8,
理想を語れ。そうすれば、現実を見なくてすむ
◆◇◆◇◆
衛宮士郎には親がいない。
と、言うのは半分嘘で半分本当だ。
十年前に大火災の際に、士郎の親は死んだ。しかし、それまではいたはずだ―――その記憶は衛宮士郎に無かったが、薄ぼんやりと温かい家庭だったことは朧気に感じていた。
―――だから、半分嘘で半分本当。
大火災にあった士郎は衛宮切嗣というくたびれた雰囲気の男に助けられた。
衛宮士郎が、衛宮という性を名乗るのは彼の養子になったからである。
養父、衛宮切嗣。
それがこの十年の―――つまりは士郎の記憶する限りでの親だった。
しかし、彼はすでに五年前で他界している。
もはや、いなくなって久しい養父の姿を細部まで思い出せなくなって久しい。
―――だから、半分嘘で本分本当。
彼の記憶では、実際の両親は存在していない。
十年前に助けられた衛宮切嗣その人が、士郎の父であり母であり養父であり―――そして、親だった。
―――だから、衛宮士郎に親がいないというのは、三重の意味で半分の意味で嘘であり、半分の意義で本当だった。
だからといって、士郎が自分の境遇に悲観してなどいなかった。
むしろ。
むしろ―――助かってしまって申し訳ないと思う。
心苦しいとさえ思う。
心底、申し訳ないと―――
あの大火災。
誰もが逃げ惑い―――そして、死んでいったこの世の地獄とさえ思ったあそこで。
衛宮士郎だけが生き残った。
それは衛宮切嗣に出会えた幸運に喜ぶべきなのか、大火災に巻き込まれたことに憤るべきなのか―――はたまた、助かってしまったことを後悔するべきなのか―――士郎はわからない。
だが、しかし。
大火災以前の彼を知るものがいたとしたのなら―――そんなものは全てとうに灰になっているのだけど、それでももしもの話だ―――衛宮士郎が別人のようになったというのは間違いないことだろう。
きっと、彼はそう。
あの時に、狂ってしまったに違いないのだから。
◆◆◆
「衛宮士郎、お前は自分が異常だという自覚を持ったほうがいい」
「………………」
「可怪しい犯しい―――異常者なのだと。そう自覚したほうがいいだろう」
小高い丘にある冬木唯一の協会で。
神父であると名乗った言峰綺礼という男に士郎は罵られていた。
どんな冗談だと思う。もう少し言い様があるだろうとも感じる。
しかし、士郎は黙ってその言葉を甘受した。
それは別に綺礼の言葉に感じ入っていたわけではない。当然だ。
士郎はマゾではない。仮にそうだとしても、お前は異常者だと指差し言われて怒らないわけではないのだ。
「貴様の偽善者っぷりには呆れを通り越して感動を覚える。その身勝手で自己満足な正義感はいったいどこから来るのか、私は貴様の頭をかち割って調べてみたいよ」
「………………」
………いや、本当に。
誓って、マゾなんかじゃない。
―――じゃないってば。
他人のためなら自分の身命を削ってまでその身を費やす彼が、マゾかどうかの議論は尽きることが無いと思うが、ともかく。
綺礼が士郎を罵っているのは別にそういう嗜好だからではない。
二度もサーヴァントに殺されかけてなお、聖杯戦争に参加しようとする士郎を説得しているだけだった。なぜか、その事実を詳細に知っていた凛からの説教混じりの責め苦も合わせてである。
「………衛宮くん。わかってると思うけど、この聖杯戦争は殺し合いなの。また命を落とすとも限らないのよ?」
「―――ん? あぁ、よくわかってるさ。だからこそ、参加するんだ」
理不尽だとは、感じる。
凛のような若くか弱い少女が戦いに参加しているのに、なぜ自分はダメなのかと。
しかし、目の前の少女が見て通りの力量でないことを、士郎はとうに知っていた。
士郎は凛の協力もあって、アーチャーとセイバーの一触即発の事態をどうにか回避すると、この冬木協会に辿り着くまで、道すがら凛に聖杯戦争の手ほどきを受けていた。
その間、魔術師として基本の基の字もできていない士郎に凛が心底呆れると、士郎の持つ魔術知識のことごとくを論破され、あげつらわれ、終いにはため息をつかれた。
その間、大の青年が同い年の少女にバカにされ、顔を赤く染めるなどという事件もあったのだが―――そんな描写など百害あって一利なしだろう―――もしかしたら、それを好む趣向の方もいるかもしれないが、ともかく。
凛が及ぶまでもない一流の魔術師であることは否定しようのない事実であった。そして、彼女が説く、未熟な士郎が聖杯戦争に挑む危険性も、また同様に。
