イルネティア沖海戦(前編)
───今よりも遥か昔、神々の時代、神代と呼ばれる時代。この世界は、2つの強大な国家によって支配されていた。
片や、その悪行が現代にまで伝わる国家、古代魔法帝国とも呼ばれる『ラヴァーナル帝国』。他の世界からの侵略者という説もあるかの国は、しかし世界の全てを支配することは長い間出来なかった。
何故か。その理由は先に述べた2つの国家、そのもう1つにある。
その国家は技術力もさることながら、
その存在の名は───
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〈中央歴1641年3月14日 第二文明圏外国 イルネティア王国〉
「戦う!」
「だ、駄目っ!」
第二文明圏の西方に位置する北海道程の面積を持つ島、イルネティア島。そこには文明圏外国であるイルネティア王国が存在している。
その王国の王都、キルクルスの郊外の家にて、2人の少女が
言い争う少女の片方は17歳ながら何処か子供っぽい雰囲気を残した背の低い人間だ。名をライカといい、王国建国以来初めて
彼女は今、もう片方の少女を必死に説得している最中だった。
そして、そのもう片方の少女。
背はライカはおろか来ている騎士達よりも高く、それでいて女性らしい、スタイルの良い少女だ。
腰まである長い白銀の髪。アメジスト色の美しい瞳に、エルフの様な長い耳とエルフ顔負けの白い肌。ここまではまだ、普通のエルフと変わらない。
違うのは、頭に髪をかき分けて生える2本の角、背に生える一対の翼、背中下部から尻、そこから伸びる1.5m程のこれまた美しい、白銀の鱗に覆われた尻尾。そして、今は髪に隠れている額に描かれた紋章。
そんな、竜人族よりも竜に近い身体をした彼女の名はイルクス。今はライカをこれまた説得している所だった。方向性は正反対だが。
さて、彼女らは一体何を言い争っているのか。それについて説明するにはまず現在の第二文明圏内外がおかれている状況から話さなければならない。
数年前、この世界の5つの大国、通称『列強国』の末席、レイフォルが滅亡した。それを行ったのは突如現れた国家、グラ・バルカス帝国。
帝国は第二文明圏全体に宣戦布告を行っており、毎日のように文明圏外国が1つ、また1つと滅亡していった。
そして今年1月、帝国は王国にも植民地化を要求。その時はなんとか回答を先送りに出来たが、今日再び訪れたのだ。
国王、イルティス13世は当然ながら拒否し、王国は戦争状態に突入した。しかし兵器の差は圧倒的であり、出撃したドイバ防衛艦隊はたった一隻を相手に全滅、王都に負けず劣らず活気に満ち溢れていた港湾都市ドイバも艦砲射撃を受けて灰燼に帰した。
事態を重く見た軍は竜騎士隊に出撃を命令。そのような状況で、風竜という強力な戦力を見逃す訳もなく、こうして戦闘に参加するよう要請に来ているのだった。
「こうしてる間にもグラ・バルカスの飛行機械が近付いて来てるんだ! 他のワイバーンや竜騎士達が戦っているのに自分だけ隠れているだなんて、そんなこと絶対に出来ないよ!!」
「うっ……で、でも貴女はまだ子供なのよ!? そんな子が殺戮の世界に入っていくのを許す訳にはいかないわ! 戦うなら私だけで十分よ!!」
「そ、それだけはぜったいにダメ!!! 相手の飛行機械はワイバーンよりも圧倒的に速い! いくらライカが上手くても勝てないよ!!!」
彼女は血相を変えてそう叫ぶ。
実際、グラ・バルカスの飛行機械───アンタレス型艦上戦闘機は最高時速550km。対してワイバーンはどう頑張っても時速230km程度が限界だ。如何にワイバーンがホバリング出来るといっても、如何に上手く乗りこなしても到底勝てる相手ではない。
「うう……」
