「なっ…うわあああ!!」
そろそろ暑くなり始めた季節。
リビングで、土佐の絶叫が部屋へと響き渡る。
「土佐、どうしたんだ!?お前がそんな悲鳴って…」
怯えた表情の土佐。こんなに怯えた彼女は見たことがなかった。
その視線の先には一体何が…
「うわっ、ゴキブリだ…去年は見かけなかったのにな…」
黒光りする、みんなが嫌いなアレがそこにいた。
壁に張り付いてじっとしているが、いつも動き出すかわからない。
「殺虫剤殺虫剤…おい土佐、いくら何でも剣は危ないから辞めろ!!」
怯えきった土佐は腰の剣に手をかけて震えていた。
しかし、壁に視線を向けようとはしない。どうやら絶対に目に入れたくないらしい。
「…殺虫剤あった!土佐、下がってろ!」
スプレー式の殺虫剤を壁に吹き付けると、対象は素早い逃げ足で移動する。
しかもあろうことか、こちらへ向かってくるではないか。
「ああああ!さっさと処理しろ貴様!でなければ私が斬る!!」
「だから剣は辞めろって!早まるな土佐!!…あっ、止まったか?」
ゴキブリは俺と土佐の元へたどり着く前に仰向けになって動かなくなった。
殺虫剤はちゃんと命中していたらしい。
割り箸とティッシュ、ビニール袋で事後処理をして、ほっと一息をつく。
「休日早々、見たくないもの見ちゃったな…最近見なかったのに。1匹いれば30匹いる、なんて言われてるだけに先が思いやられるよ」
「おい土佐、終わったぞ?とにかく剣の柄から手を離してくれ、危ないし…」
土佐はまだその場から動けないらしい。
しかし以外である。彼女が虫を見てあんな悲鳴をあげるなど予想外だった。戦場で揉まれた戦艦らしいし、怖いもの知らずだと思っていたのだが。
「土佐、虫苦手なんだな?何というか…久しぶりに抜けたお前を見た気がするな」
土佐が帰ってきてから、(主に異世界からの)来客の頻度が増えたために2人きりの休日も久しぶりである。
彼女自身も家事でポカををやらかす頻度も減ってきており、来客中は土佐も気を引き締めるのかあまり問題は起きないのだ(来客のキャラが濃いために、土佐がツッコミに回らざるをえないところはある…のかもしれない)。
今回のような、堅物の彼女とのギャップを微笑ましく感じたのもいつぶりだろうか。
「貴様が掃除を怠るからだろう!?それに私が虫けら程度に苦手意識などあるわけ…」
「うわっ、またゴキブリだ!さっきよりデカくないか!?」
「何だと!?どこだ!ううっ…早く処理を…」
「…やっぱり虫ダメそうじゃないか土佐。ああ、2匹目のゴキブリはいないから安心しろ、今のは嘘だから」
悪戯心が働いて土佐にカマをかけてみたが、虫嫌いは本当らしい。
「貴様…最近は特に怒るようなこともなかったが、久しぶりに斬られたいらしい」
「悪かったって!!近頃はこうやってからかうことも減ってたからさ…それと、ゴキブリを見て笑顔になるやつなんていないし、お前に限った話じゃないから気にしなくていいんじゃないか?」
ゴキブリが好きな奴なんてそうそういないとは思う。
逆にゴキブリが現れたときに喜ぶ奴の方が珍しいし、異質だろう。
「貴様に私の情けない声を聞かれたのがどうにも癪に障る…。ゴキブリだろうが虫けらは虫けらだ。私がその程度で悲鳴をあげたなど…」
耳と尻尾が垂れて落ち込む土佐。そこまで落ち込まなくてもいいと思うが…
苦手なものなど誰にでもあって当然なんだし。…ちなみにだが、土佐は他の虫への苦手意識はあるのだろうか?
「ゴキブリは仕方ないとして…他の虫は大丈夫なのか?ほら、カブトムシとかカマキリとか色々いるだろ?」
「あ、当たり前だろう!さっきのは奇襲を受けたようなものだ!!他の虫けらは私の相手にもならん!!」
どこか焦っているようにも見える。こいつ、やはり虫が全体的に無理なのでは?仮にも狐なんだから、虫は自分たちの…いや、彼女は戦艦だから狐では無いのか。ちゃんとした耳と尻尾があるし、俺は狐だと思ってるけど。
「…なんだその目は!信用していないな!?いいだろう、ならば証明してやる!先程の悪質な冗談のツケだ、財布を借りていくぞ!!あとは夜の予定も空けておけ!!」
「待て待て待て、何を買いに行く気だよ!?おい土佐!!」
土佐は俺の制止も聞かずに、机に置いていた俺の財布を手に出ていってしまった。一体何を買ってくるつもりだろうか。
彼女はここに来てしばらく経ち、俺が仕事の日には1人で買い物に出ることも当たり前になった。勝手な散財をするような奴では無いことはわかっているが、今回ばかりはわからない。しかも夜の予定も空けろって…
こうなったからには、土佐の帰りを待つしかない。
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ガチャッ!
どうやら土佐が帰ってきたらしい。一体何を買ってきたのやら。
「やっと帰ってきた、何を買いに…ぷっ!!」
「何故笑う!?何もおかしくなどないだろう!?」
思わず笑ってしまったのは、土佐の買い物の品が予想外だったことと、買い物の品と彼女自身の立ち姿との親和性がありすぎたためである。
外出の時にはいつぞや購入した麦わら帽子を好んで被っていく土佐。今日も勢いで外に出ていった割にはしっかりと身につけていったらしい。
そして、その両腕に今握られているのは「虫網」と「虫かご」であった。
ふと笑いが出てしまったのは、その格好が似合っていないからではなくむしろ逆。
似合いすぎである。
帽子を被って、網とカゴを装備したやる気満々の狐。しかし、この狐はゴキブリに悲鳴を上げていたわけだから、そのギャップもまた面白いところだ。
夜の予定を空けておけ、と言われた理由も何となくわかった。
「夜の予定は…昆虫採集ってところか、土佐さんよ?」
「貴様に…私が虫けら程度で怖気づかないところを見せてやる必要があるからな!」
虫嫌いを認めたくないとはいえ、実際に虫取りに赴こうとするあたりがこの狐の面白いところである。俺の家の周辺に虫取りに適したポイントがなかったらどうしたのだろうか。幸いこの辺りは大した都会でもないので、少し車を走らせればそれらしいポイントには行けるはずだが。
「虫取りなんていつぶりだろうな…いいぞ、面白そうだし付き合うよ」
土佐の勢いだけの行動はともかく、夜に虫を取りに行くなど小学生の時以来だろうか。カブトムシやクワガタを捕まえる…多くの少年男子達が1度は通る道、ロマンである。
今は夏のはじめぐらいで、季節としてもピッタリだ。懐かしさに加え、奥底に眠っていた童心を擽られて今からワクワクしてくる。
「行くからにはやっぱり、カブトムシとかクワガタあたりのかっこいいのを見つけたいところだな。気合い入ってきた!」
「…何故貴様がそこまでやる気に満ち溢れているのか知らんが、まあいいだろう」
どうやら、俺の気合いの入りようは土佐からすれば予想外だったらしい。
まあ、土佐に少年男子の頃のロマンは少し伝わらないかもしれない。
「じゃあ、俺も夜に向けて準備するか…!」
虫嫌いを認めたくない狐と、童心が蘇ってきた俺が赴く昆虫採集。
面白いことになりそうである。