 どれだけ仲良く振舞っていたとしてもその心のなかでは何を考えているのかわからない。

 そんな生き者が魔術師なのだ。

 

 必然、研究の発露でありその手の内というのは秘匿され厳重に守られている。

 そのため、その象徴たる何かを現す二つ名というのは滅多につけられるものではない。

 

 そう説明したわけではないが、バゼットの言葉からなにか感じることがあったのか、マーダーは納得したように幾度か頷いた。

 

「なるほどな。確かに、手の内まるわかりってのは不安を通り越して、もはや恐怖だよな」

 

「ええ。それに、私の場合は執行者の仕事にも差し支えますから―――」

 

 

 封印指定執行者。

 封印指定と呼ばれる、特に学問では習得できない、本人の体質に起因する一代限りの特別な魔術を保有する者を『封印』するのがバゼットの仕事である。

 

 通常、封印指定から逃亡しても静観されるだけである。しかし、彼らが潜伏先で無関係の人間を巻き込むような実験を繰り返すなどの事態となれば、聖堂教会が黙っていない。異端とみなされ、代行者を差し向けてくる。となれば、魔術協会にとって貴重な財産である研究成果ごとこの世から抹消されてしまうのが目に見えている。

 その前に封印指定された魔術師を確保、もしくは代行者から奪還するのが任務。

 

 その仕事は苛烈を極め、封印指定執行者になるための条件は「いかに戦闘向きであるか」というただ一点のみというのだから、驚きだ。

 

 そんな過酷な戦いをするバゼットにとって己が手の内が知られるのは、研究の保護以前に命の危機である。

 

「――――――というわけです」

 

「なるほど。まぁ、どれほど強いやつでも戦い方さえわかれば、やりようはあるからな」

 

 そう答えるのはマーダー。彼にも覚えがあるのだろうしきりに頷いていた。

 

「ただそれは一般的な魔術師の二つ名についてです。私に二つ名自体がないわけではありません」

 

「あるのかよ。じゃあ今までの流れ何だったんだよ」

 

「所詮、暇つぶしでしょう。それに貴方はどうやら魔術師の知識について疎いようでしたし」

 

「つまり、今までのは俺のマスターサマのありがたい講義だったわけだ。かはは。笑いがとまんねえぜ」

 

 脱力したように肩を落とすマーダーに、バゼットは少しだけ笑った。

 

「で、結局バゼットの二つ名は何なんだよ」

 

「それは――――――」

 

 そして、彼女はその名を口にする。

 

 ―――伝承保菌者(ゴッズホルダー)

 

 人間でありながら、神代から彼女の家系に代々受け継がれてきた数少ない『現存する宝具』である『斬り抉る戦神の剣(フラガラック)』を有する彼女に付けられたその異名。

 その戦闘力は過去の英霊に匹敵し、使いどころを間違わなければ敵の宝具さえ無力化することが出来る。

 

 ゆえに彼女が選ばれた。

 歴代最強の執行者。

 バゼット・フラガ・マクレミッツ。

 

「かはは。傑作だぜ。ただの魔術師が英霊に匹敵するとまで言われるなんてな。どおりで俺が殺せなかったわけだ」

 

 その説明にマーダーははっきりと口を笑みに歪めた。

 その笑顔は獰猛。顔に入れられた刺青により凶相じみているそれを見て、バゼットは今更ながらに気がつく。

 

 どうしてわたしはこの殺人鬼と普通に話すことが出来るているんだろうと。

 

 召喚されすぐにバゼットを襲ったマーダーだが、話してみれば案外普通であった。

 十全に受け答えができ、意思疎通の齟齬も感じられない。冗談も言えば、口下手なわけでもない。

 最初はバーサーカーと思うほど、わけのわからない狂気に満ち溢れた存在に写ったマーダーだったが、あまりの普通さにバゼットは肩透かしを食らった気分だった。

 