「こうしてる間にも……ほら、どんどん近付いて来てる!」
イルクスが接近している敵機を
それに対しライカは反論材料が無くなったのか頭を抱える。
やがて、我慢出来なくなったイルクスが言い放った。
「そんなに止めるんだったらもういい! 僕だけでも力づくで行くよ!」
「なっ!? ま、待って!! 待ちなさい!!!」
押し通ろうとした彼女を慌てて止める。
「何!?」
「……空戦は二つの眼があった方が良いわ」
「そ、それじゃあ」
「ええ、私も行く! 装備を取ってくるから待ってて!!」
「まもなく王都キルクルスだ。万一にも落とされる事はないだろうが、火炎弾には当たるなよ? 塗装が溶けて整備士に怒鳴られたくなければな!」
『『『了解!』』』
島の森、その上空を複数の影が飛ぶ。
それはムー国などで見られる、基本的に航空戦力といえば飛竜であるこの世界では珍しい飛行機械であるが、今飛んでいるそれはムー国のそれよりも洗練された形をしており、翼には赤い丸に白の十字を刻んだマークが描かれている。
グラ・バルカス帝国、イルネティア侵攻艦隊所属のペガスス級航空母艦より発艦したアンタレス型艦上戦闘機とシリウス型艦上爆撃機からなる飛行編隊は、王都キルクルスを奇襲すべく向かっていた。
ここは敵地であり、本来ならば警戒すべき状況なのだが、この世界に転移してきてから軍は連戦連勝である為に皆気を抜いていた。
───だからこそ次の瞬間、隊長機の隣を飛んでいたアンタレスが謎の光線によって
「……は?」
彼が眼を見開く中、真っ二つにされたアンタレスは血とオイルを撒き散らしながらそれぞれ左右に落ちていく。
更に1機、また1機と何処からか放たれた光線によって貫かれ、切り裂かれ、落ちていく。
そして、その光線が上空から放たれているのだと気付いた直後。
「あ……?」
彼の視界は左右に分かれた。
編隊長が乗っていたシリウスは、
「ひっ、ひいいいい!!!?」
後ろで飛んでいたアンタレスのパイロット。マーズという彼は、目の前で切り裂かれた隊長機を見て間抜けな悲鳴を上げる。
「な、な、な、何なんだよぉ!?」
訳も分からずとにかく機体を蛇行させる。直後、元いた位置を光線が駆け抜けていく。
彼は偶然一命を取り留め、その代わり股間が温かくなった。
失禁した事で逆に冷静さを取り戻した彼は、敵の姿を探す。
そして、上空を高速で飛ぶ白色の
「鳥……いや、
なんとか捉えたそのシルエットは、事前に写真で見たワイバーンと色以外は似ていた。
しかし、それは有り得ない筈だった。事前に知らされていたワイバーンの速度は230km、レイフォルで戦ったというそれの上位個体は350kmだ。
だが、今見たそれは明らかにアンタレスを超えていた。
「かっ、簡単な任務じゃなかったのかよぉ!!!? あんなのっ、あんなの聞いてねぇぞ!!!」
『白いのが、白いのが追って───ギャアッ!!?』
『後ろに付かれた!! 助け』
『つっ、翼が! 翼がもがれた!!』
無線から味方の悲痛な声が聞こえてくる。
たった1騎。トカゲ1騎に栄光あるグラ・バルカス軍の航空機が翻弄され、撃墜されていく。
時折機銃が放たれるが、それらは軒並み避けられて逆に背後を取られ、また撃墜される。
「───っ!!! ヒィッ!!?」
そして、彼の機の背後にも。操縦桿を持つ彼の手は震え、股間からはとめどなく尿が流れていた。コックピットの中が濃いアンモニア臭で満たされる。
彼は恐怖と臭いで気絶しかけ、意識を失う直前に半ば本能的に脱出した。
「そんな……」
脱出し、我を取り戻してパラシュートを開いた彼が見たのは最後の1機───先程まで彼が乗っていたアンタレス───が縦に裂かれて撃墜される景色であった。
