虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 ~刹那の奇跡を紡いで~ 作:関崎比呂
関崎比呂と申します。
人気タイトルの二次創作ということで正直かなり緊張していますが、楽しんで読んでいただけたら幸いです!
よろしくお願いします!
第一話 彼の違和感と彼女のトキメキ
『私、スクールアイドルをやってみたいです! やりたいんです!』
そう……彼女に堂々と宣言された日のことを、俺はこの先もきっと忘れないだろう。
人前に立って目立つようなことが得意ではない彼女が――。
人に本音を打ち明けられず、一人でなんでも背負ってしまう彼女が――。
両親の期待に応えるために、やりたいこと、好きなことを堂々と好きだと言えずにいた彼女が――。
あの日、初めて真剣な表情で口にした自分のやりたいこと。自分の気持ち。
それが……アイドル。スクールアイドル。
学生でありながらアマチュアのアイドルとして活動する少女たちの名称……。
彼女からそう宣言された当時の俺は、アイドルに対して特別な感情を抱いているわけではなかった。
もちろん良い曲は無意識に口ずさむときもあれば、その曲を歌うアイドルのことを軽く調べることもある。
とはいえ、それ以上はなにかするわけではない。ライブに行ったり、CDを買ったりすることもない。それこそ人並み程度の関心と同じレベルだろう。
しかし。
スクールアイドルに真剣に取り組む彼女の姿を――。
好きなことに真っすぐ向き合っている彼女の姿を――。
人の目を惹きつける彼女のダンスを、歌を――。
俺は、誰よりも近くで見てきた。誰よりも近くで彼女が成長する姿を見てきた。
そして、アイドルという存在の強さを……輝きを、魅力を知った。
だからこそ……俺は決めたんだ。
彼女がこれからも真っすぐ走れるように。
彼女が自分の『大好き』を捨てることがないように。
彼女が彼女らしく、自分の道を突き進めるように。
俺なりに彼女を支えよう……と。
その想いは……今も、この先も、きっと変わらない。
俺は今ここに、強く願う。
「
× × ×
春が終わり、もうすぐ夏へと差し掛かる季節。
四月に入学してきた高校一年生たちはようやく学校に慣れ始める時期だろう。
今まで暖かかった日差しが気が付けば暑い感じるようになってきた中で……俺、
夏というと、学生の頃なんかは『夏だ! 衣替えだ! 薄着女子だ!』なんて、思春期真っ盛りで夏を楽しんでいたが、今はそんな熱い気持ちはどこにもない。
あるのは『うわ、夏だ……。だるい暑い……。帰りたい……』のみである。
しかし、帰るなんてことはもちろん許されないのである。
社会人って辛いなぁ……。もう一度若かりしあの青春時代に戻り……たいとは別に思わないな、うん。それはそれで楽しいだろうけど絶対に面倒くさい。
まぁでも、たしかに夏は暑いしだるいけど……冬よりは断然夏の方が好きだ。
なぜならば、暑さは薄着にしたり色々対策したりで回避できるけど、寒さはもうどうしようもない。暖房が効いた部屋でうずくまっているしかないのだから。
それに、冬はなんといっても雪が最も面倒だ。
雪は降るだけでは飽き足らずそのまま積もりやがる。
そのせいで交通機関に甚大な影響を与え、それはつまり毎朝の出勤も大変になってしまうことで……。
……。
……出勤のことをすぐに心配するなんて、なんて俺は優秀な社会人なのだろう。社畜バンザイ。社会の歯車バンザイ。
なんて、少し泣きそうな気持ちになっているとようやく職場が見えてきた。
さて……と。今日も頑張りますか!
気合を入れたとき――。
「
「おはようございまーす!」
俺に向かって投げかけられた、制服を着た女子の元気な声。
彼女たちは俺に向かって挨拶をすると、そのまま
「おう、おはようさん」
若い子は朝から元気だなぁ……と、しみじみ思いながら挨拶を返す。
元気な挨拶は良いものだ。挨拶されたこっちも元気になれる。
やっぱり挨拶は大事だな、うん。
俺も若い子に負けないように――。
「とっなみーん! おっはよー!!!」
「ぐぇっ」
ドカン!!! と背中になにかがぶつけられたと同時に、俺の口からカエルみたいな声が発せられた。
その強い衝撃で俺は前のめりになり、転びそうなところをなんとか踏ん張って耐える。
あっぶな……生徒たちの前で恥をさらすところだった……。さすが俺。
って、そうじゃない!