 正しく、拍子抜けである。

 

 だからこそ、まるで『人を殺す』という概念を押し固めたような殺気をまき散らすマーダーを前にしても、平然平素に話すことができていたのである。

 

 令呪を使用してまでマーダーを縛った『私を殺すな』という命令。それ自体が、間違ったことのように感じられるほど、マーダーは一般的で、常識的で、普通だった。

 

 しかし―――

 

「………………」

 

 隣にいるマーダーの溢れんばかりに殺意を眺めてバゼットは思う。

 私の判断は間違ってなかったと。

 あそこで令呪を使わなければ私は死んでいたのだと。

 

 それは確信にも似た自分の直感への全幅の信頼だ。

 数多くの死地から彼女を救ったそれは、未だ頭が割れんばかりの警告を発している。

 

 今すぐ令呪を持って自害を命じろと。

 疾くその拳を頭蓋に叩きこめと。

 

 それは警告する。

 しかし、バゼットはそれを鋼の意思で押さえつけた。

 こんなところで自分のサーヴァントを殺してどうしようというのか。意味のひとつだってありはしない。

 そんな合理的な判断と生理的恐怖がぶつかり合い脳を支配する。

 

 バゼットは再びマーダーの横顔を見た。

 

 幼く中性的な相貌。しかし、その端々に巡るドス黒い殺意は一向に消えない。

 それはまるで、一般人の殻を被った殺人鬼のようで。

 もしくは、殺人鬼を模倣する一般人のようで――――――

 その横顔を見ているとふいにバゼットの口から言葉が漏れる。

 

「マーダー。貴方は――――――」

 

 ――――――いったい何者なんですか。

 

 そう尋ねようとして―――そしてそれが意味のないことだとバゼットは悟った。

 マーダーがいったいどんな存在であろうとバゼットは聖杯を魔術師協会に持ち帰るだけである。

 それに変わりはない。だというのなら、詮索は無用。

 深入りする必要はない。

 

 

 そんな思考の波に攫われているといつの間にかマーダーがバゼットを眺めていることに気がついた。

 覗きこむ吸い込まれるような黒の瞳にバゼットは気まずさから視線をそらす。

 

「な、なにかあったんですか?」

 

 僅かに上ずる声音。

 思考が読まれたのではないかという埒外な危惧。

 それをマーダーは一蹴した。

 

「かはは。なにかじゃねえよ、話しかけてきたのはそっちじゃねえか」

 

「いや、さっきのは他愛のない話です」

 

「そうかい。じゃあ、俺の他愛のなくない話でもするか?」

 

 そんなマーダーの言葉にバゼットは僅かに眉根を潜めた。

 それにマーダーは薄く笑うと

 

「簡単な話さ――――――敵だ」

 

 そう呟いた瞬間。

 

 ――――――鋼と鋼がぶつかり合う甲高い金属音が響き渡る。と、同時に夜が支配する闇に一瞬火花が飛び散った。

 それは一度で終わらず間断なく辺りに鳴り光る。

 

 いつの間にか、バゼットをかばうように前に構えていたマーダーの右手にはナイフが握られていた。

 それが時節、掻き消えるかと思うほどの速度で振られたかと思うと、またもや奇妙な金属音と火花が響き、散る。

 

 もし、そこにいるのがただの一般人だったのなら何が起こっているのかわからなかったに違いない。

 しかし、封印指定執行者であるバゼットの両目は正確に物事を捉えていた。

 

 空間を割くように遠方から飛来するは鈍色に輝く弾丸。魔術による強化か、サーヴァントの宝具によるものなのか、その威力は二節以上の詠唱を要する魔術によるものと遜色ない。

 マーダーは彼方から飛来するそれを撃ち落としていた。

 

 僅かな発光を持って飛来する銃撃をマーダーはその薄い刀子のようなナイフで斬り、砕き、弾き、逸し、いなしていた。

 