かくして、グラ・バルカス帝国海軍、イルネティア侵攻艦隊の空母より発艦したキルクルス攻撃隊計36機は、撃墜直前で脱出した1人を除いて全滅した。
「はあ……はあ……」
『うっ……ライカ、大丈夫?』
「うん……ごめん、ちょっと……大丈夫じゃない……」
攻撃隊を全機撃墜した白い竜───イルクスの背に乗るライカは、顔を蒼白にさせながら彼女の心配そうな
イルクスの種族は竜である。それもワイバーンや風竜などではなく、最早神話の中のみの存在となってしまった神竜だ。
流線型のシルエット、白銀の鱗に覆われた重厚感に満ちた肉体と不思議な形の翼、そして前肢。そんな形の竜。それが今のイルクスの姿だった。
彼女はアンタレスの実に2倍近くにも及ぶ速度を出し、それに加えて風竜と同じ様に魔法で防御されたライカの巧みな操縦により、瞬く間に36機もの敵機を撃墜せしめたのだ。
そして、そんな2人が気分を悪そうにしている理由だが……彼女の顔に付着している赤黒い液体を見ればなんとなく察するだろう。勿論、彼女らは一度たりとも被弾していない。これは敵の血だ。
いくら敵であれ、自分達が人を殺したという事実はまだ幼い彼女らにはあまりにも重かった。
『よ、ようやく追いつきましたが……まさか、これ程とは……』
『す、すげぇ……』
『流石ライカさんだ! 俺達に出来ないことを平然とやってのけるッ!!』
と、その時、鞍に取り付けられた魔信機からそんな声が聞こえてくる。
声の主は彼女よりも
「……イルクス、まだいける?」
『い、いけるけど……ライカは大丈夫なの?』
と、そこでライカがイルクスに尋ねる。それに彼女は逆に尋ねた。
「もう、大丈夫……」
彼女は息を無理矢理整えながら地平線の先を見据える。その瞳には、意志の炎が宿っていた。
こうして、後にグラ・バルカス帝国軍人達より“帝国臣民最大の敵”などと呼ばれるようになる、とある竜騎士の戦場伝説は始まったのだった。
〈イルネティア王国 港湾都市ドイバ沖〉
イルネティア王国海軍の戦列艦18隻による猛攻撃を苦にもせず耐え切り、返り討ちにし、港湾都市ドイバをも艦砲射撃にて灰燼に帰したグラ・バルカス帝国海軍最大の戦艦『グレードアトラスター』。
その艦橋にてレーダーを見つめていたレーダー員は、そこに映っている映像に呆気に取られていた。
「だ、第一次攻撃隊……全滅しました」
「……何?」
ようやく絞り出したその声に、艦長のラクスタルが反応する。
「何かの間違いだろう。この国の航空戦力は通常種の飛竜のみの筈だ。シリウスで空戦しても勝てるだろう」
「し、しかし、飛び立った攻撃隊をレーダーで追っていたのですが、キルクルスに到着する前に突如陣形が乱れ、反応が次々と消えていったのです」
「敵飛竜の反応は?」
「キルクルス近郊より離陸したと思われる30個の反応がありましたが、それが到達する前に全て消えました。ですので、飛竜の仕業ではないと思われます……」
「……この世界特有の気象現象でもあったのか?」
レーダー員の分析に、彼はその様な結論を出した。
精鋭───とは言い切れないが、帝国の航空機36機が瞬く間に全滅したのだ。しかも敵機の姿はレーダーには映っていない。
直前まで隊長機との通信は繋がっていたのだが、それも突然途切れていた。
いくら何でも、熟練パイロットである隊長が何も反応出来ずに撃墜されるなどという事は有り得ない。よって、彼はこれを自然現象だと判断した。
ここは異世界。自分達の常識は通じないという事を思い出したのだ。
だが、この状況下であっても艦橋内はどこか楽観的な雰囲気が漂っていた。
何故ならば、グレードアトラスターの上空には護衛としてアンタレス12機が旋回しており、30騎の飛竜など傷1つ無く全滅させられるだろうからだ。
「しかし、こんな気象現象が起こるとは思っていなかったな……」