俺は勢いよく振り返り、俺に鞄をぶつけた問題児へと詰め寄る。
俺にこんなことをしてくるのは……コイツしかいない。
「おい、宮下。俺とお前は友達じゃなくて先生と生徒……分かるか?」
「あははっ、いいじゃんいいじゃん。女子高生に叩いてもらえるなんて嬉しいっしょ?」
「んなわけあるか! 周りに他のやついるのに勝手なこと言うのやめてくれる?」
金髪ポニーテールを揺らして陽気に笑う女子生徒。
情報処理学科所属、二年
派手な髪色に、ブラウスはしっかりボタンを留めずに大きく開いた胸元、短いスカートに、腰にはカーディガンを巻いている。
そして……とんでもないコミュニケーション能力の持ち主。
そう。
今時のギャルである。
そこだけ聞けば宮下は『問題児』というイメージを強く持たれるだろう。
しかし……だ。この宮下愛という少女はそれだけでは留まらない。
成績優秀、運動神経抜群、周りの生徒たちからの信頼も厚い。
……分かるだろうか?
こいつは……宮下愛は、現代が生んだ最強のハイスペックギャルなのである。
問題児どころか……かなりの優等生なのだ。
「そんな細かいことばっか気にしてたら、となみん老けちゃうよ?」
「おいやめろ。俺まだ若いから。二十五だから」
「てことは、アタシとの年の差は……」
「それ以上はやめてください。現実を思い知らされます」
笑顔を浮かべて楽しそうな宮下。
こいつは誰に対しても明るく気さくに接している。それ故に友人がかなり多い。
そのうち『人類みな友達』とか言い出しそうで怖いし、それを本当に実現させそうだからもっと怖い。
そして、宮下はきっと無意識で男を何人も落とすタイプだろう。
宮下にとっては普通の態度で接していたとしても、それが男子からしたら『あれ? こいつ俺のこと好きなんじゃね?』って思わせてしまうのだ。
良かった……共学じゃなくて。勘違い男子たちの悲しい涙を見なくて済む。
俺は相変わらずの宮下の態度にため息をついた。
「まぁいいやもう……。それにしても今日は登校早いな。なにかあったのか?」
「いやー、ちょっと課題を教室に忘れてちゃっててさー。朝のうちにパパっとやろうと思って」
「……お前それ教師の前で言っていいと思っているのか?」
「え? となみんだから別にいいっしょ?」
「なにその謎の信頼」
女子高生からそんな信頼されてとなみん嬉しい。
「はぁ……もう良いから早く行け。課題提出は忘れるなよ」
「はいはーい! じゃあまったねーとなみん!」
宮下は元気よく手を振りながら走り出す。
たしかに見た目はギャルだが成績は優秀だし、問題は起こしていないし、むしろめっちゃ良いヤツだし……。
俺たちもあまり言うに言えないのだ。
まぁ別に……やるべきことをちゃんとやっていて、周りに迷惑をかけなければなんでも良いと俺は思う。
さて……と。
「俺も行きますか」
俺は歩き出す。今日も一日社会の歯車になるために。
虹ヶ咲学園。
大きな建物、優れた環境設備、生徒数の多さ、その他においても都内で屈指の女子高である。
自分のやりたことができる環境、制服のデザイン、部活動の多さ――。
様々な理由からこの学園を受験する生徒は多い。
俺自身、虹ヶ先学園に着任が決まった当時それはもう驚いた。
まぁそんなこんなで。
この虹ヶ咲学園こそ――。
今年で四年目の国語教師、外波空の職場なのである。
× × ×
「よーしお前ら全員いるなー? 欠席者は手をあげろー」
「だから先生ー、休んでたら手はあげられないですって」
「うむ、ナイスツッコミ。いつもありがとう
朝、俺は教室に入るなりお決まりのボケをかます。
そのボケに毎回律義に反応してくれるのが、一番前の席に座る黒髪ツインテールの生徒、高咲
俺が去年から担任を受け持っているのが、普通科二年のこのクラスだ。
男で若手の教師ということで、最初はなめられたり馬鹿にされたりしないかすごく心配していたのだが……実際に担任を受け持ってみるとそんなことはなく……。
むしろノリが良い生徒が多い明るいクラスで、個人的に楽しく担任をやらせてもらっている。
