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コツン。
「ああライカ、ごめんなさい。今ここから離れるから……」
ポタリ、ポタリ。
頭に何かがぶつかった痛み、悲しげな女性の声、頬に垂れる紅い水滴。それが、私の中にある一番古い記憶。
子供とは、時にどんな大人よりも残酷になれる生き物だ。そこに住む彼等も例にもれず、外から来た根無し草の私達を厭い、排斥し、石を投げた。
彼女は私を守りその身に礫を受け、しかし防ぎきれずに私の頭に当たってしまった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
彼女は子供に怒る事もせず、ただ私に対して謝り続けていた。
ただただ涙を流し、謝るだけだった。
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リリー。それが私の母親の名前。私と同じ黒い髪、私と同じ白い肌、私とは違う一般的な背丈、私とは違う垂れ気味の茶色い眼。私のやや釣り気味の眼は父親譲りの物らしい。
苗字は無く、頼れる人も物も無い状態で女手一つで私を育ててくれた人。今でも深く尊敬している。
遠く南方にある大国、アニュンリール皇国。母はそこで生まれ───いや、
かの国がラヴァーナル帝国の優れた生体技術を再現するべく作りだされた先進生物研究所。ある日、そこで一つの計画が立案される。
その名も、『ナンバーズ計画』。かの“魔王ノスグーラ”を簡易的に再現しようという物であり、中央歴1603年頃から随時開始され、生体技術により16年間で9体の検体が作られた。様々な生物の遺伝子を組み込まれ作られた彼等は、しかし性別こそバラバラであったもののその見た目は人間と全く同じであった。
そして、彼等は皆等しく“念動波”と呼ばれる、魔物を使役する事の出来る魔力波を放つことが出来た。これはノスグーラと同じ能力であり、しかしそれよりも遥かに弱い物であった。結局の所大した研究結果を得られる事はなく、彼等は皆処分される───筈だった。
事の始まりは中央歴1619年、ある一人の研究員だった。老いた彼は自らが設計し、作り上げたナンバーズ達に名を与え、実の子の様に思っていた。
当然処分にも反対したが、所詮は一研究員の意見である。そもそも皇国自体があまり裕福ではなく、研究所に割り当てられる予算も少なくなっていた事から賛成多数で処分が決定した。
だから彼は、ナンバーズ達にその事を教え、逃走の手助けをした。鍵を開け、セキュリティシステムを破壊し、魔物達を檻から出した。ナンバーズ達はその魔物を操り、研究所を破壊し、混乱に乗じて脱出した。それを見送った後、彼は懺悔の言葉を口にし銃で自らの頭を撃ち抜いた。
誇り高き光翼人の末裔たる有翼人が下等生物の姿を模した実験体に情を抱き、あまつさえ脱走の手助けをしたという事実など公開出来る筈もなく隠蔽され、世間には彼の
さて、脱出した九人は追手を分散させる為にそれぞれ別方向へと逃げる事となった。
検体No.11518B、アデムとNo.11529C、リリィは中でも若かった為にペアを組み逃亡した。
うまく身を潜め追手を振り切り、文明圏外国で日銭を稼ぐ日々。そんな時間はしかし彼等には新鮮で楽しかった。
そして五年の月日が流れ、二人の間には子が生まれた。
それが歪みを生み出した。
「やめて!!! お願い!!!」
「あああああああああああああああああああ!!!!!!!! そんなァァァァァァ!!!! あり得ない、あり得ない、ありえないありえないありえない!!!!!」
生まれた子供は双子だった。
片方は二人の特徴を受け継いだ
「こんなァァァァァァァァァァァ!!! この、この私からァァァァァァァァァ!!!!!」
「やめ、きゃあっ!!」
───到底人間の物とは思えぬ青紫色の肌。片目は羽毛の様な物で隠され、額からは角が生えている。片耳はエルフの様に長く、もう片方は魚人の様なヒレ耳。右手足は竜のカギ爪の様に肥大化し、左手足のある筈の部分には黒い触手が蠢いている。
形容しがたき異形、それがリリィの腹から生まれてきた。
研究所では精神面での差異が能力に影響を及ぼすかも実験されており、リリィには「底無しの優しさ」が、そしてアデムには「亜人への嫌悪感」が植え付けられていた。
そんな彼の子供がこの様な異形であればどうなるか。
「きゃあああああ!!!!」
彼は発狂し、ナイフを生まれたばかりの赤子に突き立てる。何度も何度も、赤子が泣き叫び、やがて動きを完全に止めるまで。
母は必死に止めるが彼はそんな彼女を突き飛ばし、赤子を青い血に塗れた肉塊へと変えた。
そして、次に彼が狙ったのは私、そして彼女だった。こちらにも異形の血が混じっているかもしれない、そうに違いない。自分に穢れた血が入っている筈がない。そうだ、お前がわるいんだ。おまえがけがれているからだ。
彼女は私を抱えて逃げ出した。子を産んだばかりの母体で逃げ切れる筈もなかったが、しかし彼女が捕まる事はなかった。
アデムはあの後、あまりのショックで気を失っていたのだ。そして目覚めた時には記憶を失っていたのだが、そんな事を彼女が知る由もなく、彼女は船に乗り、国外へと脱出した。
そこからが地獄の始まりだった。
身寄りの無い、女一人子供一人の二人組。そんな二人が生きていける程この世界は甘くない。
彼女らは疎まれ、排斥され、まともな職もつけず、碌な食事にもありつけず。虐められても植え付けられた“心”が反撃を許さない。いつもリリーは私に自分の分まで与えていたが、それでもなお十分な量には到底足りなかった。劣悪な環境下で育った私はは同年代と比べてもかなりの小柄に育ってしまっていた。