「報告しておかなければ、第2第3の悲劇が起こってしまいますからね……」
「ああ……」
そうして、彼は遠くの空を見上げた。
「……ん?」
彼が、そんな空に違和感を感じた瞬間。
───アンタレス2機が、火達磨になって目の前を通り過ぎていった。
「……は?」
「ご、護衛のアンタレス2機ロスト、あ、あああ!!?」
レーダー員の悲痛な声で我を取り戻す。
「───っ!!!」
「か、艦長!!?」
彼は反射的に駆け出していた。
今、空で何かが起こっている。レーダーには敵機は何も映っていなかった。
先程は自然現象だと一蹴した何かが───もし、
向かうは昼戦艦橋よりも上、グレードアトラスターの最上部に位置する、上空を見渡す事の出来る防空指揮所である。
「何だ!! 何が起こっている!!?」
「……か、艦長!? き、危険です!!」
「そんな事を言っている場合ではないだろう!! 状況はっ!!!?」
防空指揮所に上った彼は、呆然と口を開けて空を見上げている見張り員達に喝を入れ、自らも上空を見上げる。
そして、同じ様に呆然とした。
何せ、空では白い竜が超高速で飛び、今正に最後の一機が撃墜されていたのだから。
アンタレスだった物が、縦に2つに分かれて海へと落ちていく。彼にはそれが、ひどくゆっくりに見えた。
護衛機を全て墜とした白い竜はグレードアトラスターに一瞬口を向けると、そこから何かを2つ発射する。
それはサッカーボール大の光弾であり、15メートル測距儀上部に取り付けられた対空レーダーを破壊する。それを確認すると、白い竜は飛び去っていった。
その速度は異常に速く、アンタレスを凌駕しているように見えた。
「───ッ!!!!」
それから数秒経って、彼は再び我を取り戻す。
「不味いッ!! このままではッ!!!」
そう叫ぶと、彼は昼戦艦橋へと駆け下りる。
「艦長! 対空レーダーが破壊されました!!」
「主砲、副砲対空砲弾装填!! 直前まで敵飛竜が映っていた方向へ向けろ!!」
グレードアトラスターの装甲は硬い。戦艦の装甲は、自らの主砲に耐えられる様に造られているからだ。
そして、この艦の主砲の口径は世界最大の46cm。事前に手に入れたミリシアルの戦艦の主砲口径が38.1cmであるから、魔法などの不確定要素さえなければバイタルパートが抜かれる事は無い。
だが、高角砲や機銃は別だ。それらは装甲化など全くされておらず、装着されているシールドは銃弾の破片などを防ぐ為だけの物なのだ。
そんな物が、如何に前時代的であるとはいえ大砲を受ければどうなるか。
───現在、グレードアトラスターの対空兵器は艦橋に装備されている13mm連装機銃2基のみであった。それ以外は全て戦列艦の苛烈な砲撃によってぐちゃぐちゃに破壊されていた。
そして、飛竜は離陸にこそ距離が必要であるものの、着陸には全く距離を必要としない。
「このままでは敵飛竜に乗り込まれるぞ!!」
「レーダーが無い今、有効な対空攻撃は出来ません!! か、艦長、どうすればっ」
「狼狽えるなっ!! 飛竜には最大でも数人しか乗れん!! 動ける者に自動小銃を持たせろ!! 敵の攻撃ではグレードアトラスターは貫けん!! 後方の艦隊に護衛を要請しろ!! 敵の侵入を防ぎ、アンタレスが来るまで持ち堪えるのだ!!」
と、そこまで言って彼は先程の白い竜が向かっていった方向を思い出す。
「艦隊に、そちらに敵飛竜が一騎向かったと伝えろ!! 決してこれ迄の飛竜と同一視するな、敵の速度はアンタレスを凌駕している、ともな!!」
「なっ!? アンタレスを!!?」
「復唱はどうした!!!」
「は、はい!!!」
これで出来る事はやった。後は神に祈るだけだ。
……ここまでで、彼の中の楽観的な感情は全て消え、寧ろ前世界合わせても最大の危機感を持っていた。