 眼に見えないほどの速度で振るわれるナイフは綺麗な軌跡を描き、致命の威力が込められた弾丸を迎撃する。

 それはマーダーの持つ直感の賜物でもあり、そして純然たる積み上げられた才覚と技術の結晶でもあった。

 

 一撃一撃、手を変え品を変え、様々な角度から脳髄を口蓋を心臓を臓腑を金的を、ありとあらゆる人体の急所に雨あられのように降ってくる銃撃を、しかしマーダーはどことふく風のように逸し弾き、躱してみせる。

 その顔に焦りはなく、時節バゼットに当たりそうになるその軌跡をむりやり捻じ曲げ無効化する。

 

「マーダー!!」

 

「話は後だ!とりあえず、遮蔽物のあるところまで走るぞ!」

 

 バゼットに気を取られ生まれた一瞬をついて、何発もの銃撃がマーダーを襲うが、しかしそれを見もせずに弾き返してみせる。

 

 それに生まれる銃撃の空隙。

 

 その隙を付いて、マーダーはバゼットの手を引き、近くにあった体育倉庫に身を隠した。

 埃が舞う様々な器具が無秩序に置かれた雑多な場所である。

 

「敵の場所はわかりましたか?」

 

 わずかに開けられた扉から外をうかがうマーダーにバゼットは尋ねる。

 

「かはは。殺気の方向的にあの校舎が怪しいと思うんだけど。どこにいるかまでは詳しくわかんねえな。バゼット、あんたの結界に反応は?」

 

「ありませんでした」

 

「クソッ、こりゃ確定だな。奴さん、隠蔽の術かなにか使ってやがる」

 

「ということはアサシンでしょうか」

 

「どうだかな。使ってる武装が狙撃銃ならまだ話はわかるんだけどな。撃ってきたのは拳銃だぜ?まだ、アーチャーのほうが説得力ある」

 

「どうしてわかるのです?」

 

 油断なく外に目をやり敵を探すマーダーは無言でバゼットに手の中に握られたそれを差しだす。

 鈍色に輝く弾丸。

 

 拳銃弾である。

 狙撃銃に使われるものよりも遥かに小さく、殺傷性よりもあくまで敵を行動不能にするための、マンストッピングパワーを重視したものだと容易に知れた。

 

「つっても、俺の耐久じゃ一発貰っただけでおしまいだけどな」

 

 かはは、とマーダーはおどけたように笑うと一転真面目な表情になってバゼットに向き直った。

 

「さてどうする?一度逃げはしたがあの程度の銃撃、敵が見えなくたって俺は捌ける。ここで殺るっていうなら俺が盾になれば無傷で敵がいるだろう、校舎までたどり着けるが、しかし敵の狙いが偵察なら逃げられちまうぜ?敵の手の内もわかったし、挑発を無視できないっつう行動パターンも読めた。ここからはバゼットの判断に従う」

 

「逃げろということですか?」

 

「それも選択肢のひとつって話なだけだ」

 

 バゼットは少しだけ考えると、ややあって口を開いた。

 

「ふむ。どうやら、マーダー。貴方はまだ私のことを過小評価しているようです。ここらで、貴方のマスターの力量を示しておいたほうが良いでしょう」

 

「――――――」

 

「私に策があります。それは―――」

 

 バゼットの考える策を聞くと、マーダーは獰猛に、そして凶悪に笑う。

 

「かはは――――――傑作だぜ。こんな作戦思いつくなんて、あんた頭おかしいんじゃねえの?」

 

「貴方ほどではありませんよ、マーダー」

 

 マーダーの褒め言葉にバゼットはすげなく答えると、両の手を覆う硬化のルーンが刻まれた手袋をしっかりと付け直し立ち上がった。

 

「さぁ、作戦を始めましょうか」

 

 簡潔にそう言うと、ふたりは潜んでいた体育倉庫から飛び出した。

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