それがわかってもなお、士郎は決意固くその言葉を取り下げようとはしない。
ただ、そんな士郎にもひとつだけ悩んでいることがあった。
―――セイバーの件である。
アーチャーに敵意を燃やす彼との約束では協会での士郎に対する聖杯戦争の説明が終わったら、すぐさま戦うことを決められていた。
いやこの場合は、決めつけられていた、という方が正しいだろう。
士郎としては彼らと戦う気など無いのだから。
どうにか、戦闘を回避できないかと頭を捻る。しかし、答えは出ようのも出なかった。
「人の考えからずれ、人の世から外れ―――それでも機械のごとく善良な一般人を装うその姿は驚嘆に値するぞ、衛宮士郎」
「………ちょっと、綺礼。黙って聞いていれば、アンタ。口が過ぎるんじゃないの?」
「なんだ、凛。そこの男にでも惚れたか。やめておけ、ソレは自分を顧みないただひたすらに他者の願望を叶え続ける機械のごとき男だ」
「なっ―――!ち、違うわよ!」
と。
横で綺礼の士郎への暴言に食って掛かる凛を盗み見る。
どうにも彼の代わりに怒っているらしいが、しかしそれは余計なお節介と言うべきものだろう。
なぜなら、士郎にとって綺礼の言葉はつまらない授業をする教師の言葉にも等しいのだから。
わかりきっている―――意味のないことを話されるほど、つまらないものなど無いのだから。
意義のないこと。
もし、昨日までの士郎だったら激高してただろうその言葉は、しかし今の士郎には馬の耳に念仏である。
自分が異常者であることは。
あの殺人鬼に相対した時にとうにわかっていたことだ―――
人を殺すのが当たり前だと豪語した少年。
凛や綺礼の言葉を用いれば、サーヴァントのひとりなのだろう彼の言葉を、士郎はすんなりと受け入れた。
殺人鬼だと言われるまでもなく―――実際に人を殺したという証拠すらなく、理解した。
それは多分きっと。
彼と士郎が似通った存在だったからに違いなくて。
それはつまり結局のところ、士郎はあの殺人鬼と同じ異常者だと―――
と。
そんなことを考えている間に、綺礼の説明という名の罵倒は終わっていたらしい。どうにも、言い負かされたようで不貞腐れた凛の姿も目に入った。
「それでどうする、衛宮士郎。聖杯戦争を棄権するという手段もあるのだぞ」
「―――つまり、この聖杯戦争には関係ない人を巻き込むやつもいるんだな?」
「………そうなるな。過去、実際にそのような輩もいたことは否定しようのない事実だ」
我が意を得たりとばかりに綺礼は邪悪に笑い、凛は士郎の言いたいことを理解し、頭を抱えた。
とどのつまり、士郎にとって重要なのはその点だけだ。
正義の味方を目指す彼にとって、『悪』がいる聖杯戦争を辞退し安全圏に逃げるという手段はないも同然。さらに言えば止めるだけの手立ても存在する。
セイバー。
最優のサーヴァント。
士郎が手も足も出なかった敵を鎧袖一触とばかりに跳ねのけた彼。
彼の力を借りられればこの戦いを被害を出さずに終わらせることだって出来るはずだ、と士郎は確信していた。
だとしたら―――
「俺は辞退なんかしない―――この聖杯戦争を必ず止めてみせる」
士郎の宣言に綺礼はより一層笑みを鋭くする。
「よろしい。今まさに、お前はマスターとなった。求めよさらば与えられん。聖杯はお前の願望に相応しい敵を授けるだろう―――良かったな、衛宮士郎。貴様の願いはようやく叶う」
「………………」
こうして。
衛宮士郎は正式にセイバーのマスターになった。
そして、七人七騎の全てが揃った。
それは取りも直さず、この歪な聖杯戦争の幕開けを示していた。
◆◇◆◇◆
「あーッ!もう信じられない!」
冬木協会を後にして、月明かりを背に前を歩く士郎の背中を見ながら、凛は誰かれ構わず毒づいた。暴れだしたい気分でさえあった。さすがに彼女の挟持がそれを許さなかったが。
凛が考えていたセイバーとの戦闘回避策は崩れ去っていた。
その策とは単純、ただ士郎の持つマスター権を放棄してもらうことである。
そうすれば、魔力供給を失ったセイバーは十全の力を発揮できず、アーチャーを倒せないと判断し、新しいマスターを確保する間時間が稼げると、凛は踏んでいた。
その考えはチョコレートよりも甘い考えとしか言いようがなかったが、凛にとってセイバーへの魔力供給さえ滞ってしまえばどうとでもなる話だと思っていた。
仮に不万全の状態で勝負を挑まれても、こちらは相手が力尽き失速するまで待つだけで良いわけで、アーチャーは見たところ防戦に強い。