恐らく、先程の白い竜と増援のアンタレスは会敵するだろう。その時、一体何機が生き残り、こちらに来る事が出来るのか。
1機でも抜ければこちらの勝利だ。敵の飛竜が何機居ようが、アンタレスを落とす事は出来ないだろう。
だが、白い竜は先程までいた護衛を全て落とし、態々レーダーまで破壊するという徹底ぶりだ。そんな奴が、飛竜隊の脅威になるアンタレスを見逃すだろうか。
因みに、水上機に関しても砲撃によってカタパルトとクレーンが破壊されている為に発進は不可能であった。
嗚呼、なんという事だろう。軽い気持ちで迎えたこの戦闘で、ここまで死を覚悟する事になろうとは。
彼は唾を飲み込み、遠くの空を見詰める。そこには、幾つかの黒い点が見えた。
「───対空戦闘、開始!!!」
ここに、飛竜と巨大戦艦の戦いが始まったのだった。
〈ドイバ沖120km ヘラクレス級戦艦『マシム』〉
『た、助けてく』
『うわぁぁぁぁぁっ!!!!? ギャッ』
『は、速い!! 速すぎる!!!?』
「な、何だこれは!?」
「こちらマシム! 何が起こっている!! 応答せよ!!」
『白い竜と戦っている!! 恐ろしく速い奴だ!! 太刀打ち出来な』
「!? おい! 応答せよ!!……ダメです。通信、途絶しました」
「何が起こっているんだ……」
『マシム』艦橋内に暗い雰囲気が漂う。
つい先程、グレードアトラスターから艦隊へと救援要請があった。それは、アンタレスを寄越して欲しいという物。
理由を問うと、なんと第1次攻撃隊及びグレードアトラスター護衛隊が全滅したのだという。こちらのレーダーの範囲外であった為に気付かなかったのだ。
そんな訳で、急遽第2次攻撃隊に同行させるアンタレスを向かわせたのだが───
「何故っ!! 何故蛮族なんぞに10機のアンタレスが撃墜されるのだっ!!?」
───結果は全滅。帝国の誇るアンタレス、それが10機。本来ならばその10倍の数のワイバーンにも余裕で勝てる筈の戦力は、僅か5分で全滅した。
因みに、レーダーには敵の姿は映っていなかった。これもまた彼───マシムに座乗している艦隊司令官を困惑させた。
予め白い竜に関しては警告を受けていたのだが、彼は熱狂的な帝国信者であり、油断しないなど出来なかった。
……もっとも、油断せずとも結果が変わっていたとは思えないが。
「クソっ! 全艦対空戦闘用意!!」
「了解! 対空戦闘用意!! 主砲には時限信管、それ以外は近接信管を装填しろ!!」
彼のその言葉で、各艦が主砲に対空砲弾を装填し、高角砲に弾を込め、機銃に弾倉を装着する。
帝国で使われている対空砲弾は近接信管が付いており、敵に近付くと爆発する。これにより撃墜率は大幅に向上した。
この世界でもそれは猛威を振るい、1海戦で40もの飛竜を撃墜した艦もあったという。
「敵はレーダーに映らん!! 目視による警戒を厳とせよ!!」
彼の顔に冷や汗が伝る。
ここまで不安に満ちた対空戦闘は初めてだった。なにせ、ユグドでもレーダーに映らない敵などという物は無かったのだから。
しかし今、この艦隊にそれが接近している。彼は恐怖を感じていた。
そして。
『こちら防空指揮所!! 12時の方角に高速で接近する白い物体を確認!!』
「それが敵だ!! 対空戦闘開始!!」
艦橋上部に設置された10メートル測距儀を使い、敵機との距離を測る。
そこから送られてくるデータを元に、艦前方に設置された2基の45口径41cm連装砲が調整される。
「て、敵の速度が速すぎます!! 距離20……19!」
『主砲、発射準備完了!』
「よし、てぇッ!!!!」
こうして、世界で2番目に巨大な砲が火を吹き、4発の対空砲弾が白い竜へと向かっていく。
そして、遠い空の彼方で爆破、中に込められた大量のマグネシウム片が火を纏って放たれる。
