ある休日の朝。
食パンを頬張りながら、土佐が俺にやりたいことを言ってきた。
「体を動かしたい?」
「そうだ。いつまでものんびりとした生活をする訳にもいかない。いつ母港に戻るかわからないからな」
「流石に家の中で暴れられても困るんだが…」
「私をどこまで馬鹿だと思っているんだ貴様は…外に出るに決まっているだろう?」
「あーすみませんって…で、外でどうやって体動かすんだよ?」
「主砲で狙撃する訳にもいかぬだろうし、剣技の鍛錬をする訳にも…」
「物騒すぎるし頼むからやめてくれ…」
土佐の世界では砲弾をぶちかましたり剣をぶんぶん振ることが日常だったのかもしれないが、こちらでそんなことをされると警察のお世話になりかねない。
しかし、体を動かしたいという彼女の要望は叶えてやりたい。
彼女は心身共に武人であるし、のんびりし続けることにもそろそろ疲れてきたのかもしれない。
「ランニングとかどうだ?少し歩いたところに堤防がある。そこで毎朝ランニングしてる人も多いからな」
ランニングという言葉に土佐の耳がぴくりと動く。
どうやら乗り気らしい。
「ランニング…走り込み、とな。まあいいだろう。鈍った体を温めるのには丁度いいかもしれんな」
「いい機会だし俺も便乗しようかな。この前の健康診断でも運動してくださいねって言われてるし」
「ふん、勝手にしろ。ただし、私は貴様の鈍足な走りに合わせるつもりはないからな。精々私の後をのろのろと付いてくるといい」
ニヤニヤと俺を置いていく宣言をする土佐である。
全く、彼女は何でも勝負事にしたがる節があって困りものだ。
しかし、ここまで言われると俺も黙っていられない。
「言ってくれるな?じゃあ俺がお前を置いて先にゴールできたら、何でも言うことを聞いてもらうからな!」
「面白い、どちらが上か思い知らせてやる!私が勝ったら貴様にも相応の事をしてもらおうか!」
「望むところだ!」
こうして、俺と土佐の勝負になったわけだが…
ランニングをするだけなのに速さの勝負をするのはおかしい、というような話は禁句である。
しかし、この狐の体力はどれほどなのだろうか?
車酔いでダウンするような彼女だが、本来は戦うための存在だと豪語しているのだ。その真の実力を見ることができるかもしれない。
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「…というわけで堤防に来たわけだが」
「私の準備運動はもう済んだぞ?貴様の方を待ってやっているのだ」
こちらを見ながら体を伸ばしている土佐。
今日の土佐はジャージ姿で、頭には俺が使っていなかったスポーツキャップを被っている。
垂れた耳が少しはみ出ているが、まあランニングをしていたら気にされることもないだろう。
俺の方もウォーミングアップは済んでいる。
ランニングコースは往復で3キロ程度。初日なのでまあこんなものでいいだろう。
「じゃあスタートするか!とりあえず自分のペースで、だな」
「その程度の心構えなら負ける気がせんな。じゃあ、先に行っているぞ」
そう言い残すと土佐はスタートから飛び出して行く。
序盤からかなりハイペースで、どうやら俺を置き去りにするつもりらしい。
不意をつかれてしまったが俺も土佐の後を追う。
俺もしばらくは運動はしてなかったとはいえ、全くの運動音痴という訳でもない。まずは土佐の後ろについて行くことにする。
数分走ると、土佐の背中が見えてきた。
序盤より少しペースダウンしているように見える(それにしても普通のランナーと比べるとかなり早いペースだが)。流石に最初のスピードを最後まで維持するのはキツいのか。そのあたりはリアリストな土佐である。
(あいつ、俺が後ろにいるの気づいてんのかな…?)
狐なのだから俺の足音には気づいていそうだが、俺との差を広げたりする気はないらしい。自分の走りに集中しているのだろうか。
そのまま土佐との距離の差はそのままで1キロ程度は走ったか…
俺の息も少しずつ上がり始める。土佐の方からは息切れの声も聞こえない。やはり戦艦の彼女のスタミナは無尽蔵なのか。
おっと、そんな中でそろそろ折り返し地点にやってきた。
目印となる建物は事前に土佐に教えてあるので、土佐が振り返って俺とすれ違うことになるだろう。
さて、どんな顔でこちらを見てくるのか。
不敵に笑って去っていくのか?それとも無表情なのか?
そんなことを考えているうちに土佐が目印の建物に到達。
ぐるっと回ってこちらの方へ向かって…
こない。
(おいおい、あいつ目印の所通り過ぎたぞ…まさか俺の体力切れを狙ってわざと!?)
いや、そんなことはないだろう。
負けず嫌いな彼女であるが、あくまでフェアな勝負で勝つことは非常に大切にしている。勝手にコースを変更するなどありえない話だ。
では考えられる可能性は…?
「土佐の奴、走るのに夢中で周り見えてねぇ!!」
まずい。このままでは彼女の方向音痴も相まって何処まで行くか分からない。
何とか追いついて彼女に一声かけなければ。
「うおおおお!土佐ァ!止まれェ!!」
自分でもどこから絞り出しているのかもわからない力で土佐を全力疾走で追う。あと20メートル…10メートル…5メートル…!
土佐の方はまだ気づかない。もう前しか見えていないらしい。
「一旦止まれ土佐!!もうとっくに折り返し地点過ぎてんだよ!!」
1メートルも無いところ…ようやく土佐が振り向いた。
「貴様、うるさいぞ!!こっちは走るのに集中して…」
ようやく土佐が足を止める。
彼女は息一つ切らせておらず、ストップをかけた俺にため息をつく。
「そんなに走れるならば最初からそのペースで私に並走すればいいんだ全く…で、何でわざわざ私にストップまでかけた?」
「マジで聞こえてなかったのかお前…とっくに折り返し地点は…あれ?やばい、急に止まったから目眩が…」
無理な力を出したために、体を止めた途端に筋肉が悲鳴を上げ始める。
まともにたっていられず、堤防の草むらに倒れ込んでしまった。
「所詮はこの程度か…今回の勝負は私の圧勝だな?」
「はあ…はあ…ルート無視はアンフェアじゃないか土佐…?」
「ルート無視とな?…しまった!折り返し地点…頭から抜けていたな…」
土佐は自分の手で自分の頭を軽く小突く。
俺から目をそらす土佐だが、全く息切れをしていないところを見ると真っ当に勝負しても俺が負けていただろう。
完敗だ。流石に戦艦はスタミナが違う。
「まあ、俺の負けでいいや。加賀型戦艦は伊達じゃない、か。勝負は勝負だし相応のことしなきゃダメだが…体が落ち着くまで待ってくれると助かる、暫く動けそうにないからな」
「…私が勝つことは目に見えていたが、熱が入ると周りが見えなくなるのは私の悪い癖だ。…今はゆっくり休むがいい」
土佐からペットボトルに入った水を投げ渡される。
なんだ、いいところあるじゃないか。俺はペットボトルの水を頭からかけた後に一気飲みする。
「土佐がもし戦艦じゃなかったら、いいスポーツ選手になれるかもな」
「ふん、何事でも私は強者だからな。フネであろうがそれは変わらん」
やはり彼女はいろんな面で俺より強いのだろう。
抜けている彼女を見るのも面白いが、今日のような一面を見るとかっこよく見える。
太陽を背に立つ土佐は、まさしく「強者」であった。
相応のこと…の話を落ち着いてから持ち出すと、「今日は私にも非がある、水に流してやる」と言われたために不問になった。
何処までも正々堂々とした、勇ましい艦船である。