となれば、単独行動スキルを持たず、概ねその優秀さから魔力消費量の多いセイバーを相手取るには、たったそれだけの一手で数段上手に立ちまわることが出来る。
さらに言えば、未熟とはいえ未来の敵候補であるマスターをひとり脱落に追い込める。
聖杯に選ばれるマスターが七人しかいない聖杯戦争において、これは大きい。
一石で二鳥を落とすだけでなく、その内一羽には首が拉げるほどの威力を持つ策だった。
しかし―――
「なぁんで、聖杯戦争に参加するのよ! 私の考えが台無しじゃない!?」
「なんで、俺が責められなきゃいけないのさ………」
「普通、あれだけ怖い思いしたら逃げ出したくなるでしょ! 殺されかけたのよ!? 冗談抜きで危なかったのよ、貴方」
「だからだろ。危ない戦いだから俺が参加するんだ」
「いや、本当にもう―――」
―――バカよ、バカ。大馬鹿者よ
たったひとつ、目の前にいる士郎の行動を読みきれなかったばかりに、凛の策は崩れ去った。
バカは理論で動かない。
そう凛は心のメモ帳に書き留めた。
「たっく………。わざわざ、危険を犯して衛宮くんを協会まで連れてきたのに、これじゃあ、ただの道化じゃない………」
「お、おい………そんなに落ち込むなよ、遠坂………―――そ、そうだ! 今『危険を犯して』って言ったけどどうして協会に行くことが危険なんだ?」
落ち込む凛にさすがに見かけたのか、士郎が話題の転換に入る。しかし、その手際は稚拙としか言いようがなかった。
呆れるように凛はため息をつき―――しかし、士郎の心ばかりの気遣いに乗ることにした。
「今みたいなことがあるからよ」
「今みたいって―――俺らのことか?」
「そう、右も左も分からないバカなマスターが姿を現すかもしれないでしょ? だから殆どのマスターは、協会の掲げる中立を犯さない程度に距離をおいて監視するのが定石なの」
「ふぅん。大変なんだな、マスターってのも」
「そうね。私は主に衛宮くんのせいで大変だわ」
「うっ………ご、ごめん、遠坂………」
今更ながらに藪蛇だったことに気がついたのか、士郎は頭を下げた。しかし、凛は筋違いだとその謝罪を切って捨てる。
「別に謝って貰うことでもないわ。遠坂は間桐、アインツベルンと並んで聖杯戦争における御三家に数えられる一門―――少し、聖杯戦争について調べたのなら、御三家からそれぞれひとりのマスターが聖杯に選ばれるのは簡単に知れることだわ。だから、私がマスターだと知られることは、別に大した問題じゃない―――むしろ、心配なのは貴方のほうよ、衛宮くん」
「俺?」
「そう。いかにも、未熟ですって顔をしながら、最優のサーヴァントであるセイバーを控えさせてるんだもの。いの一番に狙われてもおかしくないわ」
「へぇ、そうなのか」
「………………へぇって貴方分かってるの、今の状況が」
あまりの危機感のなさに見かねて忠告をしたというのに、士郎の気のない返事はどういうことか。
こめかみに手を当てながら、凛は問う。
その言葉に士郎は驚いたように目を開いた。
「なんだ、遠坂。もしかして、心配してくれてるのか?」
「なっ………! そ、そんなんじゃないわよ! ただ、私としては簡単に衛宮くんがやられてしまうと計算が狂うだけで―――べ、別に、貴方を心配してるわけじゃ無いんだからね!」
………………。
ツンデレだった。
しかも、本人は気がついていないというほぼテンプレじみたそれである。
使い古された形式であるが、しかしツンデレという言葉が存在しない未だ肌寒い冬の日のことだった。
閑話休題。
士郎は凛の言葉を額面通り受け取ったようで、わずかに苦笑した。
「まぁだけど、俺としても敵に知られるのは好都合だよ」
「どういうこと? 貴方まさか、死にたがりなんじゃないでしょうね?」
「まさか。俺だって死にたくはないさ。ただ―――戦って負けるよりも、戦えずに誰かが死ぬのを横から眺めるより遥かにマシだって、だけだよ」
「………………」
無辜な犠牲者を出さない。
それは、他者のためにその人生を捧げてもいいと感じる士郎が、唯一掲げる信念である。
そうなら、逆に敵に狙われる立場というのは望んでしかるものかも、しれなかった。
だが、しかし。
「………………」
その生き方はどうだろう。
と、凛は考える。
ただ悲しみに明け暮れる『見知らぬ何処かの誰か』のために戦う彼の理由は、どうだろう。
それは理想としては綺麗で美しいかもしれないが、しかし現実には自己を蔑ろにし、彼を心配する身近な人の気持を踏みにじるような―――ひどく気味の悪いもののように、凛には覚えた。