この世界の通常のワイバーンならばこれで死んでいただろう。が。
『敵機、撃墜ならず!! 距離7!!』
しかし、敵機を撃墜するには至らなかった。それどころかどんどんと接近してくる。
続けて12.7cm連装高角砲、25mm機銃が対空戦闘を始める。他の艦も同じく攻撃し、空は大量の黒煙と曳光弾で覆われる。
たった1騎にこれだけの弾幕が張られている。ユグドでもこれだけ単機で弾薬を消費させた者は居ないだろう。
そして、それでも尚撃墜報告が来ない事に彼は苛立ちを感じていた。
「何故だ!! 帝国の誇る対空戦闘で撃墜出来ない物などある訳がッ!!!!」
彼は独り言というにはあまりにも大きすぎる叫びを上げる。
未だに撃墜出来ていないのには勿論理由がある。単純に、速度が速すぎて近接信管の爆破が間に合っていないのだ。
それを示すかのように、放たれた対空砲弾はその全てが白竜を追うようにして爆発していた。黒煙が、竜の通った跡を示しているのだ。
続いて、白竜は海面スレスレまで降下する。それに合わせて対空砲火も海へと向けられる。
海に大量の波が立つ中、竜は遂に艦隊内部へと侵入する。
「敵騎、艦隊内部へ侵入! あ、駆逐艦の陰に隠れました!!」
「何ィ!?」
ここで彼は思い出す。敵は飛行機ではなく竜なのだと。
飛竜はホバリングが出来る為、こういった芸当も可能なのだ。艦の陰に隠れられれば、我々はフレンドリーファイアを恐れて発砲出来なくなる。
現に、今対空砲火は止んでいた。幾つか止めるのが遅れて駆逐艦に着弾していたが、流石に弾の破片や機銃弾程度ではいくら装甲の薄い駆逐艦でも大した被害は出ていなかった。
「何のつもりだ……?」
彼は考える。
態々単騎で突入してきたのだ。爆弾などを持っている様子は無かったが、もしかすると駆逐艦くらいならば沈められる攻撃が出来るのかもしれない。
いや、もしくは魚雷に引火させるつもりなのかもしれない。そうすれば駆逐艦など木っ端微塵だ。
駆逐艦であれどこの世界の戦列艦には十分脅威なのだ。1隻でも沈めておくに越した事は無いだろう。
だが、駆逐艦が沈められようが戦艦は沈まない。彼はそう自信を持っていた───この時までは。
「く、駆逐艦が浮き上がりました!!!」
その自信は、竜が盾にしていた駆逐艦がほのかな光に覆われて浮かび上がり、そのままペガスス級航空母艦『サダルバリ』に突き刺さるという光景によって、粉微塵に打ち砕かれたのだった。
〈キャニス・ミナー級駆逐艦『アスタルプ』〉
時は少しだけ遡る。
「敵騎接近!!」
「撃ち落とせェ!!!」
艦に装備された25mm3連装機銃、及び13mm単装機銃が火を噴く、が、当たらない。そもそも敵騎の速度が速すぎてまともに狙いを付けられないのだ。
やがて白竜は艦の喫水線ギリギリに足を付け、滞空する。そこで同士討ちを恐れてあれだけ猛烈であった対空砲火はピタリと───少しだけアスタルプに着弾したが───止む。
25mm機銃は動かせず、13mm機銃でも届かない。艦長は乗組員に自動小銃で対応する様に指示を出す───直前。
「うおおっ!!?」
「な、何だァッ!!?」
突如艦橋が斜めに傾き、彼らはバランスを崩す。
いや、艦橋だけではない。
どんどんと傾きの角度は大きくなっていく。艦橋内部では最早床が床として機能せず、外にいた者達は必死に物に掴まり、それ以外は海へと落ちていくか、柵に引っかかってそこに物が落ちて潰れていた。
そこでようやく気付く。
窓から見える景色が、高くなっている事に。
「な、何が……うわっ!?」
突如訪れる浮遊感。それが、彼らにはひどく長く感じられた。
彼らが最後に見たのは、急激に近付いてくる『サダルバリ』の飛行甲板だった。