そうして何度も何度も場所を転々とし───やがて、一つの島に辿り着く。
そこは第二文明圏の西の果て。金も尽き、船の貨物室で密航した二人は船から降りて町に面した森へと入っていく。だが、この時既に二人の体力は限界を迎えつつあった。
露を啜り、葉を齧り、しかし彼女らは森の奥で力尽き倒れてしまう。
そんな二人に近付く一つの影があった。
結論から言えば、私達は助かった。助けたのは王都キルクルス郊外に住む老夫婦だ。猟師をしている夫が倒れている私達を見つけ、連れ帰ったのだ。
二人は私達の境遇───皇国関係の事抜きで───を知ると、少しの逡巡も無く「この家で暮らさないか」と提案してきた。
無論警戒したが、しばらくここで暮らす内にこの国───イルネティア王国の国民性が優しいものだと気付く。そして、結局はその提案を受け入れ、その日私達はルーリンティア家に入ったのだった。
それから数年後、私が五歳になった頃。事件は起こった。
人を食べたのだろうか。凶暴化したルアキューレ───ライオンの様な体躯から三つの顔、尾が伸びている魔獣───がキルクルス郊外を襲ったのだ。
付近の森には通常生息していないその魔獣に対し、警備隊はマスケットで応戦したもののさしたる効果は無く撤退を余儀なくされていた。
そんな魔獣に対し、立ち向かったのが母であった。いや、立ち向かう事を余儀なくされた、という方が正しいだろう。私達が避難している所に運悪く丁度現れたのだから。
母はやむを得ず『ナンバーズ』としての権能を振るう。しかし、"心"が邪魔をして満足に使う事が出来ない。激しい頭痛が彼女を襲う。先進生物研究所が施した精神操作は失敗である事が図らずもここで実証された。
それでもなお念動波を放ち続ける。鼻血が垂れ、苦痛に顔が歪む。その甲斐あってか、ほんの一瞬だけ動きが止まる。だが、すぐに動きを取り戻し襲いかかった。
母は私を抱き締め、目を閉じる───
───何時まで経っても、その牙が彼女に突き立てられる事はなかった。代わりに聞こえてくるのはけたたましい鳴き声とグチャグチャという咀嚼音だけだ。
彼女が振り返ると、何故かその三つの首が別の首をそれぞれ噛み、それぞれが悲鳴を上げながら咀嚼していた。それはまるで自分の意思ではないように。
彼女ははっとして下を見る。そこには、無表情で手を突き出す私の姿があった。
その時の母の哀しげな顔は今でも脳裏に焼き付いている。
ズシン、と倒れるルアキューレ。母は私を無言で抱き締めた。
その後、母は無理に精神操作に逆らったのが祟ったのか寝たきりになってしまう。
ある日の夜、彼女は私だけを呼び出した。
「……今から教える事は、絶対に誰にも言わないこと。特に大切な人には……これは、それ位重い、重い秘密だから。もし言うのなら、それは絶対に誰にも言わないと確信出来る相手じゃないと駄目」
そうして、彼女は自分の境遇を話した。
アニュンリール皇国という国の事。自分が作られた存在であるという事。自分の力の事。双子の弟、そして父親───アデムという男の事。
「彼の事は許してあげて。彼も……被害者だから」
母はそう言った。彼自身も抗えぬ精神操作の被害者に過ぎない。そう言って怒る私を宥めていた。
次の日、母は死んだ。
あの時、私は母の言葉───誰にも言ってはいけない、重い秘密、という物の意味がよく分かっていなかった。ただ言われたからと盲信的に守っていたが、今ならその意味がよく分かる。
魔法帝国への憎悪。それは皆が思っているよりも深く、深く心に染み付いているのだ。
そして、何よりも私は恐れている。
───本当は、
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「行ってきまーす!」
七歳になったある日の昼下がり。私はそう言って家を出る。
何となく、その日は森に出かけたかった。私は籠を持ち、森の中を歩いていく。
「……?」
ぴい、ぴい。私の耳にそんな何かの泣き声の様な音が聴こえてくる。
「何だろう……」
音を頼りに奥へと進む。草むらを掻き分け、やがて小さな崖の麓へと辿り着いた。
「───え」
そこにあったのは誰かの後ろ姿。
私には似ても似つかない高身長。腰まである白銀の絹の如き美しく髪。エルフの様な長い耳に、エルフ顔負けの白く美しい肌。
頭からは髪をかき分けて二本の角が、背からは一対の翼が、背中下部から尻、そこから伸びる鱗に覆われた白銀の長い尻尾。
人間離れしたそんな姿。
『ライカ』
どこからか、自分の名前が聞こえてくる。凛とした、まるで歌声の様な声。
『ライカ』
ズキリ。頭が痛くなる。
『ライカ』
知らない筈だ。こんな人……私は知らない……
「ライカ……」
いつの間にか、その声は肉声になっていた。
目の前の女性……彼女がゆっくりと振り向いてくる。
「ライカ……!」
知らない……しら……いや、知っている……? そうだ、私は彼女を知っている……!!
「ライカ!!!!」
そうだ、彼女は───
───ぱちり。目を開ける。私がいるのは暗い海の中。周囲には金属片や肉片が私と共に今もゆっくりと沈んでいる。
目の前には今にも私を食べようと口を大きく開けた海魔が近付いてきていた。
“力”の使い方。あの時、私はどうやって使ったのだったか。無我夢中の事で今まで分からなかったが、今は何故か手に取る様に分かる。
そして私は、海魔に手を突き出した。
※今作品は二次創作です。オリジナル解釈、設定を含んでいます。