「連絡事項はなし。前回の授業でも伝えた通り、今日の四時間目の国語で小テストをするからなー。一問でも間違えたやつは反省文五枚でよろしく!」
「先生それパワハラでーす」
「マジで? 最近の若者はこんな冗談で訴えるの?」
「外波先生の顔的に……懲役八年くらいだと思いまーす」
「え、顔だけで刑の重さ変わるの? 俺の顔の罪重すぎない? ……あっ、俺の顔がかっこよすぎて罪ってことか! 納得! ありがとうお前ら!」
『……』
素晴らしすぎる静寂。
「お前ら次のテスト絶対覚えてろよ」
俺の発言で教室内に笑いが起きる。
まぁ……こんな感じで、面白いやつらが集まっているのがこのクラスだ。
俺の扱いがひどすぎることが大きな難点だが……。おかしいな、どうしてみんな友達の如く俺に接してくるのだろうか……。
「それじゃ、今日も頑張れよー。ちゃんと授業受けるんだぞ! なにかあったら俺が怒られるんだからな! 頼むぞ!」
『なにそれー!』という明るい生徒たちの声とともに、教室内が休み時間特有のガヤガヤとした雰囲気に包まれる。
そんな雰囲気が、自分の学生時代と重なってなんとも懐かしい。
俺も高校生のときがあったな……。
さて……。
俺は最初の授業の準備があるから戻るとしよう。
今日も欠席者無し、問題ないな。
「よし……っと」
俺は出席簿を手に取ると、教卓から降りる。
最初の授業は一年生か……。たしか前回終わったところは……。
「あ、先生先生!」
「ん?」
教室から出ようとする俺を呼び止める声に足を止める。
背中越しに聞こえてきたその声は、高咲だろう。
「どうした高咲? それに上原も」
「あ、えっと……侑ちゃんが先生に聞きたいことがあるみたいで……」
ライトピンクのミディアムヘアに、右サイドにお団子を作るというなかなか特殊なヘアスタイルの少女。
恐らく高咲が最も仲が良い生徒だろう。
二人は幼馴染で、放課後も毎日のように出かけているようだ。
幼馴染……か。
こうして心を許し合える存在がいるのは、とても良いことだと思う。
「ほう? なんだ高咲。ちなみに俺に彼女はいないぞ」
「あ、それは別にどうでもいいんですけど」
……。泣ける。
いつもみたいに冗談みたいに返してくれればいいのに、なんでこういうときだけ素で否定するの?
「先生って、こう……ときめいた! とか、衝撃を受けた! とかそういう経験ありますか?」
「どうしたお前、昨日少女漫画でも読んだの? それか頭打ったか?」
「ひどいですよ!」
まぁでも、わざわざこうして聞いてくるということは……ちゃんと意味があるのだろう。
それにしても……ときめき……ねぇ。
ときめき……衝撃……魅了……ドキドキ……。
うーん……なかなかそんなことを――。
――『見てくださって、ありがとうございました!!!』
あっ。
「あるわ」
「ほんとですか!?」
「でも秘密」
「えぇー! 気になるよー!」と残念そうに声をあげる高咲を見て、俺は小さく微笑む。
「そういうのは自分で発見するからこそ、お前が言う『ときめき』を感じられるんだよ。人に教えてもらうものじゃない」
「うーん…」
もしかしたら高咲は、なにか刺激的な出会いや発見を求めているのかもしれない。
まぁたしかにその気持ちは分からないでもない。
なんとなく退屈だなぁ、刺激がほしいなぁ、なにか面白いことないかなぁ……と思うことは誰でもあるだろう。
しかし、なにを面白いと感じるか、なにを刺激的に感じるのかは人によって違うものだ。
例えば本だって、同じ本でも最高に面白いと感じる人もいれば、まったく面白いと感じない人がいる。
人生だってそんなものだ。同じものを同じくらいに同じレベルで物事を感じることなんてないのだから。
「いつもと同じように上原と出かけて、上原と遊んで……でもそこで『いつも通り』じゃない新しい発見があるかもしれないぞ。今日か明日か、一年後か……それはお前次第だけどな」
「いつも通りじゃない新しい発見……」