直後、『アスタルプ』は『サダルバリ』の飛行甲板にほぼ垂直に突入した。
艦首で飛び立とうとしていたアンタレスごと飛行甲板を貫き、サダルバリはくの字に折れ曲がる。艦首と艦尾が同時に浮かび上がり、飛行甲板にいた整備士や艦載機がまるで蟻地獄のように突き刺さったアスタルプの方へと滑り落ちていく。
その過程で人が潰され、血液が甲板を染め上げる。
次の瞬間、どちらの弾薬が引火したのかは分からない。が、そんな事は大した問題ではないだろう。
サダルバリとアスタルプは大爆発を起こし、巨大な黒煙を残して折れ曲がった所から引きずり込まれる様に沈んでいった。
その時、一瞬だけ艦隊に静寂が訪れた。
人間という物は、有り得ない現場を見た時に冷静になる生き物なのだ。
彼らにとって、今という状況が考えうる限り最も“有り得ない現場”であった。
「「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!???」」」
そして、艦隊の乗組員全員がほぼ同時に我を取り戻し、ほぼ同時に悲鳴を上げた。
機銃員は狂ったように弾を撃ち出し、弾が無くなったそれのトリガーを何度も何度も引く。
高角砲員も同様に撃ち、中には対空砲弾と間違えて通常の榴弾を装填し、しかもそれが味方の駆逐艦に命中してしまうといった事まで起きる始末。
拳銃を持っていた士官は焦点の合わない目で虚空に向けてそれを撃ち、しかも偶然甲板にいた兵士の頭に当たってしまう。
とにかく、艦隊は大混乱に陥った。全く統制の取られていない対空砲火は先程よりも苛烈に見えるが、その実彼らの求めていた戦果を上げるには全くもって不十分であった。
そんな中、再び駆逐艦が持ち上げられてもう片方の空母に投げられる。
持ち上げられた時点で駆逐艦に向かって空母からかなり発砲され、その艦が空母に命中する頃にはボロボロになっていた。
しかし、砲弾よりも遥かに重い質量攻撃は功をなし、空母は転覆、続けて駆逐艦の魚雷に引火して爆発、そして空母の弾薬庫に引火、先程と同じく大爆発を起こす。
次も激しい対空砲火の中駆逐艦が持ち上げられる。そして投げられた先にあったのは艦隊旗艦のマシムであった。
駆逐艦は、マシム後方のカタパルトのある場所にほぼ垂直に突き刺さる。
そしてすぐ、そのほぼ直下に位置する第3主砲の弾薬庫に引火。
マシムは巨大なキノコ雲を上げ、艦首を大きく持ち上げて艦隊司令官、艦長、及びその他のほぼ全ての乗組員を道連れに爆沈した。
その後も攻撃は続けられ、旗艦轟沈より5分後、艦隊は降伏した。
当初22隻いた艦隊は、イルクスによる攻撃や同士討ちによってタウルス級重巡洋艦2隻、キャニス・ミナー級駆逐艦3隻にまで減っていた。
降伏した艦艇はイルクスに上空から見張られながらその場に留まり、駆け付けた南部方面隊の12隻の戦列艦に囲まれながらドイバへと向かった。
───余談だが、この残っていたタウルス級の内の1隻に偶然にもカメラを持っていた兵士がおり、彼はマシム轟沈の瞬間を写していた。
立ち上る、赤と黒の混じったキノコ雲。高く上がる艦首。そして何よりも突き刺さる駆逐艦の艦尾。
その写真は見た者に非常に大きなインパクトを与え、皮肉にもマシムはこの世界で最も有名なヘラクレス級戦艦になったのだった。
この小説が面白いなと思ったら高評価低評価チャンネル登録手洗いうがいソーシャルディスタンス三密Goto5つの小お願いします
あと、マシム轟沈の写真は、デンマーク海峡海戦のフッド轟沈の絵をイメージして下さい
追記:原作で、ドイバの艦砲射撃と飛行隊襲撃は1ヶ月くらい離れてる事に後から気付きましたが、こっちの世界線では同日に行われた、という事にしておいて下さい
追記2:前半部を大幅にリメイクしました。ストーリーには大した変更はありません