だが。
「………………まぁ、別にいいけど」
今この時は凛がそれを口にすることはなかった。
そこまでのお節介をする必要も感じなかったからである。
そしてなによりも―――
「しっかし、魔術って便利だよな。遠くはなれた場所も監視できるなんて」
「ええ、そうね」
―――目の前の少年に渦巻く妄執にも似たその信念を曲げることは出来ないと、確かに直感していたからだ。
「とはいえ、遠見の魔術なんて初歩中の初歩よ。使い魔を使えば誰だってできるし、その一門だって教えてるはずよ」
「そうなのか。爺さんはそういうのは教えてくれなかったからなぁ」
だから、凛は何も言わない。
それが後になって後悔するかどうかは―――おおよそ聖杯戦争終盤になったらわかることだった。
「楽しんでお喋りしてるところ悪いけどよ、俺との約束忘れてないよな、しろう」
と。
凛の思考を断ち切るように―――そして、士郎との会話を割るように、影からひとりの男が姿を現した。
―――最優のサーヴァント、セイバー。
上半身半裸の朴訥とした男である。
しかしその瞳は憎悪に染まって、キツく鋭い。
士郎はその威圧に一瞬たじろぐが、しかしすぐに持ち直した。
そして、なんともなしにその問に答える。
「もちろん。だから、今も移動中だろ」
「………なら、いいんだけどな」
―――そう、士郎と凛はサーヴァント同士が戦っても被害の出ない場所へ移動中だった。
セイバーは士郎への説明が終わったその場でアーチャーと戦うことを所望したのだが、協会は中立。それを乱すような戦いは監視役である言峰綺礼が許すはずもなく―――
セイバーとの約束を履行出来る戦場へと足を運んでいたのだった。
セイバーとの約束。
それはすなわち、アーチャーとの殺し合い。
それを果たすために。
………いや、本当にどうしてこうなってしまったのかと凛は頭を抱える。
もうここに至っては、たかが一流程度の魔術師である凛にはどうにもできないことだった。
サーヴァント同士の戦いには割って入れない。
それは学園で行われたアーチャーとマーダーの戦闘を見て、よく身に沁みていた。
しかし、だからといってこんなところで負けるわけにもいかない。
だからこそ、凛は士郎とのお喋りに興じながら、その歩みを少しづつ遅らせて、逆転の一手を思いつくまでの時間稼ぎをしていたのだが………
「………………」
どうやら、それもバレていたらしい。
と、凛はセイバーの圧力に目を伏せながら観念する。
とすれば、凛がとれる戦法は大して多くない。
そも、アーチャーはすでに一度宝具を使用し、消耗している。思っていた以上に負担の少ない、燃費の良い宝具だったようだが、しかし消耗は消耗。このまま、連戦と行くにはすこしばかり心もとない。
多重に編まれた魔術結界がある本拠地に篭もるか、逃走しながらの遊撃か………。
凛はそのどちらの作戦も満たす立地を検索し、戦場を策定していた。
と、その時である。
「………………」
ふと、セイバーが足を止めた。
ジリッと地面を擦る音がする。それはセイバーが構えた際に生じる合図。
それに凛は慌てた。セイバーが痺れを切らしたのだと思ったのである。
未だ、士郎と凛がいるのは住宅街の只中である。こんなところで戦ったら、いったいどれほどの人に見られるかわかったものではない。
それに加え、凛の根拠地である遠坂邸はほど遠い。そこまでの撤退戦はさすがに分の悪い賭けだと言わざる得なかった。
「ちょ、ちょっと、待ちなさい! こんなところで殺り合う気!? もう少し、静かでひと目の付かない場所で―――」
「少し静かにしろ、アーチャーのマスター。音が、聞こえねえだろ」
「――――――」
セイバーの言葉に凛は押し黙った。士郎も緊張した面持ちで自身のサーヴァントを眺めている。
セイバーはぴくりとも動かない。
その姿はまるで獲物を前に神経を尖らせる肉食獣のようで―――そして、持ち主が振るうのを待つ刀のようでもあった。
そして―――
「こんばんわ、お兄ちゃん」
白い悪魔が―――イリヤスフィール・フォン・アインツベルンが、現れた。
説明しようッ!
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンはホムンクルスである!
彼女を
イリヤはアインツベルンの勝利のため、自身がこの世に存在した痕跡を残すため―――そして十年前に裏切った衛宮切嗣に復讐するため、聖杯戦争を戦いぬくのだ!
伝説はここから始まったッ!!
わーるーふーざーけー