「刺激は受けようとするものじゃなくて、気が付けば受けているもの……ってことだ。分かったか?」
最初は俺の言葉を聞いて難しそうな表情を浮かべていた高咲だったが、なにかを理解できたのかパァっと明るい笑顔を浮かべた。
うんうん、なんとか理解できたようで良かった良かった。
「なんか……! 今の言葉先生みたいですね!」
「おい」
「ゆ、侑ちゃん……みたいじゃなくて、外波先生は先生だよ?」
「あ、そうだった……!」
俺たちは顔を見合わせて笑い合う。
まったく……こいつは俺をなんだと思っているんだ……。
でも俺は、こういう風に生徒たちとふざける時間は嫌いじゃない。
教師になって良かったと思える瞬間の一つだからだ。
さて。
そろそろ授業の準備をしないとマズいな。
「それじゃ高咲、上原。俺はもう行くぞ」
「あ、はい! ありがとうございました!」
……たしかにさっきの俺、先生っぽかったな。やるな外波空。
× × ×
――時間は飛んで放課後。
生徒たちが部活動や放課後の時間などを楽しんでいる中、俺は職員室で明日の授業の準備をしていた。
学校も多いとなれば、当然教員の数も多い。
となればもちろん、全教員が同じ場所で……というわけにはいかない。
専門分野ごとにそれぞれの職員室が設けられているのだ。
例えば、情報処理系の教員だったらその教員だけが使用する職員室……とかそういう感じである。
国語教師の俺の場合は、基礎科目である国語、数学、理科、社会、英語などの教員が使用する比較的広めの職員室を使用しているのだ。
「……よし」
俺はノートパソコンを閉じて、荷物を纏める。
時間は……よし、まだ間に合うな。
「あぁそういえば外波先生、今日用事あるんでしたっけ」
隣のデスクでカタカタとパソコンで作業をしていた女性が俺に話しかける。
彼女は俺の二つ年下の国語教師、
黒髪ロングで釣り目気味の整った表情、スーツをしっかり着こなした『The・出来るOL』を具現化したような容姿をしている。
俺と同様に大卒一年目で虹ヶ咲学園にやってきた彼女は、一応先輩の俺なんかより既に優秀なのではないかというレベルの人材で信頼も厚い。
クールな性格で普段の言動もとても丁寧で……俺が生きてきた中であまり関わったことがないタイプだ。
話を聞けば、どうやら有名なお嬢様大学を卒業しているらしいが……まぁそこは別に良いだろう。
「そうなんですよ。ちょっと絶対に外せない用事でして……」
俺は帰り支度を済ませながら返事をする。
日本社会に訓練された最強の社畜である俺は、普段ならば今もバリバリ仕事をしている。
小テストの準備や明日の授業の進め方、その他自分のクラス関係の仕事など……まだまだあるが、教師の仕事は結構多い。
さすがに今となってはある程度慣れたが、一年目とか本当に大変だった。
あんな大量の仕事を普通にこなしている先輩教師たちがみんな怪物に見えたほどだ。
俺も後輩教師からそう思ってもらえるように頑張っているが……なかなか上手くいかないのが現実である。
安藤先生に関しては最初こそ俺も色々教えていたが、今となっては俺よりも優秀疑惑があるくらいだ。むしろ先輩として俺がもっと頑張らないといけないということで……。
おっと、いかんいかん。そんな悲しいことを考えている暇はなかった。
「そうなんですね。お疲れさまでした、気を付けてお帰りくださいね」
いつものように淡々と言葉を口にする。
安藤先生は誰に対してもこのような接し方をするため、周りの先生もコミュニケーションに関しては少し困っているようだ。
確かに少し冷たい雰囲気はあるけど、性格は一切悪くないのに……。むしろ生徒のこともしっかり見ているし優しい先生なのだ。
それを理解してくれる人が少しでも増えてくれるといいけど……。
まぁ、こんなことは絶対に本人を前にして言えないのだが……。
「ありがとうございます。すみません、ではお先に失礼します。お疲れ様です」
俺は周りに聞こえるように声を張って挨拶をすると、職員室を後にする。
急げ急げ……!!
今日に関しては、絶対に外せない用事があるのだ。
俺は一度たりとも見逃したことがない。
今日の用事を――。
彼女の――。
× × ×
学校から少し離れた場所に超大型のショッピングセンター。
その名も『ダイバーシティ東京』。
学校帰りの高校生などを中心に毎日のように賑わっている建物だ。
その敷地内に造られているフェスティバル広場大階段――。
長く広いその階段は、ただ一般客が階段として利用するだけではなく、様々な催し物の舞台としても利用されている。
そして今――。
その大階段に一人の少女が立っていた。
「
俺は視線の先に立っている彼女を見てポツリと呟く。
少女を見ているのは俺だけではない。
女子高生も、一般客も……多くの人が彼女に視線を向けていた。
『きゃー! せつ菜ちゃーん!』
『せつ菜ちゃんかわいいー!』
黄色い声援を受けて彼女はステージに立つ。
しかし――。
「……おかしい」
優木せつ菜――。
アイドル衣装を身にまとい、小柄な体形から感じられないほど凛とした……堂々としたオーラを放っている。
彼女は、スクールアイドルとして活動している人気の女子の一人だ。
そして、彼女が所属する学校は――。
虹ヶ咲学園。
俺たちの……学園である。
俺は今日、優木せつ菜がこのステージに立つことを知っていた。
知っているからこそ……ここに来た。
正しくは――。
『あれ? 今日って新しいグループのお披露目じゃなかったっけ?』
観客の一人があげた疑問が耳に入る。
そう。
今日いまからここで開催されるイベントは、優木せつ菜を含めたスクールアイドルグループのお披露目ライブだったはずだ。
しかし、実際今ステージに立っているのは彼女一人。
だからこそ……おかしい。
『たしかにそういえば……そうだったよね』
『せつ菜ちゃんだけだよね……? どうしたんだろう?』
一人の呟きによって、観客全体に不安が走る。
「……」
それを――。
その不安を――。
優木せつ菜は、
「走り出した! 想いは強く――」
突然始まった曲の第一声で――。
払拭した。
『CHASE!』。
彼女の持ち歌の一つで、アップテンポかつ前向きな歌詞が特徴。
自分の決意、そして誰かを背中を押す想いが詰まった優木せつ菜らしい歌である。
この歌を聞いて元気づけられた、勇気が出たという声も多々あるくらいだ。
もちろん、良いのは曲や歌詞だけじゃない。
なによりもこの会場に響き渡る彼女の歌声が素晴らしいのだ。
自分のすべてを出すような歌い方が、みんなの心に強引に届かせる力強さが。
この歌声を聞いて優木せつ菜のファンになったという人もいいだろう。
不安そうな様子だった観客も、気が付けばそんなことを忘れて優木せつ菜の歌声に熱中している。
まるで今回のライブですべてを出し切るように歌っている彼女に惹かれている。
その歌で――。
そのパフォーマンスで――。
彼女は今この瞬間……ライブ会場を支配した。
彼女がすべての視線を釘付けにする。観客の目を、心を、すべてを奪う。
今だけは……この世界が優木せつ菜のものへと変わる。
圧巻。
そう……言えるだろう。
――しかし。
「……なんだよこれ」
グッと拳を握りしめる。
違うだろ――。
全然……違うだろ。
優木せつ菜のライブはこんなものじゃない。
初めてだった。
彼女のライブは何回も見ているのに――。
彼女の歌は何回も聞いているのに――。
こんなにも心に響かないライブは。
こんなにも見ていて悔しい気持ちが溢れるライブは。
こんなにも彼女らしくないライブは。
初めてだったのだ。
× × ×
ライブが……終わった。
『わー! すごい! すごかったよー!』
『ありがとうせつ菜ちゃーん!』
『次も楽しみにしてるね!!!』
拍手とともに、観客たちの声が響き渡る。
たしかにそう心の底から言えるくらい、圧巻のライブだった。
優木せつ菜の熱い想いが、強い叫びが……観客の心を鷲掴みにしたのだろう。
「……」
なにも言わず、優木せつ菜は観客に向かって頭を下げる。
……。
観客は興奮しているから気が付かないだろう。
しかし……俺は見逃さなかった。
彼女が頭を下げる寸前に――。
その頬に伝っていた
「お前……なにやってるんだよ……」
そんな俺の言葉は、観客の声にかき消されて誰にも届くことはない。